神が首を乞う   作:端取合

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盃は高く


鐘の音は遠く高らかに

 海原に浮かぶは鳴かぬ鯨――海賊〝白ひげ〟の愛船〈モビーディック号〉である。

 白鯨を模した本船を亡くせど、無機質な群立ちの壮観さたるや筆舌にし難い。この海で世界一と謳われる海賊団は、今日(こんにち)一隻を囲うような陣形をしており、堅牢な守りを以って鳥一匹近付けてなるものかと行動に示している。

不可侵の領域に腰を下ろした一隻、その甲板では稀代の仁義が切られようとしていた。

 

 

 

 

 

 猫被りは必要ない。

 子供毛皮も、妖精の仮面も脱ぎ捨てて。通すべきは礼儀のみ。

 

「お控えなすって」

 ――まずは名乗らせていただきたい。

 

 シャルリアは口上を切った(郷に入ったからには郷に従った)

 すでに客人として迎え入れられた身であるのなら、海賊の流儀に倣うのが筋というものだろう。片手を前に出して、手のひらを上に向ける。

 

「あんさんからお控えなすって」

 ――まずはおれが先だろうが。

 

 相するは〝白ひげ〟エドワード・ニューゲート。部下を仲介に立てずしても堂々たる佇まいは覇者のそれである。まるで七日前の深手を全くと言って感じさせなかった。

 

「それじゃ仁義になりません。あんさんの方がお控えなすって」

 ――先に紹介されたらこちらの立場がありません。名乗りは私が先でしょう?

 

 ニューゲートのほうが格上であることは百も承知、けれどここで頷くわけにはいかない。

 現状シャルリアとウタの厚遇がニューゲートによる厚意であれ、二人が行使した立場と能力によって彼が救われたことは事実。ということはシャルリアたちが上の立場で在らなければ、ニューゲートによる庇護が正当なものでないことになってしまう。

 貸し借りに例えるとするなら名乗りは後になった者のほうが借り手、戦場での手助けが(押し売りであろうが)、現状から先んじて借りたものを返したという図になっては旨味がない。つまりシャルリアとしてはこれで私の貸しですよね、貴方のほうが返済中ですよね、と帳尻を合わせたいわけである。

 

 しかしながらそうは問屋が卸さない。なにせニューゲートとて面子がある。

 故の問答。故の口説。

 

 ――年功序列ってものを知らねェのか。

 ――あらあら、等価交換というものをご存じでらっしゃらない?

 ――()()()船で安全を保証されているという事実の重みがわかっちゃいねェわけじゃァあるまい?

 ――むしろご自分の御名の価値が子供二人を船に乗せる、()()()()のものでしかないと?

 

 決まり文句の応酬の裏で、確かに会話は成り立っている。

 

「お言葉に甘えて控えさせてもらいます」

 ――上等だ、名乗れ。

 

 ニューゲートは片手を出して、シャルリアと同様に手のひらを上に向けた。

 

「控えくださってありがとうござんす……遅ればせの仁義、失礼さんでござんす」

 ――では早速、……自己紹介が遅くなってしまい申し訳ありません。

 

 海賊の挨拶では出自にちなんだ酒を持参するというが、ほぼ着の身着のまま聖地(マリージョア)を出たシャルリアが持っているはずがなかった。

 

(そもそも聖地で造酒なんてしてる? たぶんしてないよね)

 

 だって天竜人だし、と胸の内で独り言ちる。

 白と青の荘厳な街並みを維持するのに割かれた人員はいるだろうが、あの聖都に町としての機能があるかどうかでさえ()()()()であったシャルリアには答えられない。なにせ人間は物として換算される地、都の成り立ちや維持を正しく教える者は存在しない。

 

〝――与えられたものを疑うな“

 聖地(マリージョア)の教えである。

 

 しかれどもシャルリアは外界に出た。不可抗力であれ結果は変わらない。同じ土俵に立ったのだから生まれが違ったとて規則には従うべきだ。

 

「手前、生まれも育ちも赤い大陸(レッドライン)聖地(マリージョア)。名はシャルリア、姓は出奔した身故に名乗るものを持ち合わせておりません。が、人呼んで妖精と発します。何分世間知らずの温室育ちにて、いまだこの首には何もかかっておりません。以後面体お見しりおかれまして、向後万端引き立って、よろしく、おたの申します」

 

 だからこその名乗りであった。

 引き続いて、同じようにニューゲートからも名乗りを受ける。慣例に習うのであれば、次は盃を交わすところ。だが、シャルリアに持参の酒がない以上、渡世の流儀は一旦ここで閉められることとなる。

 さて、仁義が切られた矢先。

 

「マーシャル・D・ティーチは厄介ですね?」会話の鯉口を切ったのはシャルリアであった。

「あァ?」無遠慮な切っ先をニューゲートが真正面から受ける。

 

「手を組みませんか?」

()()はお前の言葉だったか」

「あの場で私は動けませんでしたので……、あの子は優秀でしたでしょう?」

「恩に着る」

 

 だが、と口を開いたニューゲートを遮って、シャルリアは「その命、不思議に思わなくて?」と投げかけた。

 さて、と舌の上で一区切りを転がして、シャルリアは居住まいを正し、妖精()()()畏まって言葉を紡ぐ。

 

「老いは不可逆、病は長期戦、傷は深手……その状態で現在(いま)命が繋がっていること、思うところはなくて?」

 

 戦争で随分と無茶をした身体。老い先長くなかったとはいえど、戦闘でさらに負荷をかけた状態。いつ命の灯は消えてもおかしい話ではなく、むしろこうして起き上がっていること自体こそおかしい話だ。

 

「……能力者か」

「ご理解がはやくて助かります」

 

 誰の能力とは伝えないが、訊かれてはいないものを答えることはない。ただ幸運なことにシャルリアには勝利の女神様がついているので、恩恵のひとつやふたつ騙っても間違いではなかった。

 

「貴方の健全なる延命(執行猶予)は」つまり「お前たちにとってもたらされたものだ、と?」

 

「事実です」

「……何が望みだ?」

 

 ――おれが生きて、お前に何の利がある?

 と、言外にニューゲートが問うた。

 

 シャルリアが欲するものは、

 

(なんだろう)

 

 惨たらしく殺されたくない。

 これだけは、確かに言える。

 

 黄金の銃で作られた血溜まりを観たときから、ずっと。

 

 痛いのは嫌だった。

 気持ち悪いのは嫌だった。

 寂しいのは嫌だった。

 恨まれるのは嫌だった。

 恐れられるのは嫌だった。

 苦しいのは嫌だった。

 飢えるのは嫌だった。

 奪われるのは嫌だった。

 犯されるのは嫌だった。

 寒いのは嫌だった。

 熱いのは嫌だった。

 嫌われるのは嫌だった。

 

 この世を恨みながら死ぬのは、嫌だ、と心の底から思う。

 

 聖地(マリージョア)には、戻れない。

 そこが楽園ではないではないことを、もう随分と前からシャルリアはよく知っている。

 

 だとすれば、このまま白ひげの船に乗って身の安全を保証されたとして、その後はどうしようか。特権もなく、取り柄もなく、武力を行使して戦うこともできず、世界貴族であったという事実だけが残る事態(未来)を、どう生きようか。

 

(白ひげに安全を求めて? その後はどうするの?)

 

 能力で補正された幸運とて、迫りくる(運命)には逆らえない。未練がましい最期の足掻きだ。あくまでも時間稼ぎでしかない。

 かつての記憶のように、白ひげの遺志を彼の息子たちが継ぐのだとしても、少なくともそれはシャルリアたちの安全ではない。

 

(だったら、)

 

 遺された時間で、白ひげに求めることは――

 

 

「――貴方の名が負う覇権の、その永続を」

 

 

 ――犠牲を最小限に抑える、そのための行動である。

 

「貴方が死ねば海が荒れるわ。海が荒れると割を食うのは弱者で、大抵は無辜の民であると相場が決まっていてよ」

 

 無法者が蔓延れば、追いかけてくるのは血の連鎖だ。無秩序の海で自分だけは大丈夫だと過信するほどの強さは、シャルリアにはない。

 だからこそ少なくとも生きるのに邪魔にならない環境だけは確保しておかなくては。

 

「領海を息子さんに譲るおつもり? それとも傘下の海賊に譲るおつもりで? ええ、相続問題は大事に発展しかねませんもの、生前贈与のお考えがあって結構、大切なことだわ」

 

 知っている、白ひげの船に乗る者たちの義理深さは。

 なにせ右腕を筆頭に、裏切り者である〝黒ひげ〟が父親の実を取り込んだと理解していてなお落とし前を付ける戦を仕掛けたのだから。

 

「けれど、果たして彼ら彼女らに守りきれるかしら?」

 

 結果(原作)は、あまりに悲しいものだったけれど。

 他にも懸念材料はある。

 

「貴方はお強くていらっしゃいますけども、貴方と同等の力を持つお子さんがいて?」

 

 ビッグ・マムのような、主戦力を血縁で固め、(おか)で一から国を創り上げた海賊。カイドウのように国を乗っ取り、特殊な武器を作る技術を手中に収めた海賊。

 例を挙げていけば際限がないが、事情が特殊な賊団が在ると知ったうえで、数で勝てると踏んでいるのだろうか。

 

「もしかして武力と恐怖に屈した傘下の海賊が最後まで仁義を守るとお考えになってらっしゃる?」 

 

 新世界に入ったのち、四皇の誰かを選ばざるをえなかった海賊団もあるだろう。双方に利益あっての親子盃であれば、旨味がなくては続かない。

 最強の男が抜けたとしても、白ひげの名は効力を発揮するだろうか。

 

「実子は本当にいなくて?」

 

 男と女のことはわからない。死人に口なし、事実がどうであれ後から言われても否定はできないだろう。

 

「ええ、もちろん子供らの幸せだけを考えるのもよろしいと思うわ。白ひげ海賊団解団も手ですけれど、反対なさるお子さんはいらっしゃらない? 貴方の名を背負って生きていくと覚悟した者たちからそれを取り上げるのは難しくってよ?」

 

 表面上納得してみせたとて、交わした親子盃を返すことなく、白ひげの名に殉じる子供もいることだろう。もしくは白ひげの遺志を呑み込んだうえで、空虚な喪失を抱えたまま生きていく子供もいるかもしれない。

 

「子に先立たれた親は不幸ですけれど、言葉足らずに親に置いてけぼりにされた子供はもっと不幸ですわ。甘ったれの尻を蹴とばして背中を叩いて心を鼓舞して、彼ら彼女らが生きて食うに困らない状態にして、それから笑って死ぬのが親の役目ではなくて?」

 

 シャルリアには、ついぞ手に入れなかったものだった。

 やること為すことがシャルリアにとって受け入れられなかっただけで、親の愛は、あったのだろう。聖地と呼ばれる場所ではいっとう甘やかされたのも事実なので。けれど本質が歪であることを無視できるほどシャルリアは子供ではなかったから。

 

(嗚呼、惜しみなく与えられる()の、なんて眩しいこと!)

 

 羨ましくないと言えば嘘になるし、ついでに言うなら怒っている。

 そもそも死がそう遠くないのであれば、永遠の別れとなる前にもっと話しておけば良かったのに、と。

 

「貴方の名声を、貴方の死後も轟くような、盤石なものにしていただきたいの」

 

 そのために。

 

「手を組みませんか?」

 

 さあ、今度こそ。ついぞ戦場では頷きひとつ取れやしなかった白ひげの、その大きな口から「はい」か「ああ」か「YES」の言質を取りたいものだ。

 

 

 

 

 

 空気が、揺れた。

 話し合いが終わった合図に、囲むように布陣を敷いていた船が中央の一隻の元に集まった。それぞれの船の甲板には、隊長以下白ひげ海賊団の主立った者たちが、皆一様にして事の成り行きを見守っている。

 船の集合を見届けると、ニューゲートが声を上げた。

 

「マルコ、酒を持って来い」

 

自分たちの父親の声だ、張り上げなくてもよく聞こえる。

信じがたくも、続く言葉とて、それは同じ。

 

「盃は()()()だ」

 

 空気が、ざわついた。

 誰もが閉口したまま、動揺だけが広がる。その間にも準備が進む。

 

「オヤジ」

 二つ名の通り不死鳥の姿となったマルコが、その()に携えてきたものは大盃が二つと酒樽一つ。

 向かい合うニューゲートとシャルリア、まずは二人の前に盃が置かれ、次いで中身が注がれる。

 

「音頭はお前がとれ」

 ――流儀はお前に合わせてやる。

 

「では、お言葉に甘えて」

 ――それはどうも。

 

 海賊でもなければ同盟相手でもなく、ましてや親子の盃なんてはずもなかったけれど。

 

 

 

 

 

「貴方に一杯、私に一杯」

「お前に一杯、おれに一杯」

 

 

 

 

 

 盃の酒は、飲み干された。

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