黒き蛇は死水に潜る   作:御月ケイ

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第37話 手に入れたもの

 

 

 結局──大久保は幹部から降格され、後見人候補の話は水泡に帰した。事が起きてからたったの一日で、大久保の野心は砕かれる結果になったわけだ。

 

 奥村は謹慎という名の実質処罰なしとされ、ひばりは頬を膨らませて不満そうにしている。

 

「どうして当主様に渡してしまったんです? 安曇坊ちゃんにだって裁く権利はありましたよ!?」

 

 森を歩きながら、後ろのひばりは腰に腕を当てた。器用なことだ。

 

「黒鉄組の幹部のやらかしだ。黒鉄組で裁くのがいいんだよ。一度はスジを通しておかないと」

 

 それにお咎めなしというわけでもない。奥村の立場で謹慎を受ければ、これまでより他家への影響は下がるはずだ。

 

「むー」

 

 奥村道幸を辿ろうと今回あれやこれやと動いたが、奥村には拒絶され、様々なものが徒労に終わった。

 

「安曇さ、ん」

 

 ──というわけでもない。

 

「時雨」

 

「どうして、お、俺とお父さんを、許してくれたんですか?」

 

 霜月時雨。

 

 騒動の端を担った少年であり、今回安曇が得たものでもある。

 

 霜月親子の処遇に関しては、黒鉄当主として隆盛が正式に安曇に任せた。幻日石の絡みだったことと、大久保捕縛に至るまでの時雨の動き、安曇の指示を鑑みての判断だった。

 

「僕は、僕のために動く人間は嫌いじゃないからね」

 

「……」

 

 きょとんとしたあと時雨はしっかりと頷く。

 

「俺、安曇さんの、役に立ちたいです」

 

 その言葉からは、ぎこちなさは残っているものの吃りがほとんど消えていた。

 

(時雨なりに覚悟が決まったのかもしれない)

 

 霜月医師は安曇の主治医でもあったため、安曇が良しとするのならそのままでもよいという沙汰だ。実際、霜月医師は今回の騒動にほとんど関係していなかった。

 

「気づいて、なかったことは、ないと思うんですけど……」

 

 時雨はしょんぼりと眉を下げる。安曇もそう思う。霜月医師は薄々勘づいてはいただろう。ただ、保身のためか興味の問題か、彼は深く関わろうとしなかった。それが幸を成したというところだ。

 

 

 ザク……ザク……

 

 森の中に大勢の足音が響く。

 安曇を筆頭にひばり、三林、時雨、そして──

 

「この先に対の館があるんですよね?」

 

 鮎川皐月がいる。

 皐月に関しては呼んでなかったが、顛末が気になるのか昨日黒鉄屋敷に戻ってからずっと安曇についている。

 

「そう。館の中には入れないから、歩きがてら説明するよ」

 

 歴代継承者と当主によって秘匿されてきたお役目。安曇はその慣例を破るつもりだった。

 

(完全に秘匿したところで、デメリットの方が多いからね……)

 

 これまでの歴史も、お役目も。そして対の館と化け物の話も隠すつもりはない。

 少なくとも、このお役目をこなすためには協力者が必要だ。

 父の隆盛もそう考えて後見人を募ったのだろうが、あのやり方では別の争いばかりで役に立たない。

 

「お役目と呪い……隆明さんもってことですよね。そんな話を聞いてしまうと奥村幹部の気持ちも……」

 

 あの場で話を聞いていたひばりには、思うところがあるのだろう。

 安曇はその感情自体を否定しようとは思わない。奥村に関しても、やり方が気に食わなかったに過ぎない。

 

「安曇さんは、つらく、ないですか?」

 

 三林が涙を浮かべ、時雨が泣きそうな顔をしたので、安曇は思わず苦笑した。

 

「そうだね……。自分がこの立場になったこと自体は悪くないと思ってる。おかげでわかることもたくさんあったからね」

 

 基本的に、呪いなどと呼ばれる悪習は無くした方がいい。

 けれど叔父のことも、呪いのことも。あの継葉のことも、継承者にならなければ何もわからなかった。

 その覚悟も、想いも知れてよかったと思っている。

 

「でも坊ちゃん、また仕事をすれば怪我をしちまうんですよね……?」

 

 中林は鼻を啜りながら安曇の包帯を見つめる。その手には大きめの救急箱を抱えている。

 

「うん、怪我はするはずだ。まあ、死なないように気をつけるよ」

 

 とはいえ、数日経ったからか今は痛みもほとんど無かった。そういえば痛み止めも飲んでいない。

 

「どうしてそこまでするんですか?」

 

 鮎川皐月が森の木々に触れながら、不思議そうな顔を安曇に向ける。

 安曇はそんな皐月の顔を見て薄く笑う。

 

 どうしてと言われたら。

 やりたいことがあるから。これだけは譲れない。

 

「化け物に飲み込まれる叔父さんの姿を見つけたから。どうしてももう一度会って、話がしたいんだ」

 

 取り繕うことなく安曇が言えば、皐月は驚いた表情をする。周りで三林も顔をこちらに向ける。

 

「飲み込まれるって……お葬式してましたよね?」

 

「継承者は最期、どうやら死水に溶けるようだから」

 

 それでもおそらく、通常は館の外と中は断絶しているはずだ。隆明があの水に取り込まれてしまったのは……

 

(あの時、指を落としたからな気がする)

 

 安曇はそう考えている。

 叔父が死水に混ざってしまったのはあの瞬間。だからこそ──罪悪感が消えない。会いたいと、願うのだ。

 

「ぞんな、隆明ざん!! うおあ、安曇坊ちゃぁぁん!!」

 

 皐月の言葉を遮るように叫んだ三林は、仲良く同じポーズで涙を拭う。

 それを少し引き気味で見ていた皐月が、改めて安曇に目を向けた。

 

「えーと……うん。なんというか、ちょっと意外でした。安曇さんも人間なんですねぇ」

 

「皐月さん、安曇坊ちゃんは優しい方ですよ!」

 

 ひばりが憤慨したが、当の安曇は肩を竦めた。そんなに非人道的なことをした記憶はないのだが。

 

「あはは……そしたらとりあえず、安曇さんが不在の間は僕が包帯巻きつけて身代わりするのが良さそうですね!」

 

「俺は……ええと……」

 

 なぜ鮎川皐月はそんなに乗り気なのか。触発されたのか、時雨が何かを言おうと一生懸命になっている。

 

 そんな中、一行は森をぬけ、対の館に到着した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 安曇はひとり、館の奥へと向かう。

 彼らは中に入れないからだ。

 褒めてほしがる鮎川皐月を軽く流し、それぞれに指示を出しておいた。

 

(これで最低限は大丈夫だろう)

 

 安曇は迷いなく進む。

 これで余計なことは考えずに済む。

 

 

 ──ザシュッ

 

 廊下に出てきた影を斬る。

 もはや躊躇いも恐怖もない。

 叔父と通った道。今でもあの背は安曇の中に残っている。

 

 奥の扉を開け、浮かんでいる黒いモヤのような球体まで走る。

 

 ボコリ……ボコリ……

 

 久しぶりに聞く音だ。継葉が安曇を気遣って中の強化をしたので、専ら最近は見かけなかったのに。

 

(……師匠?)

 

 ──それは一抹の不安。

 

「ふっ!!」

 

 影を斬り裂き、走り抜けるようにモヤを斬る。今までで最速だった。

 

 混ざったからなのかなんなのか、少し体が軽い気がした。

 

 死水の奥の扉を見つめる。

 

「……行こう」

 

 誰にともなく呟き、じゅわりとまとわりつく死水に顔を顰めながら一気に潜る。

 

(なんだ? 痛みが……弱い?)

 

 いつもの激痛より楽に進む体に違和感を覚える。

 もちろん痛むのだが、傷を抉られるような感覚は薄い。

 疑問を確信まで持っていく余裕もなく、扉に辿り着いた安曇は、一息にその向こうへと潜り抜けた。

 

「──え」

 

 抜けた先は、対の館ではなかった。

 真下に広がる巨大な闇。

 ふわりと臓腑が浮かび上がる感覚。そして次の瞬間には安曇の身体は吸い込まれるように下に進んでいた。

 

(落ちる──!!)

 

 いつか見た奈落が眼下に広がり、吸い込まれるように安曇は落ちる。周囲に蠢く影が飛ぶように頭上に流れていく。

 

「くっ!!」

 

『意志はこの世界のあらゆるものを支配する』

 

 継葉はどうやっていた!?

 記憶を探ろうとしても、目の前の影がゆらりと近寄り思考が途切れる。

 

 刀を振るいながら必死に頭を巡らせる。

 

(師匠の言葉は!?)

 

『ワッと集めるんだ!! ギュッと!』

 ──ダメだ、こんな時なのに師匠の教えは擬音しか出てこない。

 

 焦りは混乱を招き、影はぬるりと安曇の周りを飛び泳ぐ。それを次々と切り伏せながら、どうにか頭を切り替える。

 

 あの日、森の中で感じたものは……!!

 思い出せ!!──支配を!!

 

 心を鎮めて!

 周りを感じて……!

 

(そうだ!!──集める!!)

 

「──っ」

 

 ダンッ!!

 

 足下に木の板を組み合わせたような粗い足場が現れ、安曇の体を受け止めた。

 

「でき、た……!」

 

 荒い息を吐きながら、頼りない足場でバランスを取る。

 継葉のような安定感のあるあぜ道は作れない。それでも──作ることができた。

 

「はぁ、はぁ……なぜ、奈落が……」

 

 周囲には瓦礫のような歪な建物の塊が浮かんでいる。大きいものもあれば小さいものもあるが、対の館や田園風景は見当たらない。

 

『この館がこの形を取り、影を入れないようにしているのは私がそうしているからだ』

 

 再び脳裏に過ぎった継葉の言葉にゾッとした。

 

 では、今、この場に対の館がないのは──

 

「どうして……」

 

 大きな口を開けた闇が、全てを飲み込んでしまうような気がした。

 

「師匠──!!」

 

 声にならない叫びが、奈落の闇に吸い込まれて溶けていった。

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