“魔王が倒されたあとの世界”を書いた男 ~名もなき兵と百年史~   作:こじまたり

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第14話 混血の街

 戦争、という言葉は、年に一度の記念祭でしか聞かなくなって久しい。

 

 王都はさらに肥え太り、中央広場には都合三体目の勇者像が建てられている。

 

 一つ目は老朽化で取り壊され、二つ目は当時の王の好みを色濃く反映しすぎたとして、新王の代になってからこっそり入れ替えられた。

 

 三つ目の像は、どこから見ても「無難な英雄」だった。

 

 輝く剣。

 掲げられた手。

 魔王の角を足元に踏みしだき、背後には王国の紋章と神々の光。

 

 その像の台座の陰に、決して銅像にならない人々が住んでいる。

 

 人と魔族の血が混ざった者たち。

 

 角が生えかけた子ども。

 瞳の色が周囲と違う女。

 肌に薄く紋のような斑が浮かぶ男。

 

 彼らは、誰も英雄とは呼ばれない。

 勇者像の足元から少し離れた川沿いの湿った土地に、半ば追い出されるようにして暮らしていた。

 

 そこは、人々が半ば皮肉を込めて「混血街」と呼ぶ区画だった。

 

◇ ◇ ◇

 

 ボールドンは、その混血街で生まれ育った。

 

 父は、かつて魔族側の兵だったと言われている。

 母は、この王都の外れの出身の女だ。

 

 どちらも、彼の物心つく前に姿を消した。

 「何かに巻き込まれた」のか、それとも「混ざってしまった罪を償わされた」のか。

 

 真相を知る者は、いるかどうかも分からない。

 ボールドン自身は、背丈も体つきも人間と変わりはない。

 ただ、耳の上あたり、髪の間から小さく固い突起が二つ、覗いている。

 

 角になりそこねた角。

 

 子どものころ、酔っぱらいに「半端な角だな」と指で弾かれたことがある。

 

 弾かれた場所がじん、と痛み、そのたびに自分が「どちらでもない」存在だということを、いやでも思い知らされた。

 

◇ ◇ ◇

 

 戦後四十五年。

 

 王都の至るところに「勇者教会」が建っていた。

 日曜になると司祭が勇者戦記を読み上げる。

 

 そこには、魔王の暴虐と勇者の献身と、王と神々の慈悲が繰り返し語られる。

 

 そして、最後の方の章にはこうした一節がある。

 

 ――「勇者と王は、

   悔い改めた魔族には生存を赦し、

   悔い改めぬ者には滅びを与えた。

 

   混じり合うべきでなかった血が混じったとき、

   それは世界の秩序への挑戦であり、取り返しのつかぬ罪である」

 

 混血街の子どもたちは、教会の外の窓からその話を聞かされる。

 

 中に入れてはもらえない。

 だが、「教え」は届けられる。

 

 ボールドンも、その一人だった。

 

 子どもの頃、司祭の声を聞きながら自分の頭の両側を両手で押さえたことを覚えている。

 

 ――罪。

 

 まだ意味もよく分からないその言葉が、冷水のように頭の中に落ちて少しずつ溜まっていった。

 

◇ ◇ ◇

 

 その日は、雨だった。

 

 冬の終わりかけ。

 空気は冷たく、雨は細かく長く降り続いている。

 

 ボールドンは、混血街の外れにある荷揚げ場で荷運びの臨時仕事を探していた。

 

「悪いな。今日はもう人手は足りてる」

 

 倉庫の親方が、彼の角にちらりと目をやって言った。

 

「腕っぷしなら悪くないですよ」

 

「そういう話じゃねえんだ。

 お前が悪いんじゃない。ないんだがな。

 ……お前に荷を運ばせると、“あの倉庫は混血を使っている”って噂が立つ。

 そしたら、今度は俺が困る」

 

 親方は、実に面倒くさそうに頭をかいた。

 

「分かるだろ」

 

「ええ。分かります」

 

 ボールドンは、肩をすくめて笑って見せた。

 何度も繰り返されたやり取りだ。

 

 腹の底では何かがこびりついていく感覚があるが、それを表に出したところで明日からの飯の種にはならない。

 

 彼は濡れた石畳を踏んで、混血街とは反対側の路地へと歩き出した。

 

 雨粒が髪を濡らし、耳の上の小さな角を叩く。

 

◇ ◇ ◇

 

 街の中心近くまで来ると看板の質が少し良くなる。

 新しい木材に、きれいに塗られた色。

 

 しかし、その中には彼にとって「見ない方がいい」印も混じっていた。

 

 教会が配った「勇者協賛店」の札。

 勇者の紋章と十字が描かれている。

 

 混血街の者は、その札のある店には入らない。

 入れない、という方が近い。

 

 入ろうとすると、店主が露骨に眉をひそめる。

 

 何も言わなくても、周囲の客が「ここはお前の居場所ではない」と目で告げてくる。

 

 だから、ボールドンはそういう札の下を、なるべく視界に入れないようにして通り過ぎる。

 

 その日も同じだった。

 

 ただ、雨脚が少し強くなってきたのでどこかで雨宿りをする必要があった。

 ふと、視界の隅に古びた看板が引っかかった。

 

 「古書 ルーバン堂」

 

 木の看板は、もう半分朽ちかけている。

 勇者協賛の札も見当たらない。

 

 窓ガラスは曇り、中の様子はよく見えない。

 

 ボールドンは一瞬迷い、扉に手をかけた。

 鈴の音が、か細く鳴った。

 

◇ ◇ ◇

 

 店の中は湿った紙と埃の匂いで満ちていた。

 

 背の高い本棚が狭い店内にぎっしりと並び、その間の通路は人一人がやっと通れるほどの幅しかない。

 

 灯りは小さなランプが二つだけ。

 外の灰色の光と混ざって、薄暗い半明るさを作っている。

 

 奥から、しゃがれた声が飛んできた。

 

「いらっしゃい……っと、ああ」

 

 老人が、カウンターの向こうから顔を出した。

 ボールドンの角に薄く視線が引っかかる。

 

 だが、すぐにその目は彼の濡れた髪と服に移った。

 

「雨宿りか」

 

「ええ。店の中を見ていてもいいですか」

 

「本を盗まなきゃ、な。

 どうせ売れるようなもんは、そう多く残っちゃいないが」

 

 老人は、半分冗談、半分本気の言い方で手を振った。

 ボールドンは、軽く会釈して本棚の間に入った。

 

 背表紙の文字は、どれも古びている。

 

 王国史。

 古い神学書。

 勇者戦記の旧版。

 

 ――勇者戦記。

 

 教会で読まれるものと同じタイトルだ。

 ただ、版が古いのか、装丁が簡素だった。

 

 ボールドンは、思わず眉を顰めた。

 今さら英雄譚を読む気にはなれない。

 

 彼は、本棚の隅の方へと歩いた。

 

 そこには、きちんとした形を保っていない紙束が無造作に積まれていた。

 

 綴じ紐が切れかけた帳面。

 端が焦げたような紙。

 見たことのない手書きの文字。

 

「それはな、役所が捨てた書類を紙商からまとめて買ったもんだ」

 

 いつの間にか後ろに来ていた老人が言った。

 

「書き損じやら、もう要らない記録やら。

 燃やす前にまとめて売り払うんで、うちが時々残りを漁る」

 

「読んでもいいですか」

 

「好きにしな。

 そこにあるものを読んだからって、誰も得はしないがな」

 

 老人は肩をすくめて奥に戻っていった。

 ボールドンは一番上にあった紙束を手に取った。

 

 表紙代わりの紙に、薄く、かすれた字が見える。

 

 『戦後記録 第一巻 ……』

 

 その後に続く文字は、水か何かで滲んで読み取れない。

 

 だが、「戦後記録」という言葉は彼の耳に覚えがあった。

 

 勇者教会の司祭が、忌々しげに口にしたことがある。

 

 ――「一時期、“無用な不安を煽る書物”が出回ったことがある。

    戦後の混乱を必要以上に書き立て、

    王と勇者の慈悲を疑わせようとする、不届きな記録だ」

 

 司祭は、その本の作者の名を、わざと口にしなかった。

 ただ、「老いぼれの記録官」とだけ。

 

 ボールドンは、紙束を開いた。

 

◇ ◇ ◇

 

 文字は、几帳面だがどこか癖がある。

 

 ところどころに、別の筆跡で注釈が書き込まれている。

 どうやら原本を写した写本らしい。

 

 ページをめくると、見覚えのない地名や戦後の年号が並んでいた。

 

 ――『王都近郊 魔族収容区視察記』

 

 その見出しの下に、ボールドンは自分が教会で聞いたものとは全く違う「戦後」の光景を見た。

 

 柵に囲まれた区域。

 粗末な住居。

 配給の列。

 

 角や牙を持つ者。

 人間と見分けがつかない魔族。

 戦争中は徴兵されただけの兵士。

 ただの農民、商人、職人。

 

 ――『私は、彼らの言葉を聞き取りながら、

    片方だけを“絶対の悪”として書くことができなくなっていった。

 

    だが、上から求められているのは、

    「魔族は危険」「管理強化やむなし」という報告書だった。』

 

 ボールドンは、紙の上の言葉を追いながら胸の奥がざわつくのを感じていた。

 

 教会の本では、魔族は「赦しを乞う存在」としてしか描かれない。

 

 勇者の慈悲によって命を繋いだ者たち。

 赦しを拒んだ者は滅び、赦しを受けた者は感謝と服従を誓った――と。

 

 ここに書かれている魔族たちは、教会の物語とは違う顔をしていた。

 

 誇りを失った者。

 家族を人間側に殺された者。

 自分たちを「赦した」と言い張る王と勇者に、複雑な眼差しを向けている者。

 

 そして、

 柵の外の人間たちもまた、己の傷と憎しみを抱えている。

 

 ――『どちらも、自分の正しさを信じている。

 

    書く者が、その片方に肩入れしたとき、

    史料は「物語」に堕ちる。

 

    だが、物語の形をした史料でなければ届かない現実もある。

 

    私は、そのあいだで揺れている。』

 

 ボールドンは、ページをめくる手を止めた。

 字が、うまく頭に入ってこなくなっていた。

 

 自分の胸の中で、何かが軋んでいる。

 

◇ ◇ ◇

 

 彼は、自分の角に触れた。

 指先に当たる、固い感触。

 

 教会の司祭は言った。

 

 「混血は、赦しを踏みにじる証だ」と。

 

 魔族の血が混じった子どもは、「魔族」が勝手に人間に近づいた結果の「罪」だと。

 

 だから、混血街の子どもたちは、自分が生まれてきたこと自体がどこか間違いなのだと教えられてきた。

 

 ――ここに書かれているのは、その「赦された」とされる者たちの本当の顔なのか。

 

 ボールドンは、ページの端を握りしめた。

 紙が、かすかにしわを作る。

 

 魔族収容区の話に続いて、

 「戦犯裁判」の章があり、

 「反乱の夜」の章があり、

 「英雄の子どもたち」の章もあった。

 

 勇者の息子が、「英雄の子」であり続けることに苦しんでいる。

 

 その記述を読んだとき、ボールドンは自分とは全く違うはずの誰かに妙な親近感を覚えた。

 

 ――どちらも、自分の名前で呼ばれない。

 

 英雄の子は「英雄の子」として。

 混血は「混血」として。

 

 その生まれや血のせいで、別の物語に組み込まれ続けている。

 

 紙の上の言葉が、自分の皮膚の内側に入り込んでくるような感覚。

 ボールドンは、無意識に周囲を見回した。

 

 老人は、カウンターの向こうで帳簿を眺めている。

 誰も、この紙束の中身に興味を払ってはいない。

 

 ――読んでいいのか。

 

 自分が読んでしまっていいものなのか。

 

 そんな迷いさえも、自分が「何かを赦されていない」と信じ込まされてきた証拠なのだと、どこかで理解しながら。

 

◇ ◇ ◇

 

 雨は、まだ止まなかった。

 

 ボールドンは、古書店の隅の壊れかけた椅子に腰を下ろし、紙束の続きを読み始めた。

 

 時間の感覚が、薄くなっていく。

 

 戦後三十五年で終わる第一巻の末尾には、「老記録官の死」の記述があり、

 続く数枚には、別の筆跡で書かれた「編纂者の言葉」が挟まっていた。

 

 ――『老記録官の残した二つの束のうち、

    一つは正式な記録として、

    一つは私的な写本として残された。

 

    公にされる言葉と、

    公にされない言葉。

 

    その両方のあいだに、

    この王国の“戦後”がある。』

 

 ボールドンは、思わず笑ってしまった。

 笑いは、喉の奥でひび割れていた。

 

 「公にされない言葉」は、今、ここで、自分の手の中にある。

 

 混血街の若者の膝の上で、老記録官の私的な写本が静かに頁を震わせている。

 

 これを見つけた教会の司祭がいたら、どんな顔をするだろう。

 

 ――それを考えて、自分で怖くなった。

 

 ボールドンは、紙束をそっと閉じた。

 

「それ、気に入ったか」

 

 いつの間にか近づいていた老人が、棚に本を戻しながら言った。

 

「……少し」

 

「少し、ね」

 

 老人は、彼の手元をちらりと見て、目を細めた。

 

「それは買っていくには高いぞ」

 

「いくらですか」

 

「金じゃなくて、覚悟がな」

 

 ボールドンは、息を飲んだ。

 老人は、すぐに肩をすくめて笑った。

 

「冗談だよ。

 どうせ役所の連中は、それを“燃やしていい”紙として捨てたんだ。

 読みたいなら、ここに来て読むといい。

 ただ……」

 

「ただ?」

 

「そのうち、お前は“教会の本”と“この本”の両方を抱えたまま、

 どこに立てばいいか分からなくなる。

 それでも読みたいなら、止めはしない」

 

 ボールドンは、自分の胸の中を確かめるように息を吐いた。

 

 既に、どこに立てばいいか分からない感覚は始まっている。

 

 それなら――と、彼は思った。

 

「また来てもいいですか」

 

「ああ。

 雨の日でも、晴れの日でも、

 ドブ臭い匂いを連れてこなきゃ歓迎するさ」

 

 老人は、軽く手を振った。

 

◇ ◇ ◇

 

 混血街に戻る頃には、雨は小降りになっていた。

 川面に浮かぶゴミの上に、雨粒が小さな輪を描いている。

 

 ボールドンは自分の狭い部屋に戻ると、粗末な机の上に紙切れと炭筆を広げた。

 

 古書店から紙束を持ち出すことはできない。

 だが、覚えておきたい一節だけは自分の言葉で書き写しておきたかった。

 

 炭筆を握りしめ、彼は自分のノートの片隅に文字を書き殴った。

 

 手は震えていたが、文字ははっきりと紙に刻まれていく。

 

 やがて、こんな一節が浮かび上がった。

 

 

 ──【ボールドンの落書きノートより】

 

 『教会の本には、“魔族は赦された”とは書いていない。

 

  赦されたのは、人間の側の気持ちだ。

  王と勇者が、「赦してやった」と言ったことが、

  赦しそのものだと教えられている。

 

  老記録官の本には、“赦されなかったままの者たち”が山ほど出てくる。

 

  柵の中にいた魔族も。

  家族を失った人間も。

  英雄の子どもも。

 

  そこには、俺たち混血のことは一言も書かれていない。

 

  書かれていないけれど、

  たぶん俺たちは、その「赦されなかったままの者たち」の続きにいる。

 

  俺たちの血は、罪の証なのかもしれない。

 

  でも――もしも“赦し”というものがあるなら、

  それは、上から降ってくるものじゃなくて、

 

  この紙の上で、

  俺たち自身が書き直すものなんじゃないかと、

  少しだけ思った。』

 

 ──と、戦後四十五年の混血街の片隅で、

 名もなき若者は、自分でも持て余す感情を拙い文字に変えて紙の上に貼り付けている。

 

 そのノートが、

 この先誰かの目に留まるかどうかは、まだ誰にも分からない。

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