継葉はどうしたいのだろう。
ずっと、あの死水の奥で戦い続けるつもりなのか。
──ひとりで?
「……」
そこから解放したい。せめて背負うものを減らしたいと願うことは──傲慢なことなのだろうか。
***
(──は?)
翌朝、食堂から戻ると、安曇の自室前に男たちがズラリと並んで立っていた。
その中央、安曇の自室の扉の前にいたのは塚原幹部とその息子の恵輔だった。安曇が来たことに気づいた塚原幹部は、恵輔の背中を押しながら安曇の元へやってくる。
「いや、安曇さん、聞きましたよ。うちのガキが失礼しました。……恵輔」
塚原幹部は恵輔の頭をグイッと頭を下げさせる。
「す、すいませんでした!」
「「「すいませんでした!!」」」
周りの男たちも合わせて頭を下げる。とても鬱陶しい。
ただ、だからといってこれをやめさせたり、もういいと言ってしまうのも悪手だ。
「部屋に入りたいんだけど」
「あ……ああ、失礼。どうぞどうぞ」
塚原幹部は苦笑いして道を開ける。恵輔が睨んできたことを見れば、反省はしてなさそうだ。
安曇が部屋に入るまで男たちは頭を下げたままで、部屋には塚原親子がついてきた。
「入室の許可はしてないけど?」
「いやいやいや、そんなこと言わないでくださいよぉ。ほら、恵輔もこうして謝ってんじゃないですか」
どこか高圧的な雰囲気を持つオールバックの塚原幹部は、どことなく恵輔の兄の和臣を思い出す。
「……だから?」
「え。あー、ですから、後見人候補として、謝罪をね。ほら、恵輔!」
父親から蹴り出されるように前に押し出された恵輔は、もう一度深々と頭を下げた。
「ちょっとふざけただけだったんです。すいませんでした!」
恵輔の声が半分裏返る。
よほどこの父親が怖いらしい。
「だからまあ、組長に取り成してくれませんかね? あ、もちろん手土産も持ってきたんで」
扉から男がひとり、小さなカバンを持って入ってくる。中身はまさかの現金だった。
(これを受け取るべきかどうか……)
どちらにもメリットとデメリットがある。どこに手間と労力をかけるかの差でしかない。
その上で、現状この親子を見ていて、手元に置きたいという気持ちは湧かなかった。
「それは無理だね。僕が決めた話でもなければ、そもそも恵輔や綺良々が僕に危害を加えたなんて伝えてもいない。交渉する相手を間違えてるよ」
カバンを無視して小さく笑う。
未だにミイラ姿に効果があるのか、恵輔は半歩下がって男たちはざわめいた。塚原幹部だけはつまらなそうな表情を浮かべ、眉をひそめた。
「んー、そうは言ってもですね……いや、仕方ねぇか。オラ、戻るぞ、お前ら」
ザワザワと下っ端連中と下がり始める塚原幹部。恵輔も慌ててついて行こうとしたが、塚原幹部はドンッと音が聞こえる程の強さで息子を押し返した。
「うわっ!?」
「けーすけぇ。お前はちゃんと謝んだよ。何帰ろうとしてんだぁ? しっかり落とし前つけて来い」
ズイッと顔を近づけて息子を脅す様子は、やはりあの和臣の父親だなと思う。
「う、え、とうさ……」
「ぬるいことしてんじゃねーぞ」
──バタン
閉じられた扉の前で恵輔は呆然と立ちすくむ。そして振り向いた恵輔の顔は恥辱と涙でぐしゃぐしゃだった。
「お前……お前!! 何でだよ!? ちゃんと謝ったじゃんか!!」
「……はぁ?」
こちらに当たらないでほしい。
そもそも馬鹿な行いをしたのは自分たちだろうに。
「親父さんに掛け合うくらいいいだろ!? このままじゃ俺殴られんだよ!!」
恵輔が掴みかかってきたので、手を振り払う。
「知らないよ。今のその行動が答えだろう」
「わけわかんないこと言いやがって……!!」
恵輔は激昂して安曇に駆け寄ってくる。
(一発殴るか?)
いや、それはそれで面倒なことになりそうだ。
安曇がそう思案した時──
「はい! ストーップ!!」
扉が開く音と共に第三者の声が入り込み、恵輔は首根っこを掴まれた。
「うぐっ! だ、誰だ!?」
恵輔を猫の子のように持ち上げたのは、筋骨隆々の大男。その衣服はラメの入ったタイトなオレンジのワンピースドレス。
「悪い子にはお仕置が必要よね? けーすけちゃん?」
「や、藪内幹部……」
藪内竜之介。通称ジュリアがそこにいた。
「……入室の許可はしてないけど?」
「あぁら? お邪魔します。安曇坊ちゃん」
体をくねらせ、まるで語尾にハートでも着いてそうな声音で話すジュリアに安曇は引いた。
(叔父さんの気持ちがわかるな……)
「ほぉら、帰んな、クソガキ。じゃないとお姉さんがお仕置しちゃうわよぉ?」
「う、うわあああ!!」
恵輔は怯えるように走り去っていった。
後ろから入って来ようとした三林が、びっくりしたように道を開けた。
「……騒々しいね」
「すみません、安曇坊ちゃん。ジュリアさんをお連れしたんですけど、なんかヤバいことに?」
「いや、別に」
小林がコソッと聞いてきたので安曇は肩を竦めた。
「さて。改めまして。藪内ジュリア。組長への伝手が必要と聞いて馳せ参じました」
ジュリアはぺこりと頭を下げる。
「うん。父さんに白夜行きの許可を取りたいんだけどね」
「んー、ちょおっと難しいわね。今、警戒態勢に入ってるし……」
白夜組は、規模は大きいが温厚な組織だ。とはいえ牙を持たないわけではない。
黒鉄組とは定期的にぶつかっている。
「だろうね。……材料が必要?」
「んふふ。信用してくれてるのかしら? あればもちろん嬉しいけど、そういうことならなくても張り切っちゃうわ」
多少引くものの、安曇もだんだんこのテンションに慣れてきた。
「白夜へ行くことができれば、中国とのことを探れるかもしれない。ひとつカードを持ってるから」
「あら。それは朗報ね。あー、それが何だかは言わなくていいわ。安曇坊ちゃんか言うべきだと思ったら言ってちょうだい」
ジュリアはニンマリと笑顔を見せる。
安曇も少し肩の力を抜いて頷く。
ひばりの件も任せようかと思ったが、ここで藪内と細谷を敵対させるのはまずいだろう。ひとまず白夜行きの件を片付けることにした。
白夜行きは、継葉の希望を叶えるとともに、『お役目』についてもう少し詳しく知る機会になるかもしれない。
少なくとも、白夜の贄について知ることはできるはずだ。
「なるべく早くが良いわよね?」
「交渉の結果、組の中で問題が起きるほどのことなら優先しなくていい。僕の希望というだけだから」
「あらぁ、いいじゃないのぉ」
ジュリアはニマニマと安曇に近寄る。安曇は思わず半歩離れた。
三林は後ろでハラハラした顔でこちらを見つめているが、手を出せないのか右往左往している。
「照れないの! んもう、そういうバランス感覚好きよぉ!」
「ちょっ、近寄りすぎ」
「いやだ、可愛いわぁ。隆明さんのミニチュアみたい」
そこで叔父の名前を出されても、さすがにこれは喜べない。苦笑いしていた叔父の顔が頭を過ぎる。
「塚原んとこのガキみたいに、あれやりたいこれやりたいって騒いでもいいのよぉ? 安曇坊ちゃんのが年下でしょ?」
泣きわめいていた塚原恵輔。
あれと同じことはどう頑張ってもできそうにないが、それでも。
「僕はやりたいことしかやってないよ」
それは自負している。
「あらやだぁ、あたしが言ってんのは『弁える必要ない』ってことよ」
「?」
状況的に一番良いと思えないものを選ぶという話だろうか?
安曇は特に自分を曲げた覚えがないので首を傾げる。
それを見たジュリアは頬を染めて体をくねらせた。
「んもう、好きだわぁ。十年くらい待ってもいいわ!!」
「ジュリアさん、さすがにちょっと……」
大林がコソッと突っ込んだが……。
「あぁん?」
「す、すんません」
睨まれてすごすごと引っ込んだ。
何をやっているんだと苦笑したその時だった。
──?
じわりと揺れるような……熱を持つような感覚がポケットから響く。
(……六文銭?)
それは安曇と継葉を繋ぐもの。
「安曇坊ちゃん?」
「……」
「あら? どうしたの?」
三林とジュリアが突然黙った安曇を覗き込む。
「あとのことは……」
「え?」
「任せたよ!」
踵を返し、安曇は取るものも持たずに走り出す。戻ったばかりの対の館へ走っていく。
今までこんなことはなかった。
たとえ奈落に囚われようとも、継葉から安曇へのアクションはなかった。
熱を帯びた六文銭を握りしめ、安曇は森へと飛び込んだ。