黒き蛇は死水に潜る   作:御月ケイ

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第49話 それがあなたの願いなら

 

 

 それの──意味するところは。

 

「師……匠……」

 

 大丈夫だと言ったじゃないか。

 ──そんなことを言っても詮無きこと。

 

「あぁ、スマない、あズみ」

 

 声がブレているような、そんな響きを帯びる。

 影の半身を引きずるように、継葉はズルリとこちらへ向きを変える。

 

「いっそ……スベてヲ、掌アクした、ら、ソレ……でナン、トか……なるト」

 

 人のままである彼女の顔が、形だけの笑顔を作る。悲しみの感情が流れてくる。

 

「馬鹿っ! 馬鹿ですか!?」

 

 いや、彼女にそれを選ばせたのは安曇だ。

 血が滲む程に拳を握る。

 

(そんなこと……考えてる場合じゃない!)

 

 斬れるだろうか。

 彼女以外の、奈落そのものを……。

 

 でもやらなければ継葉は救えない。

 

 叔父を亡くした記憶が頭をよぎる。

 

 嫌だ!!

 もう二度とあんなことは……!!

 

 継葉は安曇にとって、安全圏にいる存在だった。

 人間でなくても構わない。

 たとえ何であっても、そばにいられる存在だったのに。

 

 震える拳を、継葉は片方しかない顔で静かに見つめていた。そしてひび割れた声を出す。

 

「大丈、ぶダ。すベテを、ツか……んダ。ここに、ゼんブ……アるヨ」

 

「……え?」

 

 影の体を抱きしめるようにして、継葉は安曇を見つめる。音は壊れているのに、その声音はどこまでも優しく響いた。

 

 そして──

 

「ダかラ……斬レ」

 

 静かにそう言った。

 

「!!」

 

 息が止まる。

 

(──斬れ? 何を……?)

 

 脳が拒んだ。

 言葉が出ないまま、全身が震える。

 

 嫌だ……嫌だ! 嫌だ!!

 

「モう……混ザっテ……しマったカラ……」

 

「嫌、だ!」

 

 安曇の泣くような叫びに、継葉も泣きそうな顔で黙ると下を向く。そして小さく……

 

「……すマ、なイ……」

 

 そう答えた。

 

「──っ」

 

 あの時は……蜘蛛を斬ったあの時は、叔父は捕らえられていただけだった。でもこれでは──!

 

 安曇は活路を探す。

 けれども何も、思い浮かばなかった。

 

 その時──

 

「っ!!」

 

 ギンッ!!

 

 継葉の影の手が、刀を持ったまま伸びるように安曇に斬りかかる。

 

「アズみ……!!」

 

 継葉が慌てるように人間の方の手で抑えるが、影の手は容赦なく安曇に襲いかかる。

 

「くっ!!」

 

 ギンッと重い音をたてながら、安曇はどうにかそれを受ける。二撃、三撃と、速さはあれど軽めなのが救いか。

 

「アズ……み、戦エ! 斬ルんだ!!」

 

「っ」

 

 大きく振りかぶった影の攻撃を、足場を盾のようにして回避して大きく後ろに飛ぶ。

 

 ガァンッ!!

 

 音とともに足場は粉々に砕けた。

 

「は……はぁ……はぁ……」

 

 呼吸を整え、影を見据える。

 継葉と奈落に分裂してるのだろうか。

 

(いや……)

 

 そうではないだろう。

 そうしてる間にも、継葉の影の部分が少しずつ増えているのだから。

 

「師匠……こんなのは……」

 

 こんな終わりは、どうしたって納得できない。

 これだけ長く戦ってきて、こんなことで終わってしまうのか。

 

 気が狂いそうだ。

 叫んでしまいたい。

 

 刀を握る手が震え、継葉を直視できない。

 

 安曇はずっと、大切なものに手を伸ばし続けてきた。

 たとえ他の何を差し置いてでも、諦めなかった。

 

 それを諦めるくらいなら……!

 

「ごメんナ……」

 

「!」

 

 そんな声はずるいと思った。

 継葉が零した届くか届かないかの小さな声は、安曇には泣いているように聞こえた。

 その距離、僅か三メートル。近いけれど、とても遠い。

 

 命よりも、優先するものがある。

 なのに──

 

『死なないでくれ!!』

 

 思考を止めるかのように、いつか彼女が叫んだ言葉が耳に蘇る。

 

「……ずるいな」

 

(僕にはあんな風に言っておいて……)

 

 自分は消えてしまうのか。

 そして安曇の選択肢すら、奪おうというのか。

 

「……」

 

 生きると約束した。

 他ならぬ継葉と。

 

 安曇は刀を構えた。

 

 継葉の影の半身は、ゆらりゆらりと獲物を探すように刀を揺らす。

 その赤黒い目は爛々と輝き、安曇を見据えていた。

 

「師匠」

 

 安曇は真っ直ぐに継葉を見つめる。

 まだ彼女はそこにいる。

 

(答えを……知りたい)

 

「……」

 

「あなたの願いは、なんですか?」

 

 掠れた声でそう問えば、継葉は驚いたように安曇に目を向ける。影の部分すらピタリと止まっていた。

 

「ワタしノ……ねがイ?」

 

「教えてくれたら……斬りますから」

 

「……」

 

 それがどんな答えであれ、叶えようと思った。

 それだけが安曇にできること。

 

 目の奥が痛かった。

 指先はまだ震えている。

 けれど視線はもう──逸らさない。

 

「……終わリに……スるコトだ」

 

「っ!」

 

 ギリッと奥歯が鳴る。

 

 何を求めていたんだろう。

 継葉ならこう言っても不思議はなかったのに。

 

(自分の……願いはないのか!?)

 

 継葉の半身がゆらりと動く。

 人間の姿の半身は悲しげに、けれども笑みを浮かべて安曇を見ている。

 

「……」

 

 安曇は目を閉じ、一度大きく息を吐く。

 そして次に目を開けた時には、弱さも迷いも全て捨てていた。

 

 終わりにすること。

 継葉はそう言った。

 

「わかりました」

 

 言うが早いか、安曇はコンクリートを蹴って継葉に肉薄する。

 継葉と安曇の間に滑り込むように影の手が伸びてきて刀を受ける。

 

 ギィン!!

 

 重い音とともに鍔迫り合う。

 影がぐにゃりと形を変えもうひとつの手を作り、安曇の頭上から押し潰すかのよいに迫る。

 

「!」

 

 パッと距離を取り、すかさずあぜ道を蹴って影の手を斬り落とす。手はざらりと粒子を撒くようにして消え去り、それを確認する間もなく再び継葉の刀が襲ってくる。

 

 体をギリギリ右に反らせば、頬をチリッと熱が掠る。

 

 ガンッ!!

 

 刀がありえない角度で落ちてくる。長い影の手は人間ではありえない間合いで動き、予想もしない歪み方で襲ってくる。

 

 安曇はそれらを回避し、受け切り、あるいは逸らす。

 目では追いつかない。継葉と繋がっているからこそ、次に来るものが見えるような気がする。

 

 ──その感覚だけが頼りだった。

 

 ザンッ!!

 

 腕を斬り落としてもすぐにまたゆらりと影が立ち上る。本体を斬らなければ終わらないのかもしれない。

 

 継葉が斬られるのと繋がっているかのように、斬るほどにパラリ……と周囲の景色が割れ落ちていく。

 斬って剥がれ。ざらりと粒子が飛べば落ちていく。段々と奈落に近づいていく。

 

 ギィンッ!!

 

「っ!」

 

 何度目かの打ち合いの末、安曇の刀が弾かれた。

 

 カランッ──

 

 刀が飛び、その勢いで足を踏み外した安曇の体は奈落へと落ちる。

 

「アズみ!!」

 

 それを見た人間の方の継葉が、慌てた様子で手を伸ばす。その手は安曇を掴み、振り子のようにしてあぜ道に放り投げた。

 

 ──その時。

 

「!」

 

 掴んだ手から継葉が見えた。

 その、心が。悲しみと苦しみと──願いが。

 

(ああ……そう、か)

 

 ──ズサッ!!

 

 理解と同時に転がった衝撃が安曇を打った。鈍い痛みを感じる余裕もなく、頭上から追いかけるように落ちてきた影の手を躱す。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 荒い息を抑えながら、安曇は刀を拾う。

 

「……それが、あなたの願いなら」

 

 何度も学んだ構えを取る。

 強く願えば、なんでもできる。

 

 この空間はそういう場所だと。

 教えてくれたのは継葉自身だ。

 

「ウウ……アズ、み」

 

 侵食が進んだ継葉の人間の目から、ぽろりと涙が落ちる。

 

 安曇はあぜ道を蹴り、呼吸すら止めて刀を振り上げた。

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