縁のあるもの──幻日石を手放せばこの状況は変わるだろう。
安曇はそう思案する。
けれどそれは同時に、叔父への導線を失うことを意味する。
(それは……嫌だ!)
グッと幻日石を握りしめる。
しかし、現実問題このままではジリ貧だ。
逃げるか?
いや、それですら安曇ひとりでどうこうできる話ではない。
それに逃げてどうするというのか。
自分の無力さに吐きそうになる。
「こいつらは……無限に蘇るんですか?」
「……そうだな。基本的に混ざりあってるのを斬る程度だ」
継葉も苦い顔をして頷く。
顔を見ていないのに、そのつらさが伝わってきて安曇は苦しくなる。
「斬っても戻りましたよね?」
「……そうだな」
「……幻日石を……捨てるしかないですよね」
言いたくない。
けれど言うしかない。
(嫌だ!……嫌だけど……でも!!)
──ポン。
不意に肩を叩かれ、安曇は継葉を見る。
蜘蛛が飛んできたが、継葉は振り返らずに斬り捨てた。
「なぁに、任せろ。お前の師匠は凄いんだぞ?」
どこまでも明るく、優しい微笑み。
けれど伝わってくる──覚悟。
「師匠……?」
「奈落自体が混ざりあった空間だから、奈落がある限りいくらでも再生してるんだ」
奈落を覗き込み継葉はひとつ頷くと安曇を見る。
「つまり──」
奈落を消せばいいということ。
「師匠!!」
安曇の理解が及んだ時には継葉は動き出していた。
迷わず奈落に飛び込んでいく。
「心配するな! 大丈夫だ!!」
「何が!!」
声はどんどん離れていき、やがて──
「!?」
目を覆うような光。
世界が下からどんどん塗り替えられていく。
安曇は思わず手で目を覆う。
そして光に慣れた頃──
「これは……」
そして風景が、見慣れた田園風景に塗り変わっていた。
のどかなあぜ道。その左右にある麦穂は柔らかな風揺れ、先程までの暗闇は面影すらない。
「……し、師匠?」
慌てて見回しても姿が見えない。
継葉の気持ちも見えず、全身が冷えていくのを感じる。
「師匠! 師匠!?」
走り出した安曇の目の前に、黒い何かが落ちてきた。
──ドスンッ!!
大きな音と衝撃。
そこには何やら大きな黒いものがあった。
大きさはいつかのウツボを思わせるほど。
それはゆっくりと鎌首を持ち上げ、双眸に赤黒い光を灯して安曇を見つめた。
「──蛇!?」
(まさか……)
刀を持つ手が震える。
信じたくない。でも、この場に継葉がいない。
巨大な蛇よりも何よりも、その事実に息ができない。
──が。
『安曇! 聞こえるか!?』
「師匠……?」
それは目の前の蛇ではなく、空から響く。
『今、私は空間そのものになってる。だから顔は出せないんだが……』
「……は? 何を……」
『まあ、聞け。奈落は掌握した。こいつらは奈落に溶けることができずに固まるしかなかった過去の怨念のようなものだ』
シャー!!
「!」
蛇が大きな首で突進し、安曇は足場を作りながら大きく飛び退く。
『斬ってしまえばおそらくもう固まることはできない。そのまま弱って消えるかするはずだ』
簡単に言ってくれる。
ビルほどもある蛇を、たかが十歳の子供にどう斬れというのか。
「くっ!」
ガガガ!!
あぜ道が抉れ、蛇が突進する。
安曇は足場を壁のようにして衝撃を逃がしながら、どうにか刀で斬りつける。
──ザシュ!!
手応えはあるものの、それでダメージが入っているような気にはならない。
(大きすぎる……!)
「はぁはぁ……」
『来るぞ!』
「っ!」
大きな尾で薙ぎ払うように振り回してくる蛇に、安曇は壁ごと吹き飛ばされる。
だいぶ遠くに飛ばされたが、背中に風が吹き安曇はあぜ道に転がる。
(……師匠か?)
『大丈夫か!? 手助けがせいぜいだが、斬るべき位置は必ずあるはずだ。覚えているか? 斬りたいものを斬るんだ』
「斬りたいものを……」
それは継葉の教えだ。
支配とは。そして斬るべきものは。
安曇は大きく深呼吸をする。
砂埃を上げて寄ってくる蛇をまっすぐに見据えた。
──たとえどれほど勝ち目が薄くとも、必ず活路は存在する。
そう言ったのは、最初の師匠。
蛇の赤黒い目は何を思っているのか。
もはやただの記憶に過ぎないのか。
(叔父さんは、諦めるなと言っていた)
叔父から習った剣の型。
相手を見据え、半歩引き、刀を低めに構える。
蛇が寄ってくる。
斬撃は──周りにある力を掴み、刀に纏わせて。
奈落とも、継葉とも混ざった今の安曇であれば。
蛇が口を開け、安曇を丸呑みにするかのように首を持ち上げた。
シャアアアア!!
「っ!!」
安曇は高く飛び──
「ああああ!!」
蛇の眉間に体ごとめり込むように刀を突き刺した。
ジャアアアアア!!
安曇は足場を作り、更に蹴って蛇の眉間の奥に突き進む。
何度も! 何度も!!
首が暴れ、弾かれそうになっても都度足場を作り続ける。
ぐらりと視界が揺れ、鼻から何かがポタリと垂れた。
「離すか!!」
その瞬間。
──甘く、苦い匂いが鼻をかすめる。
(え──)
『そのまま進め』
聞き慣れた低い声が、笑うようにそう言った。
「っ!!」
安曇は刀を握り直し、更に深く蹴りこみ、ついにその太く長い体を突き破った。
ジュアアアア!!
のたうつように蛇は体を暴れさせ、そして。
ジュワリ
体が崩れるのと同時に、周囲に拡散していく。景色が再び黒に塗り変わる。
「師匠!?」
『ぐっ……こいつら……!』
継葉の声に苦悶が滲み、景色が揺れながらせめぎ合う。
『安曇』
「──」
それは継葉の声ではない。
ずっと話したかった人の……声。
『寝ボケんなよ、お前はやれる!』
懐かしい、追い求めていたたったひとりの。
「っ!!」
安曇はその声に押されるように走り出す。息が乱れ、胸が苦しくとも走って、走って。
蛇の赤黒い目が泣くようにドロドロと流れているその中に。
──ザクリ!
刀を突き刺した。
目は血のように弾けて、そのまま光を失う。影が飛び散って──
ジャアアアァァァ!!
鼓膜が割れるような悲鳴を巨大な影が上げた瞬間、ガシャンと音を立てて空間が割れた。
(落ちる…!!)
落ちる安曇に、ふわりと姿が現れた継葉が手を伸ばす。
「あ!!ず!!みいいいい!!!」
「師匠!」
継葉の必死な表情と感情が流れ込み、安曇も気づけば必死に手を伸ばしていた。
『──』
(え)
からかうような、笑うような気配がして一瞬感じる浮遊感。
次の瞬間、継葉の手が届き、安曇は継葉に抱きしめられた。
ボスン!
「っだぁ!」
「う!」
何か柔らかな物の上に落ちた。
「いたた……ん?」
「布団……?」
落ちたのは布団だった。
そして見覚えのある和室。
甘く、苦い香り。
薄暗い静かな和室に、引きっぱなしの布団。消えた火鉢。
「──!」
慌てて振り返ると、開いた障子の外に煙管が落ちている。
そして──
ギシリ……
静かな足音でやってきた羽織の男性が、ゆっくり拾い上げた。
「おじ……さん」
半透明なその人物は、柘植隆明その人で。
安曇は体が震えるのを感じた。
「おじさ……」
叔父はゆっくり安曇を振り返り、にやりと笑う。いつも安曇に見せていた笑顔そのもの。
安曇は這うようにして立ち上がる。
が。
トントンと叔父は自分の口を人差し指で示す。それはまるで、何も言うなと言うように。
そしてそのまま微笑み、叔父は──柘植隆明は消えてしまった。
「あ……」
音もなく、姿ももうどこにもなく。
消えた場所には、あの煙管だけが残されていた。