ボロボロとウツボは壊れていき、崩れた身体は瓦礫となって辺りに落ちる。
混ざりあったものがわかたれた……安曇にはそう見えた。
浮島が増えていく。
──ガッ!!
落下した安曇はそのひとつに激突し、転がり落ちていくつもの浮島に当たる。そのたびに意識は削られていき、痛みで何度も呼び戻される。
「うぐっ!!」
最終的に跳ねるように落ちた先は、継葉のあぜ道だった。
「あ……ぅ……」
カラン……
目の前に煙管が落ちてくる。
視線を彷徨わせれば、腕は包帯もちぎれ、黒と赤がぐちゃぐちゃに混ざった塊と果てていた。
「ぅう……」
赤黒い腕を、どうにか引きずるように煙管に伸ばす。
(届……いて……)
祈るような気持ちで這いずった安曇のそばに、散らばった影が落ちてくる。
それは小魚のように散らばり、あぜ道に落ちた煙管をパクリ、と飲み込んで去っていった。
「……ぁ……」
喉から零れる音はもはや形にならず、ただ胸に穴を開けるばかりだった。
身体を起こそうとしても、どこに力を入れていいのかわからない。すでに腕には感覚がなく、指一本動かなかった。
(叔父さん、は──)
視界がぼやける。
魚はゆらりゆらりと離れていく。遠く、遠くに消えていく。
最後の、あの人との縁が。
「──」
終わってしまったのだという想いが、身体の傷以上に安曇をズタズタに引き裂いていく。
ヒューヒューと喉が鳴った。
今自分は何をしているのだろう。
何を見ているのだろう。
どうしてここには、何もないのだろう。
ボロボロと混ざりあう。
安曇が流れていく。
そして何か……別のものが流れてくる。
混ざっていく……。
「お前……」
その泣くような声に、ふ……と意識が繋ぎ止められた。
蜘蛛の糸に塗れた継葉が苦い顔で寄ってくきていた。そして倒れている安曇のそばにしゃがみこみ、俯く。
「……し……しょう?」
声を出す気力も体力も残っていなかった。掠れた声で呼べば、継葉はぽたぽたと涙を落とした。
「お前……頼むから──そんな子供なのに、なんで……! なんで命を粗末にするんだよ」
なぜ……だろうか。
それは安曇にもよくわからなかった。
強いていうなら、居場所を守ろうとしたに過ぎない。結局のところ、自分の心を守ろうとした。それだけだと思う。
それがないと息ができない。
だから守ろうとしただけ。
(だから僕は……)
「生きてくれ」
「──」
継葉の声は静かで、けれど絞り出すような、泣き叫ぶような響きがあった。
安曇はどう反応していいのかわからない。そもそも指一本動かないのだ。
「まだお前には、帰る場所もあるじゃないか。今その場所が気に食わなくても、お前ならいくらでも変えていける! お前にはその力があるよ……!!」
どうして。
弟子だとしても、まだ出会って間もない子供にそんなことを懇願するのだろう。どうして信じられるんだろう。
『お前はなりたいものになれる』
そう言ってくれたのは叔父だった。
血を吐くような継葉の言葉は、粉々になった安曇に緩やかに染み込んでいく。
安曇は目を閉じ、確かな温度を感じる。
「だから……頼むから! 死なないでくれ!!」
「……はい、し、しょう」
小さく苦笑すると、それだけで痛みが走る。ああ……まだ、生きている。
「あずみ……」
「僕は……諦めたく、ありません」
「……」
生きると約束する。けれど諦めない。それは許されるだろうか?
「……これが、僕なりの、ケジメ……なので」
生き方だから。
「……わかった。お前の気の済むまで付き合うよ」
継葉は涙を拭って頷いた。
「だから、一度戻ろう。私が必ず、手立てを探してやるから」
優しく、けれど固い決意を感じる声だった。安曇は自分の体を、動かない腕をぼんやりと見つめて、静かに息を吐く。
「……はい、師匠」
あぜ道の横はまだ闇が深く。
奈落に浮かぶ瓦礫はまだ消えることもない。
せめて解放するその時まで。
諦めたくない、安曇はゆっくり目を閉じた。
***
継葉が泣きながら安曇を抱えて帰った日から、三日が過ぎた。
現実世界はどうなっているだろう。騒ぎになっているかもしれない。
(いや……)
あの父がそんな真似をするとは思えない。隠蔽されているはずだ。
もしかしたら死んだことにされているかもしれないが。
あの怪我で死水を潜るのは無理だと判断した安曇は、継葉の対の館で療養に努めていた。
動けないことが歯がゆくもあったが、生きろという言葉が自分で思うより大きく響いているようだ。無謀に走ろうとは思えなかった。
「……」
黒く染まった指先をじっと見つめる。
指の感覚はだいぶ戻ってきていたが、あの混ざりあった感覚は今も奇妙に残っている。
(少し……感覚が広がった気がする)
死にかけるほどに混ざった影響か。前よりおそらくできることは増えているだろう。死水にも以前よりは抵抗できるかもしれない。
対の館の窓を開けると、田園風景が広がっていた。
継葉は例の奈落を調べに行っている。
「……」
あの日、混ざった末に見えたもの。
感覚だけではなく、確かに流れ込んできた映像があった。
(誰かの……記憶だろうか)
混ざっている、溶け込んでいる度合いもあったのか、ほとんどは絵をなさないノイズのようなものだった。
まるで古い映画のような、フィルムが破れかけの何かを見るような。音も匂いも想いも……見知らぬものが胸の内にある。本当に、ボロボロで消えかけた何か。
けれどいくつかは。
『みんなの役に立ちたかったのに』
そんな悔恨の──どこかで聞いた感情。
さわさわと柔らかい風が吹く。
風に撫でられても、当初より痛まなくなった。安曇は目を細めて小さく呟く。
「──奥村道幸……」
叔父を捕まえたのは彼だ。おそらく縁の深い相手を掴むのだろう。
一度、現実世界に戻らなくては。
安曇は踵を返して部屋に戻る。
身体が重く感じたが、動けさえすればいい。あの水を超えれさえすれば。
優しい風が、窓を揺らしていた。