黒き蛇は死水に潜る   作:御月ケイ

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第66話 昇る雨

 

 

 遺品全てを風呂敷に包んで運んだ。

 ひとつひとつは小物でも、数にするとかなりの量なので鞄では難しかったためだ。

 

 もし安曇の考えが間違っていたら。

 あるいは、奈落が……向こうの世界そのものが崩壊してしまったら。

 そんな考えが僅かに過ぎる。

 

 けれど。

 

「ここで待つよ。君が戻るまで」

 

 その言葉と紫苑の信頼は温かく感じた。

 

「うん」

 

 進もうとして、踏み出した時。

 

「あ! 安曇!」

 

 紫苑の声に振り返れば、彼はカバンから扇子を取り出した。

 

「これを持っていって」

 

「扇子?」

 

「うん。家紋が入ってるのがこれしかなくて。……弔いになるかわからないけど……」

 

 紫苑は眉を下げ、けれども真剣な眼差しで扇子を差し出した。

 

(気持ちはわからなくもない)

 

 安曇は素直に受け取ると、紫苑に小さく頷いた。そして。

 

 ジャプン──水に潜る。

 

 視界が濁る。痛みは初めての時と変わらない。指が、髪が……緩やかに水に溶けていくような気がした。

 

(最初は、拒まれているような気分だった)

 

 でも今は、ただこちらに来て欲しいという気持ちなのかもしれないと。

 

 ──そんな風に思う。

 

 ジャプン。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ズルズルと重い荷物を引きずって、安曇は対の館を進む。

 

「重い」

 

 静かな対の館に、安曇の声だけが響く。

 壁も、柱も現実のものよりだいぶ新しい。

 そういえばこの世界は暑くも寒くもない。ここを作った継葉の持つ空気そのままに、居心地が良く作られているのかもしれない。

 

 回廊を通って居住スペースに入る。

 

 思えば──結局のところ、東雲継葉とはどういう存在だったのか。

 なぜ彼女だけが、200年という時を立ち続けることができたのだろう。

 

 明確な答えがあるわけではないけれど、仮定として考えるのなら。

 

 トン、と館の中心の柱に触る。この世界は記憶の再現だと言うけれど、こうして触ることができる。物として存在する。それはおそらく、継葉がそういうものとして作ったからだろう。

 

「……」

 

 継葉の支配が及んでいない漂う影たちは違う。あれらに意志はなく、外見もかなり不安定なものだった。

 

 継葉はどうだったろう。

 彼女には、明確な意志があった。その存在は普通の人間に見えた。

 

(師匠は、記憶なんかじゃない)

 

 その腕には温度があった。

 彼女は確かに、安曇の目の前にいたのだ。

 

 対の館から出ると、やはり空が薄く見える。それどころか、ところどころ破れたような闇が顔を出していた。何も存在しない場所のように見える。

 

 安曇はズルズルと風呂敷を引きずる。

 

 意志の力で支配できる世界。

 叔父が自分の意志で身を守っていたように、継葉という女性はもしかしたら……。

 

 ──意志の力で肉体を補っていたのかもしれない。

 

「……ふぅ」

 

 風呂敷の重みに耐えながら、あぜ道を地道に進んでいく。

 縁になるものを山ほど持っているせいか、周囲の空気ざわりと動いている。

 

 風景の空白が近寄って来ているように感じた。

 

「……遺品全てを持ってきました」

 

 対の館から離れたあぜ道に、ドサリと荷物を広げる。

 遺品は着物が多いが、髪飾りや刀の鍔、粘土細工などもあった。

 

 安曇は空を見た。

 どうするか。

 

 これまでの経験上、縁のあるものに彼らは引き寄せられる。そしてあの日、継葉の口上で目を覚ましたことを考えれば。

 

 継葉の六文銭をジッと見つめる。

 そして小さく首を振ってポケットに入れ、安曇は荷物から紫苑の扇子を取り出した。

 

「紫苑、使わせてもらうよ」

 

 遺品の上に紫苑の扇子を置いた。

 弔いたいという気持ちが届けばいい。

 

 そう思った時だった。

 

 あぜ道の端に。空の裂け目に。

 滲むように黒が広がる。それは集まり方を忘れたように、じわじわ近寄ってはバラバラになり、やがて現実の館で見たような水球のようなものとなった。

 

 ズブリ……

 

 遺品が水球に沈んでいく。

 

「これは……」

 

 粘土細工がボロリと崩れる。

 200年の歳月が過ぎたことを、急に思い出したように。

 衣類が色あせていく。

 

 そして全て水球に沈んだ時──

 

 ポツ……

 

「雨……」

 

 地上から、頭上へと。

 水球から雨水のようなものがポツ、ポツと登っていく。

 

(泣いているみたいだ……)

 

 昇って行っているのに、まるで涙がぽたぽたと落ちるように。空へ空へと消えていく。

 

 地面が薄くなり、安曇は一歩下がる。

 水球に巻き込まれるかのように、水になってポツポツと空へと落ちる。

 

「……」

 

 どんな言葉も、合わない気がした。

 

 弔いも、慰めも、感謝も。

 彼らには似合わない。

 

 ただ見送るべきだ。……そう思う。

 

 地面が消えていく。

 

 何も言えないままに空を見つめて、安曇はまた一歩下がった。

 

(終わりますよ、師匠……)

 

 雨が昇る。

 

 対の館の周りだけは、守るようにあぜ道が広がっていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 約束通り待っていた紫苑は、安曇が戻ると泣きそうになって微笑んだ。

 

「暗く、濃く見えていたものが綺麗になったから……」

 

 どうやら紫苑は見ていたらしい。

 

「……終わったよ」

 

 安曇が頷くと、紫苑はギュッと目を閉じる。

 

「うん……ありがとう。俺が言うことではないんだろうけど……ありがとう」

 

 死水から出る安曇に手を差し伸べて、まっすぐに、優しい笑顔を浮かべた。

 

 紫苑はそれから安曇といくつか打ち合わせをして、翌日には館の修理を終えて帰って行った。

 

 そして黒鉄屋敷に戻れば。

 

「チャーンチャーラチャチャチャチャ」

 

「チャーン……あ!! 安曇坊ちゃん!!」

 

 玄関前で、なぜか昼間からラジオ体操をしていた三林が安曇を見て振り返る。

 

「ひばりさん!! 坊ちゃん戻りました!!」

 

 バタバタバタと足音がして──

 

「私の安曇坊ちゃああああん!!」

 

「!」

 

 勢いそのままに抱きつかれ、玄関に入ろうとした安曇は尻餅をついた。

 

「……ひばりさん?」

 

「ううう、わたし、私、また! 肝心なところでお供できなぐでぇ……」

 

 鼻水を流しながら泣き出すひばりを遠ざけながら、顔を上げればジュリアがいた。

 彼──いや、彼女は得意気な顔で安曇を見るとニヤリと笑う。

 

「んっふっふ、細谷がいなくなったこともあって、急いで呼び戻したわ! さあ、坊ちゃん、あたしに惚れ直してちょうだい!!」

 

「……」

 

 身体をくねらせたジュリアに安曇は引いた。そしてハッとして頭を振る。ジュリアがいるならちょうど良い。

 

「ありがとう、ジュリア。ついでにもうひとつ頼まれてほしい」

 

「ああら? 何かしら?」

 

「うん、黒鉄組に噂を流してほしい」

 

 これ以上、対の館を脅かされないために。

 

「んふ、相変わらず企むのが好きなのね。抱きしめたいわぁ、ひばりちゃん、そこどいて」

 

「いやでず!!」

 

 鼻声で文句を言うひばりと、つけまつ毛をバサッと持ち上げて目を見開くジュリア。

 

(勘弁してほしい……)

 

 思わず三林を見れば、三人はふるふると首を振った。

 

 

 

 

 

「ひばりさん、そろそろ離れて。お茶入れて」

 

「嫌です!! 離れたらまた中国に飛ばされるんだ、うわぁん」

 

「ええ……?」

 

 霜月医師専用の離れで、ひばりは安曇にしがみついて離れない。

 三林がいるうちに剥がしてもらえば良かった。彼らはテンションが上がったジュリアを、引っ張って去っていった。頼んだことをやってくれればいいのだが。

 

「お茶です」

 

 時雨が苦笑しながら冷たいお茶を配る。

 横で皐月が羊羹をつまんだ。

 

「つまり、お役目はなくなったんですか?」

 

「……いや」

 

 おそらくあの世界は命が溶けたものだ。

 だから無くなることはないだろう。

 でなければ、百蛇衆は何と戦っていたというのか。

 

「じゃあ、また行くんですか?」

 

 時雨が不安そうに眉を下げる。

 

「うん。見回り程度で済むはずだけど、僕は最後までやり抜くつもりだ」

 

 少なくとも、奈落のようなものにはならないだろう。あれは継承者が縛り付けられていた結果だ。

 

「やめないんですか?」

 

 ズビビと鼻をすするひばりに、安曇は少し距離を取りながら頷く。

 

「うん。あの世界に行くこと自体、僕には意味があるから」

 

 叔父が、継葉が守り抜いた場所。

 だから安曇はこれからも行くだろう。現実よりも少し新しい対の館に。

 

「……ちゃんと戻ってきますよね?」

 

 羊羹を置いた皐月が、珍しく真剣な表情で安曇を見る。

 

「もちろん」

 

 なぜか全員がホッとした顔をするので笑ってしまった。

 継葉に言われたことを思い出す。

 

『お前には、帰る場所があるじゃないか』

 

 そう、だから帰って来れる。

 大丈夫。

 

「だけど、お役目は僕で終わりにするよ」

 

 継承するのはもう、終わりでいい。

 あの師匠が選んだ道だ。できるはずだ。

 

 それは小さな決断だった。

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