ピリリリ──
「……」
鳴り続けるスマホの電源を押す。
ピッと音が鳴って、スマホは静かになる。
表示を確認すればコールはひばりだった。
(バレたか)
続けてコールしないのは彼女らしい。こちらの状況を配慮したのだろう。
「安曇、てめぇ、どこに隠れてた!?」
「マジこのミイラ最低! キモイ!」
理不尽な物言いに安曇は辟易《へきえき》した。
「……文句なら行けと言った兄貴に言いなよ」
「あぁ!?」
「けーすけ、キレんなってぇ。すみませんねぇ、安曇坊ちゃん」
山の裾にポツリポツリとある家からは、見世物でも見るように人影がこちらを見ている。通勤通学の学生たちはできるだけ距離を取り、幼稚園生と思われる子たちは親に抱えられて身を隠した。
その中で塚原和臣《つかはらかずおみ》は、ニヤニヤと笑って安曇に近寄ると──
バシャ!
そのまま持っていたペットボトルの水を安曇にかけた。
「……」
(なるほど、迷子の後ろにはこれがいたのか)
安曇は薄ら笑いを浮かべる少年は、前回の高校生より余程危険な目をして安曇を見ていた。
「ヒュー! さすが兄貴!!」
「安曇坊ちゃんさぁ、豊《ゆたか》になんかした?」
豊……都築豊か。舎弟か何かだったのかもしれない。
「なんかさ~、あいつ使いやすかったのにさぁ、今日は返事すら寄越さないんだよなぁ」
塚原和臣は空になったペットボトルで安曇の顔をペチペチと叩く。
安曇は前髪からポタポタと雫を落としながら、無表情でそれを見つめていた。
(主人に噛み付く犬はいらないな……)
その様子を見ていた塚原和臣は目を細め、ペットボトルを肩にポンポンと当てる。
「あー、前から思ってたけどつまんねぇなぁ」
そして──
「反応が……ねーんだよ──なぁ!!」
ガッ!!
鋭い動きで蹴りを繰り出した。
「!」
咄嗟に後ろに飛んで軽減するも、みぞおちに入った痛みが全身に響く。
「っ」
当たったのは腹なのに、じわりと背中が濡れる感覚。おそらく傷が開いたのだろう。痛みに吐きそうな気分になる。
(塚原和臣は面倒だな……)
この中学生は暴力が板に付いている。他のふたりはどうでもいいが、塚原和臣の攻撃はできるだけいなす必要がある。
「なぁんかキナ臭ぇんだよなぁ。豊を脅したにしてもさぁ……」
塚原和臣は安曇の髪を包帯ごと掴みあげた。
「っ!」
当分は素直に殴られることに決めているとしても、これを看過するのもあとが面倒になる。──なら、やるべきことは……。
「なぁ? お前のバック……誰がいんの?」
塚原和臣は声を一段低くして、掴みあげた安曇の顔を覗き込む。
視線を正面から受け止めて、安曇は薄く笑った。
「……」
塚原和臣は馬鹿ではない。
安曇の笑みを見て一瞬怪訝そうな顔をする。
(さて)
投げられるか、そのまま離すか。
安曇は投げられる可能性を考えて、受け身の構えを用意をする。
「んー」
塚原和臣は少し首を捻ったあと、ニヤリと獰猛《どうもう》な笑みを浮かべる。
「ま、いっかぁ! とりあえず吐けよ!」
──ズシャ!!
「っ!!」
投げられ地面に倒れ込む。受け身をとったが、肩から腕にかけて痺れるような痛みが広がった。死水の傷はどこまでも安曇を蝕《むしば》む。
兄に同調するように弟の圭輔が笑う。
「ホント、役に立たねぇのにダンマリとか! 組長にも姐《あね》さんにも嫌われてんのにさぁ!」
「ミイラ、キモいもんね。結衣子《ゆいこ》姐《ねぇ》さんは隔離しろって言ってたよ~!」
「……」
チラリと周囲を見る。
まだ大人たちは到着していないが、騒ぎを聞きつけてこの場に来るのも時間の問題だろう。早急に反撃して全員を……というのは難しい。
だから。
パシッ!!
和臣の動きに合わせて軌道をズラし、正確に軽減していく。何度も受けては何度もズラす。──けれど絶対に反撃はしない。
その不自然さに、和臣側も気づいたようだった。
「あー?」
一瞬動きを止め……
「んだよ。お前……いいじゃん?」
獣のような獰猛な笑顔で頷いたあと、今度は傍目には殴っているかのように寸止めをしてくる。
──乗って来た!
安曇は幹部とその子供たちを全員記憶しているが、性格までは把握していない。
けれどこの塚原和臣は印象に残っていた。
「どうすんのか、見てやるよ!」
楽しげに笑って見た目だけの暴力を繰り返す。安曇が何をするのか楽しみで仕方がないというように。
(塚原和臣は……)
噛み付く相手を選んでいる。
それもより強いものに噛みつきたがる。
だから安曇はそれに賭けた。
興味の道が、ズレるのを。
兄の暴力に感化された塚原圭輔と綺良々まで蹴りを入れてくる。こちらも適当に軽減していくが、彼らは気づきもしない。
バキッ!!
頭を庇った腕に圭輔の足蹴りが落ちる。
それを見ながら和臣は安曇の肩を蹴る──フリをする。
「ほらほら、どうすんだぁ? 楽しませろよ!」
「アハハ! さすが臣兄! カッコイイ!!」
何も気づかない圭輔と綺良々は、楽しそうに笑いながら安曇を取り囲む。
怪我がなければもう少し当たるフリもやり易いはずだが、囲まれて蹴られればダメージは蓄積する。
「使えねぇ豊の代わりになってくれてもいいぜ~?」
「アハハ!!」
ゲシッ!!
甲高い声ではしゃぎながら、綺良々が安曇の背中を蹴る。
「っ!」
大人たちが来ればさすがに止まるだろう。それまで和臣を使って適度に殴られてやるしかない。
その時──
「どぉうりゃあああ!!」
突然の叫びと共に小さい影が乱入してくる。
「きゃあ!?」
「う、わ!?」
「あー?」
三人三様に避けると、安曇の前に黄色が広がった。
「くらえ!! ふううん! かいてんぎりいいい!!」
風雲……回転斬り……だろうか。
幼稚園の園服を着た女の子が、カバンをグルングルンと振り回して三人の方へ向かっていく。
(嘘だろ……)
あまりにも大胆な幼女だ。
三人は回転するカバンを避けて右から左へと飛び退き、幼女と一緒に駆け回る。
「んだよっ!? このガキ」
掴もうとした塚原和臣の手を見たツインテールの幼女は、声の限りに叫んだ。
「おまわりさああああん!! このひとですううううう!!!」
「はぁ!?」
幼女の声とあっては、さすがに住宅側がザワつく。そろそろと玄関から覗く影が増えてきた。
「……」
安曇はその様を、呆気にとられて見ていた。単純で馬鹿らしいが、この場ではかなり有効な方法ではある。
「んだこれ……マジかよ、アホくさ……」
塚原和臣は呆れたように踵を返し、圭輔と綺良々はそのあとを慌てて追いかけていった。
それを見ていた少女は大きく胸を張った。
「ふん! くちほどにもない!!」
そのセリフに安曇は思わず吹き出した。
風雲回転斬りと、口程にもないなどと言うセリフは最近流行りの忍者ヒーローのものだ。
こんな小さな女の子が、ヒーローとして安曇を救ってしまった。安曇の賭けも、和臣の思惑も全て吹き飛ばして。
「あ! だいじょーぶ!?」
包帯まみれのミイラ姿だというのに、女の子は億さず安曇の手を取った。
「ひどいけがじゃない!!」
まあ、大半は彼らのせいではないのだが。そもそも今ついた怪我に包帯をしてるはずはない。
けれどそこに考えが至らないらしい女の子は、大慌てしたあと安曇の手をギュッと抱きしめるように握った。
「いたいのいたいのおおお!!」
ためにためてから……
「とんでいけえええええ!!」
パッと手を離してバンザイをする。
「……」
安曇がポカンとしていると、女の子は照れたようにえへへと笑う。
「これですぐになおるよ!!」
不思議と確かに痛みが和らいだような気がして、安曇の顔にも微笑みが浮かぶ。
「……ありがとう」
女の子の笑顔に、心の棘がほぐれていくような気がした。
「えへへ! どういたしまして!!」
嬉しそうに女の子がはにかむ。
そこに、少し離れた位置から母親らしき女性が走ってくるのが見えた。
「……名前を聞いてもいい?」
このまま縁が切れるのが、何となく惜しい。気づけば名前を聞いていた。
「えっとねー」
女の子は安曇の手を取って、手のひらにグリグリと指を当てる。少しくすぐったい。
(字を……書いてる?)
「こうかいてー……こう!」
おそらく漢字の『花』だろうか。
安曇は首を傾げ、穏やかな気持ちで女の子を見る。長い髪を真横にツインテールにした女の子。大きな目に明るい表情が良く似合う可愛い子だった。
「花?」
「うん! ハナ!」
ハナという名前なのだろうか。そう思った時──
「瑠花《るか》ー!!」
遠巻きに母親らしい女性が声をあげる。女の子はパッと顔を上げてそちらを向くと、はーいと手を挙げた。
(なるほど……瑠花、ね)
舌っ足らずの女の子が書ける漢字を書いただけ、という感じか。
「えへへ、いじめられたらよんで? はなちゃんが守ってあげる!」
そう言って手を振って、女の子は走り去っていった。
小さい嵐のような不思議な子だった。
森をチラリと見てから、安曇は街の方に歩みを進める。ミイラ姿の少年に街がザワついたが、森に行ってあの三人と鉢合わせするよりはマシだ。
次に会えば和臣は必ず答えを欲しがるはず。
(あんな狂犬に回答するのは首輪をつけてからだ)
今ではない。
安曇はスマホを取り出し、ひばりを呼び出した。