虹への道標 作:なお
第1話 新たな世界へ
放課後の廊下は、昼間に比べると静かだが、この虹ヶ咲では、十分騒がしかった。
窓の向こうで、海から吹く風が木々を揺らしている。潮の匂いが、
俺は鞄を肩に掛け直して、ゆっくり歩き出した。授業が終わって、部室に向かう。
部活に向かうなんてもう嫌というほど慣れていたはず。それなのに、胸の奥が少しざわつく。練習の前の緊張とは違う。もっと、古い痛みが混じったような……そんな感覚。
この半年間で、いろんなことがあった。
最初の頃は歩夢に案内してもらいながら学校のいろいろな施設を見て回ったっけ。それでもこの学校は広すぎて全然使いこなせてない感が強いけど……。
一年生の頃なんて、怪我を治すことで精一杯だったし、学校のことを覚えようなんて二の次だった気がする。だからどんな同好会とかがあるかなんて考えもしなかった。知ってる同好会といえば、智也が所属していた軽音系のサークルしか知らなかった。だからあの時、かすみちゃんに声をかけられたことは今でも鮮明に覚えている。
『同好会は……私しかいないんです』
あの一言が、妙に刺さった。
一人で踏ん張って、笑って、でも悔しさを隠しきれない目。
俺はその瞬間、自分の過去と重ねたのかもしれない。
気づけば「俺たちも入ろう」なんて言って、生徒会室へ走ってた。
生徒会長の中川奈々。
きっちり整った姿勢で、淡々と“組織の判断”を語る人。冷たいわけじゃない。ただ、揺れない。
あの空気は、正直息苦しかった。
「廃部は取り消せません」
そう言われた時の、かすみちゃんの顔。歩夢の震える視線。
そこで生徒会長は条件を出した。
十人集めろと。それができたら取り消す。
無茶だと思った。普通なら、笑って帰る。
でも俺は、机に手をついて言ってしまった。
「じゃあ、集めます。約束、忘れないでください」
自分でも驚いた。
ただ……あの時だけは、引いたら終わる気がした。
何かが終わる、じゃない。俺の中で、もう二度と始まらなくなる気がした。
それからの日々は、早かった。
まずは桜坂しずく。演劇部の講堂で見た舞台は、言葉通り息を呑むほどで。
声の通り方も、表情も、立ち姿も“魅せる”ってこういうことなんだって突きつけられた。
けど、しずくちゃんは自信を失っていた。せつ菜という子の輝きが眩しすぎて、自分が小さく見えたって。
「もう一度やってみよう」
俺がそう言った時の、彼女の目。
少しの怖さ。でも確かに前を向こうとする色があった。
次に、宮下愛。
クラスの中心で笑って、誰とでも距離を詰められて、運動もできて、眩しいくらいの“人懐っこさ”。
「アタシがスクールアイドル!?柄じゃないって~!」って笑ってたのに、新しい刺激を一緒に感じないかと誘ったら……
「……やば、ワクワクしてきた」
あの瞬間、仲間が増えるってこういう熱なんだって思った。
愛が連れてきたのが天王寺璃奈。
表情が苦手で、ボードで感情伝える子。最初は静かで、存在が薄いように見えた。
でも違った。
彼女は“伝えたい”って気持ちを、誰より強く持っていた。
ボードに描かれる一つ一つのその表情は、その場の空気を変える力がある。
保健室で寝てた近江彼方さんは……まあ、説明が難しい。
「数学のテスト、数字が踊って見えるんだよね~」って言いながら、勧誘されたら「じゃあ甘えちゃおうかな~」で戻ってくる。
軽いのに、温かい。何があっても場をふわっと包む人だった。
エマ・ヴェルデさんは、スイスから帰ってきた。
「こんにちはー」と言いながら、当たり前のように部室のドアを開けるからこっちが驚いてしまった。
その笑顔は、安心の塊みたいで、“大丈夫”って言葉を言わなくても、勝手に心が落ち着く。
そして朝香果林さん。
食堂で見た時、空気の密度が違った。
モデルのオーラってやつか。立ってるだけで絵になる。
「私は私の理想を追う」
そう言い切る人に、俺は逆に救われたのかもしれない。
みんな同じじゃなくていい。
ここは“揃える場所”じゃなくて、“支え合う場所”でいい、そう思えた。
そして最後の一人。
優木せつ菜。
ずっと見つからなくて、情報もなくて、幽霊なんじゃないかと言われ始めて、でも諦めきれなくて。
そんな俺たちの前に突如として現れたのが、彼女だった。
眼鏡を外して、三つ編みをほどいて、現れたのは、まさしく写真でも見た人物だった。
怖かったんだって言った。自分のせいでまたバラバラになるのが怖かったって。
だから部員十人を条件にしたんだって。
……真面目すぎるんだよ、ほんとに。
そして、十人目。
探す必要なんて最初からなかった。
「十人目は、あなたです」
そう言われた時、胸が熱くなって、笑って誤魔化したくなった。
せつ菜に頼まれて、俺は部長になった。
“居場所だ”なんて、まだ言い切れない。
けど、ここで頑張る。
それだけは、もう逃げない。
廊下の突き当たり。
見慣れた古い扉が見える。
ドアノブに手をかけた瞬間、心臓が少し跳ねた。
(……大丈夫だ)
俺は息を吸って、扉を開ける。
「……お待たせ」
部室の中に、いつもの声と、いつもの空気が広がっていた。さぁ行こう。後戻りするなんて選択肢は、もうない。