黒き蛇は死水に潜る   作:御月ケイ

65 / 67
第65話 死水

 

 

 前回を上回る速度で話が進んだことに、安曇は少なからず驚いた。

 

「こんなに早く動いてくれるとは思わなかった」

 

 安曇の言葉に、紫苑はにこりと笑みを浮かべる。

 

 対の館の修復に、安曇が選んだのは木札の使用だった。ジュリアを経由して隆盛に許可を取り、白夜へ連絡を入れた翌日には資材を持った白夜の人間が森に来ていた。

 

「それだけこの木札には力があるんだよ。祖先からの誓いが」

 

「……」

 

 白夜が用意したのは三十人ほど。率いてきたのは紫苑だ。

 

「大人数で黒鉄には申し訳ないけど、森にしか入らないから許してほしい」

 

 そう言って頭を下げた紫苑は、確かに次期白夜当主を思わせる覇気を纏っていた。

 

「中に入っても問題ないんだね」

 

 黒鉄組は常に継承者のみしか入れなかった対の館。今は五人ほど、補修のために出入りしている。

 

「護符のような物を持っているから。何も持たなければ入れないよ」

 

 男たちに指示をしながら、紫苑は苦笑する。

 

「そんなものがあるのか……」

 

 命を吸うといわれ、継承者しか近寄れなかった死水。もちろん、白夜には白夜なりの言い分はあっただろう。

 けれどこうした技術すら持たずに死水と残された黒鉄の祖先は、それでも守ろうと考えた彼らには。

 

(一体、どれ程の覚悟があったんだろう)

 

「でも、長居は難しいよ。だから交代しながらの作業なんだ」

 

 苦笑しながら、そのための人数だと紫苑は説明した。

 

 少しずつではあるが、古びて壊れかけた柱も丁寧に白夜は修復してくれている。死水の向こうにある館の雰囲気に、少し近づいたように思えた。

 

「君はずっと監督してるけど、大丈夫そうだね?」

 

 安曇の言葉に、紫苑は館の中を静かに見つめる。

 

「うん。俺は跡継ぎだから、他の人間よりは抵抗力があるよ」

 

「そうなの?」

 

 少し驚いた。継承者のようなものだろうか。黒鉄がそうやって守ってきたのだから、白夜本家ならそういうこともあるのかもしれない。

 

「……たいしたことはできないけどね。人には見えないものが見えるよ。わかりやすく言うなら、霊感があるとでもいうのかな」

 

 安曇も館の中を見回す。

 紫苑には、何かが見えていたりするのだろうか。

 

「この館も見えるの?」

 

「うん。外とは濃さが違うっていうのかな。向こうの──」

 

 紫苑の視線は居住区の奥へと向かう。

 

「あの部屋の奥の方が濃い。死水があるのかな」

 

「……うん」

 

 そうか、わかるのか。

 確かに、継葉もそういう特別な力を持つ人間の話をしていた。安曇におまじないをかけた少女のように。

 

「紫苑さん、入口付近の修理が完了しました」

 

「わかった。確認するよ」

 

 紫苑の返事に白夜の青年は頭を下げ、今度は居住区の横の部屋へと入っていく。

 人の出入りなどほぼなかった対の館に、これだけの人間が出入りしているのは奇妙な気分だった。

 

 慌ただしく出入りはあるものの、安曇としては対の館が直るのならそれで構わない。彼らが今更悪意を持って行動するとも思えなかった。

 

 そして──

 

「これが……死水」

 

 紫苑は遠慮したものの、安曇は館の中を案内した。

 そして館の一番奥の部屋まで来た時、紫苑は呆然と呟いた。

 

「うん。奥に扉があるのが見える?」

 

 傾いた部屋の三分の一ほどあるその水を、紫苑は驚きの眼差しで見つめている。そして安曇の問いに、紫苑は小さく頷いた。

 

「見える。あの辺が一番濃い」

 

「なるほど」

 

 紫苑が見ているのは、命そのものなのかもしれない。

 

「……俺も行けるのかな」

 

「試してみる?」

 

 紫苑なら、入れるのかもしれない。たとえ黒い傷が浮かんだとしても、痛みを堪えて進めば到達はできるだろう。安曇がそうだったように。しかし。

 

「……いや、やめておくよ」

 

 紫苑は首を振った。

 

「そう?」

 

「うん、俺が黒鉄で怪我をすれば問題になるだろうから」

 

 確かに、どちらの組にとっても困ったことになるだろう。

 安曇は肩を竦めた。

 

「……そうだね」

 

「本当は挑戦すべきなのかもしれないけど……やっぱり少し、怖いしね」

 

 紫苑は苦笑する。

 それを見ながら、安曇は死水に歩み寄る。

 

 影は出ない。

 あの日、奈落を──継葉を切ったから、もう出ないのかもしれない。

 

 ポチャン……

 

「!」

 

 包帯を外して死水に手を入れれば、鈍い痛みとともにじわりと染み込むように痛みが走る。黒く爛れるような傷が浮かび、安曇は手を引き抜いた。

 

「まあ、こんな感じで怪我をする程度だよ」

 

 顔色ひとつ変えない安曇に、紫苑は慌てて安曇の手を取る。

 

「溶けたら……どうするの!?」

 

「え?」

 

 思ってなかった紫苑の反応に、安曇は目を丸くする。

 安曇のその様子を見た紫苑は、ハッとしたように手を離した。

 

「あ……そうか、戻って来れたんだから、溶けるわけなかったね……」

 

(ああ、そうか)

 

 死水は継承者ですら、長く関わればその身を水に変えてしまう。継承者でなければ、すぐに溶けてしまうのかもしれない。

 

「何度も通ってるから、僕は水にはならないよ」

 

 傷ですら、すでに薄くなり始めている。

 元々溶けることはなかったけれど、今はあのおまじないのおかげで治り自体が早い。

 

「そっか……君はすごいね」

 

 ホッと胸を撫で下ろす紫苑。

 特別すごいことはしていない。安曇はそう考えている。

 

(僕も何度も死にかけた)

 

 今の安曇がこうしていられるのは、叔父の教えがあったからであり、継葉が祈ったからであり、奇跡のような女の子がいたからだ。

 

「やっぱり、普通の人は溶けてしまうの?」

 

「うん。そう聞いてるよ」

 

(だから紫苑は試さなかったんだな)

 

 もし紫苑が溶けて消えてしまったら、あらゆることがどうにもならなくなるだろう。今度こそ、黒鉄と白夜で全面戦争になる可能性もある。

 

「これが全国各地に発生してるのなら、白夜もそれなりに大変だね」

 

 方法はわからないが、死水が大きくなる前に散らすと言っていた。少しづつでも、ここのものも散らせるのだろうか。

 

 紫苑は困ったように微笑んだ。

 

「白夜が全てを確認できてるわけではないと思うし、イタチごっこのようなところがあるから……」

 

 死水は──人の気持ちや想いが集まったものだと紫苑は言った。

 継葉は、命の塊だと言っていた。

 

 今もどこかで、入口が生まれているのかもしれない。

 

(そしてそこに誰かが落ちれば)

 

 ──水になって混ざってしまう。

 

 存外、神隠しなんてものはこうやって起きることなのかもしれない。

 

「あの、すみません。そろそろこの部屋の修理も始めますんで」

 

「ああ、わかった。水には触らないようにね」

 

 白夜の青年が部屋に入ってくる。

 紫苑は頷き、水を見つめながら青年に言う。

 

『──水に触るんじゃねぇぞ』

 

 叔父にそう言われたのが、もう随分前のことのように感じる。

 

(叔父さんが守ってきたもの)

 

 青年と入れ替わりで部屋から出る紫苑の背中を追いながら、安曇はチラリと死水を見る。

 

 安曇が思うに、命はエネルギーであり、そこに記憶を──想いを宿しているのではないだろうか。

 

 命は溶けて混ざり合い、死水となる。宿していた記憶が空間となり、そこに継葉は立ち続けた。

 彼女がそうして記憶を受け止め、斬り続けたからこそ今がある。安曇がここに辿り着いた。

 

「お役目は……彼らを斬ること、か」

 

「え?」

 

 安曇の呟きに紫苑が振り返る。

 

「いや、何でもないよ」

 

 安曇は部屋をあとにした。

 

 取り残された想いだけが無念や慕情を募らせ、影となって他人を求める。

 

(誰でも、未練のひとつやふたつはあるだろう)

 

 それでもはっきりと形を作り、ここから出てくるのは"縁がある"からだ。縁を辿って、継承者たちは次の継承者に会いに来る。

 イタチごっこと紫苑は言ったが、まさにそういうことなのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 ふたりは地下に降りてきた。

 紫苑に遺品を見せるべきだと思ったし、頼みたいこともあった。

 

 地下の引き出しをひとつずつ開けてから、紫苑は沈痛な面持ちで目を閉じる。

 

「この部屋は、どうやら死水の真下にあるらしい」

 

「ああ、なるほど……。繋がれるようにしているんだね」

 

 どこか寂しげに天井を見る紫苑を、安曇は静かに見つめる。

 

 やっぱりそういう意図なのか。

 だとすれば、予想した通りなのかもしれない。

 

 200年という時を立ち続けた継葉。

 彼女の『終わりにすること』という願いを叶えることができそうだ。

 

「紫苑」

 

 安曇はまっすぐに紫苑を見つめた。

 

「ん?」

 

「君に頼みがある」

 

 遺品が燃えて、死水の向こうの世界は薄くなっていた。死水が減ったわけではないだろう。ただ、決して迷わないようにと繋ぎ止められていた記憶が、薄れたのではないだろうか。

 寄り集まる縁が消えたのではないか。

 

「なんだろう?」

 

「……遺品を、彼らに返そうと思う」

 

「え……」

 

 紫苑は目を丸くする。

 意味を反芻するように止まったあと、返すという言葉を呟く。

 

「死水の向こうに、彼らが集まって作られた記憶の寄せ集めが存在していた。斬ってしまったから散らばったけど、いずれまた集まるだろう」

 

「……」

 

「だからそうなる前に、遺品を返す。縁を──終わらせよう」

 

 彼らは十分、戦った。

 ずっとそこに立ち続けた。

 だから。

 

「俺に……見届けてほしいということ?」

 

「うん」

 

 楔を消して、彼らを解放する。

 

「いいよ、わかった」

 

 白夜の少年は、強い眼差しで力強く頷いた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。