黒き蛇は死水に潜る   作:御月ケイ

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第29話 小さい嵐

 

 

 ピリリリ──

 

「……」

 

 鳴り続けるスマホの電源を押す。

 ピッと音が鳴って、スマホは静かになる。

 

 表示を確認すればコールはひばりだった。

 

(バレたか)

 

 続けてコールしないのは彼女らしい。こちらの状況を配慮したのだろう。

 

「安曇、てめぇ、どこに隠れてた!?」

 

「マジこのミイラ最低! キモイ!」

 

 理不尽な物言いに安曇は辟易《へきえき》した。

 

「……文句なら行けと言った兄貴に言いなよ」

 

「あぁ!?」

 

「けーすけ、キレんなってぇ。すみませんねぇ、安曇坊ちゃん」

 

 山の裾にポツリポツリとある家からは、見世物でも見るように人影がこちらを見ている。通勤通学の学生たちはできるだけ距離を取り、幼稚園生と思われる子たちは親に抱えられて身を隠した。

 

 その中で塚原和臣《つかはらかずおみ》は、ニヤニヤと笑って安曇に近寄ると──

 

 バシャ!

 

 そのまま持っていたペットボトルの水を安曇にかけた。

 

「……」

 

(なるほど、迷子の後ろにはこれがいたのか)

 

 安曇は薄ら笑いを浮かべる少年は、前回の高校生より余程危険な目をして安曇を見ていた。

 

「ヒュー! さすが兄貴!!」

 

「安曇坊ちゃんさぁ、豊《ゆたか》になんかした?」

 

 豊……都築豊か。舎弟か何かだったのかもしれない。

 

「なんかさ~、あいつ使いやすかったのにさぁ、今日は返事すら寄越さないんだよなぁ」

 

 塚原和臣は空になったペットボトルで安曇の顔をペチペチと叩く。

 安曇は前髪からポタポタと雫を落としながら、無表情でそれを見つめていた。

 

(主人に噛み付く犬はいらないな……)

 

 その様子を見ていた塚原和臣は目を細め、ペットボトルを肩にポンポンと当てる。

 

「あー、前から思ってたけどつまんねぇなぁ」

 

 そして──

 

「反応が……ねーんだよ──なぁ!!」

 

 ガッ!!

 

 鋭い動きで蹴りを繰り出した。

 

「!」

 

 咄嗟に後ろに飛んで軽減するも、みぞおちに入った痛みが全身に響く。

 

「っ」

 

 当たったのは腹なのに、じわりと背中が濡れる感覚。おそらく傷が開いたのだろう。痛みに吐きそうな気分になる。

 

(塚原和臣は面倒だな……)

 

 この中学生は暴力が板に付いている。他のふたりはどうでもいいが、塚原和臣の攻撃はできるだけいなす必要がある。

 

「なぁんかキナ臭ぇんだよなぁ。豊を脅したにしてもさぁ……」

 

 塚原和臣は安曇の髪を包帯ごと掴みあげた。

 

「っ!」

 

 当分は素直に殴られることに決めているとしても、これを看過するのもあとが面倒になる。──なら、やるべきことは……。

 

「なぁ? お前のバック……誰がいんの?」

 

 塚原和臣は声を一段低くして、掴みあげた安曇の顔を覗き込む。

 視線を正面から受け止めて、安曇は薄く笑った。

 

「……」

 

 塚原和臣は馬鹿ではない。

 安曇の笑みを見て一瞬怪訝そうな顔をする。

 

(さて)

 

 投げられるか、そのまま離すか。

 安曇は投げられる可能性を考えて、受け身の構えを用意をする。

 

「んー」

 

 塚原和臣は少し首を捻ったあと、ニヤリと獰猛《どうもう》な笑みを浮かべる。

 

「ま、いっかぁ! とりあえず吐けよ!」

 

 ──ズシャ!!

 

「っ!!」

 

 投げられ地面に倒れ込む。受け身をとったが、肩から腕にかけて痺れるような痛みが広がった。死水の傷はどこまでも安曇を蝕《むしば》む。

 

 兄に同調するように弟の圭輔が笑う。

 

「ホント、役に立たねぇのにダンマリとか! 組長にも姐《あね》さんにも嫌われてんのにさぁ!」

 

「ミイラ、キモいもんね。結衣子《ゆいこ》姐《ねぇ》さんは隔離しろって言ってたよ~!」

 

「……」

 

 チラリと周囲を見る。

 まだ大人たちは到着していないが、騒ぎを聞きつけてこの場に来るのも時間の問題だろう。早急に反撃して全員を……というのは難しい。

 

 だから。

 

 パシッ!!

 

 和臣の動きに合わせて軌道をズラし、正確に軽減していく。何度も受けては何度もズラす。──けれど絶対に反撃はしない。

 その不自然さに、和臣側も気づいたようだった。

 

「あー?」

 

 一瞬動きを止め……

 

「んだよ。お前……いいじゃん?」

 

 獣のような獰猛な笑顔で頷いたあと、今度は傍目には殴っているかのように寸止めをしてくる。

 

 ──乗って来た!

 

 安曇は幹部とその子供たちを全員記憶しているが、性格までは把握していない。

 けれどこの塚原和臣は印象に残っていた。

 

「どうすんのか、見てやるよ!」

 

 楽しげに笑って見た目だけの暴力を繰り返す。安曇が何をするのか楽しみで仕方がないというように。

 

(塚原和臣は……)

 

 噛み付く相手を選んでいる。

 それもより強いものに噛みつきたがる。

 

 だから安曇はそれに賭けた。

 興味の道が、ズレるのを。

 

 兄の暴力に感化された塚原圭輔と綺良々まで蹴りを入れてくる。こちらも適当に軽減していくが、彼らは気づきもしない。

 

 バキッ!!

 

 頭を庇った腕に圭輔の足蹴りが落ちる。

 それを見ながら和臣は安曇の肩を蹴る──フリをする。

 

「ほらほら、どうすんだぁ? 楽しませろよ!」

 

「アハハ! さすが臣兄! カッコイイ!!」

 

 何も気づかない圭輔と綺良々は、楽しそうに笑いながら安曇を取り囲む。

 

 怪我がなければもう少し当たるフリもやり易いはずだが、囲まれて蹴られればダメージは蓄積する。

 

「使えねぇ豊の代わりになってくれてもいいぜ~?」

 

「アハハ!!」

 

 ゲシッ!!

 

 甲高い声ではしゃぎながら、綺良々が安曇の背中を蹴る。

 

「っ!」

 

 大人たちが来ればさすがに止まるだろう。それまで和臣を使って適度に殴られてやるしかない。

 

 その時──

 

「どぉうりゃあああ!!」

 

 突然の叫びと共に小さい影が乱入してくる。

 

「きゃあ!?」

「う、わ!?」

「あー?」

 

 三人三様に避けると、安曇の前に黄色が広がった。

 

「くらえ!! ふううん! かいてんぎりいいい!!」

 

 風雲……回転斬り……だろうか。

 

 幼稚園の園服を着た女の子が、カバンをグルングルンと振り回して三人の方へ向かっていく。

 

(嘘だろ……)

 

 あまりにも大胆な幼女だ。

 三人は回転するカバンを避けて右から左へと飛び退き、幼女と一緒に駆け回る。

 

「んだよっ!? このガキ」

 

 掴もうとした塚原和臣の手を見たツインテールの幼女は、声の限りに叫んだ。

 

「おまわりさああああん!! このひとですううううう!!!」

 

「はぁ!?」

 

 幼女の声とあっては、さすがに住宅側がザワつく。そろそろと玄関から覗く影が増えてきた。

 

「……」

 

 安曇はその様を、呆気にとられて見ていた。単純で馬鹿らしいが、この場ではかなり有効な方法ではある。

 

「んだこれ……マジかよ、アホくさ……」

 

 塚原和臣は呆れたように踵を返し、圭輔と綺良々はそのあとを慌てて追いかけていった。

 それを見ていた少女は大きく胸を張った。

 

「ふん! くちほどにもない!!」

 

 そのセリフに安曇は思わず吹き出した。

 

 風雲回転斬りと、口程にもないなどと言うセリフは最近流行りの忍者ヒーローのものだ。

 こんな小さな女の子が、ヒーローとして安曇を救ってしまった。安曇の賭けも、和臣の思惑も全て吹き飛ばして。

 

「あ! だいじょーぶ!?」

 

 包帯まみれのミイラ姿だというのに、女の子は億さず安曇の手を取った。

 

「ひどいけがじゃない!!」

 

 まあ、大半は彼らのせいではないのだが。そもそも今ついた怪我に包帯をしてるはずはない。

 けれどそこに考えが至らないらしい女の子は、大慌てしたあと安曇の手をギュッと抱きしめるように握った。

 

「いたいのいたいのおおお!!」

 

 ためにためてから……

 

「とんでいけえええええ!!」

 

 パッと手を離してバンザイをする。

 

「……」

 

 安曇がポカンとしていると、女の子は照れたようにえへへと笑う。

 

「これですぐになおるよ!!」

 

 不思議と確かに痛みが和らいだような気がして、安曇の顔にも微笑みが浮かぶ。

 

「……ありがとう」

 

 女の子の笑顔に、心の棘がほぐれていくような気がした。

 

「えへへ! どういたしまして!!」

 

 嬉しそうに女の子がはにかむ。

 そこに、少し離れた位置から母親らしき女性が走ってくるのが見えた。

 

「……名前を聞いてもいい?」

 

 このまま縁が切れるのが、何となく惜しい。気づけば名前を聞いていた。

 

「えっとねー」

 

 女の子は安曇の手を取って、手のひらにグリグリと指を当てる。少しくすぐったい。

 

(字を……書いてる?)

 

「こうかいてー……こう!」

 

 おそらく漢字の『花』だろうか。

 

 安曇は首を傾げ、穏やかな気持ちで女の子を見る。長い髪を真横にツインテールにした女の子。大きな目に明るい表情が良く似合う可愛い子だった。

 

「花?」

 

「うん! ハナ!」

 

 ハナという名前なのだろうか。そう思った時──

 

「瑠花《るか》ー!!」

 

 遠巻きに母親らしい女性が声をあげる。女の子はパッと顔を上げてそちらを向くと、はーいと手を挙げた。

 

(なるほど……瑠花、ね)

 

 舌っ足らずの女の子が書ける漢字を書いただけ、という感じか。

 

「えへへ、いじめられたらよんで? はなちゃんが守ってあげる!」

 

 そう言って手を振って、女の子は走り去っていった。

 小さい嵐のような不思議な子だった。

 

 森をチラリと見てから、安曇は街の方に歩みを進める。ミイラ姿の少年に街がザワついたが、森に行ってあの三人と鉢合わせするよりはマシだ。

 次に会えば和臣は必ず答えを欲しがるはず。

 

(あんな狂犬に回答するのは首輪をつけてからだ)

 

 今ではない。

 安曇はスマホを取り出し、ひばりを呼び出した。

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