安曇と中林はファミレスをあとにして車に戻る。会計は任せておいていいだろう。
ファミレスの駐車場はまばらで空いている。安曇は中林が運転してきた黒のセダンの後部座席に座った。
初夏の日差しに蒸された車の中はシートまで熱くなっていた。
中林がエンジンをかけてクーラーを調整する。冷たい風に当たりながら、安曇は背もたれに寄りかかって目を閉じる。
(ひばりさんがいなくなった……か)
裏の顔があったとしても、ひばりはただの家政婦だ。中国の監視というのは、表向きそこにいるメンバーのサポートだ。
叔父の葬儀にすら呼ばなかったくらい、隆盛に交渉したとして、すぐに呼び戻すのは難しいだろう。
「どうします?」
目を開ければ、運転席から覗き込んだ中林は困惑顔だ。
ひばりについてあれこれ雑務をこなしていたのだから、今回の白夜行き以外でも支障は出ているだろう。
「……まあ、父さんには自分で当たろう。連絡をつけるくらいはできる?」
「う、わかりました。任せてください!」
中林はまた少し困ったような顔をしたが、今度は何かを決意したように気合を入れて承諾した。スマホを弄っている。
(組長への連絡は……下っ端には厳しいかもしれないな)
安曇は小さくため息をついた。
問題は多い。
警戒していた中国が白夜と連絡を取っているとすれば、白夜へ行きたいという希望自体却下される可能性は高い。
せめて後押ししてくれる幹部が必要だ。
「……」
親子であっても安曇と隆盛は距離がある。その点、ひばりは裏側でかなり力を持つ。一番都合が良かった。
おそらく細谷は、今回の件を妨害する意図はなかっただろう。安曇の後見人の座を狙うには、安曇が孤立した方がやりやすい。実に性格の悪いやり方だ。
「……」
車は動き出し、ファミレスから遠ざかる。
安曇は視線をチラリと離れていくファミレスに送った。
総司はあの男を制御できるのだろうか。組を継ぐのなら当然気にするべきことなのだが。
利用されていることくらいは知っているかもしれない。
総司は頭は固いが察しが悪いわけではない。ただ少し、慢心があるように思う。そのうちに痛い目を見るんじゃないだろうか。
(でもまあ、僕の知ったことじゃないな)
こちらに被害が来ない限りは……だが。
「あ」
中林は近くのコンビニに車を停めた。
そしてスマホを見つめて声を上げる。
「安曇さん!」
「うん?」
「俺らが直接組長のとこには行けませんけど、うちのボスが掛け合ってくれるそうです! ちょっと時間下さい!!」
「……ボス?」
三林は誰のところの下っ端だったか。
最近安曇にずっと付いていたし、ひばりの指示に従っていたから少し忘れていた。少し考えて思い当たる。
「……ああ、藪内龍之介か」
葬儀で叔父の死を嘆き悲しんだ人物。
幹部としては新参な方だが幹部会にも出席している。煌びやかな服装を好み、夜の街で荒稼ぎした人物でもある。
「安曇さん、龍之介さんって呼ぶと怒られますよ。ジュリアさんですって」
思わず半目になってしまう。
確かに幹部会でも、藪内は奥村に食ってかかっていた。
「わかった。……ジュリアは叔父さんのファンクラブだったっけ?」
「あ、そうですそうです! よくご存知で」
「……うん、まあ」
叔父が嫌がっていたことは黙っておこうと思う。
それにあのメンバーであれば、少しは信用してもいいかもしれない。
「どのくらいかかる?」
「そうですね……。ジュリアさんはシマの方に行ってて、明後日には戻れると思うんで、早ければ明後日です」
それであれば、自分で行くより早いだろう。ひばりを通さなければ幹部を通すか、偶然捕まえるか、執務室で張っておくしかないのだから。
「わかった」
息子からより幹部からの方が父に近い。
この距離感は、何だかとても奇妙だと安曇は思う。
(今更、寂しいとかはないけど……)
妙な家族だ。
いや、家族と呼べるかどうか。
『安曇』
いつも笑顔で頭を撫でてくれていたのは叔父だけだ。父も母も遠かった。
「……」
なんとなく。
本当になんとなく、継葉の様子を知りたくなった。
奈落を掌握して不安定になっていた師を思う。繋がりがある者がいた方が安定すると言っていた。
時間ができたのなら様子を見に行くのがいいかもしれない。
「明日、対の館に行ってくるよ」
「あ、お役目ですか?」
「うん、まあ、そんなところ」
継葉に木札も見せた方がいいかもしれない。間違いはないと思うが、違うものなら困る。
「了解です!」
中林は先程までと打って変わって晴れやかな笑顔で頷いた。
「うん」
繋がりがほしいのは、安曇の方かもしれない。
***
死水の向こうは静かだった。
あの時と違って、今日は対の館が消えていたりしない。それだけで安曇は少し安心する。
「……師匠?」
継葉の不在に一瞬ヒヤリとするが、心を落ちつければ彼女がどこにいるかなんとなくわかる。
安曇は思わず息をついた。
継葉はどうやら、対の館の外にいるようだ。
外には相変わらず長閑な景色が広がっている。暖かささえ感じるあぜ道は継葉らしいなと思うようになった。
少し進んだところで、影を継葉が斬っていた。
穏やかな田園風景の中に、ゆらりと動く影は異質だ。さらさらと塵のように消えては景色の中に吸い込まれていく。
(消滅しているのか、それともまたどこかで形になるのか)
それは安曇にはわからない。
「師匠」
「ん? ああ、安曇か」
継葉は少し疲れたように微笑む。
「影はまだ出るんですか?」
「彼らの想いが消えない限りは出るよ。私は奈落を掴んだから、今も彼らの守ろうという気持ちは見える。同時に寂しさもな……」
混ざったあと、記憶や感情が確かに見えた。今も継葉の感情は流れてくる。そう考えれば、奈落そのものを掌握した継葉には、かつての継承者たちの感情が流れているのではないだろうか。
(……重いな)
「奈落がなければ僕でも片付けられますし、師匠は休んでも良いんですよ」
「んー。気持ちは嬉しいけどな。ずっとここを守ってきたんだ。むしろお前が……」
継葉は言いかけて口篭り、苦笑してから安曇を見た。
「お前は無理に来なくてもいい──」
「嫌です」
「……って、即答か!?」
継葉のツッコミはいつ以来だろうか。そんな昔の話ではないのに、なぜか少し懐かしくなってしまう。
だが、それよりも。
「はい。来るか来ないかは僕が決めます」
継葉の気持ちは理解できる。けれどそれとこれとは別問題だ。
「だが……影も私が外には出さないようにする。お前が無理に傷を負う必要はないんだ」
「別に無理してません」
思わず声が固くなる。
例のおまじないのおかげか、今は傷もほぼない。
けれど継葉は目を伏せて、手に持った刀を握りしめた。
「……そちらの生活を優先したらいい」
「……」
言いたいことは……わかるのだが。
拒絶されたようで、安曇の中に重い気持ちが広がっていく。
「お前まで、この先の未来をここに使う必要はないんだ」
グッと手を握り、言葉を飲み込んだあと木札を見せる。
「前に言ってたものはこれですか?」
「え、あ、うん、それだ。でも……」
「……また来ます」
遮るように言葉を被せる。それ以外の言葉は出なかった。
彼女は安曇のためを思っているのはわかっている。嫌という程に。
「……安曇」
継葉の声に迷いが見えたが、安曇は振り返らなかった。そのまま静かに対の館に戻る。
居間を通り過ぎる時、机の上に叔父の手記が置かれていることに気づいた。来た時は継葉の居場所に気を取られて気づかなかった。
叔父の書いた手記。
そして継葉が現実を知ることになったもの。
「……」
それをそっと持ち、重い息を吐き出すと安曇は死水をあとにした。