黒き蛇は死水に潜る   作:御月ケイ

20 / 67
第20話 虚ろに溶ける

 

 

「ぐっ!!」

 

 蜘蛛の糸に絡まった瓦礫にぶつかるようにしがみつく。その衝撃にボロボロの全身が悲鳴をあげる。

 

 服から滲み出した血が、奈落の底へぽたり、ぽたりと落ちていった。

 

「は……はぁ……あ」

 

 手が届きそうな位置に、助けたいと願ったその人がいる。痛みに意識が明滅する中で、その姿ははっきりと目に焼き付いた。

 

 糸に絡まり宙吊りになっているその姿に、安曇は震える手を伸ばす。

 あと少しで触れられる、そう思った時。叔父の目が薄らと開いた。

 

「お──」

 

「安曇! まだだ!!」

 

 継葉の叫びにハッと周囲を見れば、飛び散った影があちこちで歪み、奈落の闇と溶け合って形を作っていく。

 

 それはまるで、奈落の底から顔を出す巨大なウツボのようで──穴のような瞳にゾッとする。

 

 その大きさは、ビルほどにもなるだろうか。

 

(なんだ、あの化け物……あと少しなのに──!)

 

 安曇がさらに強く上半身を乗り出したその時──

 

『安曇』

 

「!」

 

 懐かしい声が聞こえた。

 気のせいだったのかもしれないし、願望からの幻聴だったのかもしれない。

 けれど安曇が顔を上げれば、懐かしい視線と目が合う。

 

「お……」

 

 安曇が声を上げようとした、その時。

 

 ──ドンッ!!

 

 あと少しで手が届く。そう思っていた相手は、思い切り安曇を突き飛ばした。

 突然の衝撃に押されるように、安曇は継葉のあぜ道に投げ出される。鈍い痛みを無視して顔を上げれば。

 

「おじさ──!」

 

 ──ばくん

 

 安曇の目の前で。

 

 赤黒い光をその穴のような目に宿らせたウツボが飛び出す。

 そして蜘蛛の残骸と、蜘蛛の巣に囚われていた叔父を──飲み込んだ。

 

「──」

 

 息が止まる。

 目を逸らすことができなかった。

 全身が小刻みに震えている。

 

 ウツボは瓦礫すらぐにゃぐにゃと飲み込む。そして大きく飛び上がったあと、水面を飛んだ魚のように、再び奈落へと飛び込んでいった。

 

 安曇の絶望を飲み込んだまま。

 

「……ぁ……」

 

 最後に目が合った叔父は笑みを浮かべていた。──いつもと同じ、揶揄うような微笑みを。

 

「う……あ……」

 

 ぬらりと動く影のウツボは、そのまま奈落へと泳いでいく。ゆらゆらと沈み、回遊するように円を描く。

 

 泳いでいる音が聞こえるようだ。

 楽しそうに、嘆く安曇を嘲笑うように。

 

 身体の痛みより呼吸すらできない胸の中の重りが苦しい。

 

(僕はそんな風に!!)

 

 守られたくなんてなかった。

 

「あああ!!」

 

 瓦礫を掴む指が、掴めない石を引っ掻く。ザリッと指先が抉れたが痛みはわからなかった。

 

 ──どうして!!

 

 取り戻したいと願って、何が悪い!?

 何故? どうして奪っていく!?

 

 ウツボの動きに煽られたように揺れる身体が、しがみつく腕と肩が全身に限界を訴えている。それすら最早わからなかった。

 

 心地よい場所だと思った。

 その場所に……いたいと思った。

 それだけだ!!

 

 だから──だから、ここまで来たのに!!

 

「ふざけるな──!!」

 

 安曇は自分の命なんて惜しくない。

 

 意識を引き裂くような全身の痛みも、消えそうになる意識も全部無視して、迷うことなく安曇は奈落に飛び込んだ。

 

「──!」

 

 うしろで継葉の声が聞こえたが、頭には入らなかった。

 

 ──シュオオオオ

 

 落ちてくる安曇に気づいたのか、ウツボは空気が抜けるような音で吠えると頭をぬらりと上に向け、上昇を開始する。

 

 落下すら恐怖はなかった。怖いのは落ちることでも、目の前の化け物に食われることですらなく、ただ失われてしまうことだけだ。

 

(逃がさない!!)

 

 ──ドガッ!!

 

「ぐっ!!」

 

 登ってきたウツボの鼻に落ちる勢いのままに刀を突き刺すが、ウツボの登る勢いの方が早かった。

 

 体当たりされるような衝撃に意識が飛びかける。

 

「かはっ」

 

 口から赤いものが零れる。

 呼吸が乱れ、ヒューヒューと音がした。

 

 刀ごと両手がズブリと影にめり込み、激痛が走り、全身に痺れが広がっていく。

 意志の力でどうこうなるところを超えていた。

 

「っあ……」

 

 今どこにいるのかもわからない。

 浮遊する感覚は、安曇が唯一感じられたものだった。

 

 放り投げられるように再び上空まで突き上げられ、ウツボが下から大きな口を開く。

 

「……」

 

(飲み込まれたら……叔父さんに会えるだろうか……)

 

 ギザギザの牙が見えて、安曇は終わりを悟る。

 

 指一本動かすのも億劫だ。

 視界はボヤけ、今が永遠に続くのではないかという気がした。

 

 ……いたいと思う場所にいて、何が悪い?

 欲しいものに手を伸ばさない馬鹿がいるか?

 

(だけど届かなかった)

 

 指先から意識がほどけていく感覚。

 何も残らない、何も無い。

 これが混ざるということだろうか?

 

 ならいっそ、このまま食われて混ざるのも──

 

「すまない」

 

 それは静かな声だった。

 

 耳に届いた謝罪。

 それは、最近師と仰いだ女性の声。

 

 次の瞬間。

 安曇の目の前で、雷光のような斬撃にウツボの首は両断された。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。