使用人たちは見たことがある。結衣子の下にいるものの、雇い主は隆盛であるはず。
安曇は順番に使用人たちを見つめて、威圧するように笑みを浮かべた。
「お前たち、この部屋の処理は僕が任されている。許可なく触れるのなら、相応の処理をするよ?」
「安曇っ!!」
母の叱責が飛んだが、安曇は無視をした。騒いで損をするのは母の方だ。
「……どうするの?」
使用人たちは顔を見合せて、結衣子に頭を下げて退出した。結衣子の目が釣り上がる。
「安曇! どういうつもり!?」
「どういうも何も、この部屋の物を見る許可は取っています。だから僕の許可なく触る方が問題ですよ」
チラリとダンボールに視線を向ける。
「お前、私の言葉を聞いていなかったの!? 私に指図するんじゃないわ」
結衣子が金切り声を上げるのを、安曇は冷めた気持ちで眺めていた。
「母さんこそ、僕の話を聞いていますか?」
チラリと扉に目をやれば、扉がうっすらと開いている。その向こうから、使用人達がオドオドしながら様子を見ているのが見えた。待たせている時雨も見える。……これは使える。
「何ですって!?」
結衣子の怒りが膨れ上がる様子を、安曇は薄く笑う。
煽る必要もないのだが、今後黙ってもらうにはこれが早い。
「妻子のいなかった叔父の財産は父が相続します。その父から許可をもらっているんだから、僕に文句を言うのはおかしいでしょう。こんなの子供ですらわかる」
「この……!! ヤクザの世界に法律持ち込むんじゃないわよ!! 憎たらしい子ね!!」
結衣子の手が振り上げられた。
避けることもできるだろうが、ここは殴られるのがいい。そう思ったのだが──
「待って!!」
バシィッ!!
「──」
目の前に大きな影が飛び出し、同時に平手で横に倒れた。
「……時雨?」
殴った結衣子も、倒れた少年を見て驚いている。安曇の声に、霜月時雨はポタポタと涙を零しながら訴えた。
「け、怪我人を殴っちゃ! だ、だめです!!」
「……」
扉から使用人が入ってきて時雨の様子を見ている。この段になって、はじめて結衣子は動揺を見せた。
黒鉄組はヤクザではあるが、基本的に子供には優しい。
その子供が。ましてや怪我をしていて包帯を巻かれた子供が殴られそうになって、さらには医師の子供という特殊な立ち位置の時雨が殴られたのだ。
結果的に結衣子は動きにくくなったが……安曇は苦い思いで時雨の頬を見つめる。
「……っ!! 安曇、お前……後悔するわよ!」
結衣子は立派な捨て台詞を吐き、肩を怒らせたまま去っていった。使用人も慌ててあとを追う。
「しぐ──」
「あ、安曇さんも!!」
「……」
「ど、どうしてあんな、お、怒らせるようなこと……!!」
座り込んでいる時雨の頬は赤くなり、すでに腫れ始めていた。その手が小さく震えていることに気づき、安曇は言葉に詰まった。
「それは……」
「け、怪我! し、してるんですよ!! お、俺だって、い、痛いのに……!!」
ボロボロと泣いている時雨に、安曇は僅かに目を伏せる。
「い、いたい……ううう」
安曇より年齢も背も高い少年は、唸るように泣き続けた。
その心が、ささくれだった安曇の気持ちを解してくれるような気がした。
「……庇ってくれてありがとう」
そっと感謝を告げれば、時雨はさらに泣き出してしまった。
いつか。
何か問題が起きれば、この少年を助けよう。
(必ず)
静かな部屋に、少年の泣き声がこだましていった。
***
時雨は渋ったが、頬の腫れがひどいので霜月医師の元へ向かわせた。
母を追い出した以上、今すぐ何か起きる事もないだろう。
「……」
傷のせいか、先程から熱が上がっていた。時雨に気付かれなくて良かった。
やっとひとりになって、安曇はぼんやりと部屋を見回す。
主が不在のその部屋は、なんだかひどく空虚に感じられた。騒ぎなど起きなかったかのようだ。
──甘く、苦い香が、今もそこに残っている。
叔父の部屋は二間続きで、一部屋が寝室。もう一部屋が机や書棚などがある書斎のような場所になっていた。
どちらも荷物が引き出され、机の上も山になっている。
火鉢の灰と衣類がぐちゃぐちゃにゴミ袋に入れられていたのを見た時には、小さな殺意もわいた。
(そんなに叔父さんの物を捨てたかったのか……)
「はぁ……」
叔父と結衣子は、安曇からもはっきりわかるほど不仲だった。基本的にお互いを無視していたし、叔父に聞けば「あいつはめんどくさい」と返されたものだ。
結衣子は父より叔父と年齢が近い。同じ屋敷で育ったはずなのだが、その辺の事情は誰にも聞けず終いだ。
(だとしても、物を捨てるのはいただけないな……)
安曇は灰にまみれた着物を一枚ずつ庭に出て払っては畳んでいく。
くらり……
「!」
思わず柱を掴む。
自分の体ながら嫌になる。柱を掴んだ手にズキズキと鈍い痛みが響く。
ため息をつきながら書斎に移動し、机を見た。
(縁のある物を……見つけないと)
いつも使っているものがあるならここだろう。少々乱雑に物が置かれているのが叔父らしい。
引き出しを開けると、同じ装丁の本が数冊入っているのが見えた。
「……手記?」
ペラペラめくるとどうやらお役目を調べていたらしい。
(何も言ってなかったのに……)
熱のせいか、あまり内容が頭に入ってこない。
「……」
いくつか気になるワードがあったので、とりあえず持っていくことにした。
三冊ほど無造作に引き出しに突っ込まれていたものを取り出すと、机の上にある本や雑貨が崩れた。
「あ……」
(やってしまった)
崩れていく山から小箱が落ちかけ、安曇は慌てて手を伸ばす。咄嗟に手に取ったそれは、煙管の箱だった。
(これ……)
紫煙の残り香があるような気がした。
ぐっと目に力を入れる。こんなことで泣きたくない。
「……」
黒字に金の蛇が装飾された、特注の煙管だ。死ぬ間際は薬を入れていたが、叔父は元々煙管が気に入っていた。
ギュッと掴んでおでこにあてる。
乱れそうな息を、ゆっくり整える。
(どうして……)
死んでしまったのか。
そんな言葉をどうにか飲み込む。
安曇はそっと目を抑える。
顔を上げた時には、もういつもの表情に戻っている。
「必ず……助けるから」
そっと呟き、煙管と本を抱えて部屋をあとにした。