黒き蛇は死水に潜る   作:御月ケイ

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第52話 過去から連なるもの

 

 

 塚原圭輔の件で騒ぎはあったものの、白夜行きは滞りなく準備された。

 

 一週間後、当主会談の形式で。

 

(良い関係とはいえないのに)

 

 ジュリアの功績は去ることながら、よくそれだけの短時間で決まったものだと安曇は思う。

 

 対の館についての話を出したからだろうか。隆盛の決断は早かった。

 

「……」

 

 お役目に関して優先順位は高いのだろう。

 

 圭輔に関しては……皐月が森の側道で倒れていた圭輔を発見したという扱いで処理したことと、霜月医師が安曇の件を伏せたことで塚原幹部の立場が悪くなったこと以外は、これといって大きな話にはならなかった。

 

(虐待も、当たらずしも遠からずだろうし)

 

 黒鉄組は基本的に子供に優しい。そういう色があるので、表立って虐待は起きない。しかし暴力団という荒くれ者も少なくない場所の優しさなので、多少の体罰などはよく見かける。

 

 精神不安定になった圭輔は、自宅療養中だとか。

 圭輔が森にいたことと、圭輔の錯乱中に安曇の名前が出ていることで安曇も部屋で待機するように命令が出た。

 

 仕方なしに準備の期間、安曇は自室で静かに本を見ていた。

 

 パラリ……

 

 ページを捲《めく》る音だけが響く。

 

 ここ数日で、見たかった叔父の手記をやっと見ることができた。

 やや乱雑な懐かしい筆と、叔父の目から見た日常が書かれていた。

 

(叔父さんが日記をつけるとはね)

 

 意外だったが隆盛とは仲が良かったようだ。対の館を出た時もかなり協力していたらしい。

 

 そして結衣子との関係も。安曇は思わず目を見開いた。

 

『結衣子に告白された。兄貴の婚約者のくせに有り得ねぇ……。そもそもあの身勝手さにうんざりしていたのに面倒だ』

 

「……」

 

 なんとなく、母が未だに叔父を嫌う理由が見えた気がした。気づきたくもない案件なので、見なかったことにしてページを捲《めく》る。

 

 日記というほど密に書かれているわけでもない。継承してからのことや、安曇が幻日石に選ばれた時のことなど、大きなことがあった時だけ書かれていた。

 

 剣の師事をしたからか、安曇の成長があったからか。後半になるほど安曇との内容が増えていく。

 

『逃げたっていいのにあいつは逃げないだろう。一番面倒で苦しい道を、あいつはさらっと選べちまうんだろう。あの兄貴と結衣子からなんでこんなのが……』

 

 自分を叔父がどう見ていたのかを知るのは、何だか妙な気分だった。

 いつも見ていてくれたのだという事実は、安曇の中に静かに温度を落としていく。

 

 ペラリ……

 

「……これは」

 

 叔父はお役目のことも調べていたらしい。

 白夜からのルーツに関しては当主のみ伝わっていた内容であり、黒鉄の歴史からは消されていたようだ。

 

(白夜の名前を捨てるほどだからな……)

 

 そんな中で、叔父は現在の白夜組のことも調べていたようだ。

 彼らはお役目を放棄した。けれど過去に築いた知識、経験、歴史は、本家が全て持ち去ったようだ。

 

「……白夜、か」

 

 今回の訪問は木札を渡すだけのつもりだったのだが……。

 

(別の意味でも、白夜組に話を聞いた方が良さそうだ)

 

 安曇は静かに手記を閉じた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「場所は『花月《かげつ》』です」

 

 車のドアを開けながら、父の腹心の瀬良が言う。

 今日はこの男が運転手であるらしい。

 

 花月というのは白坂にある料亭で、そのスジの幹部がよく使う。完全予約制であり、常に部屋を確保してある料亭だ。

 

(僕も初めて行くな……)

 

 下の連中には使えない場所なので、憧れの場所になっているらしい。三林が羨ましがっていた。

 

 向かうのは組長である柘植隆盛、その息子である安曇。腹心の瀬良と瀬良の下についている男たちが五人だ。

 

(まさか当主同士の密談の形を取るとは……)

 

 体裁を考えれば自然なことかもしれないが、あっさりと会談まで漕ぎ着けたことには少し驚いた。

 

 父とはあの幻日石盗難の事件以来会っていなかった。後部座席に父と座る。どちらも当たり前のように会話はない。

 

 車は静かに走り出し、段々と都心に向かっていく。その中で、腕を組んで目を閉じていた隆盛がポツリと呟く。

 

「今日は白夜の当主と跡取りが来る。お前も心しておけ」

 

 ポツリと言われたことに頷けば、再び車内に沈黙が落ちた。

 

 料亭へと車は向かっていく。

 

 

 

 

 

 和風の料亭である『花月』は、貸し切られているようだ。客は見当たらない。

 さらに座敷は完全個室が選ばれており、今回の厳重さが知れる。

 

 人が立ち入れない中庭まで完備されたその部屋には、すでに白夜当主とその息子が到着していた。

 こちらから頼んだのだからと、だいぶ早めに来たはずだったのだが。

 

「やあ、黒鉄の」

 

「早ぇ到着だな、白夜の」

 

 白夜当主は恰幅のいい男性で、五十歳は超えているように見えた。

 

「うん。儂は高邑《たかむら》名雲《なぐも》だ。で、こっちは息子の紫苑《しおん》」

 

 白夜当主が顎でさしたのは座敷の奥。そこには父親とは似つかない線の細い少年がいた。穏やかな目をした少年は、隆盛と安曇に小さく会釈をする。

 

「跡取りと聞いてるが」

 

「ああ。今日の話はこいつが聞く」

 

「何……?」

 

 隆盛が眉を寄せる。

 それはそうだろう、当主同士の密談だったはずなのだから。軽い調子で笑う白夜当主に、安曇もそっと目を細める。

 

「なぁに、今日の話題に関しては儂よりしっかり学んでる。急だったんだ。顔を出しただけで……なぁ?」

 

 白夜当主は剣呑な眼差しを向ける。

 横の紫苑は何も言わず、奥にいる付き人らしい男はピクリとも動かなかった。

 

「チッ、話が違うぞ、白夜の。別件もあると言ったはずだ」

 

「あー……ならそっちは別室でいいか? そっちの包帯のガキだろ? 継承者は」

 

 包帯でぐるぐるに巻かれた安曇を見て、白夜当主は眉を顰め、紫苑は少し目を伏せた。

 

「柘植安曇です。館についての話をしてもいいと聞いています」

 

「おう。まあ、座れ。んで、儂らは別室だ。終わったら先に帰る。紫苑、いいな?」

 

「……はい」

 

「身勝手な……」

 

 隆盛が苛立つように言うが、白夜当主は素知らぬ顔だ。

 隆盛の話したい内容に関しては想像つかなくもないが、安曇としては対の館……お役目に関する話が聞ければいいのでどうでも良かった。

 

 大人が出ていき、紫苑の指示で控えていた男も部屋の外に出た。大人数人が座れる座敷に、今は安曇と紫苑のふたりきりだ。

 

「改めて、俺は高邑紫苑。十一歳で、白夜組を継ぐ予定だよ」

 

 紫苑は柔和な笑みを浮かべる。

 安曇は小さく頷いて、息を吐いた。

 なぜこうなったのか。

 

「僕は柘植安曇。年齢は十歳。黒鉄組を継ぐ予定はないよ」

 

「……継承者だから?」

 

 包帯を悲しそうな目で見る紫苑に、安曇は肩を竦めた。

 

「……単に興味がないから」

 

 黒鉄組を守りたいわけではない。けれど黒鉄組を守らなければ守れないものがある以上、安曇の選択肢は限られる。

 

(あの場所を、他の何かに壊されるのはごめんだ)

 

「そうなんだね。その傷は……帰ってこれたの?」

 

「……」

 

(……お役目の意味が違うのかもしれないな)

 

 白夜と黒鉄では。

 

「白夜では、死水の向こうの情報はあるの?」

 

 安曇の問いに、紫苑は眉を下げて首を振った。

 

「贄は誰も帰ってこなかった。だから……」

 

「向こうで何が起こっているのか分からない?」

 

「……うん」

 

 東雲継葉然り。

 白夜の贄と呼ばれたその時代の継承者たちは、しっかりと自分たちの役目を果たしたのだろう。

 

 赤黒い目が頭を過ぎる。

 悲しみと苦しみがじわりと広がる。

 

 安曇は小さく息をついた。

 

(それは僕の感情じゃない)

 

「死水の奥には……別の世界があるんだ」

 

「え?」

 

 紫苑は驚いたように顔を上げる。

 

 白夜組と黒鉄組。

 根元をわかたれ、もはや重なることはない組織だが、その過去の知識には価値がある。

 

「そこで贄として向かった人が戦い続けていた」

 

「……!」

 

「たとえ人であることをやめてでも、守り続けていたよ」

 

「まさか」

 

「これを」

 

 安曇は木札を机に置いた。

 これを見た反応如何ではこれ以上説明するつもりはない。

 

 しかし紫苑は木札を手に取り、表と裏を確認し、沈痛な面持ちで目を閉じた。

 

「……本物だね」

 

(わかるのか)

 

「彼女から預かったんだ」

 

 託されたとも言うだろうか。

 あの結末を選んだ継葉は、これをどうしたかったのだろう。

 

「……屋敷を去る時の最後の当主様の名前だね。まさか……そんなことが……」

 

「……」

 

 紫苑の目からポロリと涙が落ちる。そのまま泣きじゃくるわけでもなく、紫苑はそっと涙を拭った。

 

「ずっと継葉様と黒鉄組は共にあったということ?」

 

「いや……」

 

 まっすぐに安曇を見つめる紫苑の目には、継承者と同じ色がある。

 大人たちはいがみ合っていたようだが、安曇は紫苑を信じてもいいと思った。

 

「黒鉄では……」

 

 歴史が離してしまったものを、安曇は紫苑と少しずつ重ねていく。

 そして──

 

「つまり、この木札は師匠の対価札」

 

「うん、もし死水から帰ることができたなら、一度だけ何でも願いを叶えるという約束の証だよ」

 

 紫苑は穏やかに微笑んだ。

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