“魔王が倒されたあとの世界”を書いた男 ~名もなき兵と百年史~   作:こじまたり

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第18話 王都の外

 王都の城壁が、背後で小さくなっていく。

 

 振り返れば、いつでもそこには石と祈りと物語で固められた「街」があった。

 

 誇らしげに立つ勇者像。

 威容を掲げる勇者教会の塔。

 剛健な王立記録局の堅い壁。

 

 ボールドンは、生まれてからほとんどの時間をその中で過ごしてきた。

 

 混血街の湿った路地も、

 古書店ルーバン堂の暗がりも、

 酒場の地下室のロウソクの灯も――

 

 すべては、勇者教会の鐘の音が届く範囲だった。

 いま、その鐘の音は少しずつ遠ざかりつつある。

 

◇ ◇ ◇

 

 旅のあてはなかった。

 

 ただ、王都の外を見てみたい。

 ヨルンの文章に出てこない「戦後」がどこかにあるはずだ。

 

 それだけだった。

 

 王都近郊の村々は、想像していたよりも「王都の匂い」を濃く纏っていた。

 

 村の中心には、小さな勇者教会。

 その前には、粗末な木製の勇者像。

 

 子どもたちは教会の司祭から勇者戦記を教わり、休息日ごとに同じ節を復唱している。

 

 ――「勇者はすべてを救った」

 

 王都の華やかな祭礼とは違い、ここでは質素な灯りと擦り切れた本と、泥のついた靴のままの祈り。それでも、語られている物語は同じだった。

 

 どこまでも伸びているように思えた勇者教会の威光も、王都から離れるにつれて少しずつ薄れていった。

 

 祈りの言葉が日常の疲れにかき消され、勇者像の足元には花ではなく干からびた泥だけが残っている村もあった。

 

「今日食うもんをどうにかする方が先だ」

 

 そう笑い飛ばす農夫に出会うたび、ボールドンは、王都で地下朗読会を開いていた自分がどこか遠い場所の人間のように思えた。

 

◇ ◇ ◇

 

 いくつもの村を抜け、

 いくつもの丘を越えた。

 

 月に一度だけ行商人がやってくるという、人里離れた小さな村に辿り着いたのは、旅に出てから、幾つ目の夕暮れだったか。

 もはや正確には思い出せない頃だ。

 

 村は山の懐に抱かれていた。

 畑と、小さな川と、獣道のような街道が一本。

 家々の屋根からは薄い煙が立ちのぼり、川べりでは子どもたちが石を投げて遊んでいる。

 

 一見すれば、どこにでもある貧しい村だ。

 だが、ボールドンはすぐに違和感に気づいた。

 

 子どもたちの中に、小さな角を持つ者がいる。

 耳が尖っている子どももいる。

 瞳の色が人間とは少し違う者もいる。

 

 それを、誰も気にしていない。

 

 少なくとも、混血街で浴びてきたあの視線――

 蔑みと恐れと、遠巻きにする好奇心――

 

 あれが、ここにはない。

 

◇ ◇ ◇

 

 村の酒場は、家畜小屋と兼用のような粗末な建物だった。

 

 だが、中に入ると暖かさと笑い声があった。

 

 獣脂の灯り。

 木製の卓。

 皿に盛られた煮込み。

 

 客は多くないが、皆が互いの顔と名を知っている。

 その一角。

 

 ひとつの卓を、若い三人が囲んでいた。

 

 人間の青年。

 角と赤みがかった瞳を持つ魔族の青年。

 そして、その間に座る混血の青年。

 

 肩をぶつけ合い、くだらない冗談を言い合い、時々本気で小突き合いながら笑っている。

 

 ボールドンは、その光景から目を離せなくなった。

 そこには、王都で見慣れた「距離」がなかった。

 

 人間と魔族のあいだ。

 混血と人間のあいだ。

 

 どちらともつかない「線」が、この卓の上にはない。

 

◇ ◇ ◇

 

「旅の人かい?」

 

 カウンターの向こうから、酒場の女主人が声をかけた。

 

 腕まくりをした逞しい腕。

 笑うと目尻に深い皺が寄る。

 

「ええ。王都から来ました」

 

「王都から! そりゃまた遠くから。酒は飲めるかい」

 

「少しなら」

 

「じゃあ、その“酒”に“肴”をつけてやるよ。

 あの三人の卓に混ぜてもらいな。

 旅の話を聞きたがるだろうし、あっちはあっちで、おもしろい話をしてくれる」

 

 ボールドンは勧められるまま、酒瓶を一本持ってその卓へ向かった。

 

「隣、いいか?」

 

 三人が顔を上げた。

 

 人間の青年は、がっしりとした体つきで日焼けした肌をしている。

 

 魔族の青年は、角こそ小さいが瞳の色と額の紋様に、確かに「人間以外」の血が表れていた。

 

 混血の青年は、ボールドンよりだいぶ若い。

 耳の形にわずかに魔族の名残があり、瞳は人間と同じ茶色だが、目つきは妙に「王都の匂い」がした。

 

「おう、いいぜ」

 

 人間の青年が笑う。

 

「酒を持ってくる奴は大歓迎だ」

 

 ボールドンは、三人の杯に酒を注いだ。

 簡単な自己紹介を交わすうちに、自然と身の上話になった。

 

◇ ◇ ◇

 

「俺はアルン。この村の出だ。

 で、こいつは妹婿だ」

 

 人間の青年――アルンが、魔族の青年の背中をどん、と叩いた。

 

「リェルです」

 

 魔族の青年は、少し照れながら頭を下げた。

 

 彼の耳の形は人間とほとんど変わらないが、言葉の響きにはどこか異国の抑揚が混ざっている。

 

「遠く北の方から来ました。

 ……と言っても、旅の途中でこの村に根を下ろしてもう何年にもなりますが」

 

「魔族の土地が、残っているのか」

 

 ボールドンの口から、思わずと言った形で声がこぼれた。

 

 ヨルンの記録には、「魔族収容区」のことは書かれていても、「魔族の故郷」のことはほとんど具体的には出てこない。

 

 戦後数十年のあいだに、それは歴史の闇に沈んだものと彼は漠然と考えていた。

 

 リェルは、少しだけ目を細めた。

 

「ありますよ。

 山脈の向こう。

 人間が攻め入りづらい土地。

 谷と森に守られた、小さな集落がいくつもあって。

 ……ただ、表向きには存在しないことになってます」

 

「存在しない?」

 

「“魔王は倒された。魔族は赦されるか滅ぼされた”

 人間の教会は、だいたいどこでもそう教えるでしょう。

 そんなところに、“実はまだ魔族の土地があって、ひっそり暮らしてます”なんて言ったら、また誰かが“討伐”に来るかもしれない」

 

 リェルの口調は淡々としていたが、その奥にある警戒心は濃い。

 アルンが苦笑した。

 

「俺も、最初は驚いたよ。

 “魔族の婿を取る”なんて言い出した妹を、殴って止めようかと思ったくらいだ」

 

「ひどいですね」

 

「今は殴らなくてよかったって思ってる。

 こいつ、真面目だし。

 妹の事をちゃんと考えてくれてる」

 

 アルンの言葉には、照れと本気が混ざっていた。

 混血の青年が、そのやり取りを見てうっすら笑う。

 

「俺は、イオ」

 

 彼は、ボールドンの方を見た。

 

「見ての通り、混じりモンだ。

 生まれは王都。

 ……まあ、詳しく言うと長くなるけど」

 

 その目に宿る色は、ボールドンには見覚えがあった。

 混血街で、心が疲れていた若者たちの目だ。

 

「ここへは?」

 

「流れ着いた。

 王都は、俺にはちょっと窮屈だったからさ」

 

 イオは、杯をくるくると回した。

 

「ここはいい。

 畑を手伝えば飯が出るし、狩りに出れば酒の種になる。

 角があろうがなかろうが、誰かの“息子”だろうが“兄”だろうが、“誰かの妹の婿”だろうが――

 この村じゃ、“働き手”でありゃ十分だ」

 

 言葉は軽いが、その奥にある安堵は本物だった。

 

◇ ◇ ◇

 

 話に耳を傾けながら、ボールドンは自分の中の「戦後の地図」が少しずつ書き換えられていくのを感じていた。

 

 ヨルンの記録に描かれた戦後は、王都とその周辺がほとんどだった。

 

 魔族は収容区。

 混血は罪。

 勇者教会は光と影を同時に落としている。

 

 その地図の端に、白紙の部分が広がっていた。

 その白紙の中に、こうした村がある。

 

 勇者教会の教義は、ここにも届いてはいるのだろう。

 

 だが、畑と川と家族の生活の方がそれよりもずっと濃い。

 

 “赦す”とか“赦される”とか、そんな大層な言葉よりも、今日一日の天気と収穫の方が、この村の人々には重要なのだ。

 

◇ ◇ ◇

 

「……ところで、妹の結婚式なんだが」

 

 酒が回ってきたところで、アルンがぼそりと言った。

 

「うちの家族は、ほとんどこの村にいる。

 でも、向こうの家族は――

 山脈の向こうにいるからな。

 呼べない」

 

 リェルが、申し訳なさそうに目を伏せる。

 

「俺の故郷は、外の人間を歓迎しません。

 “生き延びた魔族”ってだけで、人間にとっては“討伐対象の残り”みたいな扱いですから」

 

「……本当は、呼びたいんだ」

 

 アルンは拳を握りしめた。

 

「妹は、向こうの家族に会ったことがない。

 俺もない。

 でも、向こうの親父さんやおふくろさんにも、“息子の嫁”を見せてやりたい」

 

 イオが、それを聞きながらなんとも言えない表情をしていた。

 

 うらやましさ。

 戸惑い。

 そして、少しの憧れ。

 

 家族を「呼びたい」と言える場所。

 混血街ではあまり聞かない言葉だ。

 

◇ ◇ ◇

 

 ボールドンは杯を置いて、一つの提案を投げる。

 

「……手紙を出してみるのはどうだ」

 

 三人が顔を上げた。

 

「山脈の向こうまでは簡単には行けないんだろう。

 でも、手紙なら届くかもしれない。

 誰かが、そこまで運ぶ役を買って出るなら」

 

 リェルの瞳に、わずかな光が宿る。

 

「でも、そんなことをしたらその人が危ない」

 

「俺は混血だ」

 

 ボールドンは、自分の耳の上の小さな角に触れた。

 

「人間の村で“混じりモン”と見なされるのは今に始まったことじゃない。

 魔族の土地で“人間の血が入っている”と言われるのも、きっと似たようなものだろう。

 ……悪いようにはしない。

 少なくとも、手紙だけ渡して逃げ帰ってくるくらいのことはできる」

 

 イオが、そこで口を挟んだ。

 

「この人、口だけじゃないよ」

 

 ボールドンが意外そうに顔を向けると、イオは肩をすくめた。

 

「王都で見たことがある。

 地下で本を読んでた“人”だろ」

 

 ボールドンの背筋に冷たいものが走った。

 

「……どこで」

 

「混血街の酒場。

 勇者教会の近くの。

 あんたがヨルンの文章を読んでた夜、何度か顔を出したことがある。

 でも、俺にはあの空気がちょっときつくてさ」

 

 イオは、杯を口に運びながら続けた。

 

「あそこにいた連中は、ヨルンの言葉に救われてるようで、同時に、その言葉で誰かを殴ろうとしてるように見えた。

 “勇者教会は間違ってる!”って叫ぶのに、ヨルンの名前を盾にしてた。

 ……それが悪いとまでは言わない。

 でも、俺には合わなかった。

 だから抜けて、いろいろあって、流れ流れてここに来た」

 

 ボールドンは、言葉を失った。

 まさかこんな遠い地で、自身の読書会の事を知っているものに会うとは思わなかった。

 

 イオは、そんな彼の心の中を知ってか知らずか淡々と続けた。

 

「ここはいいよ。

 ヨルンの名前も、勇者の名前も、出てこない。

 “今日の畑はどうだった”とか、

 “川の水が増えた”とか、そういう話がほとんどだ。

 魔族も混血も人間も、他人を蔑む暇があったら土をいじってる」

 

 その言葉は、この村のあり方そのものを短い一文に閉じこめていた。

 

「でもさ」

 

 イオは、少しだけ真顔になった。

 

「これがいつまで続くかは、分からない。

 行商人が増えれば、外の話ももっと入ってくる。

 勇者教会の支部ができるかもしれない。

 それに、“討伐隊”が来ないなんて誰が言える?」

 

 ボールドンは返す言葉を持たなかった。

 

 この村のような場所が、世界のどこにも記録されていないこと自体がすでに一つの危うさだ。

 

 誰も知らないからこそ守られているが、

 誰も知らないからこそ、

 簡単に消えてしまうかもしれない。

 

◇ ◇ ◇

 

 翌朝。

 

 まだ空が薄暗い時間に、村のはずれにある小さな家の前で、ボールドンはリェルとその妻と向き合っていた。

 

 妻は、アルンの妹だ。

 

 素朴な服装。

 少し日焼けした頬。

 笑うと、目元が兄に似ている。

 

「これを……」

 

 彼女は、布に包まれた封筒を差し出した。

 

 拙い字で書かれた宛名。

 リェルの故郷の村の名と、父と母の名。

 

「どうか、この手紙を山の向こうの家族に届けてください。

 ……もし、危険だと思ったら、途中で引き返して頂いても構いません」

 

「もちろん、無理はしません」

 

 ボールドンは、封筒を慎重に受け取った。

 

「ただ、できれば、これは届けてやりたい。

 それに、魔族の土地と言うのも興味がある」

 

 アルンもやって来て、三人で簡単な握手を交わした。

 イオは少し離れたところから腕を組んで微笑み、それを見ていた。

 

 ボールドンが視線を向けると、イオは片手を上げた。

 

「気をつけてな。

 戻ってきたら、今度はこっちは酒を奢るさ」

 

「戻ってきたとき、まだこの村がこのままでありますように」

 

 半分は冗談、半分は本気でそう返した。

 イオは、答えを飲み込み、ただ小さく頷いた。

 

 ボールドンは、荷物を背負い直した。

 

 遠く北に、連なる山脈の稜線が見える。

 その向こうにリェルの故郷がある。

 

 魔族がひっそりと暮らす土地。

 

 勇者戦記にも、ヨルンの記録にもはっきりとは描かれていない場所。

 そこにもまた、「戦後」がある。

 

 ボールドンは、胸の内でそう繰り返し、村を後にした。

 

◇ ◇ ◇

 

 

─【とある村に伝わる口伝】

 

「――いつのころか、

 村では魔族も、混血も、変わりなく生活するようになった。

 

 村の人間がおおらかだったのが一番の要因だろうが、

 

 皆、他人を蔑む暇があれば、

 農作業や狩などに精をだしていたからかもしれない。」

 

 ──と。

 

 その言葉が、

 どれほど長く語り継がれるのかは分からない。

 

 ただ、王都の外、英雄譚の外側にも、

 静かに続いている「共に生きる日々」があったことを、

 その村の人々は確かに知っていた。

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