あの空間ができたすぐ後にあったかもしれないお話です。
カップリング要素があります。

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第1話

『壊して。あなたの手で』

 

クリスが私の手を取り、首元へ引き寄せる。引かれた瞬間、肩がわずかに跳ねた。ペンダントの青い石が手袋越しに触れた瞬間、指先から血の気が引いて冷えていく。

 

返事を探す前に、息が喉の奥で詰まった。私の手にクリスの手が重なり、石を包む。重なった掌の外側は人の体温で温かいのに、触れている中心だけが氷のように冷たい。

 

重なった体温の下で、冷たさだけがじわじわと広がっていく。

 

思わず石を握る手に力が入る。指の関節がきしむ。壊すという動作が、身体のほうで先に形を作る。このままこれを壊せば、彼女は救われるだろうか。問いが遅れて追いつき、胸の奥が鈍く痛んだ。

 

それに呼応して、クリスの手にも力が増す。逃がさないように、離れないように。石を包む圧が少しだけ強くなって、掌の冷えがさらに深く沈む。

 

掌から伝わる冷たさが、私の胸の一番奥まで響く。呼吸を吸い込んでも、冷えが先に入り込んでくる。同時に、クリスの掌が私の心を外側から温める。温もりは皮膚からじわりと広がっていくのに、冷たさだけは芯に残り続ける。

 

私が本当に触れたかったのは、石ではなかった。

吹けば飛ぶほどに小さかったクリオネが、私の手を握っている。

 

そう思った瞬間、視界の焦点が石から外れた。クリスは手をほどき、私の肩口へ両腕を伸ばした。布越しに腕が触れたとたん、背中の力が抜けそうになる。

 

あの小さな腕が、私を包む。胸の奥がひくりと震えた。

こんなにも温かいのに、私の掌は冷えている。温もりが近いほど、冷えが一層際立った。

 

この手を離してしまえば、きっと私はもう二度と立つことはできない。喉が鳴り、唾がうまく飲み込めない。身体が先に理解していた。腕の中の体温が揺らいだら、私の足元も同じように崩れることを。

 

クリスが涙を堪えながら、それでも笑顔で私を見つめる。瞼がわずかに震えて、笑う口元だけが必死に形を保っている。その顔を見た途端、掌の冷えとは別の痛みが胸に刺さった。

 

『壊して……』

 

声が細くなる。笑顔のまま、救いを求めている。私は息を吸ったのに、胸の中に入ってこなかった。

 

だが……私には石を壊すことはできなかった。指が動かない。力を込めるほど、壊す動きだけが遠のく。石は掌の中で冷たく、そこにある。

 

ここで壊せば、目の前の彼女はこの温もりと悲しみごと、泡になって消える。消えてしまうのは身体だけじゃない。いま耳に触れている息の音も、腕に残る重みも、次に呼ばれるはずの名前も。全部。

 

私は石から手を離し、抱き返した。石を覆っていた指がほどけると、掌に残っていた冷えが一瞬だけ強く脈打った。次の瞬間、胸が寄り添い、呼吸の揺れがお互いに強くなる。吐く息が相手の身体に触れて跳ね返り、吸い込むたびに肩が軋む。

 

『……レトロ』

 

名を呼ばれた途端、腕の中の力がわずかに揺れた。私の選択を咎めるように、震えたか細い声が鳴る。背筋が冷え、同時に離せなくなる。堪えきれず指先に力を込める。布越しに背中の輪郭を指先でなぞり、いっそう近くへ引き寄せた。

 

この先、お互いに耐え難い苦しみが待っていると、分かっていた。喉の奥が焼けるように痛いのに、言葉は出てこない。それでも、彼女だけは失いたくなかった。彼女の幸せを守るためなら、自分の命すら惜しくない。あの時、そう感じた。

 

『クリス……』

 

もう、震えているのがどちらなのか分からなくなっていた。

気が付けば、掌の冷えは消え、代わりに温かさがそこを埋めていた。石を握っていたはずの手のひらが、今は彼女の体温を覚えている。


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