まるで侍のようないでたちに、結い上げた髪がゆらりと揺れる。
刀を持った妙齢の女性が、安曇を真っ直ぐに見つめていた。
安曇は自分以外に人間がいたということに驚く。いや、もしかしたら人間ではないのかもしれないし、死者なのかもしれない。
「……」
安曇は瞬時に思考を巡らせる。
もしも彼女が敵ならば。
──先程の剣戟が頭をよぎる。
まず勝てないだろう。彼女が人間であっても死者であっても、結果は同じだ。
少なくとも今は友好的に見える。なら……。
そこまで考えた時、女性の様子が一変した。
「くくく……」
「?」
女性は片手で顔を覆い隠し、くぐもるように嗤う。
「……なんだ、お前……気づいていたか……」
「……?」
「ふふふ……あはははは!!」
突然の哄笑に安曇は、警戒して半歩下がる。まさか──
「我こそは深淵《しんえん》なる邪鬼《じゃき》よ……死者を束ね、あまたの生命を蹂躙《じゅうりん》する」
「……」
安曇は半目になった。
彼女のセリフがあまりに棒読みだったからだ。騙すのならもっと上手くやってほしいものだが……相手の狙いが見えない。
(なんだ、この人……)
悪人とも思えない。なら相手の狙いが読めるまでは。
安曇は乗ってあげることにした。
「深淵なる邪鬼様、命だけは……」
「ふはは、童など食っても──って、全然恐れてないな?」
「そんなことは」
深淵の邪鬼とやらは何やら困惑している。
「……お前、演技下手くそか?」
「あなたに言われたくないです」
「……」
しらっとした空気が流れる。
(今のところ、ただの変な人だな……)
安曇はさらりと見切りをつけた。その横で、女性は気まずそうに咳払いをする。
「ンン! えーと……なんだ。とりあえず……」
「助けてくれてありがとうございました」
女性が何を言うか迷っていたようなので、安曇は先に頭を下げた。自分から敵対する意味はない。特に狙いがないのなら、さっさと話を進めるべきだ。
「あー……しっかりしてるな。小さい子だからと思ったんだが……えーと、うん。怪我が酷いな。手当てするから向こうに行こうか」
「手当て……」
道具があるのかもしれないが、何にせよ長くここにいる人間のセリフに思えた。
上手くすれば──ここのことが何かわかるかもしれない。
***
女性は東雲継葉《しののめつぐは》と名乗った。
「どこから迷い込んだ? 奥の扉か?」
(迷い込んだ、か)
軟膏のようなものを傷に塗られながら安曇がこくりと頷くと、継葉は渋い顔をする。
「あそこは閉められないからなぁ……」
「え……?」
思わず聞き返してしまう。
「試してみればわかるんだが、行ってみるか」
ふたりは再び入口に戻ってきた。影の姿が見当たらないことに、安曇は内心安堵する。
継葉は扉まで行くと、力いっぱい引っ張った。
「本当に引っ張ってるんですか?」
びくともしない扉を見て、安曇は訝しげに眉を寄せる。
「なら、お前がやってみろよ~」
ぶーと口を尖らせた継葉。安曇より子供のようなことをする。
「っ!」
安曇も力いっぱい引いたり押したりしてみたが、扉は微動だにしなかった。
「なんで……」
「んー、そうだなぁ。出入口だから、だろうな」
継葉が苦笑混じりに呟くので、安曇は首を傾げる。
「今見えてるのは“扉に見えるもの”だ。実際には出入口という言葉から、扉という絵を頭に描いてしまっているだけだ」
「……は?」
安曇はもう一度扉を押す。動かない。
(扉に見える……けど)
そうではないということか。
「僕が見ているものは……本当に存在しない?」
つまり、出入口だからいつでも通れる。通れる場所ということは、『開いている扉でなければならない』ということか。
「賢いな。つまりそもそも閉めるという行為が成立しないってことなんだ」
それはなんというか、理不尽では?
安曇は憮然としながら扉を見つめた。
「まあ、座れ」
床の間に戻ると、継葉は今度はもてなしだとでも言うようにお茶を入れる。
「お茶なんてどこから……」
「必要なものは何でもあるんだ」
にこりと笑う継葉に言われるままに、安曇は首をかしげながら座布団に腰掛ける。
この部屋は確か、向こうでは子供の絵本があった部屋だ。
(備蓄なんて何もないように見えるけど……)
お茶をじっと見つめる。
神話などでは、黄泉の国の食べ物や飲み物を食べてはいけないとされていたはずだ。
大丈夫だろうか。いや、そもそも死後の国かどうかわからないのだけど。
「しかし、迷い込むとは難儀だな。ひとりで帰れるか?」
「……別に迷子じゃないです」
「ん?」
キョトンとした継葉に、安曇は解けた房紐を見せる。
「これが落ちてしまって。追いかけて入ってしまいました」
「……ああ、なるほど?」
納得したような継葉に、安曇は首をかしげた。
「これはここの空間とお前に縁がある代物なんだろう。縁は人を呼ぶからな」
「僕が……ここと?」
死水に近寄ったのは二度目だ。どんな縁があると──
「──」
──叔父の影が出てきた……いや、房紐が化けたようにも見えた。
「ここの空間というと語弊はあるかな」
「え?」
「この空間は、命の塊なんだ」
「……命」
歴代溶けてしまったお役目の継承者たち。彼らがこの空間そのものだというのだろうか?
まさか、叔父も?
指先が冷える感覚。
(冗談……)
「命は命と混ざりあう。混ざるには体が邪魔なようでな。ここの空間に入ると、大半は溶けて混ざってしまうんだ……。まあ、子供に聞かせる話ではないが」
継葉は苦笑した。
(あの影は……死水に消えた)
安曇は周囲を見回す。
叔父は……いない。
「……」
思わず房紐をグッと握りしめた。
「お前は強い子のようだ。溶けずに来れたんだからな。だが、それなら尚更、帰った方がいいな」
「え?」
「この館の中は私が安定させているんだが、外はあまり保証できなくてな。迷い込んだだけなら、心配してる者もいるだろう。早くお帰り」
心配している者……いるだろうか。安曇には心当たりがない。
父はお役目を継ぐものが消えれば慌てるだろう。母は跡継ぎがいればそれでいいはずだ。安曇が消えても気にしないと思う。
総司は……心配するだろうが、『兄として弟を心配するのが当然』と考えるのだろう。
(家族に恵まれてないな……)
亡き叔父の背を思う。
──ズルリ
「!」
すぐ側から音がしたような気がして、安曇はパッと顔を上げる。
同時に顔を上げた継葉が、険しい目つきで天井を見た。
「どうしてここに!?」
「──」
それは蜘蛛のような何かだった。
軽自動車くらいの大きさの影。赤黒いたくさんの目を光らせ、天井にぶら下がっている。
それは薄紫の糸を吐き、安曇の手に命中させた。
「っ!?」
手の中の房紐と蜘蛛の糸が絡み、まるでロープのようになる。そしてそれをそのまま、安曇ごと天井に引き寄せた。
「っあ!」
「バカ、紐を離せ!!」
継葉が叫んだが、聞けるものと聞けないものがある。
安曇はグッと足を踏ん張って柱を掴み、紐を引き戻そうと力を入れる。
「くっ」
継葉は迷わず天井の蜘蛛本体を斬ったが──浅い!
ズル……
蜘蛛の胴体が割れて、影の表面が二分される。
そこからひらりと視界を掠めたのは──見慣れた羽織り。
「!?」
人影が見えてすぐに、二分されたはずの蜘蛛の影は糸を引くように元に戻る。それはまるで、周囲から影を集めるようにも見えた。
「今の……」
(叔父さん──!?)
一瞬見えた姿は目に焼き付いている。安曇がその人影を見間違うわけがない。
どういう理由かはわからないが、今、確実にあの化け物は叔父を飲み込んでいる。そう理解した。
「誰かを吸収してるところか。少年、手を離せ! 一緒に飲み込まれるぞ!!」
(吸……収!?)
グイグイ引っ張られて宙吊りになる。
「──死んでも! 離すか!!」
「あー!! お前、そういうこと言うやつかー!!」
継葉は愚痴ったがそんなものを気にする余裕はなかった。引き寄せられるままに、影がうねうねと安曇を飲み込もうとする。
触れた場所の肉が溶けるような痛みを感じ、安曇は呻く。──が諦めなかった。
「離せ!!」
赤黒い目に容赦なく刀を突き立てていく。安曇の気迫が届いたのか刀はズブリと沈み込み、赤黒い目が明滅する。
(離せ! 叔父さんも! 離せ!!)
二度、三度──!
さすがに効果があったのか。
安曇を咥えていた口が開き、安曇と紐が宙を舞う。
「はぁ!!」
その瞬間を継葉は見逃さず、蜘蛛の足を切り裂いた。
ギュオオオ!!
房紐もぶつりと切り裂かれ、安曇は落下する。
紐が切れる瞬間の──確かな喪失感。
「叔父さ……」
手を伸ばした先で、蜘蛛の影は部屋の隅に溶けるように吸い込まれてしまった──