第22話 それぞれの思惑
「チャーンチャラチャチャチャチャ」
野太い歌声が、枯山水を思わせる奥ゆかしい中庭に響き渡る。
「腕を前から上にあげて~!」
久しぶりに聞いたその目覚ましミュージックに、これまた久しぶりの殺意が湧く。
怪我人を叩き起すとは……あとで文句を言わなければと心に誓う。
ズキズキと痛む全身と耳を貫くラジオ体操に苦い顔をした時、スラリと襖が開いて清楚なご婦人──藤山《ふじやま》ひばりが入ってきた。
彼女は安曇が起きているのを確認すると、パッと笑顔を輝かせ──
「安曇さあああん!!」
盛大な叫びと共に、安曇に抱きついた。そして目を潤ませながら安曇に頬ずりする。
「おはようございます!! 私の坊ちゃん!!」
「痛い痛い」
「あああ! すみません、私ったら……!」
あわあわと離れたひばりは、安曇の乳母だ。母親に育児放棄された安曇を、ひたすら可愛がって育ててくれた人でもある。
「昨日会ったろう」
「あら!? 覚えてらしたんですか!?」
「手足の運動~!!」
……ラジオ体操は絶好調だ。
「まあ、朧気にだけど。とりあえず……」
「イチ、二! イチ、二!!」
安曇はチラリと外を見る。ウンザリとした表情のまま、呟くように言葉を落とす。
「あれ、黙らせて」
「うふふ、かしこまりました。でも彼らは彼らたちなりに、安曇さんを思ってるんですよ」
「足を横に出して~!」
「……いいから」
「はーい」
ひばりはウインクして窓から外に出ていった。何をしたか知らないが、程なくして外は静かになる。
自室は死水に入る前と変わらず、雑多に物が置かれたいつもの部屋だ。
「小林、中林、大林……」
黒鉄組のお調子者たちであり、常に変なことをしている三林《さんばやし》と呼ばれるチンピラ三人。
(戻ってくるとはね……)
死水に潜ってから三日。
やっとの思いで戻った安曇は、森の中で動けなくなった。そんな時、駆けつけたのがあの三林だった。
『安曇坊ちゃん!! み、見つけたあぁぁ!!』
バタバタと走ってくる三人と、その後ろで指揮をとっていたひばり。それが意識を失う直前の記憶だった。
目覚めれば丁寧に包帯が巻かれ、点滴もされている。誰かが手当をしたようだ。
「えー、改めまして。安曇坊ちゃん、ただいま戻りました。ひばりでございます」
「……」
「何か言ってくださいよぅ」
背後に三林を正座させて、ひばりは明るい調子で手を叩いた。安曇がシラッとした視線を送るとしょんぼりと肩を落とす。
「半年ぶりかな?」
「はい! 本当は、隆明さんの葬儀には出たかったんですけど……」
「……まあ、海外にいる使用人をいちいち呼びつけたりしないからね」
「私も頑張って働いてるのに……隆明さんに会いたかったのに……」
ぐすんと鼻を鳴らすひばりに、安曇は目を伏せる。ここにも叔父を悼む人がいることに少し安堵した。
「いつ戻ったの?」
「一昨日ですね。安曇坊ちゃんに会いに来たらご不在で……夜まで待って戻らなかったので捜索しました」
「父さんに文句を言われたろう」
「そうですね。大っぴらに探すなと。まあ、気にせず探しましたけどね!」
(さすがひばりさん)
案の定、安曇の不在は父により隠蔽されたようだ。怪我をして戻ろうが戻らなかろうが、お役目の存在に繋がりかねないのだからあの父なら伏せるだろう。
「……僕が不在だった間のことを報告して」
「はい」
ひばりはひとつ頷くと、今までの楽しげな調子から一変、真面目な様子で話し始める。
その顔──間諜の顔を知っているのは当主である父の隆盛と、ひばりから直接教えられた安曇のみだ。
「幹部会がありました。安曇さんが行方不明な件は伏せられていましたが、当主様から提案がありました」
彼女は黒鉄組の間諜だ。表向きは家政婦として行動し、あらゆるところに紛れ込んでは情報を抜いてくる。
「……当主面談の枠を増やすって?」
「あら、想定内でしたか?」
「うん」
当主面談。
表向きは七歳になった子供を当主が預かり、組の掟や上下関係を教え込む通過儀礼。しかしその実態は、幻日石《げんじつせき》による継承者の判定だ。
(そんなに僕を下ろしたいか……)
あの日、安曇は隆盛に釘を刺したが、それでも探そうとするだろうとは考えていた。だからこそ、もうひとつの布石を打っておいたのだ。
「幹部から反対意見が出まして」
「奥村だろう?」
「あら……そこも想定内なんです? 何かしました?」
「さぁね」
たいしたことはしていない。安曇の黒い傷が、わざと奥村の耳に入るようにした程度だ。
叔父と安曇に対しての奥村の態度と、奥村道幸《おくむらみちゆき》という存在ごと消された継承者。
(反対するだろうと思ったよ)
二十年前のあの時は、柘植《つげ》の血筋の叔父がいて道幸が犠牲になった。
今回は柘植の血筋の安曇がいて、継承者を増やそうとしているのだから。
「ともあれ、奥村幹部の猛反発で、奥村派が反対に回ってしまいまして。当主様も引き下がる他ありませんでした」
「だろうね」
当時の隠蔽は時期を考えれば隆盛ではないだろうが、隆盛だって事情を知っているはずだ。反対意見を無視はしにくかったろう。
(問題なさそうだ)
あとは奥村道幸に関する物を手に入れればいい。幸いこのタイミングでひばりが帰ってきたのなら、動きやすくなるだろう。
奥村と話をつけなければならない。
「それで、その奥村幹部に関してお耳に入れておきたいことが」
「うん?」
「まだ公にされていませんが、奥村幹部は幹部会のあと、行方をくらませています」
「……何?」
安曇は眉根を寄せる。
「どうやら奥村派閥の霜月医師ごと、合わせて姿を消しました。当主様と一部の幹部のみ共有されてまして、捜索中です」
(面倒なことになった)
奥村道幸への道はそこしかないというのに。
このタイミングで非常に厄介だ。
元々柘植に対して思うところのあった人物なだけに、幹部会がトリガーだとすれば安曇にも責任の一端がある。
「……時雨は?」
「まだ黒鉄屋敷にいます。ただ、この件に関して口を割ってくれないようです。知らないのかもですが」
「……」
安曇は天井を見上げ、深く息を吐くと思案するように目を閉じた。
***
侮辱されることは慣れている。
「うわ、ミイラ!」
ざわめくように人の波が割れるのは少し愉快だ。
まあ、全身包帯に覆われていて隙間から見える肌はどす黒いとなれば、小学生が恐れるのもわからなくもない。
何の感慨もなく、安曇は鈍く痛む身体を無視して廊下を歩く。
翌日には点滴が取れたので、ひばりの反対を押し切って学校に来ていた。
霜月時雨《しもつきしぐれ》は、一見気の弱い少年だ。だが……。
『け、怪我人を殴っちゃ! だ、だめです!!』
安曇の脳裏に、安曇の代わりに殴られて声を上げた少年の姿が過ぎる。
(芯は強い人間のはず……)
奥村派閥にいる霜月医師の考えなどわからないが、少なくとも父親を案じて黙るくらいはするだろう。
五、六年生の教室の階へと進む。時雨は六年生だ。
「隆明より早ぇじゃん。だから狙い目だって親父がさ」
廊下でヒソヒソと話しているグループが目に入る。
大柄な六年生がガッツポーズで笑う。
(隆明……ねぇ……)
安曇は全員に見覚えがあった。
「うちはむしろ厄介者押し付けられたってボヤいてたけど」
小太りの少年がつまらなそうな顔で首を傾げる。そのふたりの会話を、笑顔で聞いている少年がひとり。計三人のグループだった。
全員幹部の家の子であり、つい昨日ひばりからも名前を聞いたばかりだ。
「なら辞退すりゃいいじゃん。俺はむしろ楽しみだよ。あいつの生意気な目見てると殴りたくなる」
(……へぇ?)
特段隠れるでもなく近寄って行った安曇に、最初に気づいたのは笑って聞いていた鮎川皐月《あゆかわさつき》という少年だ。彼は安曇と目が合うとにこりと微笑む。
「うちは僕の判断に任せるってことだから、前向きに考えようと思ってるよ」
「んだよ、皐月。お前が出てくると面倒くせぇんだよ。お前も殴りたいのかよ?」
「まさか。僕は単に、こんな話をされてもなお平然と話しかけようとする安曇さんに、将来性を見ただけですよ。ね、安曇さん?」
「!?」
少年たちが慌てて振り返る。安曇は呆れて肩を竦めた。