没落王族は鍛えあげた剣で名声を欲しいままにするつもりだったのに何か思ってたのと違う 作:×××
魔核持ちの巨体が泥の上に沈んだあと、森は一拍遅れて静かになった。
血と泥と、焦げた魔力の臭いが冷気に押し潰されるように薄まっていく。折れた枝の先で雪が崩れ、どこかで鎧の留め具が擦れる音がした。戦いの最中には掻き消されていた小さな音が、今はやけに鮮明で──それがかえって現実を突きつけてくる。
生と死。
その差が、たった今の数秒で決まった。魔法が痩せ、術式が揺れ、叫びが途切れかけた瞬間に──剣が、世界の流れを変えた。
レオンハルトは、息を整えるふりをした。肺の奥が熱い。肩口の傷が脈打つ。血が鎧の内側を伝って冷え、痛みは確かに現実へ引き戻してくる。だが、それ以上に──皮膚に突き刺さるものがある。
視線だ。
魔導兵の硬い視線。歩兵の呆然とした視線。槍兵の、命を拾った者の視線。
畏れと救いが混ざったそれらが、四方からまとわりついてくる。
──たまらん。たまらなすぎる。
胸の奥が甘く熱くなる。頬が緩みそうになる。口角が勝手に上がろうとする。
笑いが、喉の奥にせり上がってくる。
だが、ここでニヤけるのは違う。
違う──と、理性が言う。
レオンハルトは目蓋を一度だけ伏せた。視線を切ったのではない。整えるためだ。『完璧な英雄』は、ここで勝利に酔った顔を見せない。少なくとも“そう見せてはいけない”。
──落ち着け……落ち着け俺。
内心で叱りつけながら、表情だけは平静に固定する。呼吸の回数も整える。肩の上下も抑える。
まるで舞台の上で照明を浴びる役者のように。
そして、それができる自分にまたぞくりとする。
──注目されることが、こんなにも気持ちいいなんて。
◇
助けられた槍兵は、泥の上に尻もちをついたまま動けなかった。
死ぬことが決まっていた。魔核持ちが跳び、爪が落ちる。骨が砕け、喉から声が漏れる前に終わる。未来が、確定していた。
なのに──いとも容易く覆された。
槍兵は息を吸う。肺が痛む。生きている証拠に胸がひりつく。喉の奥が変に渇く。
目の前にいるのは、ただの補充兵のはずだった。黒い支給鎧。泥に濡れた外套。
どこにでもいる“数”の一人。
なのに、その背中はあまりに大きい。
大きく、偉大で、そして──恐ろしい。
身震いしてしまうほどに。
槍兵は震える指で槍を握り直した。自分の手の頼りなさが際立つ。それでも、その頼りなさを突きつけられた瞬間、逆に心が決めてしまう。
──この人のそばにいれば、生きられるかもしれない。
身勝手極まりない考え。都合のいい錯覚だと分かっている。だが前線では、錯覚が命綱になる。
槍兵は小さく、祈るように名を反復する。
─―レオンハルト・グランディオール。
その名を心に置けば、手が震えるのが少しだけ収まった。まずは、感謝を伝えなければ。
§
基地へ戻る道は勝利の道ではなかった。
凱旋とは程遠い。担架が二つ、泥を跳ねながら前を通る。呻き声が漏れ、血の臭いが風に乗る。戦場は終わらない。終わるのは人のほうだ。兵たちは黙り込んで歩く。
それでも皆、視線だけはレオンハルトから離れなかった。
彼が歩けば首が追う。彼が立ち止まれば呼吸が止まる。誰も口に出さないまま、空気が彼を中心に回り始める。
あまりに露骨で、あまりに正直な反応。
──見ろ、もっと俺を見ろ……!
心の奥でそう囁く自分がいる。
同時に、外面の自分がそれを叱る。
──駄目だ。“英雄”はそんな顔をしない。
レオンハルトは、唇の内側を軽く噛んだ。
それだけで少し、頬が引き締まる。痛みが冷却剤になる。
──俺は、ここで終わらない。
“没落した王族“として、無色透明だった日々を身体がまだ覚えている。名を呼ばれない。存在が透明になる恐怖。
──もう、二度と戻る気はない。
◇
木柵が見えてきた頃、空気の密度が変わった。
魔力の“圧”が増す。温度ではない。目に見えない重量が肩に載り、兵たちの背筋が無意識に伸びていく。
ざわめきが薄れ、足音だけが整列するように揃い始める。
「……第三魔導兵団だ」
淡い光を帯びた術式板が整然と並び、刻印の入った胸当てが冷たく光る。彼らが歩くだけで、泥と血が“間違い”に見える。
隊の中心、馬上の青年──第三魔導兵団第七中隊長、リヒト・ヴァイスハルトは前線の空気を一瞥した。副官カイは軽口を言いかけて口を閉じる。空気を読む。場が違う。
そして、その中心から一人の少女が降りた。
淡い水色の髪。雪明かりを溶かしたような色で、光を受けると透明に見える。整いすぎた顔立ちは、感情が抜け落ちたようにすら見える。
彼女の名は『ミラ・アストレア』──第三魔導兵団特別戦術指揮官である。
兵の何人かが息を呑んだ。魔導兵でさえ、彼女の前では一歩だけ遠慮する。護衛ではない。崇拝に近い間合い。ミラは血溜まりと折れた槍を見下ろし、眉一つ動かさず言った。
「汚い。あなたたちは、戦場の整え方すら知らないのね」
叱責ではない。断罪だ。改善する意思も、寄り添う温度もない。リヒトが短く答える。
「被害は抑えた。魔核持ちは処理済みだ」
「……処理?」
ミラの唇がわずかに動く。興味の欠片。
「誰が?」
リヒトの視線が自然にレオンハルトへ向く。周囲の兵の目も引きずられるように移る。
舞台が、またこちらへ寄ってくる。
レオンハルトの胸が甘く熱くなった。
ニヤけそうになる。口角が跳ね上がりそうになる。だが、彼は堪えた。堪えて、背筋だけを真っ直ぐにする。
“見られるに相応しい”形を、先に用意する。
ミラの視線がレオンハルトを捉える。翡翠色の瞳は氷のように冷たい。
そして、彼女は一瞬だけ目を細めた。
違和感があった。
補充兵のはずなのに、訓練されていない兵特有の乱れがない。恐怖が先に滲まない。呼吸も、目線も、必要以上に落ち着いている。
──その“整いすぎてる姿”が、逆に気持ち悪い。
安堵か、怯えか、苛立ちか、虚勢か。極限状態だった人間ならば、何かしら感情が見えるはず。なのに、目の前の男はノイズが異様なほどない。
ミラは半歩だけ近づいた。威圧ではない。
ただ、その違和感から目を逸らしたくなかった。
「あなたが、処理したの?」
「──そうだ」
レオンハルトは、そこで“英雄の声”を選んだ。
「“私”が倒した。──誰も死なせないために」
周囲が息を飲む。
内心の醜い本音が弾けそうになるのを、喉の奥で押し殺す。口元は微動だにさせない。声の揺れも作らない。なぜなら、英雄とはそうあるべきだから。
ミラはわずかに鼻で笑った。嘲りではない。温度のない確認だ。
「……剣だけで?」
レオンハルトは静かに頷いた。
左腰の重みを意識する。剣の話は、もう十分に“伝わっている”。だから誇示はしない。ここで誇示すれば、舞台の空気を壊す。
「偶然を、実力と勘違いしないことね。魔核持ちは、整った術式で処理できる。その方がリスクが低く、確実」
ミラは言い切る。言い切れるだけの才能と実績があるからだ。
「──私が来た以上、この前線は“正しい形”に戻る。あなたたちは恐れる必要はない。恐れるべきは、私の邪魔をすることよ」
魔法を持たぬ兵たちは反射的に目を伏せた。否定できないからだ。だからこそ、その列の中で──レオンハルトへ向ける視線が再び増えた。
魔法の天才に踏まれても立っている男。魔法が揺れた場で結果を出した男。
ミラは、その視線の流れまで含めて不快そうに息を吐いた。
「あなたは次の出撃で、私の術式の外へ出ないで。勝手に動いて死なれると、場が汚れる」
汚れる。
その言葉が神経を撫でる。
レオンハルトは表情を変えない。変えずに、思考たけが加速する。
(術式の外に出るな、か)
“命令に従う英雄”を演じるのは簡単だ。やったことはないが、確実にできる。レオンハルトには根拠のない圧倒的自信があった。
そして従った上で、勝つ。勝って、称賛を攫う。
彼は一拍だけ置いて、気持ち悪いほど素直に言った。
「あぁ、分かった」
ミラの眉がわずかに動く。勝った者の満足ではない。違和感の色だ。
「……本当に分かってる?」
訝しむことを隠そうともしない問いかけ。
だが、レオンハルトは笑った。
「もちろんだ。私は、貴君の術式に合わせる。──それが、ここにいる皆の生存率を上げるのだと理解している」
言い切った瞬間、周囲の空気がわずかに整った。
命令に従う、と言っただけだ。だが“皆の命”という言葉が付いただけで、兵たちの目の色が変わる。
視線が、熱を持って自分に刺さる。助かった槍兵の目。魔力適性のない歩兵の目。魔導兵の硬い目。それらが混ざり合い、ひとつの塊になってレオンハルトを包む。
胸の奥が、甘く痺れた。
笑いが込み上げてくる。今すぐ口の端が上がりそうだ。
レオンハルトはそこで視線を外した。
外した先には、人がいる。
担架。血。泥。折れた槍。
そして、助けられた槍兵がこちらを見ている。目の焦点が合っていないのに、視線だけが縫い付けられている。命を拾った人間の目だ。
魔法を使えない兵たちも、言葉にできないものを喉に詰まらせたまま、こちらを見ている。
レオンハルトは、その視線を──受け取った。
拍手はいらない。賞賛の言葉もいらない。
“見られている”という事実だけで十分だ。胸の奥が満たされていく。
──ククク……アーハッハッハッハ!! 皆が俺を見ているッ!! 見ているぞッ!!
ニヤけそうになる。
だから堪える。英雄は笑い飛ばさない。英雄は、静かに受け止める。
──命令は守る。
術式の外に出るな、というのなら出ない。
出ないまま、術式の内側で一番目立てばいい。
それだけのこと。
ミラはまだ訝しげに、レオンハルトを見ていた。従順すぎる。反骨が見えない。なのに折れている感じがしない。
実際、その違和感は正しい。
レオンハルトは一例し、踵を返した。ミラの刺さるような視線を背に受けながら、ゆっくりと歩く。助けられた槍兵が、思わず息を吸った。
誰が想像できただろう。この男の脳内では、喝采を浴びる自身を妄想し、ニヤケきっていることを。
冬の空気は冷たく、泥の匂いが残っている。どこかで次の戦闘の気配が鳴っていた。獣の遠吠えではない。もっと鈍い、地面の奥のざわめきだ。
レオンハルトはその予感を、祝福のように受け取ってしまう。
──誰一人死なせはしない。全員、俺が救ってやるさ。