黒き蛇は死水に潜る   作:御月ケイ

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第39話 百蛇衆

 

 

 それでも安曇は、継葉なら起きると信じている。

 

 ──だから、触れないよう避けてきたことだとしても。今は!

 

(これならきっと……届く!)

 

 蜘蛛の巣に咲く花のように眠る継葉を見つめて、安曇は大きく息を吸った。

 

「──起きろ!! それでも白夜の当主なのか!?」

 

 ビリッと空気がひりつくほどに、鋭い声は糸をも揺らす。

 

 ──東雲継葉の過去に、安曇が触れた瞬間だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ここに来る前──

 対の館に安曇たちが到着した時のこと。

 

「着いたよ」

 

「ここが……」

 

 時雨と三林は肩を寄せあっているし、ひばりは立ち竦み、皐月は不気味なものを見るように館を眺めている。

 

(まあ、そんな反応だろうな)

 

「館には入れないんでしたっけ……」

 

 小林が不安そうに辺りを見回す。

 ボロボロの館はいつもと変わらず、静かにそこに建っている。

 鉄の両開きの扉に手をかけながら安曇は頷く。

 

「僕は入れるけど、他の人間は入れないと思う。試したことはないけどね」

 

「見えない壁ができるとか?」

 

 皐月が興味津々な顔をして、扉を見つめる。

 

「いや、中に入ると倒れると聞いてる。あと記憶が混濁すると」

 

 幻日石と同じようなものだと叔父は言っていた。だとすればおそらく、そうなるはずだ。

 

 試してみたくないわけではないが、だからといって誰かに勧めるのも躊躇われる。

 

「あ、じゃあ僕、入ってみて良いですか?」

 

「皐月さん!?」

 

 ひばりと三林がギョッとしたように皐月を見る。その後ろでは時雨があわあわと全員を見回している。

 

「え、いや、だって。試してないならやってみた方が良くないですか? 倒れても僕なら子供で軽いし……死なないんですよね?」

 

 安曇から言いにくかったことをスパッと皐月は切り込み、最後にチラリと安曇を確認する。

 

「死なないはずだね」

 

「あ、ちょっと怖いなぁ……」

 

 皐月が苦笑いしたところに、ズイッと一人の影が割り込む。大林だった。

 

「俺、行きます!」

 

「え」

 

「……別に僕は構わないよ」

 

「何があるかわからないものを、女子供に任せるなんて男が廃るってもんです。俺にやらせてください」

 

「大林……お前……」

「カッコつけやがって……」

 

 小林と中林はまた涙ぐんでいる。

 皐月は軽く肩を竦めて安曇を見た。

 

「……はぁ。いいよ」

 

 安曇は僅かにため息をつき、扉を開けて場所を譲る。何かあればすぐに対応できるよう、少しだけ気を張って大林を見つめる。

 

「……行きます」

 

 中林にスルメを預けた大林は、恐る恐るといった様子で中に一歩足を踏み入れる。

 

 ──何も起きない。

 

「お?」

 

 二歩……その時──

 

「ぐっ」

 

 呻くような音を口から漏らし、大林の体がくの字に曲がる。

 

「大林!?」

 

「あ、あああああ!!!」

 

 次の瞬間、電流を流されたかのように仰け反り、叫んだ。

 咄嗟に安曇は大林を館の外に蹴り出す。

 

「がっ……」

 

 口から泡を吹いて痙攣している大林に、すでに意識はなかった。慌てて時雨が駆け寄り、脈を取る。

 

「……こんな感じだね。小林、中林。すぐに起きると思うけど、記憶も混濁しているだろうし屋敷に連れ帰ってあげて」

 

「「は、はい!!」」

 

 ふたりはビシッと背を伸ばし、大林を抱えて去っていった。

 残ったメンバーは呆然とその様子を見送る。

 

「あと……少し待ってて」

 

 そう言って安曇はひとり館へと入り、地下からひとつの物を持ち出した。

 

「これを調べてほしい」

 

「これは……?」

 

 ひばりに渡すと、彼女は怖々とそれを──百蛇物語を受け取った。

 

「どうやらこの対の館と僕が引き継いだお役目について書かれているようだ」

 

「これが!?」

 

 ひばりはギョッとしたように古い冊子と安曇の顔を交互に見る。

 

「僕はこれから長ければ数日不在になる。その間を誤魔化しつつ、これを調べる。可能なら黒鉄の歴史も調べておいて」

 

「歴史……この物語に繋がるものということですか?」

 

 今すぐに必要な情報ではない。

 けれどお役目の秘密に迫れば、叔父を……継葉を解放する方法がわかるかもしれない。

 

「うん。中に、百蛇衆というのが出てくる。彼らが黒鉄の祖なのか、あるいはどこかへ行ったのか」

 

 そう説明すると、横で時雨が首を傾げた。

 

「百蛇、衆ですか? 白夜《びゃくや》じゃ、なくて?」

 

「白夜?」

 

 安曇とひばりの視線を受けて、時雨は驚いたように肩を震わせる。

 

 その名前を聞いて思い出すのはひとつだ。

 日本で一番古い暴力団組織だと言われている白夜組。規模も大きく、けれど特別大きな騒ぎを起こさない大人しい組でもある。

 

 黒鉄組は大きいとはいえ白夜組には遠く及ばない。

 

「あまり、知られて、ないんですか? 黒鉄組、の前にここにいたのは、白夜組だって、父さんから聞きました」

 

(黒鉄組《くろがねぐみ》の前に……白夜組《びゃくやぐみ》)

 

 初耳だった。

 

 霜月医師は代々暴力団関係の面倒を見てきた医師一家だ。何かを知っていても不思議はない。

 

「……時雨。なぜ白夜組がこの屋敷から去ったのか、知ってる?」

 

「え、と。よく、知らないですけど、組の中で争い、があったらしくて。結局その時の当主、が亡くなってバラバラになったって……聞いてます」

 

 派閥争いか何かか。

 

「……なるほど」

 

 安曇は小さくため息をつく。

 頭の中で、ピースの欠けたままのパズルが組上がる。

 いくつか不明点はあれど、これらの情報を加味すれば、ひとつの可能性が浮かび上がる。

 

(あえて触れないようにしてきたのにな……)

 

 彼女の過去には。

 

 

 

「つまり、黒鉄組の祖が白夜組で、白夜組の祖が百蛇衆ってことですか?」

 

 皐月は興味深そうに百蛇物語の冊子を見つめている。

 安曇はそれを見ながら、自分の整理がてら口を開く。

 

「……そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」

 

 安曇の言葉に、ひばり、時雨、皐月の三人は首を傾げた。

 

 皐月の言葉は一見筋が通っている。

 しかし。

 

 

 ──本当にそうだろうか?

 

 

 百蛇物語は古い文字で書かれていたが、読めないほどのものではなかった。

 

 そして『幕府の志士』という言葉。これが出ていたことを踏まえれば、この書物が作られたのはおそらく明治あたり。

 

 たかが200年程度で、三つの組織が入れ替わるだろうか?

 黒鉄組自体、お役目の交代が数世代起きているのに?

 

「確かに、ちょっと無理がありますね……」

 

 皐月は顎に指を当てて思案するように呟く。

 

「僕は漢字からこの物語を『ひゃくへび物語』と読んだけどね。もしもこれが……『びゃくだ物語』なら?」

 

「──あ、なるほど」

 

 皐月は合点が行ったらしい。

 安曇も小さく頷き、静かに言葉を続ける。

 

「そう。だからおそらく、百蛇衆《びゃくだしゅう》と白夜組《びゃくやぐみ》は──」

 

 そして白夜組が去る時に亡くなった当主というのは……

 

 

 

 

 

 安曇が『白夜の当主』と叫び、その声が奈落に反響する。

 

 その叫びに呼応するかのように、

 

 ──ピシリ

 

 世界が音を立てた。

 

 そして安曇の声が届いたのか。

 継葉の瞼がゆっくりと上がり、長いまつ毛が持ち上がる。

 

「……あず、み?」

 

 継葉は薄らと目を開けた。

 その瞬間──胸にあったわけのわからない苛立ちが、音もなく溶けて消え去った。

 

「──」

 

(……ああ、そうか)

 

 ──僕は不安だったのか。

 

 継葉が無事だとわかるまで、ただひたすらに落ち着かなかった。

 何をしても正解じゃない気がして、ただ必死に手を伸ばしていた。

 

「……」

 

 大きな蜘蛛の巣の真ん中で、継葉は寝ぼけているようにぼんやりした視線を安曇に送る。

 

「……師匠」

 

「ん……んー?」

 

 ふぁあと欠伸をする彼女に何だか気が抜けた。思わず苦笑が零れて、右手を強く握りしめていたことに気づく。

 

 呼吸の仕方を……やっと思い出した。

 

 躊躇いがちに伸ばした安曇の腕が、細い糸に当たる。

 その振動が伝わったのか、継葉はパチリと目を開けて驚いたように辺りを見回した。

 

「お? おお!? なんかとんでもないことになってるな!?」

 

 継葉はようやく自分の状況に気づいたようで、キョロキョロと周りを見たあと苦笑いする。

 少し弱っている様子ではあったが、その笑顔はいつもの継葉だ。

 

 ──この人には敵わないな。

 

 蜘蛛の糸をどうにか引き剥がそうとしている継葉を見て安曇は刀を握る。

 

(僕は……子供だ)

 

 こんなに動揺するなんて。

 

『お前もまだまだガキだねぇ』

 

 叔父に笑われたのを思い出した。

 

 そう、子供だ。

 さっきまで、霧の中を歩いているそんな気分だった。

 

「糸を……斬っても大丈夫ですか?」

 

 安曇にしてはかなり控えめな言葉に驚いたのか、継葉はキョトンと目を瞬かせて安曇を見る。

 

 継葉は眉を下げて苦笑した。

 

「ああ、問題ない。情報を得ようと支配圏を強引に増やしたんだが……まあ、うん。私は私だ。大丈夫」

 

 安曇はひとつ頷くと、継葉の周りを回るように刀を振るう。

 

 ザクッ──!

 

 糸が斬れると、継葉はふわりと着物を広げて着地した。その時──

 

 また小さく『ピシリ……』と音が鳴った気がした。

 

「いや、悪かった。こんなことになるとは……」

 

 継葉はバツが悪そうに頭を掻きながら、自分が張り付けられていた蜘蛛の巣を見つめる。

 その様子は本当に人間のままのようで、安曇はようやく肩の力が抜けた。

 

(これが……安心、か)

 

 静かに腑に落ちる感情が、胸の奥に染みていく。

 もちろん思うところは山ほどあるが。

 それでも。

 

「──おかえりなさい、師匠」

 

 継葉が戻ってきた──今はそれだけでいい。

 

 ──ピシリ

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