叔父の煙管は、火もないのにかつてと変わらない甘く、苦い香りを乗せながら、ゆらりゆらりと紫煙を流す。
長く歩いてきたが消えることはなさそうだった。
「……」
縁は消えない。あの房紐のように壊さない限りは。そういうことなのだろう。
落とすのはまずいので包帯で左手に巻き付ける。
「はぐれないようにな。足場も悪ければ空間自体めちゃくちゃだ。どこに飛ぶか検討もつかん」
継葉があぜ道を作りながら困ったように安曇を見る。
(縁を追えないからだっけ……?)
安曇は軽く首を傾げた。
「師匠との縁が強くないってことでしたけど、僕の持ち物をあげるなり、師匠の持ち物をくれるなりするのも無駄なんですか?」
「……え」
「え?」
キョトンとする継葉にキョトンとしてしまう安曇。
「……」
「……」
(まさか)
「なるほど、その手があるな!」
「……えぇ……?」
さすがに力が抜ける。
「ふむ、ならこれでいいか……」
とはいえ、何か渡せるものがあっただろうかと思案していると、継葉は懐から財布のような布を取り出した。
「六文銭だ。使うことはなかったから、一枚やろう」
「……」
唐突な言葉に、安曇はしばし固まる。
六文銭とは通常、死者への手向けとして棺桶に入れたりするはずだ。そんなものをなぜ持っているのか。
少なくとも現代の硬貨には見えない。特注品か、あるいは。
(これは……どこからつっこめば?)
何から確認していけばいいのか、安曇は自分の額を軽く押さえる。
いやしかし、確認をはじめたら次々と疑問がわいてしまいそうだ。
ため息をついて安曇は煙管の煙を見つめた。ゆらりゆらりと、紫煙はたゆたう。
(今は……)
「ありがとうございます」
蜘蛛を目撃したあの日から二日経っている。叔父が食われるまで二週間というのはこの師匠の予測でしかないし、時間が惜しかった。
六文銭を素直に受け取る。
カバンに入れても良かったが、肌身離さず持つ方が良いと継葉が言うので房紐に括ることにした。
房紐ごと斬られても困るので、房紐は自身の懐にしまっておく。
「よし、これでお互い探せるだろう」
満足そうに頷く継葉を見て、安曇も苦笑するしかなかった。
紫煙を追うと、和風の建物が増えてきた。それが黒鉄屋敷に見える部屋もあって、安曇はドキッとする。
(記憶の再現ということは……黒鉄組の誰かの……?)
「本邸か……懐かしいな」
継葉の言葉に安曇はさらに驚く。
そんな彼女はどこか寂しそうで、それでいながら大切なものを見るような目をしていた。
黒鉄組の関係者なのだろうか。
(叔父さんの顔は知らないようだったけど……)
その部屋は大広間だった。
黒鉄屋敷は何度か改築していて、今の武家屋敷のような大所帯になる前の建物は戦前からあると聞く。
目の前にある大広間は、安曇が知るものより綺麗に見えた。柱に背丈比べのような小さな傷がいくつか見える。
それは安曇の知っている大広間ではない。つまりこれは──叔父の記憶ではない。
「……」
紫煙は大広間の奥へと流れている。まだ、進まなければならない。
安曇はそっと大広間に足を踏み入れた。
「……ん?」
足が──
まるで縫い停められるように重くなった。見れば何かが絡みついている。
床の畳がキラリと光った。
「どうした?」
懐かしむように入口の柱を撫でていた彼女は、安曇の様子に気づいて部屋に入ろうとする。
「待ってください、床に何かある」
「床?」
継葉はじっと目をこらし、軽く屈んでそれに触れる。
「……糸だな」
「糸……?」
覗き込んだ安曇はハッとする。
畳の上にキラキラと光る糸が縦横無尽に伸びていた。
継葉が確かめるように触れると、それはべたりとくっついて粘り気をみせた。
(蜘蛛の糸!)
「この近くに……!?」
安曇は慎重に周囲を見回す。
静かな大広間は、蜘蛛の糸が床を這う以外おかしなところはない。
「おそらくな。警戒するんだ」
「はい……!」
安曇は刀で糸を斬って前方を睨んだ。
(つまり……あいつが近い……!)
音も風もないツギハギだらけの空間。
いつの間にか、あれだけ湧いていた影の気配すら感じられない。
継葉は通り道の糸を斬り、奥の扉へと進んでいく。安曇は周囲を警戒しながらその背中を追った。
扉の向こうは渡り廊下となっていた。
手すりのついた橋のような廊下は長く、廊下の下に地面はない。そこには暗闇が広がるばかりだった。
「ここは?」
「混ざりあって溶けて、もうほぼ何も残ってないんだろうな……。ここでは私も形を作りにくい」
継葉は苦い顔をしている。
道を作ろうにも、ぐちゃぐちゃに混ざっていて支配しにくいようだった。
安曇は下の闇を覗き込み、底の見えなさにゾッとする。冷気が込み上げてきているようだった。
(こんなものに叔父さんが混ざってしまったら……!)
助けたらどうなるのかなんてわからないが、叔父がここに混ざってしまう、消えてしまうということに激しい嫌悪があった。
安曇は煙管を巻いた包帯を確認し、深く息を吸って前を見た。
蜘蛛の糸は前方の扉から渡り廊下や、その下の闇と建物を繋ぐように伸びている。
警戒しながら渡り廊下を進んでいく。
半ばまで進んで見えてきた奥の建物は、大きな日本家屋のようだった。
「……あれは」
その入口に見覚えがある。
鉄の両開きの扉は、ここ最近安曇が何度も通ったもの。
(対の館──!?)
安曇の知る館に複合的にいろいろな建物がくっついてしまっているが、確かにそれは対の館だった。
つまりここの記憶は、対の館を知っている誰かのものだ。
「叔父さん……!」
あそこにいるかもしれない。
煙管の紫煙は確かにそこを指している。
さすがに無謀に踏み出すのは躊躇われた。前の失敗は安曇に苦い記憶を刻み込んでいる。
安曇は継葉を振り返りそして──それが、結果として継葉を救った。
──ズズ……
「師匠!!」
「!?」
継葉のすぐ横の廊下が瓦礫となって落ちていく。
安曇の声で気づいた継葉は横に飛び、その場所もまた落ちていった。
それを合図に。
対の館と渡り廊下が次々と崩れ始める。
落ちた残骸は糸に絡んで宙に浮き、さながら浮島が点々とあるように見える。
「記憶が溶けるぞ! 巻き込まれるな!!」
「でもあそこに……!?」
「言ってる場合か!?」
「っ!!」
煙管はあの場所を指しているのに──!
紫煙は確かに対の館を……そう思って視線を向けたのだが。
前方へ流れていたはずの紫煙は、なぜか上を指していた。
「──」
慌てて上を向けば安曇のすぐ上。
ほんの1メートルの距離に、たくさんの赤黒い目を光らせた蜘蛛の影がいた。
安曇の喉がヒュッと鳴り、体が固まる。
「安曇!!」
「!!」
その声に咄嗟に距離を取ろうと飛び退くが、蜘蛛の口から出た糸が安曇の腕に巻き付く。
「っあ!!」
傷だらけの腕に激痛が走り、一瞬目の前がチカチカと明滅する。
「くそっ!!」
継葉が走って戻ってくるが、安曇は蜘蛛に振り回されるように引っ張られ、宙に浮いた。
「うっ!!」
まるでスローモーションのように、安曇の視界は空へと投げ出された。衝撃に傷が引き攣り、全身が引きちぎられそうになる。
「──」
痛みで意識がぐらりと揺れる。
『お前もまだまだガキだねぇ』
懐かしい声が笑った──気がした。
「──安曇ぃ!!」
「!!」
継葉の声に気づけば、安曇は蜘蛛の上まで飛ばされていた。グッと歯を食いしばり、握り直した刀を振り上げた。