そもそも安曇は、他人を全く気にしない。
気にすることがあるとすれば、自分がやりたいと思ったことが自分の力不足でできない場合のみだった。
そしてそれらはだいたいにして、努力すれば解決してしまったのだ。
誰のことも必要に思わなかった。なぜなら全て自分で解決できたからだ。
そんな独自の世界を持つ子供は、当然のように周囲に理解されることはなかった。
奈落が広がる上空で、安曇は刀を振り上げる。糸の力で引き寄せられて、落ちるの先は蜘蛛の口。
──キュオォォ……
クチャリと音を立てて開かれた大きな口は、奈落の闇よりなお暗いところに思えた。
(食われる──!!)
不思議と全く恐ろしくはない。その先に何があるのか、知っているからかもしれない。
誰に理解されなかったとしても、安曇はさほど気にしなかった。馬鹿にされようと、理不尽な扱いを受けようと。
けれどそんな安曇とよく似た考え方を持っていて、その中でも上手く渡っている人を見つけたから。
(叔父さんはすごい)
安曇がそう認めてしまった。
ひとつの憧れであり、目標であり、居場所でもあった。
だから。
闇を内包する口に刀を突き立てる。
明確な殺意を持って。
斬れることを確信して──斬る!
──ギュオオォオ
顔を削ぎ落とすように斬り裂くと、蜘蛛は悲鳴をあげて身体を揺らす。
落とされれば奈落だ。安曇は蜘蛛にしがみつく。
「っ!!」
触れた先から死水に触れた時のような激痛が走るが、落ちるわけにはいかない。
(ここで落ちたら、叔父さんを救えない!!)
手が焼けるような痛みを無視して、刀をさらに振り上げる。が。
──ヌチャリ
「──」
刀を振り上げた手が止まる。
そこにあったのは顔だった。
蜘蛛の赤黒い目が、全て人間の顔になっている。何十という顔が、安曇を見つめた。
「っ!」
その顔のいくつかに、安曇は見覚えがあった。
(リストの……!)
呪いを調べていた時に見た、呪われた人間の写真。つまり、お役目をこなしてきた継承者の顔がそこにあった。
刀を持つ手が震える。
蜘蛛がなぜ叔父を食おうとしているのかわかった気がした。この蜘蛛は──継承者たちの命の塊だ。
その縁が叔父を喰らい、そして安曇を追いかけたのだ。
彼らの顔はどこか苦しげで、安曇は咄嗟に叔父を探してしまう。
(ない……)
安曇は安堵と共に複雑な気持ちになる。
まだ飲み込まれていないからかもしれない。混ざってしまえばこの苦しみとひとつになるのかと、安曇は戦慄する。
刀をギュッと強く握り直した。
まだこの中に閉じ込められているのなら、この位置から蜘蛛を斬れば叔父も斬ってしまうかもしれない。
(どうすれば──!?)
顔たちは赤黒い目をギョロリと安曇に向ける。そして安曇の躊躇いに気づいたのか、蜘蛛はピョンッと飛び上がり、糸から奈落を超えて建物の近くに飛び移る。
振り落とされそうになった安曇は、必死で蜘蛛に刀を突き立ててぶら下がった。
ギュオオ!!
蜘蛛を──彼らを斬ることに躊躇いが出る。
彼らは必死で守り抜くことを自分たちで決めた、安曇側の存在だ。それを斬るということは、その意志を、決断を。彼らを殺すことにならないか。
(どうしてこんな……!)
叔父のことも、彼らのことも、安曇はとてもすごいと思う。尊敬している。だけど、だからこそこんな終わりはあんまりだと思った。
「叔父さんを!! 返せ!! 巻き込むなよ!!」
全て救う力なんて安曇にはない。だから──選ぶしかない。
(頼むから!!)
こんな終わりに叔父まで巻き込まないでほしい。もう終わりにしてほしい。
罪悪感を押し殺し、安曇は顔に刀を突き立てる。
「安曇!!」
継葉がどうにか道を作って走ってきたが、その動きにいくつかの赤黒い目がギョロリと向かう。蜘蛛は継葉に向けて糸の束を吐き出した。
「くそっ!!」
継葉は悪態をつきながら糸を斬っていく。
安曇は継葉を見る顔を斬り裂いた。斬るたびに悲しげな声を上げ、苦しげな表情を浮かべてくる。
まるで何人もの先達を斬り殺しているようで、安曇は吐き気を感じる。
今まで戦ってきた彼らに、こんなことをしたいわけじゃない。
(それでも──)
全てを諦められるようなら、こんな場所には来ていない。
どうしたら、何をしたらあの人を救えるというのか。
こんなものに飲まれたくない。他の誰を切り捨てたとしても、どうしても助けたいのに……!
安曇の絶望を感じ取ったのか、糸を振り切り、継葉が強く叫んだ。
「斬れると思えば斬れる!! 斬りたいものを!! 斬れ!!」
「!」
斬りたい……ものを。
──キュオオオオ!!
安曇が刀を振りかぶるのと、蜘蛛が叫んだのはほとんど同時だった。
縦横無尽に張られた糸と蜘蛛の身体が震える。
周囲の闇が、奈落そのものまでもが呼応するようにぐにゃぐにゃと歪み出す。
グラグラ揺れる足場を蹴るようにして、安曇は刀を大きく振り上げる。
──ギュオオォォオオオ!!
斬りたいものを斬り、斬りたくないもの──叔父のことだけは……
「──斬らない!!」
叫んで振り下ろした。
安曇の斬撃は蜘蛛が纏う縁を切り伏せ、そしてただひとつ。安曇の願いそのものだけは、斬らずに影を両断する。
蜘蛛の影は飛び散るように霧散したのち、ぐにゃりと意志を持つように落ちていった。
──そしてその砕ける影、その中央に。
「!」
まるで生前元気だった頃の姿の叔父が、空中に投げ出された。