黒き蛇は死水に潜る   作:御月ケイ

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第2話 黒鉄の呪い

 

 

 放課後──

 

 黒鉄屋敷の大広間は、夕日が障子越しに長く伸び、畳を赤く染めている。

 

 その中央に、黒鉄組の要職を担う大人たちが並んでいた。下っ端は外で待たされる。これは黒鉄組特有なのかもしれないが、理由は知らない。

 

 議題についてヒソヒソと声が漏れるが、時たまチラリと視線が飛び交うだけで内容は聞こえない。

 

 そして、そんな中に子供がふたり。

 小学校から帰った総司と安曇だ。

 

 どうして子供まで呼ばれたのだろうか。いつもと違う、その事実はどこか不穏だ。

 

 まだ叔父も、父──組長である柘植隆盛《つげりゅうせい》も来ていない。

 

チッ……チッ……チッ……

 

 時計の針の音だけが、やけに耳に響いた。

 

(叔父さんは会議で何を見せたかったんだろう)

 

 黒鉄の呪いに似た病は、今のところ見つかっていない。だから視点を変えて、これまで呪いを継承した者たちを調べてみた。その結果──返って疑問点が増えてしまった。

 

 重苦しい空気を無視した安曇は、時計の針を見つめながら静かに思案する。

 

(まず、黒鉄の歴史を調べた方がいいか……)

 

 そこまで考えた時、スラリと襖が開いた。

 

「おめぇら、待たせたなぁ」

 

 ビシッと音が鳴るように、組長の姿が見えた瞬間に全員が居を正す。その空気に気圧されるように、隣の総司が僅かに息を飲んだのがわかった。

 

「では、始めるぞ」

 

 父は上座に腰を下ろし、一同を見回した。

 横の席にいた父の腹心──瀬良暁斗《せらあきと》が持っていた資料をめくる。

 

 安曇は視線だけで、今日自分を呼んだ人を探す。どこにもいない。

 

 なぜ、と聞く間もなく、父が感情のない声でこう告げた。

 

「隆明の容態が思わしくねぇ」

 

(──え)

 

 幹部たちの間を波のようなざわめきが走る。興味、憶測、そして恐怖。

 

「まさか呪いが……」

「そんな……」

 

 叔父は組長の弟だが、組ではどこか浮いた存在だ。直接組の仕事をしているのを見たことがない。ふらりと出かけては、怪我をして戻ってくる日もある。

 

「ここ数日、起き上がるのも難しくなってきています」

 

 瀬良の説明に、安曇は目を丸くする。

 

(そんな……朝は大丈夫そうだったのに)

 

「……」

 

 そのはずだ。いつもと変わらない笑顔だった。話し方も声も、何も変わらなかった。

 

 ──急変?

 

 息が止まりそうになる。背中にヒヤリとしたものが落ちた。

 

『幹部会があるから』

 

(いや……)

 

 違う。

 そもそもいつも呼ばれることのない幹部会に、わざわざ呼ばれたことを考えれば。そして瀬良が嘘をつく理由などない。だから──

 

 

 叔父は、朝。安曇に会う前から起き上がれなかったのだ。

 指の先から冷えていくような感覚に陥る。

 

「やはり呪いが……」

 

 ひときわ体の大きな幹部が眉を寄せる。

 

「──つまり、慣例通り隔離すべき、ということですな」

 

 最年長の幹部である奥村は口ひげを撫でながら、窓の外をチラリと見る。それを見ていた横の筋骨隆々の幹部が、バンッと畳を殴った。

 

「はぁ!? 口を慎みなさいよ、このジジイ」

 

「呪われた者は隔離する。これが本来の黒鉄の慣わしよ。てめぇこそ口を慎みな、龍之介」

 

「あぁ!?」

 

「静かに!」

 

 瀬良の一喝で二人が沈黙する。横で父が一同をギロリと見回した。

 

「安曇」

 

 隆盛が安曇に視線を向ける。

 

「お前には、対の館の管理を任せる」

 

「──」

 

(それは)

 

 館を継ぐのは常に呪われた子だ。理由は知らないが、父が安曇をそう見ているということになる。でもそんなことよりも。

 

『やっぱり次は……』

 

 誰かがそう言ったがどうでも良かった。

 

「叔父さんは……どうなるの?」

 

「安曇、会議中だぞ」

 

 隣の総司が何か言っている。それがなんだと言うのか。

 森にある対の館。その館を管理していたのは……叔父のはずなのだ。

 

「……聞いていなかったのか? もう長くはもたん」

 

「っ」

 

 安曇は思わず息を飲む。幹部会の不穏な空気と叔父の朝の表情が交差する。

 

『──呪いはあるぞ』

 

「でも……」

 

 否定しようとして、否定の言葉が浮かばなかった。だから代わりに父に聞いた。

 

「……呪いって……何なんですか」

 

(せめて父さんが違うと言ってくれれば……)

 

 呪いなんて時代錯誤なものは存在しない。古くからある病だと言ってくれれば。

 安曇の強ばった顔を見て、父は小さくため息をつく。

 

「それは隆明から聞くことだ」

 

「っ」

 

 父の声はどこまでも無機質、感情の一欠片も見えない。誰も救ってはくれない。

 

(ああ、やっぱり)

 

 この父親に期待するだけ無駄だった。心が冷たくなっていく。

 

「この件は以上だ。そのために総司と安曇も呼んでんだ。幹部ともあろう者が無様なことをするんじゃねえ。議題に移るぞ」

 

 シン……と静まったのを確認し、瀬良がページをめくる。

 

「では、次に──」

 

 まるで何もなかったかのように議題は進む。人の命など、何の意味もないというように。資料をめくる音と、瀬良の声だけが広間に響く。

 

「……」

 

 安曇はギュッと手を握りしめた。

 

『呪いが消えたわけでは──』

ヒソヒソと囁きが聞こえる。

 

『次は安曇坊ちゃんで確定か?』

チラチラと視線が投げられる。

 

 そのたびに心が冷える。呪いが怖いとは思わない。けれど。

 

(僕は……無力だな)

 

 呪いなんて不確かな存在に振り回されたくない。それでももし本当に呪いだとするなら原因があるはずだ。病だとわかれば、この医療社会なら治療法を探せるはずだ。

 

 ──そうやって、助ける方法を探していたはずだった。

 

 たかが十歳の子供に何ができる?

 

 事実を突きつけられた気がした。不安定だった足元が、急激に崩れるような感覚に陥る。ただ、悔しかった。

 

 

 いつの間にか会議は終わり、バラバラと幹部たちが席を立っていた。

 

 

『お前は呪いに呼ばれてる』

 

 叔父の声が聞こえた気がした。

 

──ザアァ

 

「……」

 

 安曇はしばらく動けずに、人のいなくなった畳を見つめていた。

 夕方から降り出した冷たい雨の音だけが、広間を現実に繋ぎ止める。部屋を照らしていた赤い陽の色は、いつの間にか薄暗い青に変わっていた。

 

 

 

 

 噂はあった。呪われるのは安曇だという。

 

(対の館、か)

 

 その館は、話題にしてはいけない場所。黒鉄組ではそう扱われている。立ち入り禁止の森の奥にある、ボロボロの館だ。

対の館という名前の由来は聞いたことがない。

 

 はじめて館の名前を教えてくれた叔父は、その館が呪われた子供を隔離する施設だと説明した。そして……

 

「いやぁ、馬鹿らしいだろ」

 

 そう笑って切り捨てた。

 

 隔離という慣例を破ったのは叔父自身らしい。話によると、当主を継いだ父が黙認し、幹部たちを黙らせたとか。

 

(叔父さんらしいな……)

 

 やりたいようにやる。そしてそれを周りに認めさせる。そういう人だ。

 

 

──サアア

 

 雨の音がする。梅雨の晴れ間は終わりを告げたようだった。

 

「……」

 

 全てが嘘のように思える。

 

(どうするべきだろうか)

 

 まず、叔父の容態を確かめなければ。

 

 家族なんていても遠い存在な家の中で、実の父親より父親のような存在。全く弱みを見せない人だし、安曇の前では特に見本であるように立つ人だった。それでも急変した可能性も捨てきれない。

 

 安曇は誰もいなくなった広間から、叔父の部屋に行こうと廊下に出る。薄暗い廊下を照らす蛍光灯が、外と中の影をより強くしていた。

 その薄闇に包まれた湿った廊下を、安曇はひとり歩いていく。

 

 呪いが発症するのはいつなのだろう。

 呪われた人間の共通点も、原因と思われるものも探し尽くした。それでも何も見つからない。

 

(なら……)

 

 ──こちらから行けばいい。

 

 呪われてしまえばいい。

 それで掴めるものがあるなら喜んで呪われてやる。

 

 必ず暴いてやるから。それがどんなものであれ、安曇に逃げる理由はない。大切なものは決まっている。

 

「でも……呪いを解けないから呪われに行こうなんて」

 

(叔父さんが知ったら嫌がるだろうな……)

 

 自嘲するように笑った。そこに。

 

「う……うぅ……」

 

 玄関の方から野太い泣き声が聞こえてきて、安曇は思わず足が止まる。

 

「ジュリアさん……」

 

「無理よ……隆明さんが死ぬなんて……」

 

 まるで通夜か何かのようなその声に、安曇は眉を顰めた。

 

(どうして誰も……)

 

 叔父を呪いから救おうと思わないのか。

 なぜ当たり前のように受け入れるのか。

 

 泣くほど大切に思うのなら、抗えばいいのに。

 

 安曇は諦めたくない。

例え自分が呪われようと、二十歳で死ぬことになろうとも。

 

(わけのわからないものに、奪われるなんてごめんだ)

 

 安曇は叔父の部屋に足を向けた。

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