──ガラガラガラ
「死水《しすい》?」
森の脇の舗装された道を移動しながら、叔父の説明を聞く。
昨夜までの雨は朝方には上がり、淡い光が木々の間を抜けている。
「ああ。そう呼ばれてる」
対の館は、呪われた子供を隔離してきた歴史がある。あの老幹部、奥村が言っていたように、これは古くからの慣例なのだ。
そこにある──死水。
「呪いの元凶ってこと?」
「そうともいえるし、違うとも言える」
「?」
安曇は道の凹凸に気を配りながら、慎重に車椅子を押していく。
立てない叔父は、それでも館に行くと言った。仕方なく安曇は倉庫から車椅子を運び出し、叔父を押している。
「そもそも、呪われた子供ってのがどうやって判別されるかわかるか?」
「え。幻日石に選ばれたから、でしょ?」
つまりあの石が呪っている?
「いや、そういうわけじゃねぇ。あの石はあくまでも判定用。問題は死水にある」
車輪の音が朝の森に響く。
安曇は木漏れ日を眺めながら、もう一度首を傾げた。
「死水に近寄ると、命を吸われる」
「……え」
どういう意味だろうか。
一瞬頭が停止した。
(でもあの館は、呪われた子供の隔離用で……)
それで早死にするというのなら、黒鉄組はあえて子供を殺していたことになる。
この、目の前の叔父だって。
しかし合点が行くこともある。
歴代の呪われていた子供は、館に隔離されていて、二十歳前後までしか生きられなかった。今年三十歳になった叔父は……館に住んでいなかった。
「石に選ばれた子供をわざと、殺していたってこと?」
声が掠れる。
「回転が速ぇな。そうとも言えるんだが……仕方ねぇ側面もあるのよ」
「どういうこと?」
「死水には、化け物が住む」
「……ばけ、もの?」
ガラガラと音を立てて車椅子は山道を進む。
ただ座ることもキツイのか、叔父は背もたれにもたれかかって息を吐いた。
「定期的に化け物が湧くんだ」
(いくらなんでもこの現代日本に……)
「その化け物は、死水の周りから、数が増えれば館のいろんな部屋へ。さらに増えれば館の外に這い出してくる」
「……まさか……その、ために?」
「あぁ。そのために、それを処理する人間が必要なんだ」
「っ」
──ザァ……
風が吹き、森の木々をゆらす。森は普通の森と何ら変わりなく、陽の光を浴びてキラキラと光っている。
(化け物なんて)
安曇は言葉が出なかった。
「それが黒鉄に古くからある『お役目』だ」
叔父は何の感情もないようにそう言うと、車椅子にもたれて目を閉じた。
──ガラガラ
安曇と車椅子は、揺れながらも確かにその先の道へと進んでいく。対の館へ向かって。
『お役目』
そんなもの、ふざけている。化け物が真実ならなおさら馬鹿げている。
黒鉄の歴代の『呪われた子供』と蔑まれた彼らは。目の前で、どうにか呼吸を整えている叔父は。
そんなものを守ってきたと言うのだろうか……。
「まあ、お前は不満に思うと思ったよ。俺がそうだったからな」
「……普通に考えておかしいよ」
生贄にするようなものだ。どうして叔父は選べたんだろう。
──命よりも大切なものがあったから?
『俺たちは、自分の命の価値を一番上にしない』
「……」
安曇が黙ったので叔父がまた笑う。大笑いする力はないのか、乾いていて何度か咳き込んでいたが、それでも楽しそうだった。
「しゃーねぇな。置き土産くらいにゃなんだろう」
「え?」
「俺がお前くらいの時の話だ」
風は緩やかに頬を撫で、木々を揺らす。木々はその葉の隙間から、薄い晴れ間の光をふたりに届けた。
──その話は、叔父の人生の断章のようなものだった。
***
隆明が幻日石に触れた時、ちょっとした騒ぎがあった。
隆明は、その年に選ばれた"ふたりめの子供"だったからだ。同世代にふたり以上選ばれることはほとんどなかった。ほどなくして、彼らは引き合わされることとなった。
──隔離の対象として。
「はじめまして。僕は奥村道幸《おくむらみちゆき》です。君のことは知ってるよ。組長のところの次男坊だよね」
明るく真っ直ぐな笑顔で手を差し出してきた道幸に、隆明は少々面食らった。古参幹部の顔が頭をよぎる。
(何であんなたぬきからこんな真っ直ぐのが出てくるんだよ……)
けれど、道幸は本当に実直な人間で、ふたり暮らしということもあって隆明も徐々に受け入れていった。
「隆明! お役目サボっただろう!? 僕の番でたくさん出てきたじゃないか!」
「お前だってこの間サボったじゃねぇか」
「僕は体調不良だったんだよ!」
真逆な性格のふたりだったが、それなりに上手くやっていたと思う。
「つーか別に、だらけたところで誰も見張ってないんだし、手ぇ抜いても良いだろ、別に」
「……ダメだ」
どこかでふたり一緒に、まとめて一回で倒せば楽なのにと思った言葉は真剣な表情に却下された。
「面倒だろ?」
「ダメだよ。見張られてないからこそ、僕らはきちんとしなくては」
「はぁ?」
「黒鉄は僕らを見捨てたんだよ。子供にできるわけないことくらい、彼らだってわかってるよ」
「……」
そう捉えることはできる。ただ、彼らにも選択の余地がないのも事実だろう。隆明はそう思ったが、あえて口にはしなかった。
「だからきちんとしないと。先代にも顔向けできないし、できることを示さないと」
「……そうかよ」
隆明は肩を竦め、反対はしなかった。道幸の気持ちもわかったからだ。
「まあ、そんな感じで道幸と俺は正反対なタイプだったが、それなりに上手くやってたよ」
叔父が懐かしそうに笑うので、安曇はこれからどこに向かうのかわからなくなる。
森の風景も何も変わらない。立ち入り禁止と言ったところで木漏れ日のさす静かな森だ。
「まあ、そこから二年か。俺は手を抜き、あいつは働く。で、まあ、事件は起きたわけだ」
表面的には呪いと呼ばれている黒い傷が増えるたびに、手当をしあって看病をした。
食べ物や衣類は黒鉄まで取りに行けばもらえたし、不自由してたわけじゃない。けれどそれでも、どうしても削られていくものはあった。
「あっ!!」
──カランッ
「道幸!!」
刀が落ちて、化け物が道幸に覆い被さる。隆明が慌てて切り捨てたが、道幸の体は半分が黒く染まり、焼け爛れたようにあちこちに傷が浮いていた。
そこから、ギリギリで保たれていた均衡が崩れた。
何日も熱を出す道幸を看病しながら、隆明はひとりで化け物を斬っていく。
そして──
「!?」
ある日、傷が酷かった道幸の右腕が──水になった。
「嘘だろ!?」
慌てて包帯を縛り、止血のようにしてみてももうどうしようもない。
自分の命が溶けていくことに気づいたのか、道幸がふわりと微笑んだ。死ぬことを悟った微笑みだった。ポツリポツリと、零すように言葉を落としていく道幸に、隆明は為す術もなく必死で包帯を巻いた。
不意に、道幸の足が水になる。
「君に……無理言って悪かった」
「何?」
「本当は……知ってたんだ。捨てられたんじゃないってことは」
「……」
「僕が隔離されるって決まった時……いつも笑わない父さんが泣いてたから」
(水が……)
恐怖で息が上がる。
話している間にも、その命が零れていくかのように道幸の体は水になっていく。
「隆明……一緒にいてくれてありがとう。残してしまって……ごめん」
道幸の声がどんどん弱くなって、消えてしまいそうで、隆明は残った道幸の手を強く握る。
「みんなの役に立ちたかったなぁ……」
ぼんやりと遠くを見るように、道幸は笑った。
「お前はやれてたよ」
「……そう、かな? でも……もう……」
「俺が守ってやるから」
「……」
「必ず次に繋いでやるから。だから」
『心配するな』──その言葉を言う前に、道幸は溶けて消えてしまった。泣き笑いのような笑顔を最期に──
***
「──だからまあ、意地みたいなもんでもあるし、約束でもある」
いろいろ衝撃過ぎて安曇は言葉が出なかった。
(溶ける……)
──叔父も?
迫り上がる吐き気にも似た不安に胸を抑える。
お役目というものの理不尽さが、目の前の人を殺していく。
呪いは、呪いではない。──叔父の命は戻らない。
(僕が継げば……)
安曇が代わりにお役目をこなせば、叔父は助かるのではないか?
叔父は嫌がるだろうが、それは甘い誘惑にも思えた。
苦痛を振り払うように叔父を見たところで、叔父が安曇を振り返る。
「着いたぞ」
黒鉄屋敷から徒歩で一時間。
目の前の建物は今にも朽ちてしまいそうな、ボロボロの姿でそこにあった。
話題にしてはいけない、多くの曰くを抱えた対の館に──ふたりは到着した。