黒き蛇は死水に潜る   作:御月ケイ

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第41話 混ざりゆく

 

 

 頭上から落ちてくる黒い影の蜘蛛たちは、弾丸のような速度で安曇に迫る。

 

「くっ!!」

 

 一匹はかわし、回避しながらその横の一匹を薙ぎ払う。安曇の斬撃は右にいた蜘蛛の長い脚を二本斬ったが、蜘蛛は四方八方から飛んでくる。

 

 体当たりは安曇の足場を消し飛ばし、新しく作る余裕すらなく安曇はボールのように弾かれる。

 

「安曇!!」

 

 継葉の声が聞こえるが、安曇はそれどころではない。

 足場を壁のように作って衝撃を打ち消し、刀でいなし、背中を突き飛ばされ、腕を噛まれる。

 

「っ!」

 

 ジュワリと溶けるような感覚。

 突き飛ばされるたびに息が止まりそうになる。

 

(なぜ!?)

 

 確かに『白夜の当主』という言葉に反応した。しかし彼らの標的は、なぜか安曇になっている。

 

 ドガッ!!

 

「うっ!」

 

 落石が落ちてくるような衝撃が次々に走り、体が奈落に浮かぶ。

 しかしそれで落とされることすらなく、迎えるように下から蜘蛛が口を開けて安曇に迫った。

 

 継葉が弾丸のように飛び降りてくるのが見える。

 

 キュオオオオ!!

 

 蜘蛛たちの動きはおかしい。

 それはまるで、あの初めて死水に来た日のように安曇だけを追う。

 

(──あ)

 

 体当たりで打ち上げられた安曇は、ポケットに触れる。

 

『幻日石《げんじつせき》』

 

 継承者全てに縁があるもの──!!

 

 キュオオオオ!!

 キュオオオオ!!

 

 蜘蛛が飛ぶ。

 継葉が走る。

 

 ──ドガッ!!

 

 安曇が蜘蛛たちの雪崩るような体当たりに巻き込まれる寸前、柔らかなものに包まれた──ような気がした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 死んだと思った。

 

 しかし気づけば、安曇は黒鉄屋敷の大広間に立っていた。

 全身にまとわりつくような痛みと違和感があった。

 

 けれど生きてる。

 安曇はわずかに安堵して顔を上げ、ギクリと体を硬直させた。

 

 広間には壁に沿うように、ズラリと着物の男女が座っている。

 

(なんだ!?)

 

 その男女の顔は黒いモヤでハッキリ見えないが、突き刺さるような視線の圧迫感を覚える。

 

 思わず一歩下がると足に何かが当たる。

 振り返った安曇は目を見開いた。

 

 そこにいたのは、着物に袴を履いた女性──東雲継葉、その人だった。

 

 一番の上座には口ひげを蓄えた男性が。その横に継葉が座っている。

 

「もう終わりにすべきです」

 

 顔にモヤをつけた誰かが言った。

 それに呼応するかのように……

 

「これ以上は無理です」

「なぜ我々が犠牲にならなければいけないのですか!?」

 

 複数の声が飛ぶ。

 そしてそれに対抗するかのように鋭い叫びが上がる。

 

「馬鹿な! 我ら以外に誰が守れるというのだ!?」

「そうだとも。先祖代々の祈りを無碍にする気か!」

 

「……」

 

 継葉は何も言わずに彼らを見ている。その視線にも、モヤの男女の視線にも安曇は写っていないようだった。

 

 討論は水掛け論のように平行線だ。

 

(お役目に関してか……)

 

「当主、ご意見を!!」

「盛嗣《もりつぐ》様!!」

 

 ザワザワと揺れるように声が上座に投げられる。

 

「お願いします! 私は子を失いたくない!!」

「皆を守るためだぞ!?」

 

 黒鉄組ではこんな議論はありえない。

 お役目は秘匿だ。だからここは、過去の記憶なのだと理解した。

 

「やめろ! いい、私が行く」

 

 継葉の一声で部屋が静まり返る。

 それをぐるりと見回した継葉は立ち上がり、再び声を張り上げた。

 声は広間に響き、争っていた男女は狼狽えた。

 

「つ、継葉様!?」

 

「わかっておられるのですか!?」

 

「当然わかっている。無駄に争うな。私がやり抜こう」

 

 動揺、困惑、悲しみが場を支配する。

 継葉の横にいた男が継葉を見上げる。

 

「……望みはあるか?」

 

 その声には悲しみが滲んでおり、安曇はこの人物が継葉と縁のある人間なのではないかと思った。

 

「私を当主に。そして贄《にえ》に。──最後の贄としていただきたい」

 

 ざわり……と大広間が揺れる。

 お役目廃止を訴えていた勢力は喜びと悲しみをないまぜに、続行を唱えていた勢力は困惑するように息を飲んだ。

 

(贄……師匠……)

 

 体中の痛みとは別に、胸の中に苦い痛みが広がる。

 

 ──白夜の終わりから何年だ?

 

 背筋に冷たいものが落ちる。

 

 あまりに、長い。

 

(僕に……できることは)

 

 安曇は継葉を見たが、継葉の視線は安曇を見ない。

 当主と思しき上座の男が頷いたのを確認すると、そのまま踵を返して広間を出ていった。

 

 安曇は迷わずそのあとを追う。

 

 ここは継葉の記憶ではないか?

 顔が見えるのは彼女しかいない。

 

「!?」

 

 広間を出れば廊下のはずだが、踏み出した安曇がいたのは対の館だった。

 

(死水の間……)

 

 ズキズキと体が痛む。

 

 継葉と女性が立っている。

 安曇の目にはその女性もまた、モヤのかかったような顔をしていた。

 

「母様、これを楔としてください」

 

「この着物は……でも」

 

「これがいいのです」

 

 継葉から赤い着物を受け取った女性は声を震わせ、着物を抱きしめる。

 その着物は安曇にも見覚えがあるものだった。

 

「これがあれば立ち続けられます。大切なものですから」

 

(……師匠、笑ってる)

 

 おそらく別れの記憶なのだろう。そんな時でも継葉は迷いのない目で、穏やかに笑っていた。

 

 不思議だった。

 継葉は確かに笑っているのに、胸中には別の感情がある。

 

 ──苦い。

 

 これは継葉の気持ちのはずなのに……。

 安曇はわずかに眉をひそめた。

 

「守り続けるわ。貴女が意志を持ち続けられるよう。決してその心を忘れないように……約束するわ」

 

「……はい。それだけで、私は戦えますから」

 

 泣き崩れる女性の肩にそっと手を置いて、継葉は刀を持って立ち上がる。

 向かう先は死水だ。

 

 一歩。

 水に触れ、継葉の体が震える。

 安曇にも痛みが伝わってくる。

 

 二歩。

 けれども迷いなく。

 痛みより、戦うのだと決意を感じる。

 

 継葉はどんどん歩みを進め、やがてその姿は全て水に潜ってしまう。残された女性は着物を抱えて動かなくなった。

 

 安曇は女性に近寄りそっと様子を窺うが、彼女は呼吸すら止めているようにピクリともしない。

 

「やっぱりここは……師匠の記憶か」

 

 安曇の静かな呟きですら、吸い込まれるように消えていく。

 

 安曇は女性から離れ、死水へと向かう。

 対の館自体も安曇の記憶よりは綺麗で、死水も少ないように見える。

 

(楔とは……いや、今は急ごう)

 

 継葉を追いかけなくては。

 安曇は見慣れた死水に飛び込んだ。

 

 

 

 水の中は、いつもと違った。

 いつもなら見えるはずの出口が見えない。

 もがくように水を進むたび、じわじわと体に痛みが走る。都度、継葉の気持ちが流れ込んで来るような感覚があった。

 

(遠くない)

 

 先に向かったであろう継葉に、安曇は必死に手を伸ばす。

 

「(師匠──!!)」

 

 ざらりと心が流れる感覚。

 次の瞬間。

 

 死水が生き物のように動き出す。

 押しつぶされるような激流に、安曇は体が引き裂かれそうになる。

 

(──っ!!)

 

 そして──ふ、と。

 引き寄せられる感覚も、まとわりつく痛みも消え……

 

 

「安曇!!」

 

「!」

 

 目の前に焦った顔の継葉がいた。

 さっきまでの凛とした顔ではなく、どこか泣きそうな顔をしている。

 

「……師匠?」

 

 継葉は肩で息をしながら、片手で安曇を抱えている。もう片方の手は刀を握り、斬られたであろう影がバラバラと落ちていくところだった。

 

「大丈夫か!?」

 

 手に取るように心配と不安が伝わってくる。

 

(ああ、そうか)

 

 また少し──混ざったのかもしれない。

 

 ジッと手を見る安曇を庇うように、継葉は刀を振るう。飛んできた蜘蛛はバラバラと砕けて落ちる。

 

「なんでコイツら……」

 

「……あ」

 

 継葉の苛立ちにハッと安曇は顔をあげる。

 安曇は継葉から離れて立つと、ポケットからそれを取り出した。

 

「これのせいかもしれません」

 

「……幻日石!?」

 

 ポケットから取り出された幻日石は、初めて見た時と変わらずトロリとした虹色が緩やかに流れるように揺れていた。

 

 しかしかつて適性を見るために持った時は無音だったそれは、今はなんだか生き物のように温度を感じる。

 

「叔父さんを攫った蜘蛛の正体は継承者でした。だからこれがあれば追えるかと思ったんです」

 

「……継承者だと気づいていたんだな。お前、頭良いなぁ」

 

 褒められたところでこれだけ集めてしまっては……。

 

 周囲にはまだ蜘蛛がいる。

 数は減ったけれど赤黒い目をふたりに向けて、隙があれば飛び上がる。

 

 斬っても、蜘蛛はバラバラに落ちて闇に溶け、闇からまた増える。

 それはまるで、百蛇物語の蛇のようだ。

 

「このままじゃ埒が明きませんよ」

 

「……だな」

 

 百の蛇に睨まれた、かつての百蛇衆もこんな気持ちだったのだろうか。

 安曇は幻日石を握りしめ、蜘蛛たちを睨みつけた。

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