震える手で煙管を掴み、抱きしめるようにして蹲る。そこに温度が宿っているような気がした。
ただ、胸が苦しい。
笑顔はいつもと同じ。だったら叔父はちゃんと全てをわかった上で、安曇に何も言わせなかったのだと。
(謝罪さえ……)
目頭が熱くなり、体が震えた。嗚咽は出ない。けれど泣き叫びたいような気持ちだった。
いつの間にかそばに来た継葉がそっと安曇を抱き寄せる。
「……」
その温度をほんの少しだけ心地よいと感じて安曇は目を閉じる。
叔父の部屋は壊れることなく、ただ静かに見守ってくれていた。
「……何も」
「うん?」
「何も言わせてくれなかった」
安曇がポツリと零すように呟くと、継葉は安曇を抱きしめたまま少し首を傾げる。
いつも通りの叔父の部屋なのに、もう二度と主は戻らない。静かな和室に、甘く苦い香りだけが残る。
安曇には、継葉が叔父の部屋にいることがとても不思議だった。
「何か言いたかったのか?」
継葉の声はどこか労りを宿しているような、穏やかな響きがある。
(ああ、そういえば)
詳しいことは何ひとつ伝えてなかったんだった。
それでもこの師匠は、全てを受け入れて付き合ってくれていたのだと思い出した。
「黒鉄組には……呪いがあるんです」
「……うん」
「お役目のことを、黒鉄組では呪いと言っていて……」
思考がまとまらず、ただ泣きたい。言葉は順番さえなく、発露するたびに零れ落ちていく。
それでも継葉の温度が安曇を繋ぎ止める。
「ああ、知っている。お前の叔父の手記を……見てしまったからな」
「手記……あ」
前に安曇が置き忘れた三冊の手記。縁になるかもしれないと持ってきて、そのままになっていた。
(読んだのか……)
あの手記に何が書かれているのか安曇は知らない。けれど少なくとも、継葉の言葉からはお役目について書かれていることが想像できる。
「勝手に見て悪かった。ただ、外がどうなってるのか少し、気になってしまって……」
「……いいですよ、別に。置いていってしまったのは僕なので」
叔父のものだけど、継葉になら見せても良いかと思った。
「ん……」
困ったように頷く継葉の腕に、ほんの少しだけ力が入る。
その温度が心地よくて、安曇はなされるままにもう一度目を閉じた。
「お役目を継承して……」
ポツリポツリと身の上を語っていく。
家族のことも、叔父のことも。自分の心のことも、少しずつ。
継葉は何も言わず、それを静かに聞いていた。
そして今回の叔父の話になった時、継葉は小さく苦笑した。
叔父は安曇を庇って指を失くした。あの指が、叔父をこの死水の世界に招いてしまったのかもしれない。
しかし──
「私もお前の叔父の気持ちがわかるよ」
その不安は優しい温度に溶かされた。
「……謝罪なんかいらないってことですか?」
「うん。それにだ。たぶん何度でも、同じ状況があればお前を助けるよ、あの叔父は」
「──」
その言葉にドキリとした。
それは、そうかもしれない。
あの人なら、きっとそうする。
それは叔父の決断だ。
(……謝罪なんて)
きっと聞きたくない。
「そっか……」
だから笑って何も言うなと。
安曇の決意も、意思表明すら要らないとあの人は言ったのか。
──安曇ならできると、信じているから。
「うん。でもな?」
「?」
「あの笑顔はさ、きっとお前が追いかけてきて嬉しかった顔だよ」
継葉はニコリと笑って安曇の頭を撫でた。
「──!」
途端に安曇に感情が戻る。目の前が明るくなったような気がして、顔が熱い。
グイッと継葉を押しやり、腕から逃れた。
「お?」
温度に慣れずに、手の甲を口に当てる。何やら継葉の顔が見れない。
「……なんですか」
「いや、お前も可愛いところがあるじゃないか」
「……やめてください」
「いいだろー、別に」
笑いながら抱きしめてくるので、安曇は腕を突っ張って逃げようとする。
(馬鹿力……!)
不思議と笑みが込み上げて、気づけば継葉と笑っていた。
涙が零れたのは、たぶん笑い過ぎたせいだ。
その温度と香りが、深く心に染みていく。
『もう大丈夫だ』
誰かがそう言った気がした。
***
なぜか継葉とふたりで布団に転がっていた。笑い疲れたかのように、継葉もぼんやり天井を見つめている。
「そういえばお前、怪我は?」
継葉が半身を起こして安曇を覗き込む。
「え、あ……」
そういえば、特に痛みを感じなかった。
包帯をとって傷を見る。
「──え」
包帯の下には、いくつかの傷が残っているだけでほとんど何もない。
確かに常に付きまとっていた痛みも、熱っぽさも消えている。
「ん? 怪我なさそうか?」
「……何も……ないみたいです」
吹き飛ばされた時、確かに守られた記憶はある。でもそれにしたって──なぜ死水を抜けた時の傷がないのか。
「何?」
「……混ざったからでしょうか?」
「んー……いや、そんな事はないと思うが……いつからだ?」
いつからだったろうか。
前回混ざった時……いや、あのあと都築とやりあった時はまだ酷い状態だった。
(なら、いつ──あ)
『いたいのいたいのおおお!!』
陽だまりのような黄色が脳裏をよぎる。
『とんでいけええええ!!』
パッと笑った小さい嵐のような女の子。
「おまじないをかけてもらいました」
「おまじない?」
あのあとから、怪我が軽く体調も良かった。……ような気がする。
少なくとも安曇には、他に心当たりがない。
状況を説明すると、継葉は思案するように唸ったあと、頷いた。
「なるほどな。珍しい話だな」
「珍しい、で済むんですか?」
「稀にそういう事ができる人間はいるよ。百蛇衆も、そういう人間が起源だったはずだ」
神妙な顔で頷く継葉に、冗談を言っている様子もない。安曇はジッと自分の手を見つめる。
(まあ、確かに)
お役目だって、適性がなければこなせない。これもある意味特殊な存在といえるだろう。ならそこから更に少し逸脱した人間がいたとしても、おかしくはないのかもしれない。
「……驚きました」
「あはは、だなぁ。でも良かった。お前に怪我がなくて」
そう言って継葉はまたゴロンと安曇の横に転がる。
継葉に心配されるのは嫌ではないけれど、何ともむず痒い。
安曇は小さく息を吐き、そっと隣の継葉を覗き見る。
(僕よりむしろ……)
体調が悪いのは継葉ではないか。
無理をしたのではないか。
「師匠の方が顔色悪いと思いますけど」
「ん? あー、んー、まあ、大丈夫だ」
「……師匠」
安曇がゴロンと継葉の方を向くと、継葉は苦笑いした。
「じゃあ、手を」
「?」
言われるままに手を差し出すと、継葉は嬉しそうな顔でその手を取る。
「しばらくこうしていてくれ。自分と繋がりのある人間に触れられてるとな? 安定するんだ」
「……そう、ですか」
安曇の手を握って継葉は目を閉じる。
長い間、たったひとりで戦ってきた彼女は、今何を思っているのだろうか。
「……」
叔父の手記に何が書かれていたのかわからない。けれど少なくとも──彼女の空白の時間を埋めたに違いない。
(師匠は……知ったのだろうか)
自分が時の流れから切り離された存在であることを。
白夜組が黒鉄組以前にこの土地を守っていたことは疑いようがない。そしてそれは恐らく江戸末期か、明治初期か。
少なくとも、継葉はその時代からここにいたはずなのだ。
「……」
繋がれた手を見つめる。
継葉は何を思っているのだろう。
「コンビニとかさ」
突然ポツリと継葉が笑う。
「え?」
「記憶の墓場にあったじゃないか」
「……ああ」
ぐちゃぐちゃに接合された建物。車。森。
「奈落を掌握した時にな? あれが何だかやっとわかったんだ」
(──あ)
記憶が……混ざったのか。
ゴロンと転がって安曇に苦笑する継葉。
その目には寂しさが滲んでいる。伝わる手からは、僅かな不安も流れてくる。
「あれは……」
「今だと普通にあるものなんだろう? 時は……流れたんだな」
「……はい」
頷く他なかった。握る手に力が入る。
「ふふ。お前は結構優しいよなぁ。わかってて言わなかったんだろう」
「……別に、僕は」
「うん」
再び継葉は安曇を抱き寄せる。
今度は安曇も拒まなかった。
──胸に宿る哀しみが理解できたから。
ただ身を寄せ合うことでしか、耐えることができなかった。