もちろんひばりには怒られた。
申し訳ないとも思っている。一応。
一通り怒ったひばりが医務室に道具を取りにいったので、安曇はひとり自室に向かった。
「!」
安曇の中の温度が下がる。
自室の前に、ひとりの少年が立っていたからだ。
(鮎川皐月……)
皐月はつまらなそうにため息をついたあと、安曇の姿に気づいてパッ顔を輝かせ、ニコニコと懐っこい笑顔で寄ってきた。
「安曇さん! どこに行ってたんですか? 昨日の夜からいなかったですよね?」
どうやら夜に訪ねてきていたようだ。だとしても……。
「……君に関係ある?」
「それはまあ、ないですけど」
皐月は憮然《ぶぜん》としたように真顔になった。
「じゃあ、説明する必要ないよね」
安曇はさらっと流すと扉に向かう。
皐月が動いたせいで安曇はリンチにあったのだ。あまり話したい気分でもない。
そのまま部屋に入ろうとすると、皐月は扉と安曇の間にスッと割り込む。
「伝言、聞きました!」
「そう」
確かに倉庫で、安曇は陣内《じんない》に伝言を託した。どうやら陣内は仕事をしたらしい。
「それに実はあの時、僕もいたんですよ」
「……」
あの時というのはおそらく、都築と高校生に襲われた時だろう。陣内を隠れ蓑にして、皐月本人も来ていたということか。
(まあ、皐月なら確かに都築の行動が読めたろうな……)
だから本人が来ていたのはそこまで不思議ではなかった。
むしろ、陣内を投入した方が意外だったといえる。場を収めるには最適だったのは事実だが。
「あの乱闘を見て……伝言を受け取って。僕は決めました」
皐月は思い出すような素振りで頷き、まるで安曇に握手を求めるように手を差し出した。
「安曇さんが誰を選んだとしても、僕はあなたにつきたいと思いまして」
さらりと言ってのける鮎川皐月。学年は総司と同じ小学六年生のはずだ。
「……」
(これを……どう捉えるべきか)
安曇の沈黙を拒否と捉えたのか、皐月は手を差し出したまま安曇をじっと見つめた。
「どうすれば、あなたに信じてもらえますか?」
皐月は心底楽しそうに、言葉を重ねてにこりと微笑んだ。
その差し出された手を、安曇は冷たい目で見つめて部屋の扉に手をかける。
「ありゃ、ダメですか?」
少し困ったように皐月は所在のない手をそろりと引っ込める。
(別に個人的に嫌ってはいないけど)
なぜ安曇を選ぶのかがわからない。ひばりは絶賛していたが、現状安曇につく利点はないはずだ。
裏があるのか、別の理由があるのか。
うーん、と首を捻って悩んでいる皐月を、安曇は少し試すことにした。
「役に立つかどうかもわからないのに、信じるも何もないだろう?」
「む……確かにそうですね……」
皐月はひとつ頷き、安曇を見る。
楽しそうにしているところから、この手の駆け引きが好きな人間なのだろう。
そのまま扉を開けると、皐月は慌てたように声を上げた。
「あ、ちょ!? えーと! なら、情報はどうですか!」
「……情報?」
半開きの扉の前で安曇は皐月を見る。
安曇が止まると皐月はパッと顔を輝かせる。
「はい! ……安曇さんて、霜月時雨《しもつきしぐれ》君と親しいですよね?」
親しいと言われるほど親しいだろうか。
安曇は内心首を傾げる。ただ、振り返ってみれば時雨には少し甘くしていたような気もする。
「かもね」
「うーん、羨《うらや》ましい。というのはさておき、あの子は信用しない方が良いですよ」
わずかに眉を下げて、皐月は肩を竦めた。
ふざけている……というわけでもなさそうだ。
「理由は?」
「大久保《おおくぼ》を知ってますか?」
「後見人候補だね」
それなりに古参の幹部だ。奥村の腰巾着のような立ち位置で、以前奥村と話をした時に横にいたのが大久保だったはずだ。
「はい。その娘である大久保伊織《おおくぼいおり》。彼女が少々、厄介でして」
「厄介?」
顔と名前は記憶している。確か、皐月、時雨、伊織は同級生ではなかったか。
皐月が言うには──
時雨は校内で孤立していて、いじめられている。これは確かに安曇も見た。
『どうすれば強くなれますか?』
思い詰めたような時雨の言葉を思い出す。
そんな時雨に、唯一優しくしているのが大久保伊織ということだった。
「時雨君は善意として受け取ってるみたいですけど、あれはたぶん……」
「……」
考えるようにしている皐月の様子から、安曇は何となく察しがついた。
伊織は安曇にさえ愛想がいい。だが彼女が安曇の持ち物を捨てたメンバーと親しくしてるのを知っているし、安曇が被害を受けていても庇うことなどない。
つまりはそういう人間なのだろう。
「かなり、二面性が強い人なんですよね、伊織さんって。だからまぁ……」
「時雨を上手く使ってるということだね」
甘い言葉を言ってくる人間なんて信用できない。おそらく皐月も似たような考えなのだろう。
「ものすごく端的に言うなら、僕はそうだと思ってます」
「ふぅん」
有り得ない話でもない。時雨の素直さは、この極道の中にあってはひたすら生きにくい。
問題は、その情報がどこまで正しいか。
そこに皐月の意図がどこまで介入しているのか。
(作り話と切り捨てるには、よくできてる)
「時雨を信用するなというより、大久保を信用するな、という方が正しそうだね?」
「そうなりますね。まあ、うちと仲が悪いからというのもありますが」
大久保は奥村派。だから今回の奥村失踪にも何か関係があるかもしれない。
「どうですか? 役に立ちそうですか?」
皐月は笑顔で安曇を見ている。そこから見えるのは『好奇心』と『期待』だ。こういうところは悪くない。
けれど安曇には、皐月がこちらに来たい理由がまだ見えない。
「どうしたら信じてもらえますか……だっけ?」
「はい! 合格ですか?」
ニコニコ笑っている皐月を見て、安曇も口元に笑みを浮かべる。
皐月の物の見方、能力は評価してもいい。ただ、だからこそ答えを出すのは──誰がどう動くのか、その全てを確認してからがいい。
「君が僕にそれを聞く限り、僕が君を信用することはないよ」
「へ?」
皐月はきょとんとしたあと、苦笑いする。
「手厳しいですね!?──あ!」
──パタン
扉を閉めると、外から何やらショックを受けたような叫びが聞こえたが、安曇はそのまま無視をした。
誰がどう動くのか。
「楽しみにしているよ、鮎川皐月」
安曇は気だるさを感じる体を椅子に預け、静かに息を吐き出した。
***
窓から入る陽射しが障子の影を濃く落として、安曇にまで伸びていた。
その眩しさに目を開けた。
疲れていたこともあり、椅子で少し眠ってしまっていたようだ。背中が痛む。
それでも寝ていたからか、朝の怪我の割にだいぶ痛みは治まっていた。
結局、昼近くまでひばりは戻ってこなかったようだ。
(何かあったのか……?)
医務室まで10分もあれば着く。一目散な彼女なら、もう戻っていてもおかしくはない。
不思議に思って扉に目を向けた時、安曇の目の前で扉が開く。そこにいたのは──
「父さん……?」
黒鉄組組長、父でもある柘植隆盛《つげりゅうせい》その人だった。