遠くで蝉が鳴いている。
夏が来たのだと、告げているようだ。
「そろそろいらっしゃる頃合いだと思っていました」
日向ぼっこをする老人が孫を見るような顔で、奥村はにこりと笑みを浮かべる。
「……それは自白?」
縁側に座っていた奥村は、麦茶を安曇に勧めながら首を傾げる。
安曇は奥村の横に座り、庭を見つめた。
「はて? なんの事やら。私はただ、そろそろ安曇坊ちゃんが訪ねて来てくれるような……そんな気がしただけですよ」
「……」
安曇には疑問があった。
細谷を黒幕とするのなら、腑に落ちないことがいくつかあったからだ。
「細谷を引き取ったんだってね」
「ああ、聞きましたか」
細谷は組長に手を出した。未遂に終わったとはいえ、普通なら処理されても不思議はなかった。
そこを庇ったのが奥村だ。
「何だかんだ言って、あの男は使えますからね。まあ、もう上に登る道のない男ではありますが、しっかり管理いたしますよ」
当初は細谷の処分を強く訴えていた面々も、奥村がこう言えば黙るしかなかった。
「管理……ね」
受け取った麦茶を手の中で眺めながら、安曇はポツリと呟く。
日差しに溶かされた氷がカラリと音を立てた。
「今回の件、細谷が仕組んだにしては、おかしな点が多いんだ」
「ほう? と、いいますと?」
安曇は小さく頷いて言葉を続ける。
「細谷が描いた絵はこうだ。十歳の少年がライバル組織と手を組んで、父親を殺した」
「ふむ」
「疑いが自分に向いたので森に火を放ち、白夜に逃げることすらせず、わざわざ現場に顔を出した」
奥村は考えるように顎に手を当てると、静かに頷いた。
「まあ、実際白夜に会いに行ってらっしゃいますからな」
奥村はこの計画に違和感を感じないようだ。
安曇ならできる、そう考えているのだろう。
「細谷から……黒鉄組が僕をどう評価してるか知っている?」
「は……」
「よく言われるのは『役たたず』だ。他にも『落ちこぼれの次男坊』なんてのも聞くね」
安曇が笑うと、奥村は意図を理解したらしい。少し眉を下げて笑う。
「そう言われてしまうと……先程の計画は少し無理のある話に聞こえますね……」
「まあ、罪を着せる犯人像としてはかなり失格だね」
しかし、奥村は顎に手を当てて考えるように首を傾げた。
「ですが、なくはないのでは? 実際、その嫌疑をかけられていたわけですから」
安曇は肩を竦める。
「細谷の策にしては全体的に強引だ。そもそも細谷にとって、僕を犯人に仕立てるメリットそのものが少ないしね」
「総司さんを組長に添えたかったみたいですから、それを狙ったのではないですか」
「……なら、僕を事故に見せかけて殺した方が早いな」
細谷は現状でも権力を持っていた。そして総司に一番信頼を置かれていたし、安曇の後見人の椅子も近かった。どう転がしても良かったはずだ。
「なぜあえて組長を殺そうとしたのか、ということですね」
奥村は考えるように沈黙したあと、穏やかな笑みを浮かべる。
「欲に目が眩むこともありましょう。組長の位置に一番近い男でしたから」
「……まあ、有り得ない話ではないかもね」
「ええ、ないとは言えないでしょう」
奥村のその言葉に、安曇はフッと笑みを零す。
「他にも疑問点があるよ」
「聞きましょう」
安曇は頷き、奥村の屋敷からは見えない森の方を見る。
「対の館を燃やしたことだよ。細谷にとって、あの館はただのボロ屋でしかないのに、なぜわざわざ燃やしたのか」
「それは……安曇坊ちゃんに罪を着せるためと聞きましたが?」
首を傾げた奥村に、安曇はまた小さく笑みを零す。
「野々宮を抱き込み、わざわざ山を切り拓いて燃やした挙句に、塚原に情報を流して僕を対の館へ誘導する。もちろん、監視の目も減らして」
指折り数えながら、安曇は奥村を見つめた。
「他にもっと楽な方法がありそうだけど」
安曇が首を傾げると、奥村は少し言葉に詰まったあと微笑んだ。
「……確かにそうですね。ですがまあ、犯人は必ずしも最適解を選ばないものだと言いますし。私にはわかりかねますが」
じっと見つめてみても、その表情は変わらない。
風が吹いて、庭に敷かれた砂がさらさらと流れる。
「ところでこんな話を聞いたことがないか?」
突然話を変えた安曇に、奥村は目を瞬かせる。
「なんでしょう」
疑問点の多い計画。動機。行動。
「偶然は、三回も続けばそれはもう偶然ではない。必然と呼ぶべきものなんだ、とね」
「……」
「お前はこの会話の中で、何度も『なくはない』と言ったんだろう?」
『なくはない』程度の可能性が何度も選ばれたのならそれは──
奥村は何も言わず、静かに手の中のグラスを見つめている。そしてポツリと、独り言のように呟いた。
「奇跡は稀に起こるから奇跡と呼ばれるのだと思いますが……まあ、いいでしょう。意味があるのだと仰りたいのですね」
安曇は静かに頷いた。
「逆に考えると意味が見えてくる」
「逆?」
オウム返しのように呟く奥村を、安曇は静かに見つめる。
「つまり、対の館を壊したかった。そして僕を嵌めたかった。だから事件が起きたんだ」
「……」
奥村は一瞬意外そうに目を見開いたが、それが気のせいかと思えるほどに緩やかに苦笑を浮かべた。
「いやはや、その考えはありませんでしたな。細谷がそこまでして安曇坊ちゃんを排除したかったとは」
老獪な幹部は、自分の思考を微塵も見せない。あくまでも何も知らなかったという体を貫くのだろう。
叔父が奥村を、タヌキと呼んでいたのもよくわかる。安曇は肩を竦めた。
「……細谷じゃないと思うよ」
──この男はボロを出すだろうか。
「おや、犯人は細谷では?」
(いや……)
奥村に呼吸の乱れはない。
おそらくこのあとの言葉を言ったとしても、この男は耐え抜くだろう。
だからこそ、努めて静かに答えを告げる。
「お前だよ、奥村」
安曇に敵意を持っていた人物。そして呪いを消すことを切に願っていた人物。
──それはこの男しかいない。
安曇の静かな言葉に、奥村は笑うように目を細めた。