何の前触れもなく、現れた父。そもそも隆盛がこの部屋に来たのはいつぶりだっただろうか。
うしろでひばりが気まずそうに控えている。
(ふむ……)
安曇がボロボロで戻ったがために、ひばりは医務室に向かった。その途中で会ったのだろう。
しかし父がなぜ。安曇はわずかに眉根を寄せる。今朝の塚原和臣たちとの一件が耳に入ったのだろうか。
「ずいぶんと怪我がひどいようだな」
「それなりですね」
「……そうか。まあ、今はいい」
何か別の用があるようだ。
いつもの父から考えればそうだろう。無意味に来る人ではない。
「お前、夜にどこへ行っていた?」
「対《つい》の館です」
ひばりは一瞬肩を震わせたが、何も無かったようにそのまま控える。
(間諜としては失格だな)
そんなことを考えながら、隆盛の質問に適当に頷いていく。
「そうか……。一晩中か?」
「そうです」
安曇の答えを聞いて隆盛は軽く頷き、ひばりを振り返る。
「わかった。ひばり」
「かしこまりました。霜月時雨を探します」
(わざと名前を出したな……?)
一礼してひばりは出ていった。あちらはあとで確認するとして……。
どうやら夜半に何か起きたらしい。
立ち入り禁止の森にあれだけの人数が入れた理由がわかった。
管理する人間がそれどころではなかったのだろう。通常なら組長の耳に入って騒ぎになっているところだ。
ひばりは立ち去ったが、隆盛は安曇を見たままそこにいる。
「……」
「何か起きましたか?」
いつまでもこうしていると息が詰まる。安曇は直接聞くことにした。
安曇の部屋に、眉間に皺を寄せた隆盛と安曇のふたりきり。こうしてまともに顔を合わせたのは釘をさしたあの日以来か。
「……幻日石《げんじつせき》が消えた」
「!」
幻日石。
その言葉だけで、空気が重くなったような感覚がする。
(なるほど、幻日石案件か)
安曇は継承者であり、石を唯一触れる人間だ。隠しておくわけにもいかなかったのだろう。しかし。
「……なぜ?」
あれは当主しか入れない保管室にあったはずだ。
安曇でさえあの適性検査の時しか見ていない。特別な小箱に入れられた門外不出の石が、どうして。
安曇の視線が咎めるようなものだったからだろう。珍しく隆盛は言葉に詰まった。
(つまり、当主面談を諦めてなかったんだな)
幻日石で継承者を増やす。その方法は安曇が釘をさした上に、幹部会では猛反対されているというのに。
身勝手な父親だ。
「時雨が盗んだと?」
霜月時雨を信用しない方がいい、そう言われたばかりだ。
「……そうだ。出入口にあるカメラに、あの子が何かを持ち出すところが映っていた」
だからといって、時雨が幻日石を持ち去る理由もなければ、そこにあることを知れたとも思えない。
「……当主面談について、幹部会以外で誰かと話をしましたか?」
「それはお前には……」
関係ないなどとなぜ言えるのか。
思わず舌打ちしそうになる。
「しましたか?」
重ねて問えば、隆盛は眉を寄せて頷いた。
「古参幹部とは話をしている」
「誰と?」
黒鉄組の古参幹部といえば四家もある。単独なのか、複数なのか。ぼかすのもいい加減にしてほしい。
「……」
「僕に伏せる意味が?」
その古参幹部から時雨に指示が行ったとしか思えない。仮に時雨が犯人としても、時雨の性格を考えれば単独犯などありえないだろう。
「安曇、お前は自分のことを……」
役目を粛々とこなせと言いたいのだろうか。
苛立ちから、安曇は思わず隆盛の言葉に言葉を被せた。
「犯人かもしれませんよ?」
隆盛はグッと言葉を飲み込み、躊躇《ためら》うように口を閉ざしたあと、苦虫を噛み潰したような顔で口を開いた。
「……奥村だ」
「行方不明なのでは?」
安曇の言葉に一瞬怪訝そうな表情を浮かべ、隆盛は深いため息をつく。
「ひばりか……」
長いため息のあと、隆盛は眉を寄せて目を閉じ、諦めたように口を開く。
「そうだ。行方不明になる前にな。あいつの反対があっては進まん」
「準備を進めていることを言いましたか?」
「……ああ」
信頼しすぎだ。
いくら古参であるとはいえ、呪われた子を出した家だからといって。
奥村は幻日石について勘づいていたということか。それは本人に聞かなければわからないが、横浜にいることを考えればまだ石は手元に行ってないだろう。
「奥村は今いない。関与の可能性は低いだろう」
「……」
現状、奥村が行方不明なことは伏せられている。それでも裏では捜索が行われているはずで、そんな中で事件を起こすとは考えにくい。
(でも仕込んでおくことならできるだろう)
隆盛は眉を寄せたまま安曇を見る。
「だから霜月医師の子息と親しいお前が関係してるのかと思ったが……違うのならいい」
隆盛は席を立った。
しかし安曇はそれを、ただ見送るつもりはない。
「父さん」
「なんだ」
隆盛は扉の前で足を止める。
「幻日石が箱から出された場合、騒ぎになりますよね。それに誰も、直接石を持つことができない」
──持てば意識と記憶を飛ばすのだから。
普段は専用の箱に入れられている。あの箱は対の館と同じなのか、中と外を断絶する。
(まだ騒ぎがない)
なら持っているのは盗んだ人間だろう。
受け取った相手が中身を確認しないのは考えにくい。
安曇の言いたいことがわかったのか、隆盛は露骨に嫌な顔をした。
「必要があればこちらから呼ぶ」
「僕を下げようとしてるのに、都合のいい時だけ利用されても困ります」
最も黒鉄は、大昔からそのように子供を利用してきたのだろうが。
(僕は使い潰されるつもりはない)
「お前はまだ子供だ」
隆盛は眉を寄せ、窘めるよな口ぶりで安曇を見た。その態度に安曇は思わず片眉を上げる。子供扱いしてこなかったくせに何を言う。
「笑える話ですね」
「安曇」
隆盛は何かを言いたげに口を開いたが、安曇はそれを無視した。
「幻日石は僕が見つけてみせましょう。代わりにひとつ」
「何だ」
不機嫌そうな父の顔を眺めながら、安曇は薄らと笑みを浮かべる。
「奥村幹部に用があります」
「……あいつは行方がわからない」
「そちらも僕に任せてほしいということです」
邪魔はされたくない。
奥村道幸の情報は、確実に得る必要がある。
「……好きにしろ。結衣子は黙らせておく」
一番妨害しそうな人物の名前を率先して出してくれた。そして隆盛は、今度こそ振り返らずに部屋を出ていった。
「さて……」
薬をもらい損ねた上に、体調はボロボロだ。だが父に用を言いつけられたひばりを待つ余裕はない。
安曇は手の届く範囲だけ包帯を巻き直し、ゆっくりと立ち上がる。
(叔父さんもこんな体調だったのかな……)
蝕むような痛みが常にそこにいる。身も心もすり減らし、けれど余裕を見せていた叔父。
「僕も……大丈夫」
零すように呟いて、安曇は部屋を出る。
安曇の勘が正しければ、時雨はあそこにいる。
***
黒鉄屋敷はにわかに騒がしい。
安曇が屋敷内を歩いているだけで、あちこちからギョッとするような視線が飛んでくる。
ギシ……ギシ……
安曇が進むたびに古い板張りの床が鳴る。
音に反応するように、慌てていたはずの組員たちが道を開ける。
(便利でいいな)
この包帯姿も。
痛みや動きにくささえなければ、このままでいいとさえ思う。
安曇が向かっているのは医務室だ。
今は霜月医師が不在なので誰も近寄らない。屋敷の東の端にあるため、医療資材を運び込む門があって外にも出やすい。
人間は見知らぬところより見知った場所に行きやすい。これだけ騒がれていて、時雨の内向的な性格を思えば、そして。
(幻日石自体を取り出されてはいないなら)
時雨はここにいる可能性が高い。
医務室自体も、構造上出入口が多い。常に開放されている扉のない通路も存在する。中へ入ると主は不在でも中はきちんと片付いていた。
医務室は学校の保健室に近く、入ってすぐの診療室と右奥の備品室、左側にはベッドが置かれている部屋がある。
安曇が音を立てずにわざわざ開放されている入口から進めば、その備品室の方からボソボソと話し声が聞こえる。
「…………丈夫。私が返しておいてあげるよ」
(当たり……か)
次から次へと問題が起こる。
今はまず、ここからあたらなければ。