遺品全てを風呂敷に包んで運んだ。
ひとつひとつは小物でも、数にするとかなりの量なので鞄では難しかったためだ。
もし安曇の考えが間違っていたら。
あるいは、奈落が……向こうの世界そのものが崩壊してしまったら。
そんな考えが僅かに過ぎる。
けれど。
「ここで待つよ。君が戻るまで」
その言葉と紫苑の信頼は温かく感じた。
「うん」
進もうとして、踏み出した時。
「あ! 安曇!」
紫苑の声に振り返れば、彼はカバンから扇子を取り出した。
「これを持っていって」
「扇子?」
「うん。家紋が入ってるのがこれしかなくて。……弔いになるかわからないけど……」
紫苑は眉を下げ、けれども真剣な眼差しで扇子を差し出した。
(気持ちはわからなくもない)
安曇は素直に受け取ると、紫苑に小さく頷いた。そして。
ジャプン──水に潜る。
視界が濁る。痛みは初めての時と変わらない。指が、髪が……緩やかに水に溶けていくような気がした。
(最初は、拒まれているような気分だった)
でも今は、ただこちらに来て欲しいという気持ちなのかもしれないと。
──そんな風に思う。
ジャプン。
***
ズルズルと重い荷物を引きずって、安曇は対の館を進む。
「重い」
静かな対の館に、安曇の声だけが響く。
壁も、柱も現実のものよりだいぶ新しい。
そういえばこの世界は暑くも寒くもない。ここを作った継葉の持つ空気そのままに、居心地が良く作られているのかもしれない。
回廊を通って居住スペースに入る。
思えば──結局のところ、東雲継葉とはどういう存在だったのか。
なぜ彼女だけが、200年という時を立ち続けることができたのだろう。
明確な答えがあるわけではないけれど、仮定として考えるのなら。
トン、と館の中心の柱に触る。この世界は記憶の再現だと言うけれど、こうして触ることができる。物として存在する。それはおそらく、継葉がそういうものとして作ったからだろう。
「……」
継葉の支配が及んでいない漂う影たちは違う。あれらに意志はなく、外見もかなり不安定なものだった。
継葉はどうだったろう。
彼女には、明確な意志があった。その存在は普通の人間に見えた。
(師匠は、記憶なんかじゃない)
その腕には温度があった。
彼女は確かに、安曇の目の前にいたのだ。
対の館から出ると、やはり空が薄く見える。それどころか、ところどころ破れたような闇が顔を出していた。何も存在しない場所のように見える。
安曇はズルズルと風呂敷を引きずる。
意志の力で支配できる世界。
叔父が自分の意志で身を守っていたように、継葉という女性はもしかしたら……。
──意志の力で肉体を補っていたのかもしれない。
「……ふぅ」
風呂敷の重みに耐えながら、あぜ道を地道に進んでいく。
縁になるものを山ほど持っているせいか、周囲の空気ざわりと動いている。
風景の空白が近寄って来ているように感じた。
「……遺品全てを持ってきました」
対の館から離れたあぜ道に、ドサリと荷物を広げる。
遺品は着物が多いが、髪飾りや刀の鍔、粘土細工などもあった。
安曇は空を見た。
どうするか。
これまでの経験上、縁のあるものに彼らは引き寄せられる。そしてあの日、継葉の口上で目を覚ましたことを考えれば。
継葉の六文銭をジッと見つめる。
そして小さく首を振ってポケットに入れ、安曇は荷物から紫苑の扇子を取り出した。
「紫苑、使わせてもらうよ」
遺品の上に紫苑の扇子を置いた。
弔いたいという気持ちが届けばいい。
そう思った時だった。
あぜ道の端に。空の裂け目に。
滲むように黒が広がる。それは集まり方を忘れたように、じわじわ近寄ってはバラバラになり、やがて現実の館で見たような水球のようなものとなった。
ズブリ……
遺品が水球に沈んでいく。
「これは……」
粘土細工がボロリと崩れる。
200年の歳月が過ぎたことを、急に思い出したように。
衣類が色あせていく。
そして全て水球に沈んだ時──
ポツ……
「雨……」
地上から、頭上へと。
水球から雨水のようなものがポツ、ポツと登っていく。
(泣いているみたいだ……)
昇って行っているのに、まるで涙がぽたぽたと落ちるように。空へ空へと消えていく。
地面が薄くなり、安曇は一歩下がる。
水球に巻き込まれるかのように、水になってポツポツと空へと落ちる。
「……」
どんな言葉も、合わない気がした。
弔いも、慰めも、感謝も。
彼らには似合わない。
ただ見送るべきだ。……そう思う。
地面が消えていく。
何も言えないままに空を見つめて、安曇はまた一歩下がった。
(終わりますよ、師匠……)
雨が昇る。
対の館の周りだけは、守るようにあぜ道が広がっていた。
***
約束通り待っていた紫苑は、安曇が戻ると泣きそうになって微笑んだ。
「暗く、濃く見えていたものが綺麗になったから……」
どうやら紫苑は見ていたらしい。
「……終わったよ」
安曇が頷くと、紫苑はギュッと目を閉じる。
「うん……ありがとう。俺が言うことではないんだろうけど……ありがとう」
死水から出る安曇に手を差し伸べて、まっすぐに、優しい笑顔を浮かべた。
紫苑はそれから安曇といくつか打ち合わせをして、翌日には館の修理を終えて帰って行った。
そして黒鉄屋敷に戻れば。
「チャーンチャーラチャチャチャチャ」
「チャーン……あ!! 安曇坊ちゃん!!」
玄関前で、なぜか昼間からラジオ体操をしていた三林が安曇を見て振り返る。
「ひばりさん!! 坊ちゃん戻りました!!」
バタバタバタと足音がして──
「私の安曇坊ちゃああああん!!」
「!」
勢いそのままに抱きつかれ、玄関に入ろうとした安曇は尻餅をついた。
「……ひばりさん?」
「ううう、わたし、私、また! 肝心なところでお供できなぐでぇ……」
鼻水を流しながら泣き出すひばりを遠ざけながら、顔を上げればジュリアがいた。
彼──いや、彼女は得意気な顔で安曇を見るとニヤリと笑う。
「んっふっふ、細谷がいなくなったこともあって、急いで呼び戻したわ! さあ、坊ちゃん、あたしに惚れ直してちょうだい!!」
「……」
身体をくねらせたジュリアに安曇は引いた。そしてハッとして頭を振る。ジュリアがいるならちょうど良い。
「ありがとう、ジュリア。ついでにもうひとつ頼まれてほしい」
「ああら? 何かしら?」
「うん、黒鉄組に噂を流してほしい」
これ以上、対の館を脅かされないために。
「んふ、相変わらず企むのが好きなのね。抱きしめたいわぁ、ひばりちゃん、そこどいて」
「いやでず!!」
鼻声で文句を言うひばりと、つけまつ毛をバサッと持ち上げて目を見開くジュリア。
(勘弁してほしい……)
思わず三林を見れば、三人はふるふると首を振った。
「ひばりさん、そろそろ離れて。お茶入れて」
「嫌です!! 離れたらまた中国に飛ばされるんだ、うわぁん」
「ええ……?」
霜月医師専用の離れで、ひばりは安曇にしがみついて離れない。
三林がいるうちに剥がしてもらえば良かった。彼らはテンションが上がったジュリアを、引っ張って去っていった。頼んだことをやってくれればいいのだが。
「お茶です」
時雨が苦笑しながら冷たいお茶を配る。
横で皐月が羊羹をつまんだ。
「つまり、お役目はなくなったんですか?」
「……いや」
おそらくあの世界は命が溶けたものだ。
だから無くなることはないだろう。
でなければ、百蛇衆は何と戦っていたというのか。
「じゃあ、また行くんですか?」
時雨が不安そうに眉を下げる。
「うん。見回り程度で済むはずだけど、僕は最後までやり抜くつもりだ」
少なくとも、奈落のようなものにはならないだろう。あれは継承者が縛り付けられていた結果だ。
「やめないんですか?」
ズビビと鼻をすするひばりに、安曇は少し距離を取りながら頷く。
「うん。あの世界に行くこと自体、僕には意味があるから」
叔父が、継葉が守り抜いた場所。
だから安曇はこれからも行くだろう。現実よりも少し新しい対の館に。
「……ちゃんと戻ってきますよね?」
羊羹を置いた皐月が、珍しく真剣な表情で安曇を見る。
「もちろん」
なぜか全員がホッとした顔をするので笑ってしまった。
継葉に言われたことを思い出す。
『お前には、帰る場所があるじゃないか』
そう、だから帰って来れる。
大丈夫。
「だけど、お役目は僕で終わりにするよ」
継承するのはもう、終わりでいい。
あの師匠が選んだ道だ。できるはずだ。
それは小さな決断だった。