「これか……」
対の館の地下にある遺品置き場で──
安曇は赤い着物を手に取り、小さく呟く。
着物の中に、木札が一枚入っていた。
そこには複雑に掘られた紋様と、『東雲継葉』という文字が書かれている。
「白夜では、お役目は死水に潜ることだった。その時に先に進むための対価になるように六文銭を、そして道を失ってしまわぬよう楔を用意したんだ」
「楔?」
そういえば記憶の中の継葉とその母親もそのような話をしていた。
赤い着物を『楔』と呼んでいたはずだ。
「そうだ。現実世界の方に、馴染みのある縁を繋げるものを残していくんだ」
(なるほど、迷わないようにってそういう……)
それが、継葉が今まで立ち続けていた理由かもしれないと思えば、あまり良いものには感じなかった。
安曇はそっと目を伏せる。
「私の場合は着物だな。それでな? 対の館の地下に保管されてるんだが……」
「見たことがありますよ」
「おお!? さすが有能!」
「ゆ……」
安曇が苦い顔をすると、継葉はケラケラと笑う。
「知ってるなら早いな。その着物に木札が挟んであるんだ。それを……」
──白夜に届けてほしい。
継葉の声はどこまでも真剣だった。
***
「申し訳ありませんでした!」
霜月医師が深々と頭を下げる。
横にいる時雨の頭もしっかりと押えている。
「そう。まあ、せいぜい役に立ってくれればいいよ」
「……肝に銘じます」
特に面白くもないが、謝罪すると言うので受け取った。時雨はホッとしたように胸を撫で下ろしている。
今いるのは、黒鉄屋敷の敷地内にある霜月医師専用の離れになる。医務室と併設されているここは、情報交換にうってつけだ。安曇の部屋に大人が集まるとさすがに狭い。
「坊ちゃん、怪我がなくて良かったっす」
「スルメ食いますか?」
「肩揉みましょうか?」
三林が感極まった様子で安曇の周りをクルクル回る。
鬱陶しいのでやめてほしい。
奈落の一件のあと、安曇は継葉と別れて現実世界に戻ってきていた。
死水は確かに痛みを与えてきたが、水から出た時はうっすらとした傷があるのみ。それすら黒鉄屋敷に戻る頃にはだいぶ治っていた。
(ハナちゃん、ね)
パッと花が咲くように笑った小さな女の子。おまじない以上に、その存在は安曇の心を軽くした。
それでも霜月医師は丁寧に傷の様子を確認し、必要な処置を施していく。この度の一件で物静かになってくれて、安曇としてはありがたい。
「それでもちゃんと休んでくださいね。無理はされたんでしょう?」
ひばりがお茶と和菓子を机に並べる。
「今回は大丈夫。……というか多分、もう大丈夫だよ」
「?」
ひばりは盆を持って首を傾げた。
「そうですねぇ、傷の具合いはいいようですよ~。他に体調で気になることはありますかねぇ?」
「問題ない。でも包帯は巻いておいて」
霜月医師は不思議そうにしながらも、丁寧に包帯を巻いていく。
安曇はわずかに黒い色が残ってるだけの手を見つめる。
この点に関しては説明が難しい。混ざっただの、おまじないだの言えば余計に悩ませてしまいそうだ。
「……」
お茶を手で包むとほんのり熱が手のひらに伝わる。漂う湯気と香りは心を落ち着かせてくれる。
初夏の陽の光が木陰から障子を抜けて、和畳を照らしていた。
「とりあえず報告しますね?」
「うん」
ひばりは話を進めることにしたようだ。
今回の安曇の不在は二日ほど。たいしたものはないと思うが。
「皐月さんが身代わりをしていたこともあり、安曇さんの不在は誰にも知られていません。鮎川家の方は皐月さんが安曇さんの話を絡めず説明したようです」
「うん」
皐月はこの場に呼ばれていないので、あとあとまた自分の功績を押し売りしてきそうだ。
「それから、都築と大久保は後見人候補から外れました。安曇坊ちゃんに手を出したんですから当然です!」
フンッと鼻を鳴らして胸を張るひばりに、三林が拍手をする。
「そう。他は保留?」
「あ、はい。話し合いが続いているようですが……安曇さんから希望はありますか?」
「そうだね……。佐野、小林は落としておいて。塚原は……限りなく落第という位置で止めておいて」
流されるだけの佐野稔理と短絡的に時雨を虐めていたその姉。
あまり物事を深く考えず、喚き散らしていた小林綺良々、塚原圭輔。
この辺は使えない。
「あら、そうなんですか? まあ、塚原は落ちそうですけど」
「ん?」
「理由はわかりませんけど、塚原のご長男、和臣さんが総司さんを殴ったみたいです」
お茶を飲もうと持ち上げた手がピタリと止まる。
塚原和臣。狂犬のような中学三年生。
安曇の対応が彼の琴線に触れたらしい。総司の反応を見たくなったんだろう。
「……それでどうなったの?」
「普通に殴り合いになりまして、大人まで介入した結果、塚原のご長男は入院してますね」
シチュエーションがわからないが、総司には常に誰かしら大人がついている。和臣が見たいものは見れなかったのではないかと安曇は思う。
「ふぅん? 兄さんは?」
「総司さんは怪我で済んでます。塚原家はこの件で大目玉食らいまして。特に細谷と結衣子さんがカンカンですね」
細谷は母である結衣子の生家。つまり安曇にとって祖父母の家にあたる。今は伯父が当主を務めているはずだ。彼らは総司派だ。
(まあ、そうなるだろうね)
塚原和臣は上手く使えばいい結果を出しそうな人物だったが、こうなっては難しいだろう。
安曇は静かにお茶を飲んだ。
苦味と、ほんのり香るような甘みが染みる。
「ということで、安曇さんの意見を鑑みると後見人候補は細谷、鮎川、補欠に塚原くらいになりますね」
「そうだね」
細谷に関しては思惑がありそうなので、実質鮎川になりそうだ。今それを言う必要もないだろうと、安曇は茶菓子に置かれた和三盆をつまむ。
「とりあえず目新しい情報はそのくらいです。あ、奥村幹部に関してはまだ入院してます」
「頼んだ件は?」
「百蛇物語ですね。ざっくり鑑定してもらいましたが、明治あたりの品だろうということです」
ひばりには、死水に潜る前に指示を出していた。地下にあった百蛇物語の鑑定だ。
それから三林には……。
「黒鉄組の前はやっぱり白夜組だったみたいです」
大林が和三盆をつまもうとしてひばりに手を叩かれる。
「白夜組の系譜に関しては、黒鉄には残ってませんでした」
中林はしみじみとした顔でお茶をもらっている。
「白夜組まで行けばわかるかもしれませんけど……あそこはうちのライバルですからねぇ」
小林はひばりにもお茶を入れている。
ひばりはそれを受け取りながら、考えるように首を傾げた。
「黒鉄組と白夜組は昔からあまり良い関係ではありません。理由は知りませんでしたけど、古い因縁がありそうですね」
「その白夜だけど、訪問の段取りをつけておいて」
事も無げに言うと、三林とひばりがギョッとしたように安曇を見つめ、反応についていけなかった時雨はビクリと肩を震わせた。
「え、安曇坊ちゃんが行くんですか?」
小林が怖々といった様子で安曇の顔を見る。
「うん。ちょっと用があってね」
(他人に任せられない用が……ね)
手の中の木札を見つめる。
『今、白夜がどうなっているのか知りたいんだ』
そう言って笑った継葉には寂しさが見えた。
だから行こうと決めた。
そこにどんな結末が待とうとも。