放課後──
黒鉄屋敷の大広間は、夕日が障子越しに長く伸び、畳を赤く染めている。
その中央に、黒鉄組の要職を担う大人たちが並んでいた。下っ端は外で待たされる。これは黒鉄組特有なのかもしれないが、理由は知らない。
議題についてヒソヒソと声が漏れるが、時たまチラリと視線が飛び交うだけで内容は聞こえない。
そして、そんな中に子供がふたり。
小学校から帰った総司と安曇だ。
どうして子供まで呼ばれたのだろうか。いつもと違う、その事実はどこか不穏だ。
まだ叔父も、父──組長である柘植隆盛《つげりゅうせい》も来ていない。
チッ……チッ……チッ……
時計の針の音だけが、やけに耳に響いた。
(叔父さんは会議で何を見せたかったんだろう)
黒鉄の呪いに似た病は、今のところ見つかっていない。だから視点を変えて、これまで呪いを継承した者たちを調べてみた。その結果──返って疑問点が増えてしまった。
重苦しい空気を無視した安曇は、時計の針を見つめながら静かに思案する。
(まず、黒鉄の歴史を調べた方がいいか……)
そこまで考えた時、スラリと襖が開いた。
「おめぇら、待たせたなぁ」
ビシッと音が鳴るように、組長の姿が見えた瞬間に全員が居を正す。その空気に気圧されるように、隣の総司が僅かに息を飲んだのがわかった。
「では、始めるぞ」
父は上座に腰を下ろし、一同を見回した。
横の席にいた父の腹心──瀬良暁斗《せらあきと》が持っていた資料をめくる。
安曇は視線だけで、今日自分を呼んだ人を探す。どこにもいない。
なぜ、と聞く間もなく、父が感情のない声でこう告げた。
「隆明の容態が思わしくねぇ」
(──え)
幹部たちの間を波のようなざわめきが走る。興味、憶測、そして恐怖。
「まさか呪いが……」
「そんな……」
叔父は組長の弟だが、組ではどこか浮いた存在だ。直接組の仕事をしているのを見たことがない。ふらりと出かけては、怪我をして戻ってくる日もある。
「ここ数日、起き上がるのも難しくなってきています」
瀬良の説明に、安曇は目を丸くする。
(そんな……朝は大丈夫そうだったのに)
「……」
そのはずだ。いつもと変わらない笑顔だった。話し方も声も、何も変わらなかった。
──急変?
息が止まりそうになる。背中にヒヤリとしたものが落ちた。
『幹部会があるから』
(いや……)
違う。
そもそもいつも呼ばれることのない幹部会に、わざわざ呼ばれたことを考えれば。そして瀬良が嘘をつく理由などない。だから──
叔父は、朝。安曇に会う前から起き上がれなかったのだ。
指の先から冷えていくような感覚に陥る。
「やはり呪いが……」
ひときわ体の大きな幹部が眉を寄せる。
「──つまり、慣例通り隔離すべき、ということですな」
最年長の幹部である奥村は口ひげを撫でながら、窓の外をチラリと見る。それを見ていた横の筋骨隆々の幹部が、バンッと畳を殴った。
「はぁ!? 口を慎みなさいよ、このジジイ」
「呪われた者は隔離する。これが本来の黒鉄の慣わしよ。てめぇこそ口を慎みな、龍之介」
「あぁ!?」
「静かに!」
瀬良の一喝で二人が沈黙する。横で父が一同をギロリと見回した。
「安曇」
隆盛が安曇に視線を向ける。
「お前には、対の館の管理を任せる」
「──」
(それは)
館を継ぐのは常に呪われた子だ。理由は知らないが、父が安曇をそう見ているということになる。でもそんなことよりも。
『やっぱり次は……』
誰かがそう言ったがどうでも良かった。
「叔父さんは……どうなるの?」
「安曇、会議中だぞ」
隣の総司が何か言っている。それがなんだと言うのか。
森にある対の館。その館を管理していたのは……叔父のはずなのだ。
「……聞いていなかったのか? もう長くはもたん」
「っ」
安曇は思わず息を飲む。幹部会の不穏な空気と叔父の朝の表情が交差する。
『──呪いはあるぞ』
「でも……」
否定しようとして、否定の言葉が浮かばなかった。だから代わりに父に聞いた。
「……呪いって……何なんですか」
(せめて父さんが違うと言ってくれれば……)
呪いなんて時代錯誤なものは存在しない。古くからある病だと言ってくれれば。
安曇の強ばった顔を見て、父は小さくため息をつく。
「それは隆明から聞くことだ」
「っ」
父の声はどこまでも無機質、感情の一欠片も見えない。誰も救ってはくれない。
(ああ、やっぱり)
この父親に期待するだけ無駄だった。心が冷たくなっていく。
「この件は以上だ。そのために総司と安曇も呼んでんだ。幹部ともあろう者が無様なことをするんじゃねえ。議題に移るぞ」
シン……と静まったのを確認し、瀬良がページをめくる。
「では、次に──」
まるで何もなかったかのように議題は進む。人の命など、何の意味もないというように。資料をめくる音と、瀬良の声だけが広間に響く。
「……」
安曇はギュッと手を握りしめた。
『呪いが消えたわけでは──』
ヒソヒソと囁きが聞こえる。
『次は安曇坊ちゃんで確定か?』
チラチラと視線が投げられる。
そのたびに心が冷える。呪いが怖いとは思わない。けれど。
(僕は……無力だな)
呪いなんて不確かな存在に振り回されたくない。それでももし本当に呪いだとするなら原因があるはずだ。病だとわかれば、この医療社会なら治療法を探せるはずだ。
──そうやって、助ける方法を探していたはずだった。
たかが十歳の子供に何ができる?
事実を突きつけられた気がした。不安定だった足元が、急激に崩れるような感覚に陥る。ただ、悔しかった。
いつの間にか会議は終わり、バラバラと幹部たちが席を立っていた。
『お前は呪いに呼ばれてる』
叔父の声が聞こえた気がした。
──ザアァ
「……」
安曇はしばらく動けずに、人のいなくなった畳を見つめていた。
夕方から降り出した冷たい雨の音だけが、広間を現実に繋ぎ止める。部屋を照らしていた赤い陽の色は、いつの間にか薄暗い青に変わっていた。
噂はあった。呪われるのは安曇だという。
(対の館、か)
その館は、話題にしてはいけない場所。黒鉄組ではそう扱われている。立ち入り禁止の森の奥にある、ボロボロの館だ。
対の館という名前の由来は聞いたことがない。
はじめて館の名前を教えてくれた叔父は、その館が呪われた子供を隔離する施設だと説明した。そして……
「いやぁ、馬鹿らしいだろ」
そう笑って切り捨てた。
隔離という慣例を破ったのは叔父自身らしい。話によると、当主を継いだ父が黙認し、幹部たちを黙らせたとか。
(叔父さんらしいな……)
やりたいようにやる。そしてそれを周りに認めさせる。そういう人だ。
──サアア
雨の音がする。梅雨の晴れ間は終わりを告げたようだった。
「……」
全てが嘘のように思える。
(どうするべきだろうか)
まず、叔父の容態を確かめなければ。
家族なんていても遠い存在な家の中で、実の父親より父親のような存在。全く弱みを見せない人だし、安曇の前では特に見本であるように立つ人だった。それでも急変した可能性も捨てきれない。
安曇は誰もいなくなった広間から、叔父の部屋に行こうと廊下に出る。薄暗い廊下を照らす蛍光灯が、外と中の影をより強くしていた。
その薄闇に包まれた湿った廊下を、安曇はひとり歩いていく。
呪いが発症するのはいつなのだろう。
呪われた人間の共通点も、原因と思われるものも探し尽くした。それでも何も見つからない。
(なら……)
──こちらから行けばいい。
呪われてしまえばいい。
それで掴めるものがあるなら喜んで呪われてやる。
必ず暴いてやるから。それがどんなものであれ、安曇に逃げる理由はない。大切なものは決まっている。
「でも……呪いを解けないから呪われに行こうなんて」
(叔父さんが知ったら嫌がるだろうな……)
自嘲するように笑った。そこに。
「う……うぅ……」
玄関の方から野太い泣き声が聞こえてきて、安曇は思わず足が止まる。
「ジュリアさん……」
「無理よ……隆明さんが死ぬなんて……」
まるで通夜か何かのようなその声に、安曇は眉を顰めた。
(どうして誰も……)
叔父を呪いから救おうと思わないのか。
なぜ当たり前のように受け入れるのか。
泣くほど大切に思うのなら、抗えばいいのに。
安曇は諦めたくない。
例え自分が呪われようと、二十歳で死ぬことになろうとも。
(わけのわからないものに、奪われるなんてごめんだ)
安曇は叔父の部屋に足を向けた。