——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか 作:りかるど
約1ヶ月ぶりの投稿です。
お待たせして本当に申し訳ありませんでした。
体育館の中は、押し寄せる避難民のざわめきと重苦しい湿気で満ちていた。
「ふぅ……よし、これでこの列は終わりだな」
ジャージ姿の平塚静は、飲料水がぎっしり詰まった段ボール箱を床へ下ろし、額の汗を腕で乱暴に拭った。
教師としての責任感で気丈に振る舞ってはいるものの、その双眸の奥には、数日前から消息を絶った教え子──比企谷八幡への拭いきれない暗雲が渦巻いている。
「先生、その次のやつ。こっちに置けばいい?」
聞き覚えのあるハスキーな声に顔を上げると、同じく支援物資のケースを抱えた川崎沙希が立っていた。
弟や妹たちを守るためにこの避難所へ身を寄せていた沙希は、手持ち無沙汰に耐えかねたのか、いつの間にか物資の搬入作業を手伝い始めていたのだ。
「ああ、すまない川崎、助かる。……そっちは大丈夫か?」
「京華たちは奥のスペースで大人しくさせてる。それより……先生、これ見た?」
沙希はポケットからスマートフォンを取り出し、画面を平塚の前に差し出した。
再生されていたのは、ネットの動画配信サイトでリアルタイム中継されている館山の戦場映像だった。
上空のドローンカメラが捉えたその中心で、紫電と爆炎を纏い、襲い来る機械軍団を圧倒的な火力で叩き潰していく鋼鉄の異形──エイトマンの姿。
「……比企谷」
平塚の喉から、掠れた声が漏れた。
生きていた。一時はどうしているのか心配していたが、彼は確かに立ち上がって戻ってきたのだ。その事実に胸を撫で下ろす安堵が込み上げる。
だが、同時に胸を締め付けるのは、もはや生身の人間とは呼べない鋼鉄の姿に身をやつし、たった一人で世界の破滅と対峙し続ける少年の過酷な運命だった。
「……あいつ、何であんな無茶ばっかしてんだよ」
沙希が悔しそうに視線を落とし、小さく唇を噛む。
「あいつはずっとそうだった。黙って泥を一人で被って、傷つくことにも慣れてしまっていた。……だが、今は違うと信じたいな。あいつの背中を押した誰かが、きっといるはずだ」
平塚がそう呟いた、その時だった。
「平塚先生! 沙希ちゃん!」
明るく、けれどどこか震えを帯びた声が響いた。
駆け寄ってきたのは、エプロンを身につけた由比ヶ浜結衣だった。その両手には避難民に配るための温かい麦茶の紙コップが載ったトレー。そして、そのすぐ後ろを、小さなボディをコミカルに揺らしながらサポートロボットの『ベラ』がちょこちょこと追従していた。
『お茶をお持ちします、熱いので、気をつけてクダサイにゃ!』
スピーカーから電子音を響かせ、健気に配給を手伝うベラ。
「由比ヶ浜、お前も手伝っていたのか」
「うん。……ヒッキーが、あんなに頑張ってるの知っちゃったら、じっとしてられなくて。アタシ、何も戦えないし、頭も良くないけど……でも、こんな状況だからこそ、今の自分にできることを全部やりたいんです」
結衣の瞳には涙が溜まっていたが、その光は決して絶望に曇ってはいなかった。真っ直ぐに前を見据える少女の横顔に、平塚と沙希は顔を見合わせ、力強く頷いた。
「ああ、その通りだな。私たちがここで折れてどうする」
「……ま、手ぇ動かしてる方が余計なこと考えなくて済むしね」
三人が互いの存在に勇気をもらい、再び作業へ戻ろうとした──その刹那だった。
ドォォォォンッ!!
体育館の搬入口側から、大気を揺るがす轟音と衝撃波が吹き荒れた。
鋼鉄製の大型シャッターが内側へ向けて飴細工のように吹き飛び、コンクリートの壁が無残に崩落する。
「キャァァァッ!?」
「な、何だ!?」
悲鳴と怒号が体育館中に木霊し、避難民たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
濛々と立ち込める白煙と焦熱のカーテンを押し分け、瓦礫を踏みしめて姿を現したのは──。
軍用の重装甲ボディ『ハーキュリー』に身を包み、手には改造されたアサルトライフルと対人散弾銃を構えた、完全武装の集団だった。
館山でエイトマンが対峙している無機質なマシナリー部隊とは明らかに異なる。銃口を避難民へ冷酷に向け、統率の取れた動きで体育館の制圧へと散開する生身の人間たちの群れ。
「伏せろ、全員伏せろッ!」
平塚は即座に結衣と沙希の前に立ちはだかり、鋭い怒号を響かせながら、煙の中に浮かび上がる銃口の列を睨みつけた。
──
エイトマンの両腕から繰り出される光刃が、追随するドローン編隊を次々と両断し、天空に閃光と爆風の航跡を刻み続けていた。
だが、思考プロセッサに安堵の文字は一文字たりともない。
ピピピッ──!
視界の端、コンソールに突如として緊急割込みの赤色アラートが点滅した。
眼下、館山の荒野に設営された警察の現地対策本部。その周囲へ向けて、急速に縮まる複数の熱源シグネチャを索敵レーダーが捉えていた。
(……地上に伏兵か!?)
高感度集音センサーのゲインを跳ね上げ、地表の微かな音響データを体内データベースと直結させた。
ザッ、ザッ、と低く地を這う四足の関節駆動音。微かに漏れる油圧シリンダーの軋み、そして大気を震わせる異様な低周波。
『──データ照合完了。生体模倣型自律戦闘兵器、コードネーム『ヘルハウンド』』
冷徹なシステム音声が網膜に表示した結果に、八幡の思考が鋭く凍りつく。
(ヘルハウンド……! 『黒い蝶』の猟犬ロボットだと!?)
なぜ壊滅したはずの組織の暗殺兵器がここに存在するのか。
疑問が過るが、結論は一瞬で出た。Genesisが奴らの遺産を接収し、自分を空中に釘付けにしている隙に、地上の警察部隊──田中課長たちを一網打尽にする腹積もりだ。
「チッ……課長たちが危ねえ!」
背部スラスターを反転させ、地上へ向けて垂直降下の姿勢を取るエイトマン。
だが、その進路を塞ぐように、黒い球体要塞のハッチからさらに数十機のドローンが射出された。
キィィィン!
空を埋め尽くすドローン群が密集陣形を敷き、互いの機体をリンクさせて濃密な迎撃レーザー格子を眼下に編み上げる。
一歩でも突っ込めば、いくら超電導フィールドを纏っていようと無数の切断光線に蜂の巣にされるのは明白。明らかに、地上への降下を力尽くで阻むための肉の壁、ならぬ鉄の壁だった。
「どけ……ッ!」
装甲が削れるダメージを覚悟し、メガソニックバスターを再展開して力ずくで突破しようとした──まさにその刹那。
『警告。別セクターより、多数の高速接近反応を感知』
耳障りなアラートが再び鳴り響いた。
ヘルハウンド部隊が迫る対策本部の背後とはまったく異なる方角──館山湾の沖合と海側の地表から、こちらへ殺到してくる無数の所属不明反応。
(今度は何だ? Genesisの別動隊か、それとも……)
身動きの取れない天空で、エイトマンの双眸が鋭く細められた。
──
冷たい寒風が吹き抜ける前線指揮所。
双眼鏡を覗き込んでいた田中課長は、上空で旋回するエイトマンの動きに微かな違和感を覚えた。
ドローン群を次々と切り裂きながらも、その軌道は確実に地表へと引っ張られている。
いや──正確には、彼らのいるこの対策本部の位置を、幾度となく強烈に意識している。
(……おかしい。エイトマン、なぜ空からこっちを気にしている?)
空中戦の最中、地上の一点へ視線を落とすなど命取りになりかねない。
それにもかかわらず、彼が焦りを露わにしてこちらへ向かおうとしている。長年、修羅場をくぐり抜けてきたベテラン刑事としての勘が、全身の毛穴を開かせるような警報を鳴らし始めた。
「羽佐間! 全員に告げろ、周囲を警戒しろッ!」
「えっ……? 田中課長?」
「上空じゃない、何かが来るぞッ!」
田中の怒号が轟いた、まさにその瞬間だった。
ガササッ!
背後の冬枯れの雑木林から、風を切り裂いて飛び出してきた漆黒の影。
四つの頑躯な肢体、むき出しの関節シリンダー。鈍く発光する真紅のセンサーアイと、ギラリと光る金属の牙。
「グルルルァッ!」
空気を引き裂く威嚇音とともに、先頭の一頭が田中の喉元をめがけて跳躍した。
「ちっ、舐めるなよ、野良犬がァッ!」
田中は腰のホルスターから対マシナリー用大型拳銃を抜き放ち、ゼロ距離で引き金を絞った。
ズガァンッ!
強烈な炸裂音とともに放たれた徹甲弾が、獣の喉元に直撃する。火花を散らして仰向けに叩き落とされる機械獣。
だが、続けざまに二頭目が側面から滑り込み、田中の腕を食い破らんと牙を剥いた。
パンッ、パァンッ!
乾いた連射音が響く。
即座にライフルを構え直した羽佐間の放った銃弾が、二頭目の頭部中枢を正確に撃ち抜いた。金属片を撒き散らし、黒煙を吹き上げて転がる残骸。
「課長、こいつら……!」
「ああ、キリがねえぞ!」
木々の間から、二頭、三頭、五頭──数え切れないほどの猟犬型マシナリーが這い出し、低い駆動音を鳴らしながら対策本部を完全に取り囲んでいた。
警備の警察官たちが一斉に応戦の銃撃を浴びせるが、俊敏なジグザグ走法で肉薄され、陣形は瞬く間に内側へと押し込められていく。
完全な防戦一方。弾薬の残量も底を突きかけ、防衛ラインの崩壊はもはや時間の問題だった。
「クソッ、囲まれたか……!」
田中の背後、至近距離の岩陰から巨大な一頭が死角を突いて跳びかかった。
もはや拳銃の照準を合わせる時間はない。背中に冷たい死の気配が迫った
──あわやという、その刹那。
バチバチバチィッ!!
けたたましい高圧電流のスパークが空気を引き裂いた。
宙を舞っていたヘルハウンドの胴体に、超高圧の電磁パルスが直撃。青白い紫電が全身のフレームを駆け巡り、内蔵バッテリーを強制ショートさせた
瞬間──ドカンッ! と轟音を立てて内部から木っ端微塵に爆散した。
黒煙と機械油の飛沫が周囲に降り注ぐ。
「な……何事だ!?」
田中が目を見張り、弾かれたように振り返る。
硝煙が渦巻く木々の間。殺伐とした現場におよそ似つかわしくない漆黒のオペラマントを派手に翻し、高笑いと共に姿を現した男がいた。
「フハハハハ! 間に合ったようだな、日本の警察の諸君!」
木陰から現れたのは、高電圧を発するステッキを携えた狂気の天才──デーモン博士だった。
「あ、アンタは……ロシアの」
「フッ……私の電磁パルス内蔵ステッキの威力はどうだね?」
田中の驚愕を他所にデーモン博士は誇らしげに手にした細身のステッキをクルクルと軽やかに回してみせた。先端の電極から、まだ微かに紫色の放電火花がパチパチと弾けている。
「デーモン博士……! 助かりました、感謝します!」
田中が荒い息を吐きながら礼を告げる。だが、安堵の表情を浮かべる間などない。
周囲を取り囲むヘルハウンドの群れは、一瞬の動揺こそ見せたものの、すぐに体制を立て直して低い唸り声を上げ始めていた。その数、ゆうに三十頭を超える。
「ですが博士、ここは危険すぎます! いくらあなたの武器が優れていようと、この数相手では……!」
「ハッハッハ! 何を狼狽えているのかね、田中君!」
田中や羽佐間の焦燥をよそに、デーモン博士はどこ吹く風とばかりに不敵な笑みを崩さない。
それどころか、一歩前に進み出て、包囲網を狭める黒い獣たちをマントの下から見下ろした。
「グルルァッ!」
隙ありと見た二頭のヘルハウンドが、左右から同時に地を蹴った。標的をデーモンの首筋へと定め、鋭利な爪と牙を剥き出しにして宙を舞う。
「博士、危ないッ!」
羽佐間がライフルを構え直した──その瞬間だった。
シュバッ、シュババッ!
デーモン博士の背後の茂みから、鋭い風切り音とともに無数の極細ワイヤーが高圧射出された。
空中で牙を剥いていた二頭のヘルハウンドの装甲関節部を、寸分の狂いもなくワイヤーが深々と貫通する。
瞬時に張り巡らされた鋼鉄の網が、跳躍の運動エネルギーを強引に奪い、二頭を地面へと叩き落として拘束した。
──ういいいいん……
続けて、藪の奥から響いてきたのは──戦場の緊張感を根底からへし折るような、どこか間の抜けたモーターの駆動音だった。
「……は?」
田中と羽佐間、そして銃を構えていたSAT隊員たち全員が、目を丸くして言葉を失った。
ガサリと草木をかき分けて現れたのは、誰もが見慣れた──ファミレスの通路を料理を乗せて健気に巡回しているはずの、あの丸みを帯びた円筒形の配膳ロボットのシルエット。
だが、その愛らしいフォルムの側面には、大口径の対物ワイヤーガンが物々しくボルト留めされていた。
呆然とする警察部隊を前に、デーモン博士はこれ見よがしに黒マントを翻し、芝居がかった手つきでパチンと指を鳴らした。
『にゃーん』
『にゃーにゃー!』
茂みの奥から、電子合成された愛らしい鳴き声が幾重にも合唱のように響き渡る。
続いて姿を現したのは、一台や二台ではなかった。十、二十、三十──次々と木々の間から滑り出てくる、完全戦闘仕様にフルカスタムされた配膳ロボットの群れ。
ある機体のトレイには多連装マイクロミサイルポッド、ある機体の頭部には高出力ショックスタンガン。トレイの上で凶悪な兵装をギラつかせながら、無機質で愛らしい猫のデジタルフェイスを明滅させて整列していく。
デーモン博士は電磁ステッキを天へと掲げ、館山の山々に響き渡る大音声で高らかに宣言した。
「貴様ら超人類どもの下っ端ども! 私の『ベラボット軍団』がまとめて相手をしてやろうではないかッ!」
エイトマンの相棒・ベラのAIフレームを搭載した量産型ロボットの異色の軍勢が、完璧な戦闘陣形を敷きながらヘルハウンド部隊の前にずらりと立ちはだかった。
──
眼下の地表で繰り広げられる異様な光景──黒マントを翻すデーモン博士と、甲高い電子音を響かせてヘルハウンドを圧倒する『ベラボット軍団』の姿を望遠センサーが捉え、八幡の思考回路から微かな安堵の息が漏れた。
(デーモン博士……あの爺さん、まさか本当に来やがるとはな)
頭のネジが何十本も吹き飛んだ狂科学者だが、味方としてこれほど当てになる男もいない。田中課長たちの背後はひとまずあの男に丸投げできる。
地上の憂いが消えたその瞬間、八幡の意識は目の前に群がるドローン網へと純粋に先鋭化した。
「──邪魔なんだよ、お前ら……!」
胸部の原子リアクターが唸りを上げ、炉心出力がオーバードライブする。
体内の超電導ラインを奔流となって駆け巡る膨大なエネルギー。そのすべてが、両前腕の集光器へと一気呵成に注ぎ込まれた。
エイトマンは両腕のレーザーブレードを、天空へ向けて垂直に掲げた。
カッ──!
閃光が爆発した。
集光ノズルの先端に固定されていた光の刃が、磁場圧縮フィールドの臨界点を超えて一気に延伸を始める。十メートル、五十メートル、百メートル
──みるみるうちに天を衝く光の柱と化し、数百メートルにも及ぶ規格外の超巨大レーザーブレードとなって冬の天空を二つに裂いた。
「まとめて……消えろッ!」
エイトマンは両腕を横一文字にその巨大な光刃を薙ぎ払った。
ゴォォォォォッ!!
大気が悲鳴を上げ、光の軌跡が空を灼く。
振り抜かれた数百メートルの斬撃を前に、ドローン群に回避の余地など皆無だった。
光刃に触れた端から、数十機のドローンが一瞬で蒸発し、連鎖的な誘爆の火球が冬空に巨大な炎の帯を描き出す。空を埋め尽くしていた包囲網の半分が、たった一撃の薙ぎ払いで吹き飛んだ。
背後の憂いは消えた。
戦況を根底から塗り替えるなら、今この瞬間しかない。
「──おおおおおッ!」
エイトマンは気合を入れ直すと、背部スラスターを全開にして空気を踏み抜いた。
爆煙と残骸のシャワーを突き破り、漆黒の球体要塞の目前へと、鬼神のごとき勢いで吶喊していった。
──
房総半島の冬枯れの海岸線。
白波が打ち寄せる冷たい浅瀬を突き破り、幾重もの水柱が立ち上った。
ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ!
海中から姿を現したのは、Genesisの強襲揚陸部隊だった。
全身を最新鋭のカーボン複合装甲で包んだ重強化パワードスーツ。背部のハイドロジェット推進で密かに房総湾を潜航し、千葉の地へと上陸を果たした別動隊である。
上空のドローン部隊がエイトマンを足止めしている間に背後から海岸線を制圧し、警察組織とエイトマンを挟み撃ちにして確実に圧殺する──冷徹かつ完璧な挟撃作戦。
「揚陸完了。フォーメーションBを展開、これより──」
部隊長が通信回線を通じて号令を下しかけた、その時だった。
「フン……稚拙だな。その程度の三流の浅知恵、見通せぬとでも思ったかね?」
嘲笑を孕んだ太い声が、冷たい海風を裂いて響いた。
「誰だッ!」
部隊が一斉に波打ち際の岩場へと照準を向ける。
ゴツゴツとした岩陰から、のそりと姿を現したのは──戦場にまったくそぐわない高級仕立てのスリーピース・スーツに身を包んだ、恰幅の良い白人男性だった。
傲慢な光を宿した細い眼、肉厚な唇に浮かぶ卑屈なまでにいやらしい笑み。
「民間人……? いや、通信傍受のログにはない個体だ」
「目撃者は生かしておけん。始末しろ」
部隊長が冷酷に言い放ち、十数挺の電磁アサルトライフルが一斉に男の頭部へとロックオンされる。
だが、男──コズマ博士は眉ひとつ動かさなかった。
それどころか、肩をすくめてフッと鼻を鳴らすと、仕立ての良いジャケットとベストを乱暴に脱ぎ捨て、荒々しく砂浜へ放り出した。
「な……!?」
パワードスーツの生体スキャナーが、男の異常なバイタルを感知して激しいアラートを吐き出した。
露わになった筋骨逞しい上半身。白人特有の青白い肌が、毛穴から滲み出る黒い煤のようなものに染まり、瞬く間に光を飲み込む異様な黒褐色へと急速に変色していく。
「撃て! 撃ち殺せッ!」
異変を察知した部隊長の絶叫とともに、一斉射撃の猛火が炸裂した。
超音速で撃ち出された徹甲弾の嵐。生身の人間であれば一瞬で肉片すら残らずミンチへと変貌する弾幕が、コズマの巨躯を飲み込み、激しい硝煙と火花が視界を埋め尽くす。
しかし。
「カッカッカ……! 蚊が止まったかと思ったぞ、雑魚どもが」
吹き抜ける潮風が煙を払った。
そこに立っていたのは、数千発の銃弾を正面から浴びながら、擦り傷一つ、皮一枚すら破れていない黒い肉体の怪人。
足元にはひしゃげた弾頭の山が無惨に転がり落ちていた。
「ば、化け物か……!? パワードスーツの最大装甲貫通弾が効かないだと!?」
戦慄し、後退りする戦闘員たち。
その狼狽を心底見下すように、コズマは忌々しげに吐き捨てた。
「愚か者どもめが。物理の
呟きとともに、コズマは黒ずんだ太い掌を、無造作に足元の濡れた砂浜へと押し当てた。
その瞬間。
大気そのものが軋み、物理法則を冒涜する異変が海岸線一帯を襲った。
コズマが掌を砂浜へ押し当てた瞬間、周囲の大気が歪み、異様な高周波の唸りが鳴り響いた。
男の肉体──その心臓部に埋め込まれた禁断の機構、『元素転換装置』。
物質を構成する陽子と中性子の配列を自在に解体・再構成し、あらゆる元素を望むがままの別の物質へと瞬時に書き換える、神への冒涜たる超科学の結晶。自らの肉体を改造してその装置を組み込んだコズマにとって、触れるものすべてはただの粘土細工に等しかった。
ジュウウウゥッ!
掌から放たれた不可視の変換波動が、砂浜を急速に侵食していく。
海水を含んでいた冷たい白砂が、ドロリとした超高熱を放つ赤黒い『鉄泥』へと相転移を遂げた。変異の波はとどまることを知らず、そのまま強襲部隊が陣取る浅瀬の海水へと一気に流れ込む。
直後、海そのものが沸騰した。
水分子を構成する水素と酸素の結合が暴力的に引き裂かれ、重金属の溶融元素へと瞬時に組み替えられていく。
先ほどまで冷たく打ち寄せていた青い波は、激しく泡立ち、赤熱した光を放つ灼熱の流体──『マグマ』へと変容した。
ボコッ、ドロォォッ!
「な……な、何だこれはぁッ!?」
「海水が……溶岩に変わっただと!? 馬鹿な、質量保存も熱力学も完全に無視している!」
自然科学の法則を足元から踏みにじる狂気の現象に、精鋭揃いのはずの部隊はパニックに陥った。
最新鋭パワードスーツの耐熱フィールドのおかげで即座に焼き尽くされることこそ免れたものの、足元は一瞬にしてドロドロの超高熱マグマの海だ。
足を取られ、油圧アクチュエータが高熱のアラートを吐き出し、隊員たちは完全に身動きを奪われていく。
その光景を前に、部隊長の網膜ディスプレイが、かつて合衆国の極秘データベースから引き出された危険人物の照合データを弾き出した。
──合衆国の物理学界をして異端と言わしめた超天才。
自己の頭脳以外のすべてを徹底的に見下し、禁忌とされた物質変異の研究に手を染め、科学を自らの欲望のために私物化し続けた男。
『現代の錬金術師』『神の冒涜者』
世界中の諜報機関から『魔人』と畏怖された怪物──コズマ。
「き、貴様……あの『魔人』コズマか……ッ!? なぜ貴様のような怪物がここにいる!」
部隊長の悲鳴のような問いかけに、コズマは傲岸不遜な笑みを深め、赤熱するマグマの海を悠然と見下ろした。
「フン……小僧への貸しだ。まあ、今は手助けしてやるだけの話よ」
コズマはニヤリと肉厚な唇を歪め、黒褐色に染まった太い腕を誇示するように広げた。
元素転換装置を持つコズマの前ではあらゆる物質はゴミ同然となる。純金やプラチナなどの貴金属は勿論、三重水素やプルトニウムといった放射性物質を、『ただの石ころ』から錬成するなど造作もない事だった。
エイトマンの強化改造にコズマが一枚噛んでいることなど今更言うまでもないだろう。
「勘違いするなよ、蛆虫ども。世界を使って遊ぶ権利を持つのは、貴様ら超人類などではない。……この偉大なる能力を持つこのわしだ!」
カッカッカッカッ! と下卑た高笑いが、沸騰する海岸線に木霊する。
男の意思に応じるようにマグマはさらに熱量を増し、房総の海岸線を地獄の坩堝へと塗り替えて、Genesisの揚陸部隊を骨の髄まで呑み込んでいった。
──
前線指揮所の周囲を取り囲むヘルハウンドの群れは、突如現れた円筒形ロボットの集団に一瞬の逡巡を見せた。
だが、その無機質な電子脳が脅威度を再計算するや否や、真紅のセンサーアイをギラつかせ、低く唸り声を上げて前肢の爪を土に食い込ませる。
「フン……野良犬どもが、猫に喧嘩を売る気か? ……片腹痛いわ!」
デーモン博士が嘲笑を浮かべ、黒マントの裾を払って電磁ステッキを前方へと突き出した。
『にゃーん!』
『うにゃ──!』
その合図とともに、ナンバリングされた『ベラボットMk2〜Mk30』が一斉に駆動音を響かせて散開した。
突進してきたヘルハウンドの牙に対し、三台のベラボットが背中合わせの陣形を組んで前面の強化チタン製トレイをガチリと噛み合わせ、巨大な盾となって突進の衝撃を真正面から受け止める。
別の機体は、倒れ伏していた負傷警官の襟首をアームで器用に掴み、トレイに乗せて迅速に後方の退避エリアへと滑走。さらに側面に回った機体が、高圧電磁ワイヤーを唸らせて跳躍した猟犬の関節部を次々と絡め取っていく。
「おいおい……嘘だろ……」
眼前で繰り広げられる異様な乱戦に、田中課長は思わず引き攣った声を漏らした。
だが、呆然としている暇はない。足元に滑り込んできたベラボットMk7のトレイの上には、予備のマガジンと対マシナリー用アサルトライフルが整然と積載されていた。
『武器のおかわりを、お持ちしましたにゃん!』
「課長、使えます!」
羽佐間がライフルを素早く引き抜き、ベラボットの円筒ボディを遮蔽物にして銃身を固定、身を乗り出したヘルハウンドの頭部を正確に撃ち抜く。
「すまねえ、助かるぜ!」
田中も重火器を手に取り、ベラボットと背中を合わせる形で引き金を引いた。
ファミレスの通路で料理を運んでいたはずの愛らしい機械に命を救われ、それを盾にして戦っている──あまりにシュールな光景に苦笑いを禁じ得なかったが、絶望的だった防衛線は見事に押し戻されつつあった。
「デーモン博士! あなたと、背後で支援してくれたロシア政府の迅速な決断に感謝します!」
田中が硝煙の向こうの博士へ向けて声を張る。
だが、デーモン博士はステッキの先端から紫の放電を散らし、鼻先でせせら笑った。
「勘違いするなよ、田中君。国家のメンツなど知ったことか。これは私の純然たる『私用』だ」
「……私用、だと?」
「そうだとも。谷博士とこの私が心血を注ぎ、地上最強の破壊兵器として再誕させたエイトマン──その雄姿とデータを、この特等席で見届けに来ただけのこと。むしろ、我が最高傑作の性能を証明する格好の実験場を提供してくれたGenesisに、感謝したいくらいだ!」
悪びれる様子もなく高笑いを上げるマッドサイエンティスト。
田中は呆れ果てて息を吐いたが、すぐに表情を引き締め直した。
「……動機はどうあれ、あんたが今、我々の命を救ってくれた事実には変わりない。礼を言う」
「フッ、無骨な男め」
デーモン博士はフンと短く息を漏らすと、不意に笑みを収めた。
その視線が、上空数百メートルに鎮座したまま微動だにしない、巨大な漆黒の球体要塞──『黒い太陽』へと向けられる。
エイトマンが空中でドローン群を薙ぎ払い、戦況は一見優勢に傾きつつある。
だが、博士の冷徹な知性は、あの球体の沈黙が孕む不吉な予兆を正確に嗅ぎ取っていた。
(前座の掃除はこれで片付く。だが……本命はまだ姿を見せておらん)
黒マントを風になびかせながら、デーモンの眉間に深い皺が刻まれる。
Genesisの真の脅威──あの球体の奥底に眠る、来るべき「黒い魔王」の胎動を予感し、その表情は険しく引き締まっていた。
──
体育館を制圧したはずの超人類別動隊の空気が、微かに揺らいでいた。
耳元に装着された小型インカムから、絶え間なくノイズ混じりの怒号が漏れ出している。
『──こちら房総海岸線! 海が……海がマグマに変わりやがった! 身動きが取れん、増援を──』
『第3小隊壊滅! 敵はエイトマンではない、何者かに──!』
焦燥を滲ませて通信機を叩く兵士たちの様子を、平塚は息を潜めて見つめていた。
すぐ隣で避難民の子供を抱きかかえる沙希へ、わずかに視線を送る。沙希もそれに気づき、鋭い眼差しで小さく頷き返した。
(……戦っているのは八幡だけじゃない。何者かが敵の戦線を引っ掻き回している)
理由は分からない。だが、敵の包囲網に確実に綻びが生じている。
今は無暗に動かず、好機を待つ。それが、丸腰の自分たちにできる最善の戦い方だった。
だが、その均衡を敵の焦燥が打ち破った。
「チッ、埒が明かん! おい、そこの女ども!」
苛立ちを露わにした指揮官が、搭乗型重装甲兵器『ハーキュリー』の無骨な脚部を踏み鳴らし、避難民の群れへと前進した。
太いガトリングバレルの銃口が、身を寄せ合う人々へ突きつけられる。
「この国の警察など、人質を盾に取れば手も足も出まい! 全員立ち上がれ! 逆らう奴から肉片に変えてやる!」
「ヒッ……!」
「嫌ぁぁっ!」
パニックに陥りかけた民衆を威嚇するように、ハーキュリーの銃口が天井へと跳ね上がり、けたたましい銃声が響き渡った。
ドガガガガッ!
激しい弾雨が体育館の屋根を抉り、天井に巨大な大穴が穿たれる。崩落した鉄骨とモルタルが白煙を上げて床へと叩きつけられた。
由比ヶ浜結衣は両手で耳を塞ぎ、その場に小さく丸まって震えていた。
だが──耳の奥に響く子供たちの泣き叫ぶ声、怯え切った大人たちの悲鳴を聞くうちに、結衣の胸の奥底で、何かが小さく、けれど激しく軋みを上げた。
(……何で?)
震える指先が、ぎゅっと自分の膝を掴む。
(何でこんな酷いことするの? どうして、みんなが怯えなきゃいけないの?)
つい最近まで、確かにそこにあった当たり前の日常。
部室で交わした他愛のない会話。くだらないことで笑い合った放課後。
そのすべてを奪い去り、ヒッキーをあんな恐ろしい一人ぼっちの戦場へ引き摺り下ろしたのは誰だ。
雪乃が心を痛め、夜通し涙を流し、今も孤独に耐え続けなければならない原因を作ったのは──誰のせいだ。
──ぜんぶ、目の前にいるこいつらのせいだ。
ドクン、と心臓が跳ねた。
血管を駆け巡る血潮が、冷たく澄み切った激情へと変色していく。
「……許さない」
結衣の伏せられた瞳が、ゆっくりと持ち上がった。
いつもは柔らかく光を宿すその双眸が、妖しく、深く、鮮血のような『紅』に染まり切っていた。
「……由比ヶ浜?」
間近にいた沙希が、その異様な気配に息を呑んだ。
その刹那。
ドパァァァンッ!!
体育館を揺るがす破裂音が響いた。
民衆に向けられていたハーキュリーの極太のガトリング銃身が、まるで超高圧のプレス機で握り潰されたかのように内側から破裂し、金属片を撒き散らして吹き飛んだのだ。
「な、何だッ!? 砲身の異常過熱か!?」
「結衣……!?」
平塚と沙希が目を疑う。
当の結衣は、我に返ったように瞬きをすると、紅い光がスッと引いた瞳を見開いて、そのままぺたんと床に腰を落とした。
Genesisの地下研究施設で実験台にされた際、その身に刻み込まれた忌まわしき超能力の残滓。それが、彼女の極限の激情に呼応して無意識のうちに暴発したのだ。
「……おい、今のを見たか」
「あの女だ! 照合しろ!」
煙の中で、別のハーキュリーのバイザーが結衣の顔を捉えた。
コンソールに瞬時に表示される過去の生体データ。
「見つけたぞ……実験体『魔女』だ!」
「生かしておけん、潜在能力が覚醒しつつある! 直ちに排除しろッ!」
銃身を失った機体に代わり、隣のハーキュリーが重散弾砲を結衣の至近距離へと向けた。
その標的を遮るように小さな影が滑り込む。
『シャーーーーッ! キケン! キケンですにゃん!』
サポートロボットのベラがワイヤーを広げ、威嚇の電子音を上げながら結衣の前に立ちはだかった。
だが、所詮は小型のサポートメカ。ハーキュリーの放つ重火器の一撃を受ければ、塵も残らず粉砕されるのは明白だった。
「由比ヶ浜ァッ!」
平塚が床を蹴り、叫びながら駆け出す。
「結衣、逃げてッ!」
沙希が絶叫し、手を伸ばす。
だが、重火器のトリガーが絞られる速度には到底間に合わない。
冷たい鉄の銃口を見つめながら、結衣はギュッと強く目を瞑った。
走馬灯のように引き伸ばされた、永遠にも似た一瞬。
──暗闇の中で脳裏に浮かんだのは──いつだって斜に構えていて、不器用で、けれど誰よりも優しかった、世界で一番大好きな少年の姿だった。
(……ヒッキー)
──だが。
いつまで待っても、自分を肉片に変える激痛も、骨を砕く轟音も訪れなかった。
ゴォォォォンッ!!
代わりに体育館を揺らしたのは、重工業用のハンマーで巨大な鉄塊を打ち据えたかのような、凄まじい打撃音だった。
「が、あッ……!?」
パイロットのくぐもった絶叫。
結衣が恐る恐る目を開くと、目の前に立ちはだかっていたはずのハーキュリーの巨体が、横合いからの一撃によって軽々と真横へ吹き飛ばされ、体育館の分厚いコンクリート壁に深くめり込んで火花を散らしていた。
濛々と立ち込める粉塵と硝煙の中。
そこに仁王立ちしていたのは、見覚えのある鋭利なシルエット。
だが──自分が知る彼の纏う漆黒とは、まるで対極だった。
冷たく澄み切った光を浴びて、神々しいまでの輝きを放つ、混じり気のない『白銀』の躯体。
──プロトタイプ・エイトマン。
すべての始まりとなった最初の機体。
その冷徹な機械の双眸に、若者たちの命を弄ぶ巨悪への静かな怒りの焔を宿し、谷博士がそこに立っていた。
白銀の巨躯が、床にへたり込む結衣を見下ろす。
機械化された無機質なフェイスプレートの奥から、老紳士の落ち着いた、けれど温もりを湛えた声が静かに響く。
「大丈夫かね、お嬢さん」
「あ……ありがとうございます……っ」
結衣は全身から力が抜け、掠れた声で返すのが精一杯だった。
腰が抜けて震える足元。そんな結衣に、谷博士は威圧感を消した仕草で視線を向ける。
「危ないから、もう少し後ろに下がっていなさい」
言われた通り、結衣がおぼつかない足取りで後退すると、すぐさま平塚と沙希が駆け寄ってきた。
「由比ヶ浜! 怪我はないか!?」
「無事なんだね、良かった……!」
二人が左右から結衣の体を抱きかかえる。その安堵の姿を見届けた谷博士は小さく頷き、身構えていたサポートロボットへ短く告げた。
「ベラ、彼女たちを頼む」
『ニャーン!』
ベラは力強い電子の鳴き声を上げ、平塚たちの前に陣取り、退路を確保するように警戒態勢をとった。
一方、吹き飛ばされた僚機の残骸から体勢を立て直したハーキュリー部隊は、照準バイザーの網膜スキャンで白銀の機体を捉え、その情報を瞬時に共有していた。
『──照合完了。米国で建造された原初のマシナリー、No.08のプロトタイプ!』
『プロトタイプだと? フン、博物館行きの旧式ではないか!』
『幾らマシナリーとて、単機で我が超人類の最新装甲部隊に勝てるはずがない! 包囲して蜂の巣にしろ!』
機動兵器たちが次々と銃口を向け直し、重い足音を響かせて白銀のマシナリーを取り囲んでいく。旧式、試作機という言葉に混じる露骨な侮り。
だが、谷博士は動じなかった。
白銀の鋼鉄の拳を、ギリ……と軋む音を立てて握りしめ、氷点下の大気を思わせる底冷えのする声で言い放つ。
「蜂の巣、だと……? それはこちらの台詞だ」
静かな宣告。
それは、長きにわたり臥薪嘗胆を強いられてきた老科学者の忍耐が、ついに限界を突破した瞬間だった。
未知のフロンティアを切り拓くはずだった宇宙開発の夢は、国家と軍部によって無惨に踏みにじられ、ただの破壊兵器へと歪められた。
平穏な日常を望んでいたはずの比企谷八幡という一人の少年を、自らのこの手で、世界を滅ぼしかねない最凶の兵器へと改造せざるを得なかった断腸の悔恨。
そして──己の矮小な支配欲のために科学を弄び、若者たちの命をゴミのように踏みにじる者どもに対する、底なしの憤怒。
「未来ある子供たちに、無用の暴力を振るうなど……鬼畜にも劣る所業!! 断じて許さんッ!!」
カッ──!
谷博士の双眸が、鋭い青白い光を爆発させた。
握りしめた白銀の右拳から、バチバチとけたたましい高圧電流が迸り、青い紫電が全身のフレームを駆け巡る。
──ドンッ!!
衝撃波が床を叩き割った。
瞬間、谷博士の白銀の巨躯が、視界から完全に掻き消えた。
「な……消えた!?」
部隊長の動揺が通信回線に響く暇すら与えられない。
エイトマンに肉薄する超音速機動。
音速の壁を突破した白銀の軌跡は、体育館の狭小な空間の中で無数の残像を生み出し、まるで十数機のプロトタイプが同時に現出したかのような分身の嵐となって、ハーキュリー部隊の頭上と死角から一斉に襲いかかった。
無数の残像が体育館の空気を引き裂く中、一陣の突風とともに実体化した白銀の巨影が、先頭のハーキュリーの鼻先へと忽然と現れた。
「なっ──!?」
パイロットが引き金を絞るよりも速く、谷博士の研ぎ澄まされた右腕が閃いた。
青白い閃光を纏った高密度のプラズマ手刀。装甲板の合わせ目──装甲厚が最も薄くなる腹部フレームの境界線へと、寸分の狂いもなく深々と突き刺される。
バチィィッ!
「ぎゃあああッ!」
主要な動力パイプと油圧制御系を一撃で両断されたハーキュリーが、激しい火花を吹き上げてくぐもった悲鳴を漏らす。
周囲の同型機が一斉に反応し、銃口をプロトタイプへと向け直した。
「撃て! 構うな、奴ごと──」
だが、谷博士は突き刺した腕をテコの原理で持ち上げると、機能停止寸前の巨体を軽々と掲げ、自らの前に掲げてみせた。
ガガガガガッ!
激しい弾雨が、味方の装甲板へと無情に叩き込まれる。白銀の装甲には傷一つ触れさせず、谷博士は分厚い『盾』の後ろで冷徹に敵陣の配置をスキャンしていた。
射撃が一瞬途切れたその間隙。
谷博士はショートして煙を吹くその巨体を、密集するハーキュリー部隊の中心へ向けて、手のひらでトンと軽く小突くように押し出した。
「うわっ、爆発するぞ! 下がれッ!」
自重でよろめきながら倒れ込んでくる僚機を見て、大爆発を予見した兵士たちがパニックを起こして後退りする。
その醜態を見下ろし、谷博士は冷たく言い放った。
「その程度で誘爆するような欠陥品なものか。自分たちが扱う機体の性能すら把握していないのかね?」
一歩、白銀の脚部が踏み出される。
「人が多いのでな。手短に済ませてもらうぞ」
カチャリ、と谷博士の右腕部装甲がスライドし、小型のプラズマシューターが展開した。
青白い励起光が集束し、先ほど突き飛ばしたハーキュリーの装甲へとピンポイントで撃ち出される。
バチュンッ!
着弾の瞬間、直撃を受けた機体が巨大な避雷針となって機能した。
技術者としての慧眼により、ハーキュリーの装甲フレームの対電性能とアース限界は完全に逆算されていた。耐電許容量をコンマ数パーセントだけ上回るよう調整された超高圧のプラズマ電流が、蜘蛛の巣のように青白い稲妻となって周囲の全機体へと一気に連鎖・拡散していく。
バチバチバチバチィィィッ!!
「ぐわぁぁぁッ!?」
「システムが……制御が効かない!?」
体育館を満たす閃光。
過電流の波は兵士たちの生体を焼くことなく、装甲の隙間をすり抜けてコクピットの電子中枢とモーター駆動系だけを精密にショートさせ、焼き切っていった。
内部の全計器が沈黙し、アクチュエータが完全にロックされる。
文字通り、自らが乗り込んだ頑丈な機体がそのまま『動かぬ鉄の棺桶』へと成り果てた。
ズゥゥン! ドォォン!
十数機の重装甲兵器が、操縦者を閉じ込めたまま、次々と前のめりに床へと倒れ伏していく。
体育館を揺らした重い地響きが止むと、そこには立ち込める白煙と、沈黙した鉄塊の山だけが残されていた。
谷博士は展開していた右腕の武装を静かに装甲内へと格納し、身じろぎもできない敵部隊を見下ろした。
「命までは取らん。だが、その身動きの取れぬ鉄の重みを、己の犯した罪への天罰だと思い知るがいい」
白銀の巨兵が凛とした佇まいで拳を下ろす。
避難民に一人の怪我人も出すことなく、ハーキュリー部隊は老科学者の圧倒的な神速と知略によって、わずか数十秒の間に完全制圧されていた。
──
房総半島全域が、紅蓮の戦火と硝煙の坩堝と化していた。
山肌ではデーモン博士率いる奇妙奇天烈なベラボット軍団が猟犬の群れを圧倒し、海岸線では魔人コズマの冒涜的な錬金術が海そのものを赤熱の溶岩地獄へと塗り替え、そして避難所の体育館では白銀のプロトタイプ──谷博士が、若者たちの未来を踏みにじる愚者どもを神速の雷霆で完封していた。
それぞれが己の誇りと矜持を懸けて地上で活路を切り開く中──。
その戦場すべての頂点、冬の寒空を衝くように、漆黒のエイトマンは単身で上昇を続けていた。
目指すは、天空に鎮座する異界の巨城。あらゆる元凶たる漆黒の球体要塞──『黒い太陽』。
「……地上は持ちこたえた。あとは、貴様らを落とすだけだ」
胸部のリアクターから唸りを上げさせ、推進スラスターの噴射炎で大気を蹴り飛ばす。
巨大な球体の黒鉄の外壁が、視界のすべてを覆い尽くさんとした──まさにその刹那。
ビキィッ……!
視界のコンソール全体が、突如として激しいノイズとともに真紅の警告色へと染め上げられた。
全身に張り巡らされた集合センサー、大気圧計測器、重力波探知機が一斉にレッドゾーンを振り切り、耳障りなエラーアラートを脳内へ叩き込んでくる。
(……っ!?)
電子頭脳の最深層に、焼きごてのように刻みつけられた恐怖の記憶が蘇る。
かつて、その圧倒的な力の前になす術もなく四肢を砕かれ、全身の装甲を圧壊させられ、死の淵へと叩き落とされた悪夢。
──『自身を完全に破壊し得る存在』の、絶対的な接近。
もはや、蓄積されたデータを照合する必要すら皆無だった。
空間そのものが異様にねじ曲がり、大気が質量を増して押し潰されそうになるほどの超高密度の重圧。
音もなく。
推進器の爆音すら立てず、黒い球体要塞の巨大な影の中から、冷たい虚空へと滑り出てくる黒い巨影。
悪魔を想起させる、頭部に鋭く突き出た禍々しい二本の長角。
光を一切反射せず、むしろ周囲の光彩を貪り喰らうかのような深淵の漆黒装甲。
その全身から放たれるのは、神の領域に手をかけた超人類・Genesisが誇る究極の最高戦力──。
『
「……ついに、来やがったか……」
歯を食いしばり、空中でスラスターを逆噴射させて急制動をかけた。
かつて強化前のエイトマンをただの一撃でスクラップへと変え、空間そのものを握り潰す超重力を操る、黒い悪魔。
張り詰めた天空の真ん中で、漆黒と漆黒、二体の超人が音もなく睨み合う。
かつての雪辱を晴らし、すべてに決着をつけるための、死闘の幕が上がろうとしていた。
書いてて気付いたけど味方がジジイしかいねぇ……