「とりあえず説教はしておくか。師匠だしな」
継葉は足場を確かめるように刀の鞘でトントンと地面を叩く。叩かれた地面がジワジワと面積を広げ、気づけば小さな空き地ほどの広さになっていた。
「……師匠が支配してるんですか?」
「そうだ。まあ、見ろ。ここは混ざった場所だから、すぐに取られる」
継葉が指を指した場所には、先程までの地面から再びビルの入口のような空間ができている。
「焦るのはわかる。すでに時間が経ってるしな。でもな? お前が影に食われたら、誰も助けることはできないぞ」
「……」
安曇は気まずい気持ちで俯いた。
現実世界の方で影は斬れていた。だから、ここでもやれると思ってしまっていた。
(甘かった)
視線を下げて唇を噛む。
できるはずだ、できなくてはいけない。そう思ってしまっていた。
それを見透かすように継葉はまっすぐ安曇を見る。
「叔父を助けたいんだろう? なら、お前が必要だ。叔父との縁を持つのはお前なんだからな」
「……はい」
「そして私はお前との縁をまだ強く持ってない。だから、私はお前のことも叔父さんのことも追えないんだよ」
弱くなった継葉の声に顔を上げれば、継葉は少し寂しげに笑っていた。
「助けたいのなら、お前は必ず無事でいろ。これが必須条件だ」
「──っ」
ぐっと握る拳に力が入った。
継葉の心配や、守ろうとしてくれている気持ちが痛いほど伝わる。
(助けたい──そして)
この師匠の気持ちを守りたい。
「どうすれば、支配できるようになりますか?」
急ぐだけじゃダメだ。確実な一歩を踏み出さないと。
「……よし。なら、授業といくか!」
***
「まず、縁は繋がり。そして支配とは染め上げる力だ」
繋がりは理解できる。現に叔父との繋がりを辿ってここに来たのだ。
では、染め上げる力とは。
「前にも言ったが、ここで行われているのは、ある種の陣取り合戦だ」
「支配領域を取り合ってるんですよね……?」
ぐちゃぐちゃに混ざった風景。
建物も縦に横に繋がっていて、まるで強引に増改築を繰り返した奇怪な建物のようにも見えた。
「そうだ。一枚の紙を、お互いの色で塗りつぶしているような感じだ」
「色を……」
自分の色をつけた場所が、支配領域ということか。問題は、どうやって色をつけるのか。
「縁で繋げて、意志で染め上げる。これが支配するということになる」
「……意志?」
「うん。ただ、私のような真似はお前にはできないと思う」
言いながら、継葉はビルの入口にそっと触れる。するとそこはするするとほどけるように崩れていき、あぜ道の脇にあった杭に姿を変える。
「なぜですか?」
「空間全てを支配するには、ここの空間と混ざる必要があるからだ。……出ることができなくなるぞ」
「……」
安曇は思わず息を飲んだ。
それはつまり……。
考えは巡ったが、安曇はあえて答えを出す前に思考を止める。その答えは、彼女にとってあまりよくないもののように思えたから。
「まあ、それはさておき。問題は……」
継葉は僅かに視線を下げる。
「?」
「支配できなければ何もできないということなんだ」
「何も……?」
「そうだ。影を斬ることもだ」
「──」
その言葉に、安曇は思わず硬直した。
だからさっき刀が通らなかった。
(結局、どうすれば……)
「ただ、お前は今、ここにいるだろう」
「え?」
「お前は混ざってない。つまり、お前の命をお前は支配できている」
「……」
確かにそういう言い方もできる。
ここが命の塊であって、混ざり合うのが本質だとすれば、安曇は安曇としてここにいるのだから自分の命を支配している、そう言っていいはずだ。
だからと言って……影に届くわけではないなら。
「影を斬る方法は──」
「ある!」
「!」
あまりにも継葉が強く言い切ったので、安曇は思わず息を飲んだ。
「大丈夫だ、できることはある。全てを支配なんてできなくていいんだ。届く範囲、自分自身と認識できる範囲なら、お前は影を斬れる」
もう一度強く頷く継葉に、安曇は少しだけ肩の力が抜ける。
理屈は正直まだ理解できていない。
けれども彼女の微笑みは自信に溢れ、そこに心配や欺瞞は見えない。
なぜか──彼女は信じていい。
そう思えた。
「じゃあ……教えてください、師匠」
「!」
継葉は少し驚くと、心底嬉しそうに破顔した。
***
どうすれば攻撃が通るようになるのか。
これが継葉が師匠として、安曇に最初に教える技術となった。
「よし、あれでやってみるか」
奥へ進むとすぐまた新しい影が現れた。
頷いた安曇がとりあえず思うままに刀を振るってみるが、手応えがない。
「空間全てを支配するのはお前には無理だ。だが、自分自身とその周りなら動かせるはずだ」
「……」
理屈としてはわからなくもないが……安曇は漠然と周囲を見回す。
(つまり何をどうしろと?)
「こう、ギュッとな? 意識を広げるように……刀の周りにグッと力を入れて」
「…………」
さすがにそれはないだろう。
信じていいと感じた自分の直感を否定してしまいそうになる。
(……この人、教師に向いてないな)
生温い目で見てる安曇に気づかず、継葉は熱弁する。
「やる気が大事なんだ! 意志が強ければ……つまり強く思うことができれば、様々なことができる!」
安曇は小さくため息をつく。
苛立ちが湧きそうになったが、強引に胸の奥に押し込んだ。
もっと別の視点で行こう。
意志の強さということなら……例えば明確な殺意。
ここに来た最初の日、同じようなことをした記憶がある。あの時、確か少しだけダメージが通ったはずだ。
「まずはこう、ぐっと引っ張ってきて──」
継葉の教えは、それっぽいことは言っているのだが、感覚的な文言が多くてわかりにくい。
それに影も容赦はしてくれない。
──ヒュッ!!
刀を振るうが、鈍器のような手応えは変わらない。影はゆらりと下がってまた赤い目をこちらへ向ける。
(殺意……だけでは足りないのか)
「刀を自分だと思って強化するんだ。お前の意志で! ワッと集めるんだ!」
「ワッ……」
(どんどん擬音のバリエーションが増えていく)
このわかりにくい説明を、どうにか噛み砕いて理解していく安曇。十歳の子供にはなかなか重い試練だ。
この世界そのものが命の塊であり、支配の対象。
世界を支配すればいいが、それは今の安曇には難しい。
だからこそ自分自身が混ざらないように、そして僅かに周囲の支配を奪っていく。
(ってことだと思うけど……)
じっと刀を見つめる。
「……」
周りに命の塊……何かのエネルギーがあると仮定して、それを寄りあつめるイメージ──
安曇は目を閉じる。まずはそれを探しててみようと思った。しかし。
(ワッと何を感じろと……いや、ワッから離れるべきだ)
難しい顔で黙った安曇に、継葉がグッと拳を握る。
「自分を信じろ!!」
熱く語る継葉。
ここにきて根性論。
せっかく押し込んだ苛立ちが戻ってきそうになる。
「……」
弟子の冷たい視線に、継葉は慌てたように顔の横で手を振った。
「いや、えーと。なんていうかな? あるものを探すって言うんじゃなくてだな。あるのは当然というか」
「………」
多少捻り出したようだが、相変わらず抽象的だ。そもそも理論ではないのかもしれないが。
(あるのは当然……?)
当然と思いこめということか。
安曇なりに色々解釈を進めてみる。
「周りのものを探して使おうとするから見つけることができないし、使うことも出来ない……」
「お? わかりそうか?」
継葉ははしゃいだが、考え込んでいる安曇はスルーした。
「でも、あるとわかっている方向になら、手を伸ばして掴み取ることは……できる?」
安曇は首を捻る。
(ともかく『ある』として……)
思い込むことからスタートする。
「武器に纏わせるところを思い浮かべて使うといいぞ!」
「武器に……」
確かに、物がそこにある分イメージがしやすい。
自分だと思えと彼女は言う。体の延長に刀があると考えて、周りにあるものも自分だと認識……できるのか?
(いや、やるしかない)
ちょうどそこに影が湧いていたので、安曇は刀とその周りを自在に動かすように──
水の中を刀で斬るように、自分と刀、そして周囲がまとわりつく。泳ぐような圧を感じたその後に──
キュオ……
影はスパンと切れた。
「おー! できるじゃないか!」
「……」
自分でやっておきながら、拍子抜けするほどあっさりできたことに驚いた。
「な? 簡単だっただろ?」
「……」
これまでの苦労は、悩みは何だったんだ。
安曇は頭を抱えたくなったが、煙管の煙がまだ流れている。
とにかくこれで前に進める。そう気を取り直し、安曇は前を向いた。