気づけば体が動いていた。
叔父と出てきた影の化け物の間に滑り込み、刀を振るう。
シャッ!!
影は揺らめき、滲みに戻る。安曇の刀は空を切った。
「……なかなか大物が出てきてんじゃねぇか」
叔父は周囲を見ながら唸る。
「叔父さん、怪我は!?」
「元々山ほどしてるが、新しいものはないな。んなことより、俺を庇うな」
「でも!」
車椅子で動きにくい叔父に、これ以上負荷をかけたくない。
(やっぱり来るんじゃなかった……!)
「いいんだよ。てめぇのことだけ心配してろ。俺がこの程度でやられるか」
「だけど……」
「俺が信用できないか?」
「……できる」
「だろ」
再び安曇の上に滲みが生まれる。
「上だ!」
ガッ!!
安曇は迷わず刀で突き上げるが、滲みはゆらりと消えていく。決まった形はないようだ。対応がしにくい。
「チッ、奥へ行くぞ。大元叩く方が早い」
「わかった」
ガラガラと車椅子を走らせる。
その間にも滲む影や小さい何かがしきりに飛んでくるが、そのたびに叔父が切り伏せていく。
奥の扉まで、あと少し……!!
「開けるよ!!」
扉に手をかけたその時──
「安曇! 上だ!!」
「!?」
上から複数の影が飛んでくる。まるで虫のようにも見えるそれは弾丸のごとく安曇を狙うが──
ガシャガシャーーン!!
「ぐっ!」
前にいた叔父が床を蹴るようにして車椅子ごと体当たりをして安曇を動かす。安曇は後ろに倒れ込んだが、叔父の方もそのまま勢いを殺せず横転した。
飛んできた何かは扉に当たって砕けて消える。
「叔父さん!!」
「気にすんな。こんなの──!」
ぐちゃ……
まるで咀嚼するかのような、嫌な音がした。
「──」
車椅子から投げ出された叔父が手をついた場所に、滲みが現れていた。ぬらりと出た化け物は、赤黒い目で叔父を見つめてその口で叔父の手を噛んでいた。
「っ!!」
ぞわっと背中が粟立ち、安曇が迷わず刀で化け物の首を落とすと、影は霧散し溶けるように消えた。
しかし、ぐちゃりと引き抜いた黒く濁った指先から、とろり……と雫が落ちていく。
(指が、水に──)
ザクッ。
それをみとめるやいなや、叔父は迷わず指を切り落としていた。
「叔父……さ……」
落ちた指はパシャンと音を立てて水になる。斬られた手の方は赤く濡れ叔父は荒い息と共に手を抑えた。
「やっぱ水になるか……まあ、仕方ねぇな」
「叔父さん!!」
恐怖で声がうわずる。安曇は慌てて駆け寄って自身の袖を切り裂く。血のこぼれる手を必死で縛った。
「大丈夫だって。放置したら全部水になったかもしれんがな……。あー……痛ってぇ」
「僕のせいで……」
「ばーか。ちゃんと状況を見ろ。無駄な自責を教えた覚えはねぇぞ」
「……」
「指詰めたくらい気にすんな。極道の生まれだろうがよ」
悪い顔色がさらに悪くなって、汗も流しているというのに叔父の軽口は変わらない。安曇はただひたすらに沸き立つ恐怖を押さえつけていた。
「……」
そんな俯いて何も言えない安曇に、叔父は苦笑する。
「この程度なら本当に大丈夫だ。さっさと終わらせるぞ。帰らないとまともな手当もできねぇだろ」
「……うん」
(痛い……)
傷ついたのは叔父なのに、安曇の方が余程重傷な顔をしている。みっともない。安曇はグッと目を閉じて、全身に力を入れる。
「……開けるよ」
奥の扉に手をかけた。
「ああ」
ガラリと扉を開けると、薄暗い部屋の大きく傾いた床が見えた。奥へ向かうほど下がっているようで、叔父から聞いた通りに水がある。
車椅子を押して中に入る。軋む床が、まるで入るなと言っているかのようだ。
この傾斜では、立つことはできるだろうが、走れば足を取られかねない。
そして水全体が黒く淀み、その水面に球体の塊が浮かんでいた。水の塊のようだった。ボコッと球体が音を立て、その水から黒い何かが浮かび上がる。
「あれが大元だ。……来るぞ。──構えろ!!」
ボコリ……ボコリ……
「!」
黒い獣──安曇が最初に浮かべた言葉はそれだった。
大きさは様々。安曇の背より高いものもあれば低いものもある。そしてうっすら透けたそれを形容するのなら。
「影……」
安曇は大きく息を吸って、持ってきた刀を持つ手に力を入れた。
人型のそれは、ドロリと黒い影を滴らせながら、ズルリと水から這い上がる。
「っ」
その頭の位置に、赤黒い光がふたつ。瞳孔すらないのに、それはギョロリと安曇を見つめた。
背筋が凍り、手が震える。さっき廊下で見たものよりも、数倍邪悪なもののように感じた。
「う……」
(気持ち悪い……!!)
数にしてたかだか二匹。速度も速くはないはずなのに、ズルリズルリと動くそれは、いつの間にか固まっている安曇の目の前まで来ていた。
──キュオォォ
「っ」
一瞬体が硬直し、喉から音が漏れる。
安曇を見下ろす大人のような大きさの影。赤黒い穴が安曇を凝視していた。
「安曇」
「──!」
背後から落ち着いた叔父の声がする。
それはいつもと同じ、少しからかいを含んだ声音。
「お前はできる。さっきもお前はやれただろ?」
その言葉は、安曇の脳裏にひとつの光景を浮かばせる。
道場の稽古だ。安曇はいつも叔父にボコボコにやられていた。
悔しくて歯噛みし、痛みに震える手で木刀を握る。けれど子供に容赦がない叔父よりも、自分が弱いことに腹が立った。
そんな時、いつも叔父はどこか傲慢で冷たい微笑みを浮かべて安曇を見ている。
「お前のそういうところは気に入ってるよ」
安曇は手に力を入れ、震えを跳ね飛ばして型を取る。目だけは叔父から……相手から離さない。
ククッと喉を鳴らす叔父の目に油断はない。叔父はいつだって、安曇を"子供"としてではなく"相手"として構えをとる。
「いいか? 相手が強いほど、恐ろしいほど怯むな」
そうしていつだって、安曇に必要な言葉を投げる。
だから安曇は、その背を追い続けている。
──キュオォォ
「──っ!」
刀を、構える。
目の前の影が振りかぶる。
「そうだ。よく見ろ。一撃入りゃいい。斬るより──突っ込め!!」
「あああああ!!」
刀を固定し、吠えるように突進する。
相手の一番脆い場所を──
「穿て!!」
──ドカッ!!
体の中心を貫かれた影は、ゆらりと揺れて霧散する。
(た、倒せた……?)
──ジュワッ……
「っ」
体当たりで影に触れた手がじわりと黒く濁る。寒気とともに、一瞬感覚全てが手から切り離されたように思えて安曇は刀を落としかける。
呪いと言われている黒い傷。継承者たちを、叔父を殺すもの。
(こんなもので……!!)
──ボコリ……
音とともに水から浮かび上がる影に体が強ばる。
安曇が刀を構え直せば、背後から笑うような軽い口振りで叔父の声がする。
「水には触るんじゃねぇぞ。そんなもんじゃ済まねぇからな」
背後からカタンッと小さな音。
思わず目をやれば、ありえない光景が飛び込んでくる。
「……え」
車椅子に乗った叔父は、手に持った刀を杖のようにして立ち上がった。
そして低く構えると安曇の横を音もなく移動して、水から這い出す黒い影を一太刀で斬り伏せた。
──キュオォォ
黒い影は奇妙な叫びと共に塵になる。
「叔父……さん」
立つことも難しいほど衰弱していたはずなのに。
「やることはやらねぇとな」
「っ」
顔色は暗がりでもわかるほどに白い。それでも──いつもと変わらぬ笑みを浮かべて刀を構える姿には、不思議と余裕さえ見えた。
まるでこの場だけは、何があっても自分が支配するとでもいうように。
──ザンッ
叔父は、その命を燃やすように誰よりも強くそこにある。
(すごい……)
安曇の手の中の刀が震える。
本当に自分にできるのか?
そんな気持ちが恐怖と共に湧き上がる。
「お前にはできる。だから選ばれたんだ」
凛とした叔父の声が耳に響いた。
ボコリと湧き上がる音より剣戟が速い。
──ザ……
続いてもう一太刀。
まるで地獄の釜から湧き出すような黒い影を、次から次へと叔父は斬り伏せていく。
そしてついに、影を産む球体そのものを斬り裂いた。球体は音もなく滲みが取れるように薄くなり、消えていった。
まっすぐそれを見つめる叔父。
安曇はその背中を見て──こんな人になりたいと、強く思った。