死水の向こうは一見普通の風景だった。
「対の館は変わらずか」
向こうの世界では半壊したが、こちらはまだきの色も新しい。
安曇はホッと息を吐く。
しかし館の外に出ると──
「これは……」
いつもは無限に広がっている田園風景。それがいやに少なく見える。
安曇は空を見る。いつも快晴の空なのに、今はどことなく色が薄い。
(世界が薄まった……?)
火災の影響か。
しかし、現実世界で死水は変わっていなかった。
安曇はあぜ道を見つめながら、自分の思考を整理する。
遺品の部屋で浮かんだ考えが真実味を帯びてきたかもしれない。
──もし、そうだとすれば。
一度戻って試してみるか。
しかし……確証もない。
今にも崩れそうな館を思い浮かべる。
確かめる余裕があるかどうか……。
(難しいな)
館の破損によって外に影響が出るかもしれない。
先に館の片付けと補修をした方がいい。
「……師匠、もう少し……待っててください」
必ずカタをつけるから。
──黒鉄屋敷に戻らなければ。
安曇は深いため息を吐く。
死水から戻れば、壁の穴が広がっていた。
外でジュリアたちが声を上げて燻った火を消している。
(本当に余計な真似をしてくれた)
苛立ちを抑えながら、安曇は館を見て回る。
なぜ犯人は館を燃やしたのか。
処分したかったにしても、あまりにも杜撰なやり方だと思う。
野々宮綺良々の暴走だろうか。
安曇の記憶では綺良々はあまり賢い方ではないし、常に圭輔の腕にぶら下がっていたように思う。
ひとりで何かをするタイプには見えなかった。
「今回の暗殺未遂と関係あるのか……?」
安曇に罪を着せたがっていた細谷と結衣子。
そこを踏まえれば今回の件は──
(……対の館に行くべきではなかった?)
安曇のその予測は、黒鉄屋敷に戻ってすぐにわかった。
***
対の館から出て、待ち構えていた三林たちの手を借りて屋敷に戻った。
「俺らは森に戻ります。まだジュリアさんたちが後始末してるんで」
「うん」
安曇が対の館にいる間に、隆盛は先に帰っていた。あの体調なら当然だろう。そもそも病院から抜けてきたようなものだろうから。
和臣は勝手に行動していたことがバレて呼び戻されたのだと、大林が苦笑いしながら説明した。
(皐月は──)
広間に足を向けたところで、泣きわめくような声が聞こえた。
「だからぁ!! あのミイラの指示だってばぁ!!」
また何の話だ……。
安曇は少々うんざりしながら広間を覗き込む。そこでは厳しい男たちに囲まれて泣きじゃくる綺良々がいた。
「安曇坊ちゃんの指示とはどういうことだ?」
どうやら安曇にここでも被せたいらしい。少し様子を見ようと扉の影に身を隠す。
「うー! だから……えっと……くみちょー暗殺の……めくろまし? えっと?」
「目くらましか?」
クイッとメガネを上げながら、幹部の都築が綺良々を見下ろす。
「そ、それ!!」
この綺良々の言葉は、安曇が隆盛の死を伏せさせた事実で簡単に破綻する。
そもそも客観的に見て、隆盛を殺したところで安曇に利はない。
(僕の立ち位置が悪いという以外、被せる相手としては上手くないだろうに)
「安曇坊ちゃんから森を燃やせと?」
「そ、そう! そのショーコに、あの場にミイラ来てたでしょ!」
「しかしあの館は安曇坊ちゃんの物だ。自分の持ち物を壊してどうするんです?」
都築は淡々とした様子で綺良々を詰める。
安曇としては、何の証拠にもならない話を追求しないのが疑問なのだが。
「え、う?」
綺良々はそこで答えに詰まった。
彼女の……彼女に指示を与えたものはきちんとカンペを渡さなかったのか。あるいは綺良々が馬鹿なのか。
(どちらもありそうだ)
「で、でも、指示されたんだもん!!」
「はぁ、困りますね、これは……」
いい加減見飽きた。
そろそろ入るか?
そう思った時、第三者の声が割って入った。
「その辺にしといてやれよ。綺良々だって指示されただけで理由なんか知らないのさ。そうだろ? 綺良々」
「貴雄!」
貴雄は安曇とは反対側の、縁側から来たらしい。
綺良々の声に喜色が滲む。そのまま立ち上がり、綺良々は貴雄の横まで走っていった。
チラリと覗けば、嬉しそうに貴雄の腕に絡みついている。
(圭輔の彼女だったんじゃ……?)
まあ、安曇をリンチした時点でかなり揉めていたし、そのあと圭輔は失態続きだ。乗り換えたのかもしれない。
「まあ、そういうこともあるでしょう。では、他に証拠はありますか? スマホの履歴など」
「え、えーと」
綺良々は再び言い淀む。そこに貴雄が思い出したように手を打った。
「ああ、もしかしてあの時か?」
「え?」
「夜中に廊下で安曇に会ったって言ってたろ?」
「あ! そ、そう! そうなの! 直接言われたの!!」
蛙の子は蛙。
細谷よりだいぶ詰めは甘いけれど、その血はしっかり受け継がれているらしい。
「(安曇さん)」
安曇が振り返ると、いつの間に来たのか皐月がいた。
「こっちは組長が戻ったことで結衣子さんは引き渡して来ました。組長暗殺の件も、何やら噛んでそうでした」
「……つまり細谷が?」
結衣子の案とは考えにくい。
組長に一番近い男。この細谷が犯人ならば、白夜と安曇が動いたタイミングで動いただけで、前から構想はあったのかもしれない。
(若干疑問点は残るけど……)
「おそらく。で、こっちは対の館放火の犯人ですか?」
皐月がチラリと部屋を見つめるので、安曇は小さく頷く。
「うん。貴雄がやんわり庇っているね」
「踏み込みますか?」
皐月の後ろには数人の男たちがついてきている。いつぞやの陣内耕太郎を含めた、鮎川の配下の連中だ。
準備は悪くない。
「行こうか」
「了解しました!」
中では都築と貴雄、綺良々のやり取りが続いている。
「あまり責めないでやってくれよ。可哀想だろ?」
「そうは言いましても。実際にブルドーザーまで持ち出して、組長はお怒りですよ」
「だから、矛先が違うだろ? 指示したのは安曇だよ」
「──僕が何?」
「!」
全員の視線が安曇と皐月、その後ろに控えた鮎川の手勢に目を向ける。
「おっと……安曇じゃないか」
最初に立ち直ったのは貴雄だ。
都築は探るような視線を安曇に向けている。
綺良々はビクリと肩を震わせると、貴雄の影に隠れた。
「僕と君がいつ会ったって?」
「え、え?」
「……立ち聞きかい? ずいぶんと意地が悪いじゃないか」
動揺する綺良々を背に隠し、貴雄はにこりと笑った。さすがあの父親仕込みだ。
「勝手な嘘で塗り固めようとするからだ。僕には昨夜監視がついていた。綺良々と話をしていたかどうか、彼らに聞いてみるといい」
「!」
そこで初めて貴雄から笑みが消える。
「……口裏合わせてるんじゃないか」
「まあ、ジャッジは組長がすると思いますし……これ以上嘘、重ねてみます?」
横にいた皐月がにこりと微笑む。
一瞬目を伏せた貴雄は次の瞬間、綺良々を振り返る。
「そうなのか? 嘘、ついてたのか?」
「え!? た、貴雄……」
「なんてことだ……! お前、なんでそんなこと……!!」
見る間に綺良々の目に涙が溜まる。
「うーわ、クズ」
皐月がボソリと呟く。
安曇も同感だった。潔いまでの尻尾切りだ。
「わ、わたし……わたし、悪くないもん!!」
綺良々が叫んだので、貴雄は驚いたように半歩下がる。
「貴雄のバカバカバカバカ!!」
そして背を向け、靴も履かずに庭に飛び出した。