老人に困った様子はなかった。
動揺も、かといって敵対心も見えない。
「なるほど。……確かに以前お伝えした通り、私は安曇坊ちゃんを嫌っていますがね」
叔父の隆明に対して憎悪を向けたように。よく似た志を持つ安曇を憎んでいた。その突き刺すような視線を、安曇はよく覚えている。
「ですが、それだけで犯人扱いとは……」
「別にそれだけじゃない。お前と細谷が組んでいたと仮定すれば、先程の疑問点は全て消えるからね」
細谷単独で今回の事件を起こす利は薄い。けれど奥村が協力者なら話は別だ。
弱かったはずの動機が、俄然強く意味を持つ。
奥村は思案するように顎を撫でる。
「私と細谷が組んでいたというのなら、細谷が総司さんを推すのはおかしいのでは?」
言外に、柘植という家自体が気に入らないという気持ちが滲んでいる。
(まあ、道幸は柘植が殺したようなものだからな……)
安曇の目の前で隆盛を撃ったのも、意趣返しのようなものがあったのかもしれない。
だがそもそも細谷の求めるものと、奥村の求めるものは違う。
「だからお前が覆したんだろう?」
細谷にとっては総司が組長でも良かったはずだ。その細谷に、組長の座という欲目を出させたのは奥村だろう。
細谷が最初から組長への名乗りを上げていたのなら、おそらく幹部たちから疑念の目を向けられたはずだ。あそこは奥村が覆したからこそ、意味があった。
「ふふふ、安曇坊ちゃんも穿った見方をするのが上手い。たまたまですよ。私は間違ったことを言った覚えはありません」
「……そうだね」
だからこそ、あの場の誰も奥村を疑わなかった。細谷との共謀も考えられなかった。
けれど正論だからといって、悪意がないとは限らない。
(厄介な連中だ……)
「それに、私が黒幕だと言うのなら、細谷は告発すれば良かったのでは? あれだけ弁が立つ男です。罪を逃れることは無理でも、軽くすることはできたのでは」
奥村はまるでわからないというように、眉を下げて微笑んだ。突然のことに困惑していると言いたげだ。
そんな奥村に、安曇は冷たい視線を送る。
「だからこそ、お前が拾ったんだろう?」
「おや……」
奥村は口元に笑みを残し、静かに目を細める。
「告発すればいい、確かにね。でも告発しない方が軽くなるなら、するわけがない」
細谷を庇って、いかにも公平な立場を示した奥村。実際、細谷は有能だ。だからこそ、表立って庇おうが身柄を引き受けようが、繋がりを疑われることはなかった。
奥村が沈めば細谷も沈む。
そういう構図に持ち込んだ。
「……幹部たちの中で、細谷を抑え込める人間は私くらいなものでしょう。適材適所ですよ」
どこまでも落ち着いた声で笑う。
(これが……最古参幹部、か)
確かに、全ては状況証拠だ。奥村を断罪できるものではない。
前回とは違う。老獪な幹部は、今度は万全の体勢で挑んだようだ。
安曇は小さくため息をついた。
おそらく奥村は、細谷を始末することまではしないだろうが……。
「僕にはお前を告発する材料はない」
「そうでしょうね」
奥村の笑みは堂々としたものだ。あらゆる手を尽くしたのだろう。
たが──
安曇も薄く笑みを作る。
「でも、お前も僕を落とせない」
結果として隆盛は死ななかったし、安曇の嫌疑は晴れた。
幹部の入れ替わりは起きたが、安曇にとってはどうでもいい話だ。被害は対の館のみと言っていい。
だから今回は──これ以上追及するつもりはない。
奥村はため息とともに頷いた。
「……そうですね」
苦笑したその姿は、いつかの海の家で見た姿とよく似ていた。どこか疲れたような笑みだ。
安曇は飲まなかった麦茶を置くと、縁側から庭に降りる。
「お前はそうやって、幹部という立場に隠れて機会を伺おうというんだね」
「はて……なんのことやら」
「細谷を抱き込んだのはそのためだろう」
奥村は答えない。
けれど現状、黒鉄組の未来は総司が立つことになるだろう。総司が一番信頼していたのは細谷だ。
「総司は簡単ではないよ」
固い考えの兄ではあるが、馬鹿ではない。安易に利用できるわけではない。
「坊ちゃんはもう少し、可愛げを持つべきでしょう」
奥村は孫に諭すように言って麦茶を飲む。
「仮に総司を操れたとしても……お前に僕は落とせないよ」
安曇は目を細め、背を向けて生垣の門に向かう。しかしふとその足を止め、奥村を振り返る。
「もう、呪いも終わるからね」
「……は」
先程までの穏やかな顔は剥がれ落ち、驚愕に目を見開く。
細谷を辿れば、追い詰めることはできたのかもしれない。けれど今は、その価値を感じなかった。
安曇とは道が違う。
それでも黒鉄組の未来に安曇が関与しなければならなくなったなら、奥村とやり合う未来もあるのかもしれない。だがそれは今ではない。
安曇は今度こそ生垣の門をくぐった。
「……ふふ……ははは!」
背後からは、乾いた笑い声が聞こえてくる。
「そう……そうですか。ははは……」
安曇は高くなった太陽に目を細め、奥村の屋敷をあとにした。
***
安曇と三林たちは、対の館の前に立っていた。
それぞれ木片や工具を持っている。
「安曇坊ちゃん……」
「ん?」
「なんか……こう……わかんないんすけど」
大林が頭を押さえる。
その横で、まるで何かを振り払うかのように中林は何度も頭を振っている。
「修理は無理そう?」
せめて外側だけでもと思って資材と人員を連れてきたのだが、三人の顔色はとても悪い。
「腹の底からゾワゾワ来る感じ……っていうんですかね。とにかく、なんか……魂抜かれそうっていうか」
小林が肩を抱きながら震えている。
安曇は何も感じないところを見ると、対の館が壊れた影響なのかもしれない。
「……そう」
三林を置いて館の外をぐるりと回る。
何ヶ所も壁が崩れ落ち、内部が見える箇所がある。下手をすれば倒壊するかもしれない。そんな不安定さが増していた。
そして。
「……死水……か」
地面に染み込むこともなく、じわりと地表に流れ出している水。触れればビリリと肌を焼くような痛みが走る。
眉を寄せてため息をつく。
これでは館が機能していないのと同じだ。影が館の外に出る可能性もある。
「小林」
「はい」
「ジュリアに連絡を」
療養中の隆盛に話を通す必要がある。
外側すら、ここにいる人間では直せない。
まして、安曇ひとりで館そのものを直す技量はない。
継葉の姿が頭をよぎる。
彼女は何を思って、あの木札を安曇に託したのだろうか。
木札の役割を考えれば、白夜へ届けることが主目的だったとは思えない。
(はじめから……)
安曇に何かを渡したかったのかもしれない。
もう少し大事に使いたかったが──
安曇は苦味をグッと堪えて館を見つめる。
夏の太陽の下、静かに佇む対の館は、どこか暗い影に覆われているように見えた。