影が安曇に近寄ってくる。
その数、三体。
焦る気持ちに刀を振るう──が。
ゴッ!
刀が通らない!
ダメージがほとんど入らない──!!
安曇は三体に囲まれ、大きな個体がグワッと口を開ける。体の半分ほどまで開いた口の中は、底知れぬ闇が広がっていた。
「──!!」
「だぁから!! 待てって……! 言ったろぉが!!」
そこに割り込むように、いつか見た電撃が走る──
***
「この世界について、少し説明する必要があるな」
継葉の言葉に、カバンを開けていた安曇が煙管を握り、小さく首を傾げる。
「命の塊……でしたか?」
「おお! よく覚えてるじゃないか」
「全く意味がわからなかったんで」
(だから正直……)
説明より結果がほしい。
影の蜘蛛に飲まれていた叔父。それが今も脳裏から離れない。
そんな安曇の気持ちとは裏腹に、安曇の答えに継葉はズルッと肩を落とす。
「ん。まあ、わからないことをわからないと言えるのは偉いぞ」
「……誤魔化しても仕方ないので」
どうでもいいところで見栄を張っても損をするだけだ。見栄を張るのはハッタリをかまして利がある時だけで十分だ。
そんなことを簡単に答えると、継葉は非常に苦い顔をした。
「……誰だ、こんな子供にそんな世知辛い考え方を教えたのは」
「叔父さん」
「あー……例の。お前の叔父さん、ぶっ飛んでるなぁ……」
正確には直接教えられたわけではない。叔父のそばにいて、行動しながら叔父の考えを見てきただけだ。
あの人は無意味な虚勢を張らなかった。
「この世界で意味を持つのは、人の意志だ。意志が命の塊に色を付けるようなものかな。その人の色をな」
「意志……」
「何かを思うこと。それが大事になる。だからこそ、縁の力がとても強く作用する」
継葉は安曇がカバンから出した煙管をじっと見つめた。
「それで縁を辿ると……?」
(会いたいと、願えば……)
あの死水に初めて入った日、安曇は叔父を追っていた。だから蜘蛛が来たのだろうか。
(呼んだのは……僕か?)
「そうだな。意志はこの世界のあらゆるものを支配する。この館がこの形を取り、影を入れないようにしているのは私がそうしているからだ」
「……」
館の中は継葉が安定させているといっていた。つまり、ここを形作る全てのものを支配しているということか。
そしてそれを押してでも蜘蛛が入ったということは、それほどに強く呼んだのかもしれなかった。
「じゃあ……呼べばいいの?」
「呼ぶというよりは辿るんだ。向こうが辿ってきたようにな。引き寄せるのではなく、こちらから行くんだよ」
安曇は首を傾げる。
(あの日、あれが僕の元へ来たのは……呼んだんじゃなくて)
会いに来たということなのかもしれない。
その考えに至り、安曇はギュッと煙管を握る。そして次の瞬間気づいてしまった。
(では蜘蛛は?)
なぜ叔父を連れていったのか。そもそも、なぜ叔父は死水に溶けているのか。
だって死んだのは現実世界で、水になったのも向こう側だったはず。
なのに。
記憶の端に引っかかる、わずかな記憶。
噛まれて水になった指……。
あれはどこへ消えたのだろう?
死水に流れて縁を繋いでしまったのだとすれば──
(僕の──せいか……?)
煙管を持つ手が凍りつく。
叔父が食われるのは安曇のせいではないかという思考が頭を占めていく。
『無駄な自責を教えた覚えはねぇぞ』
その声に、背中を押される。
そう、そんなことを気にする時じゃない。
(仮に責任の端があったとしても、今はやることをやらないと……)
静かに目を伏せた安曇を見ながら、継葉は真面目な顔をして話を進めていく。
今はその空気の読めなさに救われるような気がした。
「煙管を持て。叔父さんとやらはそれをどんな風に扱っていた?」
(叔父さんは……)
人差し指と中指に挟むように持ち、薄く笑う。曖昧な世界にひとり、いるようでな、そんな人だった。
安曇がそんなことを考えていると、火も入れていないのに煙管から紫煙がゆらりと立ち上る。
「!」
その煙は流れるように、対の館の外に向かって流れている。
「……繋がったな。行くぞ」
紫煙の甘く苦い香りが揺れている。
『安曇』
耳に残る声に安曇はそっと目を細め、継葉のあとを追った。
「ここは……」
玄関の外は田園風景ではなかった。
地面すらなく、様々な建物、木々、地面などが浮かんでは落ち、消えては現れ揺れていた。
「む、混ざってるな」
「え、叔父さんが!?」
取り込まれてしまったのかと安曇が慌てると、継葉は首を振る。
「そういうことじゃない。この世界は陣取り合戦のようなものなんだ。対の館は私が持つ領土。そしてここは、様々な持ち主がせめぎ合っている……ということだ」
継葉が踏み出すとそこは地面となり、草が生える。足場が生まれ、そこだけまるで田園風景に変わるように塗り変わった。
(これが……支配)
安曇は踏みしめるように一歩進む。
紫煙は緩やかに、流れるように奥へ向かっている。
「……いろいろな人が作ってる空間ということですか?」
(マンションの窓が池になってる……)
そうかと思えば車の半分がビルになっていたり、ビルの出口から木が生えていたり。
あまりにぐちゃぐちゃで、上も下もない世界に酔いそうだ。
「……支配された空間というのは、持ち主の記憶を再現する。だからここは、様々な記憶の墓場みたいなものだ」
記憶の墓場。
(今見える風景が……)
時代も場所も様々なその場所。
黒鉄屋敷のような日本家屋も、ビルも車も、森も何もかもが全て……
──死者の記憶。
「……」
紫煙の先には……何が待っているのだろうか。
気持ちが急くが、何とか冷静になろうと息を吐く。
胸に重石を入れられたように、怪我とは違う痛みがあった。
(焦るな……できることからやるべきだ)
安曇の目の前で、石畳から黒いものがドロリと流れ出す。
まず、今は。
ズルリ……
周囲に影がわく。
まるで風景から溶けだしたように……大小様々な影が起き上がる。
(こいつらを片付けないと……)
その姿は何度見ても不吉だ。
胸の中にざらりと異物を流し込まれたような気分になる。
「……まあ、記憶には持ち主がいるからな」
継葉は懐かしむように目を細め、静かに刀を構えた。安曇も足場を確かめて刀を握る。
継葉が何を思ったか知らない。けれどここを乗り切らないと先に進めないというのなら──動くしかない。
正面とその右に人型が一体ずつ。その少し離れた奥に大きいのが一体。
「私が片付ける。お前は下がってるんだ」
継葉の声が聞こえたが、安曇はその時には素早く斬りかかっていた。
「あ、こら! 待て!!」
(まずは近くにいる一体……!)
──ゴッ!
「──!?」
斬撃は確かに通ったのに、手応えが鈍い。
──キュオオォォ
影の腕が振り下ろされるのを、間一髪かわして後ろに飛ぶ。
「!」
足場が揺らいでふらついたところに二体目が覆い被さるように襲ってきた。
慌てて安曇は刀を突き上げる。しかし。
(──これも!)
はじめて死水に潜った時と同じだ。
まるで棒か何かで殴るような感覚。
影も押されただけのようにゆらりと離れ、また寄ってくる。
ここがこいつらの──領域だから?
じわりと胸の内に焦りが広がる。ここを超えなければ叔父へは辿り着けない。
安曇は地面まで下がったが三体に囲まれ、大きな個体がグワッと口を開ける。体の半分ほどまで開いた口の中は、底知れぬ闇が広がっていた。
小さく舌打ちして横に飛ぶ。が──
「……!!」
見えたはずの足場は沈み、安曇は体勢を崩す。
(しまった!)
そう思った瞬間、あぜ道のような地面が安曇を受け止めた。そして──
「だぁから!! 待てって……! 言ったろぉが!!」
そこに割り込むように、揺らめく紫煙を吹き飛ばす勢いでいつか見た電撃が走った。
口を開けた大きな影が吹き飛び、残りの二体がゆらりとそちらに注目した瞬間。
──ザンッ
一刀両断に切り裂かれ、影たちはサラサラと散っていった。
「お前は全く……」
弾かれた刀を持つ手が痺れていた。
傷が開いたのかじわりと痛みが全身に広がる。
「……っ」
呼吸が上がる。
……こんなことで、あの影を斬れるのだろうか。
安曇は痛みで震える手を抑え、目を伏せた。
酷く惨めで悔しかった。
(支配しないと……一体どうすれば……)
そんな安曇を見ていた継葉は、ポンッと手を打つ。
「……よし、急がば回れというしな。まずは授業と行くか」
「……は?」
顔を上げた安曇に、継葉はにこりと微笑んだ。