それの──意味するところは。
「師……匠……」
大丈夫だと言ったじゃないか。
──そんなことを言っても詮無きこと。
「あぁ、スマない、あズみ」
声がブレているような、そんな響きを帯びる。
影の半身を引きずるように、継葉はズルリとこちらへ向きを変える。
「いっそ……スベてヲ、掌アクした、ら、ソレ……でナン、トか……なるト」
人のままである彼女の顔が、形だけの笑顔を作る。悲しみの感情が流れてくる。
「馬鹿っ! 馬鹿ですか!?」
いや、彼女にそれを選ばせたのは安曇だ。
血が滲む程に拳を握る。
(そんなこと……考えてる場合じゃない!)
斬れるだろうか。
彼女以外の、奈落そのものを……。
でもやらなければ継葉は救えない。
叔父を亡くした記憶が頭をよぎる。
嫌だ!!
もう二度とあんなことは……!!
継葉は安曇にとって、安全圏にいる存在だった。
人間でなくても構わない。
たとえ何であっても、そばにいられる存在だったのに。
震える拳を、継葉は片方しかない顔で静かに見つめていた。そしてひび割れた声を出す。
「大丈、ぶダ。すベテを、ツか……んダ。ここに、ゼんブ……アるヨ」
「……え?」
影の体を抱きしめるようにして、継葉は安曇を見つめる。音は壊れているのに、その声音はどこまでも優しく響いた。
そして──
「ダかラ……斬レ」
静かにそう言った。
「!!」
息が止まる。
(──斬れ? 何を……?)
脳が拒んだ。
言葉が出ないまま、全身が震える。
嫌だ……嫌だ! 嫌だ!!
「モう……混ザっテ……しマったカラ……」
「嫌、だ!」
安曇の泣くような叫びに、継葉も泣きそうな顔で黙ると下を向く。そして小さく……
「……すマ、なイ……」
そう答えた。
「──っ」
あの時は……蜘蛛を斬ったあの時は、叔父は捕らえられていただけだった。でもこれでは──!
安曇は活路を探す。
けれども何も、思い浮かばなかった。
その時──
「っ!!」
ギンッ!!
継葉の影の手が、刀を持ったまま伸びるように安曇に斬りかかる。
「アズみ……!!」
継葉が慌てるように人間の方の手で抑えるが、影の手は容赦なく安曇に襲いかかる。
「くっ!!」
ギンッと重い音をたてながら、安曇はどうにかそれを受ける。二撃、三撃と、速さはあれど軽めなのが救いか。
「アズ……み、戦エ! 斬ルんだ!!」
「っ」
大きく振りかぶった影の攻撃を、足場を盾のようにして回避して大きく後ろに飛ぶ。
ガァンッ!!
音とともに足場は粉々に砕けた。
「は……はぁ……はぁ……」
呼吸を整え、影を見据える。
継葉と奈落に分裂してるのだろうか。
(いや……)
そうではないだろう。
そうしてる間にも、継葉の影の部分が少しずつ増えているのだから。
「師匠……こんなのは……」
こんな終わりは、どうしたって納得できない。
これだけ長く戦ってきて、こんなことで終わってしまうのか。
気が狂いそうだ。
叫んでしまいたい。
刀を握る手が震え、継葉を直視できない。
安曇はずっと、大切なものに手を伸ばし続けてきた。
たとえ他の何を差し置いてでも、諦めなかった。
それを諦めるくらいなら……!
「ごメんナ……」
「!」
そんな声はずるいと思った。
継葉が零した届くか届かないかの小さな声は、安曇には泣いているように聞こえた。
その距離、僅か三メートル。近いけれど、とても遠い。
命よりも、優先するものがある。
なのに──
『死なないでくれ!!』
思考を止めるかのように、いつか彼女が叫んだ言葉が耳に蘇る。
「……ずるいな」
(僕にはあんな風に言っておいて……)
自分は消えてしまうのか。
そして安曇の選択肢すら、奪おうというのか。
「……」
生きると約束した。
他ならぬ継葉と。
安曇は刀を構えた。
継葉の影の半身は、ゆらりゆらりと獲物を探すように刀を揺らす。
その赤黒い目は爛々と輝き、安曇を見据えていた。
「師匠」
安曇は真っ直ぐに継葉を見つめる。
まだ彼女はそこにいる。
(答えを……知りたい)
「……」
「あなたの願いは、なんですか?」
掠れた声でそう問えば、継葉は驚いたように安曇に目を向ける。影の部分すらピタリと止まっていた。
「ワタしノ……ねがイ?」
「教えてくれたら……斬りますから」
「……」
それがどんな答えであれ、叶えようと思った。
それだけが安曇にできること。
目の奥が痛かった。
指先はまだ震えている。
けれど視線はもう──逸らさない。
「……終わリに……スるコトだ」
「っ!」
ギリッと奥歯が鳴る。
何を求めていたんだろう。
継葉ならこう言っても不思議はなかったのに。
(自分の……願いはないのか!?)
継葉の半身がゆらりと動く。
人間の姿の半身は悲しげに、けれども笑みを浮かべて安曇を見ている。
「……」
安曇は目を閉じ、一度大きく息を吐く。
そして次に目を開けた時には、弱さも迷いも全て捨てていた。
終わりにすること。
継葉はそう言った。
「わかりました」
言うが早いか、安曇はコンクリートを蹴って継葉に肉薄する。
継葉と安曇の間に滑り込むように影の手が伸びてきて刀を受ける。
ギィン!!
重い音とともに鍔迫り合う。
影がぐにゃりと形を変えもうひとつの手を作り、安曇の頭上から押し潰すかのよいに迫る。
「!」
パッと距離を取り、すかさずあぜ道を蹴って影の手を斬り落とす。手はざらりと粒子を撒くようにして消え去り、それを確認する間もなく再び継葉の刀が襲ってくる。
体をギリギリ右に反らせば、頬をチリッと熱が掠る。
ガンッ!!
刀がありえない角度で落ちてくる。長い影の手は人間ではありえない間合いで動き、予想もしない歪み方で襲ってくる。
安曇はそれらを回避し、受け切り、あるいは逸らす。
目では追いつかない。継葉と繋がっているからこそ、次に来るものが見えるような気がする。
──その感覚だけが頼りだった。
ザンッ!!
腕を斬り落としてもすぐにまたゆらりと影が立ち上る。本体を斬らなければ終わらないのかもしれない。
継葉が斬られるのと繋がっているかのように、斬るほどにパラリ……と周囲の景色が割れ落ちていく。
斬って剥がれ。ざらりと粒子が飛べば落ちていく。段々と奈落に近づいていく。
ギィンッ!!
「っ!」
何度目かの打ち合いの末、安曇の刀が弾かれた。
カランッ──
刀が飛び、その勢いで足を踏み外した安曇の体は奈落へと落ちる。
「アズみ!!」
それを見た人間の方の継葉が、慌てた様子で手を伸ばす。その手は安曇を掴み、振り子のようにしてあぜ道に放り投げた。
──その時。
「!」
掴んだ手から継葉が見えた。
その、心が。悲しみと苦しみと──願いが。
(ああ……そう、か)
──ズサッ!!
理解と同時に転がった衝撃が安曇を打った。鈍い痛みを感じる余裕もなく、頭上から追いかけるように落ちてきた影の手を躱す。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を抑えながら、安曇は刀を拾う。
「……それが、あなたの願いなら」
何度も学んだ構えを取る。
強く願えば、なんでもできる。
この空間はそういう場所だと。
教えてくれたのは継葉自身だ。
「ウウ……アズ、み」
侵食が進んだ継葉の人間の目から、ぽろりと涙が落ちる。
安曇はあぜ道を蹴り、呼吸すら止めて刀を振り上げた。