黒き蛇は死水に潜る   作:御月ケイ

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第21話 変わりゆくもの

 

 

 ボロボロとウツボは壊れていき、崩れた身体は瓦礫となって辺りに落ちる。

 混ざりあったものがわかたれた……安曇にはそう見えた。

 

 浮島が増えていく。

 

 ──ガッ!!

 

 落下した安曇はそのひとつに激突し、転がり落ちていくつもの浮島に当たる。そのたびに意識は削られていき、痛みで何度も呼び戻される。

 

「うぐっ!!」

 

 最終的に跳ねるように落ちた先は、継葉のあぜ道だった。

 

「あ……ぅ……」

 

 カラン……

 

 目の前に煙管が落ちてくる。

 視線を彷徨わせれば、腕は包帯もちぎれ、黒と赤がぐちゃぐちゃに混ざった塊と果てていた。

 

「ぅう……」

 

 赤黒い腕を、どうにか引きずるように煙管に伸ばす。

 

(届……いて……)

 

 祈るような気持ちで這いずった安曇のそばに、散らばった影が落ちてくる。

 

 それは小魚のように散らばり、あぜ道に落ちた煙管をパクリ、と飲み込んで去っていった。

 

「……ぁ……」

 

 喉から零れる音はもはや形にならず、ただ胸に穴を開けるばかりだった。

 

 身体を起こそうとしても、どこに力を入れていいのかわからない。すでに腕には感覚がなく、指一本動かなかった。

 

(叔父さん、は──)

 

 視界がぼやける。

 魚はゆらりゆらりと離れていく。遠く、遠くに消えていく。

 最後の、あの人との縁が。

 

「──」

 

 終わってしまったのだという想いが、身体の傷以上に安曇をズタズタに引き裂いていく。

 

 ヒューヒューと喉が鳴った。

 今自分は何をしているのだろう。

 何を見ているのだろう。

 

 どうしてここには、何もないのだろう。

 

 ボロボロと混ざりあう。

 安曇が流れていく。

 

 そして何か……別のものが流れてくる。

 混ざっていく……。

 

 

 

「お前……」

 

 その泣くような声に、ふ……と意識が繋ぎ止められた。

 

 蜘蛛の糸に塗れた継葉が苦い顔で寄ってくきていた。そして倒れている安曇のそばにしゃがみこみ、俯く。

 

「……し……しょう?」

 

 声を出す気力も体力も残っていなかった。掠れた声で呼べば、継葉はぽたぽたと涙を落とした。

 

「お前……頼むから──そんな子供なのに、なんで……! なんで命を粗末にするんだよ」

 

 なぜ……だろうか。

 それは安曇にもよくわからなかった。

 

 強いていうなら、居場所を守ろうとしたに過ぎない。結局のところ、自分の心を守ろうとした。それだけだと思う。

 

 それがないと息ができない。

 だから守ろうとしただけ。

 

(だから僕は……)

 

「生きてくれ」

 

「──」

 

 継葉の声は静かで、けれど絞り出すような、泣き叫ぶような響きがあった。

 

 安曇はどう反応していいのかわからない。そもそも指一本動かないのだ。

 

「まだお前には、帰る場所もあるじゃないか。今その場所が気に食わなくても、お前ならいくらでも変えていける! お前にはその力があるよ……!!」

 

 どうして。

 弟子だとしても、まだ出会って間もない子供にそんなことを懇願するのだろう。どうして信じられるんだろう。

 

『お前はなりたいものになれる』

 

 そう言ってくれたのは叔父だった。

 

 血を吐くような継葉の言葉は、粉々になった安曇に緩やかに染み込んでいく。

 

 安曇は目を閉じ、確かな温度を感じる。

 

「だから……頼むから! 死なないでくれ!!」

 

「……はい、し、しょう」

 

 小さく苦笑すると、それだけで痛みが走る。ああ……まだ、生きている。

 

「あずみ……」

 

「僕は……諦めたく、ありません」

 

「……」

 

 生きると約束する。けれど諦めない。それは許されるだろうか?

 

「……これが、僕なりの、ケジメ……なので」

 

 生き方だから。

 

「……わかった。お前の気の済むまで付き合うよ」

 

 継葉は涙を拭って頷いた。

 

「だから、一度戻ろう。私が必ず、手立てを探してやるから」

 

 優しく、けれど固い決意を感じる声だった。安曇は自分の体を、動かない腕をぼんやりと見つめて、静かに息を吐く。

 

「……はい、師匠」

 

 あぜ道の横はまだ闇が深く。

 奈落に浮かぶ瓦礫はまだ消えることもない。

 

 せめて解放するその時まで。

 諦めたくない、安曇はゆっくり目を閉じた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 継葉が泣きながら安曇を抱えて帰った日から、三日が過ぎた。

 

 現実世界はどうなっているだろう。騒ぎになっているかもしれない。

 

(いや……)

 

 あの父がそんな真似をするとは思えない。隠蔽されているはずだ。

 もしかしたら死んだことにされているかもしれないが。

 

 あの怪我で死水を潜るのは無理だと判断した安曇は、継葉の対の館で療養に努めていた。

 動けないことが歯がゆくもあったが、生きろという言葉が自分で思うより大きく響いているようだ。無謀に走ろうとは思えなかった。

 

「……」

 

 黒く染まった指先をじっと見つめる。

 指の感覚はだいぶ戻ってきていたが、あの混ざりあった感覚は今も奇妙に残っている。

 

(少し……感覚が広がった気がする)

 

 死にかけるほどに混ざった影響か。前よりおそらくできることは増えているだろう。死水にも以前よりは抵抗できるかもしれない。

 

 対の館の窓を開けると、田園風景が広がっていた。

 継葉は例の奈落を調べに行っている。

 

「……」

 

 あの日、混ざった末に見えたもの。

 感覚だけではなく、確かに流れ込んできた映像があった。

 

(誰かの……記憶だろうか)

 

 混ざっている、溶け込んでいる度合いもあったのか、ほとんどは絵をなさないノイズのようなものだった。

 まるで古い映画のような、フィルムが破れかけの何かを見るような。音も匂いも想いも……見知らぬものが胸の内にある。本当に、ボロボロで消えかけた何か。

 

 けれどいくつかは。

 

『みんなの役に立ちたかったのに』

 

 そんな悔恨の──どこかで聞いた感情。

 

 さわさわと柔らかい風が吹く。

 風に撫でられても、当初より痛まなくなった。安曇は目を細めて小さく呟く。

 

「──奥村道幸……」

 

 叔父を捕まえたのは彼だ。おそらく縁の深い相手を掴むのだろう。

 

 一度、現実世界に戻らなくては。

 

 安曇は踵を返して部屋に戻る。

 身体が重く感じたが、動けさえすればいい。あの水を超えれさえすれば。

 

 優しい風が、窓を揺らしていた。

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