ミレニウスは眠そうな目を細めると言った。
「こりゃ戦さになるぞ。それも.......大きいヤツだ」
「ど...どうしてわかる?いや...確かに俺も.....」
俺は戸惑いながらも同意し、呟いた。
「確かに俺もそんな感じがしたが....。この駐屯地は俺が以前働いていたときのものとは別物になっちまってる。人が入れ替えられちまってる。だが....」
俺はそう言ったあと助けを求めるようにミレニウスに尋ねた。
「いったい何のためにそんなことを?外国の精鋭部隊でも攻めてくるっていうのか?」
「たぶんな」
ミレニウスはボソっと言うと口を閉じた。俺は重ねて問うた。
「いったいなぜ?今は海の向こうの国との関係も良好だし、ここんとこ長らく戦さの話なんて聞いたこともないんだぜ?」
「うむ...」
彼はそう言うと腕組みして窓の外を見た。窓にはご丁重に鉄格子がかかっている。
「なあミレニウス。あんた何をどこまで知ってるんだ?俺にはまるでわけがわからない」
俺は彼に近づくと言った。リラ嬢とカエルス少年も彼を見ている。
「魔物を駆除して女神像を持ち帰れば金を受け取れる。俺はそのことしか考えてなかった。だが、蓋を開けてみりゃあ出てきたのはあの傭兵団の連中に、今度は千人隊長だ。何もかも普通じゃない。あんたは何か知ってるんだろ?一体何が起こってるんだ?」
だがミレニウスは気だるげな横顔を見せるばかりだった。小さな溜め息をつくと彼は答えた。
「セヴルス、おめえはともかく、子供たちまで巻き込むってのはなぁ.....」
「うち、大丈夫よ。うちも知りたい」
リラ嬢が口を開いた。
「どうしてあの盗賊のオヤジも偉そうな兵隊さんも、あんなに興味持ってるの?神殿の床下にあったあの機械に....」
カエルス少年が驚いて彼女を見た。だがミレニウスは返事をしなかった。リラ嬢がどれだけせがんでも沈黙したままだ。
やがて時刻は夕刻に近づいてきた。するとノックもなしに扉が開けられ、外で警備をしていた兵士たちがパンと水を持ってきた。
パンは固く、水は冷たい。だが俺はよく知っていた。これらは兵士用の食事なのだ。質はともかく量はある。俺たちは言葉少なに食事をした。
パンを噛みしめながらも、俺は胸の奥に沈んだ不安をどうにも押し込められなかった。
皆が食事を終えると、リラ嬢は退屈そうにしていて、カエルス少年を捕まえてたわいもない遊びに付き合わせ始めた。
「ね、カエルス!しりとりしよ!」
「は..はい。いいですよ」
カエルス少年はおずおずと答える。
「じゃああんたが先ね」
「は....はい。しりとり」
「リス!」
「す..すいか」
「カラス!」
「す....すいみつとう」
「はぁ?何それ」
「何って...桃の呼び名です」
「ダメ。うちの知らない難しい言葉使ったからあんたの負け!」
「そんなぁ!」
食事の後にこんな会話が交わされていたら、普段なら聞いていて微笑ましくなるであろう。だが、耳に入ってこない。俺は落ち着かず立ったり座ったり、窓から外を覗いたりしながら時間を過ごした。
ミレニウスは脚を組んで座り、目を閉じたまま動かない。
窓から外を見ると夕暮れの光が他のバラックや遠くの街並みを照らしている。
すると、鐘の音が聞こえてきた。
礼拝を告げる鐘の音にも似ている。だが違う。
出火を告げる警報だ。火災が町で起こっているのだ。
鐘の音は次々と増えていった。それと同時に、甲高い角笛の音が駐屯地のどこからか鳴り響いた。
俺は椅子から跳ね起きて窓際に走った。
物見やぐらの上に何人も兵士たちが群がっている。それと同時に、下士官たちの怒鳴り声が聞こえた。
「出撃用意!」
「整列!グズグズするな!」
その途端に夕暮れの静かな駐屯地は一瞬で最前線のような騒がしさで包まれ始めた。
バラックから転がるように飛び出してきた兵士たちが隊列を組む。普段からよく訓練しているようで、ものの数秒で整列が完了した。
左手に盾、右手に槍を持った兵士たちは列が整った者たちから小走りでその場を去っていった。ザッザッザッザッっという規則的な足音が鳴り響く。
馬の嘶きが聞こえた。高位の将校たちも出撃するのかと思って、俺は窓から目を凝らした。そして視界に入ったものを見て仰天した。
なんと戦車まで出動させている。二頭の馬に牽かれた戦車が次々と目の前を通り過ぎていった。
「ま...まじかよ。どうしちまったんだ?」
俺は困惑して呟いた。するとミレニウスはやおら立ち上がった。
「やっぱここに居たらまずぃな....。出よう」
彼が独り言のように言うのを聞いて俺はますます混乱した。
「お...おいミレニウス。『出よう』って...そんなことできるわけないだろ」
王立軍が監禁中の人物―犯罪者であれ証人であれ―を逃すなど万一にもあり得ない。たとえ本隊が出撃中であっても警護の兵士たちは監視下にある囚人たちの身柄は自分の責任と心得ている。ましてや、ここにいるのは王家直属部隊だ。逃げられるはずがない。
だが、ミレニウスは扉に近づくと数回ノックした。すると扉が開き、完全武装の兵士がひとり顔をのぞかせた。
「なんだ?」
「なぁ....さっきからえれえ騒ぎだが....この駐屯地は安全なんだろうな?」
ミレニウスが問う。すると、警備兵はムッとした顔で答えた。
「当たり前だ。王家直属部隊が警護してるんだぞ」
「....そうか....。そうだよな。安心したよ。じゃあ、なんかあったときにはよろしく頼むぜ」
ミレニウスは気軽な調子で右手を差し出した。警備兵はやや困惑した様子だったが、自分も右手を差し出して握った。
その瞬間、ミレニウスが相手の手を引っ張ったらしい。警備兵は猛烈な勢いで戸口の柱に激突し、白目を剥いて崩れ落ちた。
「貴様!」
バディを組んでいたもう一人の兵士が叫んでこちらに向き直った。レスリングのように両手を前に出して掴みかかってくる。
だが、ミレニウスは半身になって一歩下がった。まるで相手の動きを最初から分かっていたかのような動作だ。相手は無人の空間に突っ込んでいく。そこをミレニウスが脚をかけて引き倒した。
「ごめんな」
彼はそう呟くと、警備兵の脚を掴んで股間に蹴りを入れた。軽いものだったが、警備兵は声にならない呻きを上げ、顔中から脂汗を垂らして悶絶し始めた。
「おい、中に入れてやれ」
呆気にとられて見ていた俺に、ミレニウスが指示する。俺は慌てて倒れている兵士たちのひとりに駆け寄ると室内に引き摺り込んだ。
リラ嬢とカエルス少年が驚いて見守るなか、俺とミレニウスは兵士たちの手足をカーテンで縛った。
「ヒュゥ...いい剣使ってやがるぜ。さすが王家直属だな」
ミレニウスが兵士から奪った剣を鞘から抜くと言った。そして彼はもう一本を投げてよこした。俺は受け取り、鞘を自分のベルトに固定しながらも、完全な混乱状態にあった。
こんなことをしてタダで済むのだろうか?
そして俺たちはこれから何をしようというのか?
俺たちは装備を整えると、子供ふたりに合図して静かにバラックを滑り出た。幸い、出撃の騒ぎのおかげで他に気づいた者はいない。俺たちは建物の壁に身を寄せて、見とがめられないように移動し始めた。
「ミレニウス。おい、本当にどうするつもりなんだよ」
俺はミレニウスに尋ねた。声が震えていた。だがミレニウスは、まるで散歩にでも行くような気軽さで肩をすくめた。
「どうするもこうするも、ここにいたら巻き込まれるだけだ。外の騒ぎ、聞こえただろ?」
「巻き込まれるって……何にだよ」
「戦さだよ。それも、でけぇやつだ」
彼は何の感慨も込められていない語調でそう告げると、忍び足で建物の影から出て、次の建物の影に陣取ってから俺たちに手招きした。
* * * * * * * * * * * * * * *
「ふう...どうにか駐屯地からは出られたな」
俺とミレニウスは駐屯地の塀を乗り越え、上着をロープがわりにしてリラ嬢とカエルス少年をも外に引っ張り出した。時刻は既に日没だった。だが、辺りが暗くなったのは逃亡者である俺たちにとっては僥倖だったが。
駐屯地の周囲というのは貧民街や売春宿が広がっているものと相場が決まっている。
二人の剣士と二人の子供という奇妙な一行は、ミレニウスの先導で街路を歩き始めた。客を引いていた売春婦たちは、俺とミレニウスに気づくとたちまち近寄ってきた。
「あらぁ...剣士さま。いい男。うっとりしちゃうわぁ」
「こっちのおじさまも素敵じゃない。ねえねぇ。安くしとくからぁ」
俺は困った顔をした。だがミレニウスは平板な声で答えた。
「悪ぃ。また今度な。今は子供づれなもんでよ」
そうすると、背後にいたリラ嬢とカエルス少年に気づいた売春婦たちは目を白黒させ押し黙ってしまった。
西の空にはうっすらと茜色の光が見える。夕焼けではない。火事が広がっているのだ。通行人たちがそちらを指さして噂話をしているのが聞こえた。
「なんか西地区が火事らしいぜ。軍も出動したってよ」
「火事を消すのに軍が出動するなんて聞いたことないぜ?」
「それがよ、なんでも魔物が出てきて火をつけたっていうのさ」
売春婦たちを後にすると、俺はミレニウスに尋ねた。
「なぁ...これからどこに?」
「ああ...ちょっとな」
彼は言葉を濁すと、路地を曲がって街はずれに向かった。やがて町の端にある丘を登る道に出た。
坂道を登っていくと、やがて行く先に小さな尖塔のついた建物が見えた。夜空に浮かぶその影は侘しさを掻き立てる。
坂を登り切ると、ミレニウスは建物の扉に歩み寄ってノックした。
しばらくすると、扉が内側から開いた。中から顔を出したのは女だった。歳の頃は俺と同じか少し上で、驚くほど美しい顔だちをした女だった。だが、黒を基調とした地味な服を着て頭を頭巾で覆っている。
「よ。久しぶりだな」
ミレニウスは声を掛けた。女はひどく驚いた様子で目を見開いていたが、やがて膝を曲げて挨拶した。
「お久しぶりでございます。剣士さま」
「悪ぃ。ちぃと匿ってもらっていいか?」
ミレニウスが頼み込むような仕草で手を合わせると、女は我に返ったように微笑んだ。
「もちろんでございますわ。さ、皆さまもどうぞ」
俺たちは促されるまま、ひとりずつ扉をくぐった。中は薄暗く、蝋燭の灯りが壁に揺れている。だが、そこには静謐というより、どこか張り詰めた空気が漂っていた。
リラ嬢が小声で呟く。
「ここ、なんか怖い...」
だがカエルス少年は逆に、好奇心に目を見開いていた。
「修道院ですね。僕、初めて入りました」
ミレニウスはそんな二人を横目に、女に向かって頭を下げた。
「助かる。外が騒がしくてな」
「いいえ。これくらいのことでしたらいつでも。さあ、中へ」
女は廊下を先に立って俺たちをいざなった。食堂に入ると、そこには同じような服装をした女たちが数人座っていた。
「わたくしの友人ですわ。今夜の宿をお求めになっておりますの」
女はテーブルについていた女たちに声をかけた。すると彼女たちは俺たちに会釈した。胡散臭い目で見られるか、下手をすると嫌がられるかと思っていたのに、俺は意外な気がした。
「ああ...彼女はルクレアだ」
ミレニウスが俺たちに言う。俺は慌てて彼女に向かって自己紹介した。
「俺はセヴルス。すみません、世話になります」
「うちはリラ!ありがとね、お姉さん」
「ぼ...僕はカエルスです。突然お騒がせして‥‥」
「お気遣いは無用ですわ。さ、おかけになって?」
それぞれが自己紹介を済ませると、俺たちはテーブルに座らされ、ほどなくスープとパンが運ばれてきた。俺たちは既に食事を済ませてはいたが、駐屯地のバラックでの食事が粗末だったので、もう一度お呼ばれすることにした。
だがミレニウスはそれには口を付けず、テーブルの横にあった戸棚に仕舞われた酒瓶に目をつけた。
「なぁシスター。ちぃと一杯貰っていいか?」
ミレニウスが言う。俺は戸棚を一瞥して、あることに気づき、彼に注意した。
「ミレニウスさん、それ聖体拝受用のワインじゃないか。さすがにダメだろう?」
俺は彼女たちの信奉する『C教』についてはそれなりの知識があった。軍時代、同僚にも信者がいたからだ。なんでもこの宗派では女神崇拝をしない代わりに、『人の罪の身代わりとして死んだ神』を崇拝し、その一環としてパンと葡萄酒を肉と血に見立てて儀式的に飲み食いするらしい。だから、葡萄酒は盃とパンを並べる銀製の盆とセットになっているのだ。
「お....そうか。それもそうだな」
ミレニウスは慌てて酒瓶を戸棚に戻そうとした。だがルクレアと紹介された女は微笑むと言った。
「かまいませんわ。どうぞ...」
俺は驚いた。ずいぶんとミレニウスはこの女に気に入られているらしい。彼は ヘヘヘッ...と微笑むと、勝手にグラスを一つとって葡萄酒を注ぎ、グイとあおった。
ミレニウスは喉を鳴らして飲み干すと、グラスをテーブルに置き、満足げに息をついた。
「やっぱ、ここの酒はうめぇな」
「ミレニウスさん、だからそれは……」
俺が苦笑しながら言いかけると、ルクレアが柔らかく笑って遮った。
「ほんとうにかまいませんわ。セヴルスさんもいかが?」
「え?い....いや...俺は.....」
俺はかえって困惑してしまった。このルクレアという女は、とびきりがつくほどの美人だったが、その身を固めた地味な黒装束も相まって、どこか浮世離れしているように見える。普段の俺なら、こんな美人から酒を勧められたら間違いなく飲むだろう。だが、俺には今そうすることが不適切なように感じられてしまった。
「剣士さま.....お変わりになりませんわね」
「そりゃどうも」
彼女が言うと、ミレニウスは気怠げに返す。だが、その声の奥には、照れくささのようなものが混じっていた。
すると、リラ嬢がスープをすすりながら、興味津々といった顔でルクレアを見た。
「ねぇ、お姉さん。昔からおじさんと知り合いなの?」
「ええ、そうですわ」
「わかった....!お姉さんって....おじさんの元カノなんでしょ!」
リラ嬢が言う。
「あぁ....?」
ミレニウスが口をポカンと開けながらリラ嬢を見た。
「図星でしょ!やっぱそうだと思ったんだよね、うち」
リラ嬢はスプーンを握り締めたまま得意そうにガッツポーズする。だが、ルクレアは柔らかく含み笑いするばかりだ。俺は顔をしかめるとリラ嬢に声を落とすよう手ぶりで促した。この建物内では大きな声は場違いに思われたからだ。リラ嬢は渋々ながら頷いた。
「残念ながら違いますわ」
しばらくしてからルクレアは答えた。そして少しの沈黙のあと、彼女は続けた。
「.....ミレニウスさんは、わたくしの命の恩人ですわ」