黒き蛇は死水に潜る   作:御月ケイ

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第32話 少年の覚悟

 

 

「で、でも、た、頼まれたから」

 

 困惑したような、吃《ども》りのある子供の声が返事をした。

 

 身を隠して診療室側から備品室を覗く。一番奥の棚の向こうに、ショートカットの女の子の背中が見えた。──大久保伊織だ。

 

「だからってダメだよ。組長の物でしょ……。許してもらえないよ」

 

「……だけど……」

 

(どうやら、時雨が盗んだのは確かなようだ)

 

 あの時雨が?

 

 安曇は少し意外に思った。

 暴力団だろうがそうでなかろうが、善悪の価値観は存在する。大抵の善人と悪人の違いは、悪と知っても行動できるかどうかの差異でしかない。もちろん中にはそもそもズレている人間もいるだろうが。

 そして少なくとも、時雨はその価値観があると思うし、善に身を置く子だと思っていた。

 

「怖いんでしょ? 大丈夫、私が返しておいてあげるよ。時雨君は隠れてて」

 

「……」

 

 大久保伊織と、おそらくその向こうにいるだろう時雨は安曇に気づいていない。

 

 この、大久保伊織は何がしたいのか。

 

(返しておいてあげる、か)

 

 安曇には、時雨が単独で盗むとは思えない。本人の言葉からも。

 霜月医師が盗む理由もないだろう。組長へ不利益を出す意味がない。仕事をなくす。

 とすればおそらく奥村の指示だと思われるが、それを奥村の腰巾着の大久保が知らないことがあるだろうか。そしてその娘も。

 

(マッチポンプの臭いがするな……)

 

 ──カタン

 

「!?」

「誰!?」

 

 あえて音を立てれば、奥のふたりが驚いたようにこちらを見た。

 

「……安曇さん?」

 

「うん。ここで何をしてるの?」

 

 時雨に視線を送れば、時雨はビクリと肩を震わせた。一瞬視線を落としたが、けれど時雨は顔を上げて安曇を見た。

 

(……ふぅん?)

 

 その顔に本人の決意を見る。

 時雨は指示に踊らされた操り人形ではない。安曇はそう判断した。

 

「あ、ええと、時雨君が泥棒してしまったらしくて」

 

 大久保伊織は眉を下げ、弱々しい表情で安曇に訴える。

 

「へぇ?」

 

「だから私、ちゃんと返さなきゃって……」

 

「そう」

 

 まっすぐ時雨の前まで歩く。

 時雨は守るように幻日石が入った箱を持っている。

 

 備品室は薄暗く、外の喧騒はまだ遠いようだった。

 安曇の視線に時雨は眉を下げるが、抵抗する様子はなかった。

 

「なら、返しておいて」

 

「あ、安曇さん……」

 

 時雨から箱を取り上げ、伊織に渡す。

 不安そうにしていた伊織は箱を受け取って、パッと顔を輝かせた。

 

「わあ、ありがとうございます! ちゃんと組長に渡しますね!!」

 

「うん。……ああ、でも」

 

 ふと、思い立ったように言葉を切れば、伊織は不思議そうに首を傾げる。

 

「?」

 

「中身がちゃんとあるかどうか、確認した方がいいかもね。渡す前にチェックしておいて」

 

「なるほど、そうですね! わかりました!」

 

「隣の部屋で確認するといい。時雨が暴れると困るからね」

 

 なにせ時雨は大人のような背丈の子供だ。平均身長の安曇や伊織ではどうにもならない。

 

(まあ、外見だけの話だけど)

 

「あ、安曇さ、ん」

 

 時雨は困惑しているようだったが、伊織は時雨が声を出したことでサッと距離をとった。

 

「時雨のことは任せてくれていい」

 

「はい! 確認しておきますね!」

 

 嬉しそうに、パタパタと備品室から隣の診療室へ走っていく。安曇はそれを横目で見送る。

 

 言う通りにすればよし、しなかったとしてもどうにでもなる。今はこちらだ。

 

「時雨。どうして盗んだの?」

 

 安曇が名前を呼べば、時雨は再び肩を震わせてグッと目に力を入れた。

 

「の、呪いが」

 

「うん?」

 

「あ、あの箱が……の、呪いの原因だって……聞いたから」

 

「……」

 

 泣くような声が備品室に響いていく。

 呪われている安曇を前に、懺悔するように時雨は言葉を零していく。

 

「こ、ここに……残って、た、タイミングを見て」

 

「持ってくるようにって?」

 

 時雨はコクリと頷く。

 

「あ、あの箱さえなくなればっ! の、呪いは消せるって……」

 

「僕は頼んでないよね」

 

「っ!!」

 

 時雨は言葉を失って項垂れた。

 そしてその沈黙は──

 

「きゃああああ!!」

 

 大久保伊織の悲鳴で破られた。

 

「いっ……! いたい!! いあああ!!!」

 

 叫びとともに隣の診療室で、ドサリとそのまま物が落ちるような音がする。

 

「え、な、何……!?」

 

「……」

 

 呻くような声は、時雨が戸惑っている間に消える。

 

 大久保伊織は失神したようだ。どうやら石を確認したのだろう。

 

(案外、素直でいい子じゃないか)

 

 死ぬような石ではないはずだが、時雨には刺激が強かったようだ。怯えた目をして診療室の方を見つめている。

 

「時雨」

 

「え、は、はい」

 

 慌てて立ち上がりかけた時雨を止めるように、安曇は声をかける。

 

「僕は、僕が決めたからこうなっている」

 

 この黒い傷は、誰のせいでも何かのせいでもない。必要経費であり、安曇自身が選んで受けたもの。

 

 安曇はそう思っている。

 

「……」

 

 時雨は目を見開いて、安曇の包帯をじっと見つめる。その目からポロリと涙が落ちた。

 

「誰の指示?」

 

 時雨はポロポロと雫を落としながら俯いて、搾るような声を出す。

 

「……お、奥村幹部……です」

 

(そうだろうね)

 

 およそ想像通り。というより、そこしかない。

 

「わかった」

 

 奥村の目的はいくつか想像できたとしても、決め手はない。

 奥村が呪いを嫌っていることを考えれば、石は廃棄したいと考えるのが自然だ。けれど大久保伊織は。

 

『返しておいてあげる』

 これはどう見ても、組長に対して手柄を見せたいように見える。

 

「……」

 

 大久保家の暴走かもしれない。手柄を立てて、後見人の座に座ろうと。

 

 ただどちらにしても、時雨を利用したやり方が気に食わない。

 

 バタバタ──!

 

 悲鳴を聞きつけた大人の足音が聞こえてきた。

 

「時雨」

 

「は、はい」

 

「僕の役に立ちたいのなら」

 

 安曇は診療室へ向かって歩き出す。

 

「他の人間の駒になってはいけないよ」

 

「!」

 

 診療室には、大久保伊織が倒れていた。横にさっき渡した箱と、久しぶりに見る幻日石が落ちている。

 

(触ると本当に倒れるのか……)

 

 別に疑っていたわけではない。ただ、目に見える形で実感したのは初めてだった。

 安曇には綺麗な石でしかないのに、不思議な気分だ。

 

 石を拾って箱に収めたところで、三林が入ってきた。

 

「安曇坊ちゃん!?」

 

 最初に入ってきた中林が声をあげる。

 小林と大林もキョトンとした。

 相変わらず一緒に動いているらしい。

 

「丁度いい。彼女をベッドに運んでおいて。それから……この箱は彼女が持っていたようだ」

 

「それ……」

 

 三人は箱を見つめて難しい表情をする。

 

「知ってるの?」

 

 盗まれた物の情報は、秘匿されていると思っていたのだが。

 

「俺ら、ちゃんと調べたんすよ」

 

「うん、安曇さんに言われたんで調べました」

 

「柘植、奥村、細谷、都築、鮎川。この家は全て、今まで呪われた人間が出てる家でした」

 

(へえ? ちゃんと宿題を終わらせたわけだ)

 

 安曇は彼らを少し見直す。

 

 小林が大久保伊織をベッドに運ぶ。使われていないベッドはきちんと畳まれていて、時雨の几帳面さが伺えた。

 

「その箱が呪いの源だって聞いて」

 

 外の様子を見ていた大林がスルメを食べながら頷く。

 

(まだスルメ持ってるのか……)

 

「……誰から?」

 

「奥村幹部っすね。各家の話も聞きに行ったんで……」

 

 ここでも奥村の名前が出て、安曇は静かに思案する。

 

「わかった。父さんには大久保伊織のことを伝えておいて。それと、時雨」

 

 後ろに声をかければ、備品室からおずおずと時雨が顔を出す。

 

「父親を呼び出すように」

 

「え」

 

「できない?」

 

 時雨は一瞬顔を強ばらせる。堪えるように目を伏せて、ギュッと手を握った。

 

「っ! で、きます!」

 

 そして覚悟を決めたように顔を上げ、頷いた。

 

「うん」

 

「小林、車を出して」

 

「はい、どちらへ?」

 

 行く場所は決まっている。

 奥村の行き先は時雨は横浜だと言った。都築から該当住所も入手した。表向きの用件もできた。

 

 なら──

 

「当然、横浜だ」

 

 安曇は顔の包帯を取り、まっすぐ外を見つめる。

 

 ──奥村を、追い詰める。

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