“魔王が倒されたあとの世界”を書いた男 ~名もなき兵と百年史~   作:こじまたり

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第15話 禁書指定

 戦争の記憶は、老人たちの頭の中にしかなくなった頃。

 

 王都の中央広場では、年に一度「勇者感謝祭」が開かれるようになって久しい。

 

 勇者像の足元には、新しい花輪と子どもたちが描いた拙い絵が並び、教会の聖職者たちが勇者戦記の一節を読み上げる。

 

 彼らの袖には、王国の紋章と並んで十字と剣を組み合わせた「勇者教会」の印が縫い付けられていた。

 

 王と議会は、もはや彼らを無視できない。

 

 祈りの場であるはずの教会は、いつのまにか政治の匂いも濃く纏うようになっていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 勇者教会本部から一枚の告示が出されたのは、そんな空気が当たり前になった頃だった。

 

 告示は、王都中の教会と王立記録局、各地方の役所に回された。

 その上部には、堂々とした書体でこう記されている。

 

 ――『異端的歴史書および虚偽記録の禁書指定について』

 

 その下に、いくつかの書名と著者名が並ぶ。

 そして、行の真ん中あたりにひとつの名前が。

 

 『ヨルン・エルネスト著

  「戦後記録 第一巻 ――灰の上に立つ王国」』

 

◇ ◇ ◇

 

 王都の一角、古い記録局の保管庫。

 厚い石壁と鉄の扉に守られたその部屋で、中年の女が告示の写しを睨んでいた。

 

 ミレイ・カーター。

 

 かつて、老記録官ヨルンのもとで世話を焼かれ、叱られ、戦後の「匂い」を教え込まれた弟子。

 今は、王立記録局の中堅を越え、若い記録官たちに指示を出す立場になっている。

 彼女の髪には少し白いものが混じり始めているが、目の鋭さは変わらない。

 

 胸の前で告示を折りたたむと、同僚の男がおずおずと声をかけた。

 

「……どうしますか、ミレイさん」

 

「“どう”って、何が」

 

「ほら、その……ヨルンさんの本も、禁書指定の中に含まれていて」

 

 保管庫の棚の一列には、『戦後記録 第一巻』の正式版がきちんと装丁された形で並んでいる。

 

 王国の印章付き。

 歴史資料としての番号も与えられている。

 その隣には、閲覧用に何度もめくられて角の丸くなったコピーもある。

 

 勇者教会の告示には、こう書かれていた。

 

 ――「ヨルン・エルネストなる者の著した“戦後記録”は、真なる歴史の光を曇らせ、勇者と王の慈悲を不当に疑わせる“虚偽の書”である。

 

 よって、当該書物の閲覧、写本、朗読を禁じ、現存するものは速やかに回収および焼却に処すべし。」

 

 ミレイは、短く息を吐いた。

 

「“真なる歴史”ね」

 

 彼女は、棚に並ぶ背表紙に指を滑らせた。

 

 ヨルンの名。

 『灰の上に立つ王国』。

 

「上は何と?」

 

「議会は、“教会と対立するつもりはないがあくまで最終判断は王立記録局が行う”と……。

 局長は、“何冊かを表向きに焚書に回して、残りは“内部資料扱い”にして残す”という意見らしいですが」

 

「内部資料ね」

 

 ミレイは、鼻で笑った。

 

「“もし”内部に火をつけられたら、全部まとめて燃やされるだけよ」

 

 同僚は言葉を失った。

 彼女はしばし考え、やがて決めたように言った。

 

「まず、ここの棚から“何冊か”を抜く。

 正式版を数冊、閲覧用コピーを数冊。

 残りは、教会の目の前で焼いてやればいい」

 

「でも、それじゃ……」

 

「“禁書指定に従いました”という証拠が必要なのよ。

 従ったふりをして、従い切らない。

 それが、記録局のやり方だと、昔、誰かが教えてくれた気がするわ」

 

 誰のことかは、言うまでもない。

 

◇ ◇ ◇

 

 同じ頃。

 

 混血街の古書店「ルーバン堂」にも、教会の使いがやって来ていた。

 使いは若い司祭見習いで、白い衣の上に灰色のマントを羽織っている。

 

 店主の老人はカウンター越しに彼を見て、眉をひそめた。

 

「うちは信者を相手に商売してるわけじゃないんだがね」

 

「分かっています。ですが、これは“信仰”だけの話ではありません」

 

 司祭見習いは、懐から折りたたまれた告示を取り出した。

 

「異端書のリストです。

 これと同じものが、王都中の書店に配られています。

 該当する本があれば教会に引き渡してください」

 

 老人は告示を一瞥すると、面倒くさそうに鼻を鳴らした。

 

「異端書ね。

 うちで売れるような本は、とっくに時代遅れになった真面目な歴史書か、誰も読まない役所の紙くずくらいだよ」

 

「“戦後記録”と書かれたものはありませんか。

 著者はヨルン・エルネスト」

 

 老人の手がカウンターの上でぴたりと止まった。

 一瞬だけ。

 

 その僅かな間を、司祭見習いは見逃さなかった。

 

「やはり、心当たりがおありですね」

 

「……昔、名前だけは聞いたことがあるよ。

 老いぼれの記録官が、余計なことを書き連ねていた、とね」

 

 老人は、ゆっくりと視線を棚の方へ向けた。

 

 心の中では、奥の隅の、あの紙束のことを考えていた。

 ボールドンという若い混血の客が雨の日ごとに読みふけっていた写本。

 

 正式な装丁もなく、綴じ紐も古びている。

 役所から「燃やしていい紙」に分類されていたものを、たまたま拾い上げたに過ぎない。

 だが今それは、教会にとって「危険な書物」に変わろうとしている。

 

「うちには、売り物になるような新しい版はないよ。

 古い紙なら、あそこに山ほどあるが」

 

 老人は、半ば本当のことを言った。

 

 司祭見習いは、本棚の間を一通り見て回り、紙束の山をぞんざいにひっくり返した。

 だが、目当てのタイトルは見つからなかった。

 

 理由は簡単だ。

 

 ヨルンの写本は、今、ボールドンの部屋にある。

 

◇ ◇ ◇

 

 勇者教会は、王都中央広場で「公式焚書」を行うと宣言した。

 

 「異端の記録を燃やし、真なる歴史の光を取り戻す儀式」と称して。

 

 広場には、高く組まれた薪の山があった。

 その上に、布で包まれた本の束が積み上げられている。

 

 王立記録局からも、何冊かの『戦後記録』が運ばれてきていた。

 ミレイは、その光景を群衆の後ろから見ていた。

 

 群衆の中に、混血街から来たボールドンの姿も紛れていることをこのときの彼女は気づいていない。

 

 司祭が壇上に立ち、朗々と声を響かせた。

 

「兄弟姉妹よ。

 

 我らが敬愛する勇者と王の御名を、虚偽の記録で曇らせようとした者たちがいた。

 

 彼らは、戦後の混乱や一時の過ちだけを切り取り、あたかもそれが全てであるかのように語った。

 

 しかし、我らが信じる歴史は、神々と勇者が導いた光の歴史である。

 ゆえに今ここに、勇者の名を汚すこれらの書物を炎によって浄めん」

 

 喚声が上がる。

 

 火が点けられ、薪に油が注がれ、炎が一気に立ち上がる。

 布包みが炎に包まれ、中の本が黒く焦げていく。

 

 紙がはぜる匂い。

 インクが焼ける匂い。

 

 ヨルンがかつて「記録局の炉」で見た光景が、今や広場の真ん中で儀式として繰り返されていた。

 

 ミレイは、何も言えなかった。

 

 ただ、喉の奥に古い煙の味が蘇ってくるのを感じていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 一方、群衆の別の端ではボールドンが拳を握り締めていた。

 

 彼は、炎そのものよりも炎を見上げる人々の顔が怖かった。

 

 興奮した顔。

 安心した顔。

 何か“悪いもの”が燃やされるのを見て、自分の中の不安も一緒に焼け落ちてくれると信じている顔。

 

「異端書、だってよ」

 

 隣で誰かが笑っている。

 

「そんなもん読むから、頭がおかしくなるんだ」

 

 ボールドンは、自分の胸の内ポケットを無意識に押さえた。

 そこには、薄く折り畳まれた紙片が入っている。

 

 ヨルンの写本の一節を、こっそり書き写したものだ。

 

 家の隠し場所には、古書店から借り出した写本そのものも隠してある。

 焚書の告知が出た日、ボールドンはルーバン堂を訪ね、店主に頭を下げた。

 

「……あの紙束を、しばらく預からせてもらえませんか」

 

 老人はじっと彼の角を見て、やがて短く笑った。

 

「そう言うだろうと思ってた」

 

 老人は紙束を布に包み、ボールドンの手に渡した。

 

「これは、元々燃やされる運命だった紙だ。

 役所にとっても、教会にとっても、都合の悪い内容が多すぎる。

 だからこそ、燃やすか燃やさないかを決める権利は、今それを読んでいる奴にある」

 

「……燃やしません」

 

 ボールドンは即座に答えた。

 

「燃やすなら、俺の手じゃなくてあいつらの手で燃やさせます」

 

「そうか」

 

 老人は、満足そうでもあり、少しだけ心配そうでもある目をした。

 

「なら、ちゃんと隠し場所を考えろ。

 床下でも、壁の中でもいい。

 仲間内で回し読むにしても、誰が裏切るかは分からんからな」

 

◇ ◇ ◇

 

 混血街の外れ、川に近い古い長屋。

 

 ボールドンの部屋の片隅には小さな棚と、薄い敷布団が一枚だけある。

 床板の一部は何度も外された形跡があり、手で押すとわずかに浮く。

 

 そこが、彼の隠し場所だった。

 

 床板を外し、中から布包みを取り出す。

 中には、ヨルンの『戦後記録』の写本。

 

 表紙代わりの紙には、かすれた字で『第一巻』とだけ書かれている。

 ボールドンは、その前に座り込んだ三人の仲間を見回した。

 

 混血街の若者たち。

 

 角が少しだけ大きい女。

 瞳の色が左右で違う男。

 耳の形が人間とも魔族ともつかない少年。

 

 皆、教会では「正しくない血」と教えられてきた者たちだ。

 

「これが、“禁書”だよ」

 

 ボールドンは、布包みをほどきながら言った。

 

「教会は、これを“虚偽の書”だと言っている。勇者の名を汚す、とも」

 

「じゃあ、本当は勇者が悪人だったって書いてあるのか」

 

 耳の変わった少年が、興味半分、怖さ半分で問いかける。

 

「そういう話じゃない」

 

 ボールドンは首を振った。

 

「勇者が悪いとか、王が悪いとかじゃない。

 戦争の後で、何が起きたかを書いている。教会が話さないようなことを」

 

 ページをめくると、魔族収容区の章が現れる。

 ボールドンは、以前ノートに書き写した一節を指でなぞった。

 

 ――『教会の本には、“魔族は赦された”とは書いていない。

   赦されたのは、人間の側の気持ちだ。』

 

「俺たち混血のことは、この本には直接は書いてない。

 俺たちは、この本に出てくる“赦されなかったままの者たち”の、そのまた後だ。

 だから、俺たちがどう生きるかは、自分たちで書く」

 

 角の大きい女が、慎重に紙を撫でた。

 

「これ、見つかったらどうなるの?」

 

「最悪、俺たち全員教会に引き渡されるだろうな」

 

 ボールドンは、ありのままを言った。

 

「だから、読むかどうかは、自分で決めてくれ」

 

 しばしの沈黙。

 

 やがて、左右で瞳の色が違う男がぼそりと呟いた。

 

「教会の本だけ読んでても、俺たちのことはどこにも書かれてない。

 ここに何か書いてあるなら、それを読まないでいる方が怖いかもしれない」

 

 角の女も、少年も、小さく頷いた。

 

 ボールドンは、心の奥で何かが静かに決まったことを感じた。

 彼らは、世界のどこにも居場所を用意されなかった世代だ。

 

 ヨルンの記録もまた、世界のどこにも居場所を許されなかった紙束だ。

 

 ならば、居場所のない者同士、同じ床下でやりとりされるのも悪くない。

 

◇ ◇ ◇

 

 その夜、勇者教会の掲示板には新しい告示が貼り出された。

 

 街の人々は、買い物や仕事の行き帰りにそれを眺め、特に疑問も持たずに通り過ぎていく。

 

 告示の末尾には、太く、はっきりとした文字でこう書かれていた。

 

 ──【勇者教会告示より抜粋】

 

 『ヨルン・エルネストなる者の著した“戦後記録”は、

  真なる歴史の光を遮る虚偽として、これを禁ず。

 

  これを所持し、

  または写本し、

  あるいは朗読し配布する者は、

 

  勇者と王に背き、

  神々の秩序を乱すものとみなし、

  相応の処罰をもって臨む。』

 

 ──と。

 

 その紙片の下を、混血街の若者たちと、

 床下の写本は、静かにすり抜けていった。

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