玄関から見送りに出ていた女将が叫び、周囲は騒然となった。
(なぜ狙撃を!)
倒れ込む隆盛を支えるように座り込んだ安曇は、広がっていく赤に身体を固くする。
あまりにも一瞬のことで、その凶弾がどこから飛んできたかすらわからなかった。
第二射は来ない。その事実は威嚇か、あるいは隆盛さえ仕留めればそれで良かったということを物語っている。
「探せ!」
瀬良が叫びながら安曇を抱え込み、その影に安曇を隠す。
隆盛の身体は力なく崩れ落ち、玄関側から誰かが走ってくる音と息を飲む気配を感じた。紫苑かもしれない。
(白夜じゃない! だとすれば──!)
安曇は奥歯を噛み締め、隆盛から広がっていく赤い色を見つめていた。
街中で起きた出来事だ。
隠せるはずもなく隆盛は大病院へ運ばれ、警察沙汰となった。
救急車に同乗した安曇と瀬良は、病院の廊下で隆盛の手術が終わるのを待つこととなった。
致命傷は避けられた。
あの時、安曇の方に向きを変えたのが幸いしたらしい。しかし油断できない状況だ。
「瀬良」
「あとにしてください。今から幹部へ連絡を──」
「それ、少し待て」
安曇の言葉に、瀬良は訝しげに顔を上げる。
「何ですって?」
「待てと言ったんだ」
安曇が温度のない声で言い放つと、瀬良は一瞬言葉を飲んだあと表情を固くする。
「安曇さんにはわからないかもしれませんが……組長がこんな事態になって、組の連中に言わないわけにいきません」
「その中に犯人がいるかもしれないのに?」
「──」
瀬良の表情が消え、極道の幹部としての顔が浮かぶ。安曇でさえ、空気が張り詰めるのを感じたほどだ。
(考えてなかったわけではない、か)
「伝えるなとは言ってない。でも白夜が犯人とは思えない以上、怪しいのは今回の件を知っていた幹部だろう」
「……では、どうすると?」
「死んだと伝えるんだ」
安曇の言葉に瀬良は一瞬言葉を詰まらせ、僅かに目を細めた。
「……狂言ですか」
瀬良は深く息を吐き、考えるように顎に手を当てる。
手術室のある廊下は静かで、手術室に入った医療関係者もまだ出てこない。
「そう。この件で得をした人間。思いつくだけでもいるだろう。でもそう見えなくても、父さんが死ぬことで露呈する得があるかもしれない」
幹部は全員癖がある。
パッと想像できる位置に黒幕がいるとは考えにくい。
瀬良の視線は静かだが、その眼光には値踏みするような気配がある。安曇は黙ってその視線を受け止めた。
「……良いでしょう。しかしお忘れなく。安曇さんも今回疑われる位置です。目立つ行動はおやめ下さい」
「……わかったよ」
今回の白夜行きを希望したのは安曇だ。年齢的に主犯とは思われないだろうが、疑惑の目は向くだろう。
安曇が頷いたのを確認すると、瀬良はスマホで連絡を始める。
一息ついた安曇の視線の端──廊下の向こうから警官らしき男がふたり歩いてくるのが見えた。
驚愕と痛みに歪んだ父の顔が頭をよぎる。まるで人形のように力なく沈んでいくその姿は、普段不仲だった安曇の胸にも仄暗い苛立ちを残した。
(警察には……任せてられないな)
警官ふたりは頭を下げ、電話をやめた瀬良が安曇の前に立つ。
長い夜は、始まったばかりだ。
***
「どういうことか説明しなさい」
居丈高《いたけだか》に言い放つのは安曇の母である結衣子だ。
瀬良は警察の相手をするために離れている。安曇は迎えに来た小林の車で深夜ようやく帰ってこれたのだが──
待ち構えたように結衣子に呼び出され、結衣子の部屋で向かい合っている。
「わかりません。料亭を出たタイミングで狙撃されたようです」
安曇の言葉に結衣子の片眉がピクリと上がる。
結衣子の部屋は、この黒鉄屋敷で唯一の洋室だ。叔父から聞いた話では、嫁いですぐに改装させたのだとか。
明るい壁紙に洋風の棚。キラキラと目立つように飾られた宝石は、安曇の目には悪趣味に見えた。
「お前、どうして今回の白夜行きを希望したの?」
「……白夜への届け物がありました」
「はん? 自分の父親の命かしら?」
「……母さんに伝えられるものはありません」
お役目の存在を結衣子は知らない。
まあ、知っていたとして、話したくなる相手でもない。
結衣子は目尻を釣り上げてバンッと机を叩いた。そして上に置かれていた水差しを掴む。
「お前っ!! 自分の立場をわかっているの!?」
水差しが飛んできたので、安曇は首を曲げる。髪を僅かにかすって飛んで行った水差しは、背後に落ちてガチャンと割れた。
(今回の件で大きく得をしたのはこの母もか)
黒鉄の実権は隆盛が握っていた。隆盛が死ねばその妻の結衣子が大きく出ることになるだろう。
結衣子だけなら瀬良あたりが止めただろうが、問題は。
安曇は結衣子の背後に視線を移す。
そこには結衣子の兄である幹部の細谷が、薄い笑みを浮かべて座っていた。
細谷は安曇と目が合うと、大袈裟に眉を下げ悲しげな顔をする。
「おいおい、結衣子。そんな言い方はないだろう?」
「は?」
「安曇だって、父親が目の前で撃たれてショックを受けてるんだ。まだ子供なんだからさ。なあ、安曇?」
言葉と表情は悲しげで優しい。しかし──その目の奥に優しさは見えない。
「……」
この男が今回、最も利益を得たと言っていいだろう。結衣子の兄であり、総司に影響を与える側近であり、安曇の後見人候補でもある。
(でも、あからさますぎるな)
そもそも細谷なら、わざわざ隆盛を殺さなくてもいずれ権力は転がり込んでくる。
「ショック? はん、涙ひとつ見せないこの子が?」
結衣子は嘲るように笑う。
自分こそ、夫が死んだと連絡がきたにも関わらず笑っているのに。
「……母さんは、僕が犯人であって欲しいみたいだね」
「……は?」
結衣子は苛立つように安曇を見る。その視線はどこまでも不快な色を宿し、安曇の仄暗い気持ちに波紋を広げていく。
「現状、僕を犯人とするのは無理がある。父さんを殺しても損しかないしね。母さんこそ、父さんが死んだのに元気そうだ」
「安曇! お前っ!!」
結衣子が半分腰を浮かせたのを見た細谷は、苦笑いをして結衣子の肩に手を置いた。
「安曇ぃ、お前さんもさぁ、煽るようなことを言うもんじゃないぜ? お母さんはさぁ、気を張ってるだけなんだよ。わかってやれって~」
両手を広げてアピールする姿勢は、大仰でどこか他人事だ。それがどこまでも気持ち悪い。
この男にとって、今、隆盛を殺すメリットは──?
「伯父さんも大変だね。明日……いや、もう今日か。幹部会は荒れるだろうね」
「ん〜、まあ、お前さんは気にしなくていい話だよ」
ここ最近は柘植が組を率いてきた。けれど過去を遡れば柘植だけではないのだし、後継者がはっきりしていない今なら。
「貴雄《たかお》も参加するんでしょう?」
「……お前さんは気にしなくていいよ」
細谷の息子であり、今年十六歳になる従兄弟の貴雄。ここにもチャンスが巡ってくる。
そう。メリットなら、ある。
(けれど組長殺しを上回るかというと……)
安曇には、デメリットの方が多く見える。この細谷が考え無しに計画するとは思えない。
安曇と細谷が話すほどに、結衣子のイライラは募ったようだ。再びバンッと机を叩き、哀れな机は悲鳴をあげるかのように軋んで揺れた。
「その姿といい、気持ちの悪い子ね……! お前は謹慎よ! たとえ犯人じゃなくても、お前の行動が今回を招いたんだからね!」
結衣子の甲高い耳障りな声に、細谷は肩を竦め安曇は小さく息をついた。
「……母さんにそんな権限ないでしょう。僕は僕の好きにさせてもらいます」
「安曇!!」
叫び声を尻目に安曇は結衣子の部屋を出る。
明日の幹部会では誰が動くだろうか。
たとえ偽装だとしても、目の前で命が消えるのは不愉快だ。
影となり、さらさらと消えていった継葉が頭をよぎる。
薄暗く軋む廊下を、安曇は静かにあとにした。