第38話 師弟
東雲継葉を初めて見た時。
『大丈夫か? 少年』
雷鳴のような剣戟に、サラサラと塵になる影。その強さに圧倒された。
(打算を含んだ弟子入りだったけど……)
脳裏に過ぎるのはいつだって、曇りのない眼差しで真っ直ぐに立つその背中。
『大丈夫だ、できることはある。お前は影を斬れる』
何の根拠もなく、それでも力強く頷いた継葉。あの一瞬があったからこそ──
ザシュッ!!
今、こうして影を斬ることができている。
足場に集中しながら戦うというのは、なかなか難しい。意識が逸れるとグラリと落ちかけ、そちらに集中すると影の攻撃を食らう。
「……はぁ……はぁ……」
刀を構え、肩で息をしながら周囲の影を睨む。それでも時間をかけ、着実に数は減った。今は遠巻きにゆらぐオタマジャクシのようなものしか残っていない。
(とりあえず……大丈夫そう、か)
肩から僅かに力が抜けるが、足場を維持しなければならない。
緊張とダメージの蓄積で、全身汗だくだ。これだけ影とやりあって、ダメージが軽いのが唯一の救いか。
「師匠は……どこに……」
これはただの不在ではない。
いつもなら、出かけていても対の館は消えたりしない。
(あの場所が消えているということは)
継葉に何かが起きているとしか思えない。
「そんなはず……ない。絶対無事だ」
そう口に出して気づく。
安曇自身が思うよりずっと、自分は継葉を頼りにしていたのだと。
「……」
一緒に過ごした時間はさほど長くない。
けれどその存在は、安曇の中に深く刻まれているようだ。
死水を歩くために必要な人。
ここでの戦い方を教えてくれた人。
そして──死ぬなと、泣いてくれた人。
継葉を探そう。
大きく息を吐き、安曇は改めて周囲を見回した。
ここで継葉を無視して叔父を追いかけようとは思えなかった。もしかしたら継葉は今この瞬間にも窮地に陥っているかもしれない。
(僕が頼んだから、という可能性もある)
奈落はあの日と変わらず、底が見えない暗闇だ。
その中に浮かぶ影と、明かりの漏れる建造物。それらは、ここに溶けた者たちの末路を示すかのようにぐちゃぐちゃに混ざりあっている。
継葉も混ざってしまった……?
背筋に冷たいものが落ちる。
(いや、あの人がそんなに簡単に呑まれるはずがない)
予感を振り払うように首を振る。
きっと無事だ。大丈夫だ──長い時間をひとりで戦ってきた人なのだから。
ポケットから六文銭を取り出す。継葉が大切に所持していたもの。お互いを繋ぐためにと継葉がくれたもの。
これが……縁を繋いでくれるだろうか。
手のひらのにあるのは、年号すら見えない中央に四角い穴が空いた硬貨だ。古びていても鈍い光を放っている。
どう使えばいいのだろう。
安曇の記憶では、六文銭は三途の川の渡し賃と言われている。
キュオオ……!
「!」
近寄ってきた影を斬る。その時、ふと──手の中の六文銭が揺れた。
百蛇物語の一節にこの言葉がある。
『どうか迷いませぬように。
どうか意志が消えませんように。
この六文銭を対価とし、どうか水が穏やかであるように。』
(対価……)
安曇はジッと手の中の硬貨を見つめる。
正直、怖い。これを手放せば、二度と継葉との縁は繋げないかもしれない。
失ってしまった煙管が頭をよぎる。
房紐が切れた時の喪失感は、今でも全身に冷水を浴びたように震えがくる。
失いたくない。
(嫌だ……! だけど──!)
安曇はグッと六文銭を握りしめ、目を閉じる。自分の中の不安を抑え、深く深く息を吐いた。
「……」
そして目を開けて。
跡がつくほど強く握りしめた手を開けて、安曇は六文銭を──奈落へ放り込んだ。
「!」
六文銭が浮かんでいた。
まるで闇に溶けることを拒んでいるように。
そしてそれは、まるで水に流れるようにゆらゆらと揺れながら動き出す。
「待て!」
流れていく六文銭を追うように必死で足場を構築し、少しずつ追いかける。
慣れない作業に息が上がり、汗が頬を伝って奈落へと落ちていく。
「これは……!」
近づいて気づいた。
六文銭は流れているように、ではない。本当に流されていた。薄ら見える影の川。そこをゆらり、ゆらりと進んでいる。
安曇はキッと顔を上げ、六文銭を追っていく。
『まだ、諦めなくていい』
六文銭がそう言っている気がした。
***
どれだけ進んだだろう。
六文銭はとある建物に流れ込む。道中、どれだけの影を斬り、足場から落ちかけたかもう記憶にない。
荒い息を必死で整え、どうにか前へ前へと進んでいく。
「この……建物は……?」
大きな門構えは黒鉄屋敷のそれだが、建物にはビルだのコンビニだのがめちゃくちゃに生えている。ゴツゴツとしたフォルムはその場の異様さを示し、拒否感からか背中が粟立つのを感じた。
けれど六文銭はそこへ流れていく。安曇は意を決して中へと足を踏み入れた。
「!」
安曇は目を見張る。
中は対の館になっていた。鏡移しのような、現実とは左右対称のその館。
それは継葉の領域と同じもの。
「師匠!?」
声を上げるが、返事はない。
影もいないその館内は、見知った場所でありながら知らない場所のように寒々しい。
継葉が鼻歌を歌いながら手当てをしてくれた記憶が安曇を縛った。
六文銭はまだ流れている。
(きっと、近くにいる)
流れの進むまま、影の川の流れを追って奥へ奥へと向かう。板間を超え、回廊へ。そして、最奥──死水の部屋の入口で流れ着くように落ちた。
「!」
その部屋に死水はなかった。向こう側の壁もなく、奈落が顔を覗かせている。
左右の壁から部屋中に蜘蛛の糸が張り巡らされ、その中央に──継葉がいた。
「師匠!!」
継葉はいつもの侍風の服ではなかった。金の刺繍が入った赤い振り袖だ。それはどこかの貴人のように美しいもので、目を閉じている継葉によく似合っている。
「……」
安曇は一瞬見とれていたが、糸が彼女を中心に部屋に張り巡らされていることに気づき、歩みが止まる。
思い出されるのは、死水に来て最初に叔父を飲み込んだ蜘蛛だ。
継承者たちの末路。
まさか。
心臓がギチリと締め付けられる。
「……」
継葉は蜘蛛に飲み込まれ、混ざってしまったのだろうか?
(そんな……)
じわりと恐怖感が安曇を襲う。呼吸が浅くなり、目の前に見えるものを否定する材料がほしくて、視線は必死に周囲を彷徨った。
「……師匠。起きてください」
声をかける。
動かない。
「師匠!」
影はいない。糸は動かない。
蜘蛛の巣に咲く大輪の花のように、東雲継葉は静かに闇に浮いていた。