ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンクが『ヒーロー』になるまでの物語 作:猫禰捏涅
「気に、入ら、ねえぇええ!!!」
街のあちこちで起きた様々な事件や事故の解決に尽力した三日目の夜が明けた翌日、ミルコはパトロールを一時休止してネリエルの部屋にやってきていた。
ソファに寝転がり、不機嫌さを隠しもせずバタバタと足で空を蹴るので、バスローブがはだけて筋肉質な褐色の太ももが見えている。
ネリエルは昨晩走り回った脚を労るためにマッサージ中だ。
「『ヒーロー殺し』が捕まったなら、よかったじゃない」
「ちっげーよ!!つーかお前も気づいてんだろ!!」
ミルコがソファからびよん、と腹筋の力だけで跳ね起きる。
「この街で
マッサージの手を止め、ヒーローにしては凶悪な表情をしているミルコを見上げる。
「…そうね。なんだか、
「だろぉ!!?」
「でも、それぞれの事件や事故には何も関連性は無いって話だったでしょ?」
「私の鼻は違うって言ってンだよ!!ぜっっってーわざとだ!!」
そう断言しながらミルコはソファの上で暴れ続ける。
「それに!お前のクラスメイトから来てたっつーアドレス!!あれ“ステイン”から襲われた場所だったんだろ!!?」
「そうだけど、この街の対応で手一杯だったじゃない。一応通報はしたし、エンデヴァーが駆けつけたみたいだから」
事件や事故への対応に忙しく、ネリエルはろくにスマートフォンを見られていなかったが、昨日の夜に緑谷からグループチャットに全員宛てでアドレスだけが送られてきていた。
その住所が保須市のものだったため、嫌な予感がしてすぐに通報したのだが、それ以上の続報がなかった。
忙しくしながらも気にかけていたところ、ニュースで『ヒーロー殺し』が出現したという箇所とアドレスが一致していたことが分かり、さらに今朝緑谷から、轟と飯田と共に『ヒーロー殺し』と遭遇して襲われ、エンデヴァーに救助されたという旨の返信があったのだ。
ミルコは一頻り暴れてある程度は気が済んだのか、朝食のパンを引っ掴んで齧りだす。ネリエルもストレッチを終えてソファに座り、「いただきます」と手を合わせた。
「エンデヴァーか。あの炎オヤジ、保須に出張してたんだってな!それもムカつくぜ、私だってそうするつもりだった!」
「保須には『ヒーロー殺し』だけじゃなくて、
「そこに私もいりゃあ、もっと早く解決できた!やっぱ足止めされてたとしか考えらんねえよ!」
「かもしれない」とは言ったものの、ネリエルは保須市で暴れたという身元不明の三人が、
体色や体の特徴は違っていたが、あんな脳味噌を剥き出しにした怪人が他にいるとは考えづらい。
「『ヒーロー殺し』と
「あ?ああ、まあそうだろうな。でもロクな連携を取れてねえ。組んだばっかりだったとか、どっちかが裏切ったとかじゃねえの?
「そう……」
悪党に裏切りや欺きが常であるのは、どの世界でも変わらないらしい。
「足止めも
「うん…今日のあれだけ散発的な事件や事故が、ミルコや他のヒーローの足止めのために仕組まれていたんだとして…あの男が、そこまで緻密なことをするとは思えない」
(でも……もしあの男の後ろに、
あり得るかもしれない、とネリエルは考える。
USJを
衝動的に見えたのは、主犯と見られているあの『手』の
「これ以上は何もでねえな!よし、切り替えろ!」
にんじんのグラッセを頬張って多少上機嫌になったミルコが、きっぱりとそう言う。ネリエルも頷き、スクランブルエッグを口に入れた。
「食べたらパトロール……じゃねえや、忘れてた!」
「ん?」
「今日はアレだ!雑誌の撮影!」
スクランブルエッグを飲み込み、首を傾げる。
「……雑誌の、撮影?」
◇
「ヒーローは公務員ではあるのですが、副業は禁止されていません。ヒーロー活動以外の仕事がスポンサー契約の条件に含まれていることも多いですし、市民からの需要も高いです」
「なるほど」
「それに、ヒーロー活動は歩合制で収入には変動があるので、他に収入の柱を持っておくのは大事です。ネリエルさんもプロになるのであれば、自身のブランディングはしっかりと行っていくべきだと思いますよ」
「ブランディング…ですか」
市内のスタジオにミルコとジムと共にやってきたネリエルは、白い背景の前で力強く飛び跳ねたり、蹴りを披露してみせるミルコと、それを追ってカメラのシャッターを切る撮影スタッフ達の様子を見学していた。
疲労の色を隠しきれていないジムが、タブレット片手に色々と解説をしてくれている。
今日のミルコの撮影はスポーツ系の雑誌の特集らしい。
「ミルコさんは、他の女性ヒーローがされているような…いわゆるビジュアル売りといいますか、そういった傾向のお仕事は好まれません。スポンサーも、スポーツドリンクやトレーニング器具など、実用的な商品を打ち出している企業が多いです」
「それがミルコのブランディングなんですね」
「ええ。ヒーロー活動以外のことはほとんど我々サポートに任せていただいていますが、最終的にスポンサーを選定するのはミルコさんです」
「単に好みもあるでしょうが」とジムは苦笑した。
確かに、ミルコが女性らしい格好で撮影をしたりCMに出ていたりするイメージはない。あくまでヒーローとしての活動とそれに関連することに重きを置いているその姿勢は、非常にストイックだ。
「スポンサーは、全てのヒーローについているものなんですか?」
「いえ、全くスポンサーをつけず活動しているヒーローもいらっしゃいます。ですが、そういったヒーローはほとんどチャート
「チャート…」
「スポンサーを得るということは、公の場やメディアへの露出が増えるということです。ビルボードチャートに支持率の項目がある以上、ランクを上げるためには、スポンサーの獲得は必須といっていいと思います」
丁寧なジムの解説に、ネリエルは「そうなんですね」と返したが、思っていたよりも冷たく興味なさげな声音になってしまった。
「…ネリエルさんは、スポンサー獲得には気が乗らないのでしょうか?」
「いえ、すみません。あまりチャートやスポンサーのことを考えたことがなくて。イメージが湧いていないんです」
ネリエルがそう答えると、ジムは納得した表情で頷いた。
「なるほど、ネリエルさんはどちらにもあまり興味がないのですね。そういったタイプの方もいらっしゃいますよ。ミルコさんは上を目指されるのが好きですし、注目を浴びるのも嫌いではない方ですから、それなりにチャートを気にされています。順位を鼻にかけることはありませんが、一種の強さの指標にはしておられるようです」
「強さの指標に…」
「ネリエルさんは、メディアへの露出に抵抗はありますか?」
「それは、特にないです」
「であれば、サイドキックやサポートのスタッフを雇う、マネジメント会社に依頼するなど、業務を代行してもらう手段はたくさんあります。そう難しく考えなくて大丈夫ですよ」
ネリエルとジムが話しているうちに、撮影はひと段落してミルコがペットボトルの水を煽っていた。
その近くにカメラマンが近寄り、何事かを話しかける。ミルコはカメラマンに向かって一つ頷いてから、雑な仕草で手を振った。
「おや…どうしたんでしょう」
黒く重たげなカメラを抱え、カメラマンがネリエル達のほうに近づいてくる。
「すみません、ネリエルさん…いえ、ガミューサさんで間違いないですかね!?」
「え?はい、そうですが」
「見てましたよ、体育祭!」
カメラマンの目当てはネリエルだったらしく、目をキラキラと輝かせながら話しかけてきた。
「いやあ、中継で見た時から逸材だと思っていたんですよね!その方がまさかミルコさんと一緒に来てくれるとは!」
「ありがとうございます…?」
「ミルコさんにはやりたいなら勝手にしろ、と言われたので直接交渉させていただくんですが。ガミューサさん、撮影に参加されませんか!」
「……えっ?」
曰く、今回の特集に載せる写真に関しては、編集長からこのカメラマンにある程度裁量が渡されている。
もちろんミルコがメインになるが、ネリエルを紹介する記事と共に写真を載せたいのだという。
「いいじゃねぇか、やれる時にやっとけよ。私も、いちいちお前をサイドキックにすんのか聞かれんのがウゼエからな。記事に書かせとく!」
「名前は売っておいて損はありません。ヒーロー名を変える予定もないようであれば、《ガミューサ》として是非紹介してもらいましょう」
「…分かりました。よろしくお願いします」
こうして、とんとん拍子でネリエルの紙面デビューが決定した。
ネリエルが承諾するなり、すぐさま二人のヘアメイクスタッフに取り囲まれ、スタジオの隅のメイク台に座らされる。
「まー、お肌綺麗ね!スキンケアはどんなことしてるの?」
「洗顔と、化粧水です」
「あら、それだけ!?やっぱり若いからかしら。でも若いうちからケアするのも大事よ?」
「髪の毛もふわふわで綺麗ですねえ!ちょっとコテで巻いてもいいですか〜?」
「コテ…?はい」
ベテランらしく手慣れた様子の壮年の女性と、若いがテキパキと動く有能そうな女性が、にこにことしながらネリエルの肌や髪を弄る。
「じゃあちょっとオイルつけますね〜!」
「オイル?あ、いい匂い」
「これいい匂いですよねえ!後でサンプル差し上げますよ〜!ドライヤーの前とか、セットの時とかに使ってみてください〜、髪の毛がしっとりサラサラになりますよ〜」
「やっぱりほとんどコンシーラーもファンデもいらないわね!お粉だけでもう完成!」
花の香りがするヘアオイルがつけられ、もともとゆるくウェーブがかっているネリエルの髪がふんわりとヘアアイロンで巻かれて肩におろされた。
肌にはパタパタとフェイスパウダーがはたかれる。しかし顔にはほとんどメイクの手は入らず、コスチュームも多少整えただけですぐに「いってらっしゃい!」と送り出された。
「それじゃあガミューサさん!撮影始めましょうか!」
「は、はいっ…よろしくお願いします」
「そんなに枚数は撮りませんし、今回の特集のイメージは夏向けのナチュラルな爽やかさなので!リラックスしてください!」
カメラマンは優しくそう言いながら白い背景布の上にネリエルを案内したが、本人はいざ撮影となると緊張でカチコチに固まっていた。
「アッハハハ!ガチガチじゃねーか!街だとフツーに動けてたろ!?」
「だってミルコ、私、本格的な撮影なんて初めてで…!」
キャンプチェアに座り、にんじんチップスを齧っているミルコがニヤニヤと笑いながら揶揄ってくるのに反論する。
ペッシェやドンドチャッカが家族の記録にとカメラを向けてきたり、バワバワと一緒にスマホで写真を撮るのとは訳が違う。
「そうなんですか!ガミューサさんならモデルでも通用すると思いますけどねえ…あ、そのままで!僕が動きますんで!」
「ほら、リラックスリラックス!顔かてーぞ!」
「もう…!」
ミルコが狙ったのかどうかは分からないが、笑われて言い返したことで緊張が多少解れた。
自然に微笑んだネリエルに素早くカメラマンがカメラを構え、パチリとシャッターを切る。周囲に置かれたいくつものストロボから同時に眩い光が放たれ、ネリエルは思わず目を閉じた。
「ああ、すみません!眩しいようならこっちは見なくて大丈夫なので!自然に立っておいてください!」
「こうですか?」
「そう!カッコいいです!あとは、顔の近くに手を持ってこられますか?そうそう、そのまま!何枚か撮りますよ〜!」
今度は予告があったので、心の準備をして目は閉じずに済んだ。
次にカメラマンはガタガタと脚立を動かし、少し上の画角からネリエルを見下ろす。
「次は体を少し向こうに向けて、少し振り返ってみましょうか!今度はこちらのレンズを見てもらえますかー?」
「こう…でしょうか」
「いい感じです!そのまま、何枚か撮りますねー!いきまーす!」
パシ、パシッと何度かシャッター音が鳴り、ストロボが光る。
「じゃあ最後に、髪の毛をちょっと触ってみたりだとか!」
「こう…?」
「そうそう!すっごい素敵です!撮りまーす!…ちょっと顎に手を当ててみたりもいいかもですね!」
「じゃあ…」
「あーいいですね!いい写真になりますよ!」
ネリエルが動くたびに褒められながらの撮影は、十分もかからなかった。
脚立の上から降りつつ、カメラマンはネリエルをノートパソコンの前に案内する。ミルコもそこに寄ってきて、一緒に画面を覗き込んだ。
「急だったので、使えるのはどうしても2、3枚ぐらいになりそうですが。いやあ、これはどれを選ぶか迷いますね!」
「わ、すご…」
「おお、いいじゃねえか」
画面の中では、自然に優しく微笑んだネリエルの表情が捉えられている。肌はストロボの光で自然と美しく艶めいて映され、瞳にも光が入ってさらに表情を明るく見せている。
それでいてゴーグルやアーマーの質感も損なわれておらず、ネリエルの表情もコスチュームも際立たせるよう撮影されたいい写真ばかりだ。
どれもバストアップとなっているが、理由は「どうしても写真が小さくなる分、顔のほうに注目を集めさせたい」ということらしい。
「これ出んの、来月だっけ?」
「ええ、7月号に載せることになります!あ、もちろん雑誌は献本しますよ!雄英高校にお送りしたらいいですか?」
「では、それでお願いします。…本当に載っちゃうんですね?」
「もちろん!こんないい写真を載せないのはもったいないです!ちょっとページ数を増やしてもらってでも載せます!」
終始ネリエル自身は戸惑いながらではあったものの、無事に撮影は終了した。
ヘアメイクの二人からは、サンプル品だという化粧水やクリーム、ヘアオイルのパウチがわざわざ紙袋に入れて渡され、「もっとケアしてもっと綺麗になってね!」と伝えられた。
諸々の用事を終えてスタジオを出たのは、陽が傾き始めている頃だ。
「こっからが本番だな!」
ネリエルよりもずっと長い時間撮影をしていたにも関わらず、ミルコは元気が有り余っている様子で飛び跳ねている。
普通に活動するのとは少し種類の違う疲労感を感じつつも、ネリエルもそれに付き従う。
「昨日のアレがマジに仕組まれてたんなら、今日は大人しくなるかもだけど!」
「やっぱり、偶然じゃないって思ってるの?」
「ったりめーだ!私の勘はそうそう外れねえ!」
通りを歩きながらミルコは自信満々にそう言い、すんすんと鼻をひくつかせる。
ミルコの姿に気がついた市民から歓声が上がるのに時折応えつつ、あちこちを油断なく見回している。
ネリエルは『カモシカ』の状態で歩き回ることに慣れろという指示を受けているため、変身したままミルコについて歩く。
当然その姿は非常に目立つので、ネリエルのことも覚えたらしい市民がたまに手を振ってくる。
ネリエルが慣れないながらも手を振り返して微笑むと、彼らはとても嬉しそうに破顔した。
「ほら、昨日の今頃ならとっくに応援要請が入ってたろ?全然こねえ!」
「そうね…」
確かに、昨日の夕方頃にはあちこちで事件や事故が頻発していた。それに比べれば、今はずいぶんと平和な雰囲気だ。
ミルコはスマホを取り出して応援要請がきていないか確認しつつ、ニュース記事を見て嫌そうな顔をした。
「どこの記事も『ヒーロー殺し』のことばっかだな」
「動画も拡散されてるよね。彼が捕まる直前の。消されたり、コピーがまた上がったりしてるけど」
「アレなあ。『ヒーロー殺し』が捕まったんなら、マネする奴も減るかと思ってたけど、これじゃ逆になるだろうな」
「『ヒーロー殺し』の思想に共感する
ネリエルが尋ねると、ミルコは力強く頷いた。
「絶対にそうなる。賭けてもいいぜ!」
ミルコがヒーロー活動について語る姿が想像できなかったので、解説役のモブを出しました。これ以降出てくることはありません。
ちなみにミルコは、許可したとはいえ速攻で敬語を放り投げて、何でも遠慮なく聞いてくるし、思っていたよりも好戦的なネリエルをけっこう気に入ってるという設定です。