継葉ははっきりと安曇に告げた。
「叔父はまだ無事な可能性がかなり高い。縁を取り戻せば会えるかもしれん」
「!」
支配ができているのなら。
それはつまり、自分を保つということだから。
意思疎通が取れるかもしれない。
その可能性に安曇の心はざわめく。
安曇だって、叔父が亡くなったのは理解している。葬儀を忘れたわけではない。
けれどもう少し。あと一度でいいから……会いたい。
水になった叔父。
安曇を庇って影に食われ、指を斬った叔父。
苦い罪悪感が胸を占める。
確かに全てが安曇だけのせいではない。でも。
(謝りたい)
そんな気持ちが消えない。
願っていいのなら、安心させてあげたい。ありがとうと……伝えたい。
だから必ず成し遂げてみせる。
『奥村道幸』
彼の情報を探さなければ。
きっと彼への道は、叔父に繋がっているのだから。
***
ぼんやりと目を開けた。
古びた木材で組まれた天井は、梅雨の終わりで湿り気を帯びていて黒い。
一瞬、叔父の部屋で寝たあの日を思い出す。
(いや、自分の部屋だな)
小さく息をついて視線をずらせば、点滴の台が見えて再び寝込んだのだと理解した。
「……あ、安曇、さん」
すぐ横で、時雨が濡れタオルを持っていた。例によって看病してくれていたようだ。
「時雨、僕は長く寝込んでた?」
「い、いいえ、よ、夜だけです」
「そう。ひばりは?」
「ち、朝食の準備に」
「わかった」
「……」
港の倉庫での一件は、誰が呼んだのかひばりと三林が乱入してきて終幕となった。
呼んだ──ひばりに事態と場所を伝えられる人間は限られている。時雨も安曇も、車の窓に布をかけられていたので正確な場所は知らなかった。
(僕の行動を遠くからでも確認できただろう人間……)
興味深そうに安曇を眺めていた人間がひとり浮かんだが、だからといって今はどうでもいいことだ。
熱と怪我の具合からひばりに強制的に布団に押し込まれて今に至る。
まだ動けると思っていたし事実大丈夫だったと思うが、それでも無理はしていたのだろう。気づけば朝だった。
「……あ、安曇さんて……つ、強かったんですね……」
相変わらずおずおずと、こちらを伺うように時雨は口を開いた。
「まあ、それなりにね」
そうでなければお役目なんて、叔父も安心して任せないだろう。
小学校に上がる前くらいまでは体も弱かったが徐々に安定し、叔父から剣術を習い始めるとあっという間に上達したし丈夫になった。
(未だに侮るやつは山ほどいるけどね……)
ひけらかす気もないし、敵対しない限りは攻撃することもない。
元々こんなお役目の話が出る前はこれといってやりたいことも決めていなかったし、組を継ぎたいと兄が言うのなら争わず下がるつもりでいた。
「な、なら、どうしてみんなに言わないんですか? あ、あんな、扱い……」
「……そこで得るものがないからだね」
安曇は組に興味がなかったからだ。
盤面ならいくらでもひっくり返せるだろう。でもその必要性を感じていない。
「え、で、でも、ば、バカにされたり、いじめられたり、嫌じゃないんですか?」
「バカにされたところで僕の価値は変わらない。邪魔にならないならどうでもいいかな」
自分ができることとできないことは、自分が一番よくわかっている。
なんなら侮ってくれている方が扱い易いまであるだろう。
(でも時雨は違うわけか)
目の前の少年はおどおどと目線を下げ、今も自信がなさそうに安曇の言葉を聞いている。
「わ、わからないです。お、俺は……こ、怖くて」
「……」
「わ、悪いことなんてしてなくても、た、他人の目が……怖い」
言葉は尻すぼみに閉じていく。
時雨がなぜ怯えるのか安曇にはよくわからないけれど、それでもかけるべき言葉は理解した。
「時雨」
「は、はい」
「僕を信じられる?」
「え、は、はい!」
つい昨日、同じやり取りをしたばかりだ。時雨はピンと背中を伸ばした。
「なら、君はやりたいようにやればいい。僕はそれを評価している」
「……やりたい……ように……」
悪意と敵意のど真ん中に割り込んで、体を張って他人を守る。目上の相手にも言うべきことを言い切る。
たとえ気が弱くとも、理不尽な目にあってでも、花壇の花を直していたように。
その真っ直ぐな人間性は、何よりも強いと安曇は考えている。
時雨は驚いたように目を開いて、コクリと頷いた。
「俺は……つ、強く、なれますか?」
「誰かの足ではなく、自分の足で立てばいいと思うよ」
「……」
二歳も年下に教えを乞う少年は、薄らと涙を浮かべてもう一度頷いた。
時雨の判断は間違っていない。だからやりたいようにやればいい。
安曇がそうしているように。
雲に遮られた日差しが少しずつ、障子をぬけて差し込んできていた。
***
目の前に、腕を組んで仁王立ちしているひばりがいる。
「……」
これほど食べにくい食事もない。
朝食を持ってきたひばりに、奥村の居場所を調べるように指示を出したものの、ひばりはすぐに出ていくことなくこちらを見つめている。
「私が何を言いたいか、わかります?」
「……不可抗力だよ」
「はい?」
さすがひばりだ。笑顔の圧がすごい。
自分の部屋なのにもはや誰が主人かわからない。
港の倉庫の方が楽だったな……。
「どうして学校に行っただけでこんなことになっちゃうんですか!?」
「でも奥村の所在は掴めそうだし……」
「高熱と傷口を開かせる対価としては高すぎです! だから登校しなきゃよかったのに~!!」
「奥村の居場所は……」
「全力で調べさせてます!!」
「……うん」
キッパリ言い切ったあと、ひばりは泣きそうな顔をする。
「もう少し体を大事にしましょうよ。坊ちゃんまでいなくならないでください」
「……」
暗に誰を指しているか、わかるから困る。残される者の気持ちもよくわかる。
安曇はじっと包帯だらけの自分の体を見つめる。
「とりあえず、都築家には猛抗議いたしましょう」
ふんっ、と力こぶを作るひばりに安曇は苦笑し、次の瞬間にはその笑みが冷笑に変わる。
「それはしなくていい。今は、ね」
「ええ!? 情報は鮮度が大事なんですよー!?」
「いいんだよ。あとで使えるカードにしておく方が役に立つから」
「むー。また何か悪巧《わるだく》みしてる……」
「人聞きが悪いな。僕から仕掛けた覚えなはいよ」
「それはそうですね。……なんか、やっぱり安曇さんは隆明さんに似てますねぇ。隆明さんもそういうの好きでしたよ」
ふふ、と懐かしそうに笑うひばり。叔父と似ていると言われれば悪い気もしない。
「叔父さんも、やりたいようにやってた人だもんね」
「ホントそうです。あ、でも坊ちゃん、都築は伏せできますけど、学校のことはそれなりに見られてますよ」
「ん?」
何かあっただろうか……と考えを巡らせて、都築に噛みつかれ鮎川がこちらを見ていたことを思い出す。
少なくとも都築はしばらく大人しいだろう。バカにしていた相手にやられたなんて言えないだろうし、そもそも高校生を集めたことが知れたらマズイはずだ。
そして鮎川は……そういうタイプではないだろう。あれは暗躍が上手いタイプだ。無駄に騒いでも得なんてないはず。
「後見人候補の家がザワついてます。鮎川家の坊ちゃんと親しくなったんでしょう?」
「……そんな記憶は無いけど?」
全くもってそんな覚えはない。
「あら? そうなんですか? でも、皐月さんはなかなか有望だと思いますけど」
キョトンとしながら、ひばりは温かいお茶を安曇に渡す。
それを手で包みながら、安曇は一息ついた。
「有望?」
「はい。神童として有名だった方ですよ」
「神童?」
そういえばそんな話を聞いたことがある。鮎川皐月だとは知らなかったが、幹部の子息にずば抜けて頭のいい子がいると、話題が出ていたことがある。
「あの子が誰につくかというのが、家政婦仲間では賭けみたいになってまして。安曇さんを選ぶなんてお目が高いですね」
ふふっと笑うひばりに、安曇は何とも言えない表情になる。
「それで騒ぎに?」
「はい。安曇さん自身の評価に変化はないんですが、皐月さんが安曇さんを選ぶならってことでかなり注目が集まってますね」
「……」
それは面倒な。
意図したものではないが、体が弱い役たたずの次男と評価されて長い。あれだけ侮蔑していたくせに、変なところで評価を上げられても動きにくくなるだけだ。
下手に注目されてしまえば、お役目にも影響が出てしまう。
(当分は、殴られたらそのまま殴られるしかないな……)
もしお役目の意味を知られたら、黒鉄組自体が瓦解しかねない。
「と、いうわけで。大人しくしててください。絶対! 安静! いいですね?」
ひばりは再び仁王立ちになり、指を立てて教師のように声を響かせた。
「……善処するよ」
安曇は小さく肩をすくめる。
荒事は避ける。その約束を取り付けて。
そうして夜──
せっかくひばりに用事を言いつけ、三林を丸め込んで出てきたというのに。
対の館へ向かう森の側道で、安曇のあとをつけてくる馬鹿がいるようだ。
「……はぁ」
零れるため息を押し殺し、再び安曇は頭を巡らせる。この事態を突破しなければならないのだから。