“魔王が倒されたあとの世界”を書いた男 ~名もなき兵と百年史~   作:こじまたり

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第23話 あの頃を知る者たち

 夕方。

 

 白鹿亭の狭い部屋で、ザリュガ=フェルンはベッドに腰を下ろしていた。

 背負い袋は壁にもたせかけ、在留資格書は机の上に置いてある。

 

 街の音が窓越しにうっすらと響いていた。

 

 鉄道が駅に出入りする音。

 車輪が石畳を転がる音。

 人間たちの喧噪。

 

 谷の夜とは、まるで違う響きだった。

 ノックの音がしたのはしばらくしてからだ。

 

「ザリュ。俺だ」

 

 低い声。アルンの声だ。

 戸を開けると、先ほど見たままの憲兵服姿の男が立っていた。

 

「待たせたな」

 

「いや。ちょうど起きていたところだ」

 

「イオとリェルが下で待ってる。

 あいつら“ボールドンの弟子が来た”って聞いて落ち着かなくてな」

 

 アルンは、口元だけで笑った。

 

「来い。あの頃を知ってる連中だ」

 

◇ ◇ ◇

 

 酒場は昼間よりも人が多かった。

 

 旅装束の集団。

 作業着姿の男たち。

 笑い声と皿の音。

 

 ざわめきの向こう、奥の一角で手が振られる。

 テーブルの向こう側に二人組の姿があった。

 

 一人は、黒髪を短く刈り込み、がっしりした肩をした男。

 顔つきはどこか荒々しいが、笑うと目尻に皺が寄る。

 

 もう一人は、細身の男。

 魔族特有の角と額の紋様がここからでも見えた。

 

「ああ、来ましたね」

 

 細身の男が立ち上がりかけて、隣の男に袖を引かれて座り直した。

 

「立たなくていいって。最近は外からの連中が多い」

 

「相変わらずだな、イオ」

 

 アルンが肩をすくめる。

 

「……面倒ごとは避けるに限るからな」

 

 男――イオが、疲れたように言った。

 

 アルンは、ザリュの方を向く。

 

「紹介する。

 こっちがイオ。

 あっちがリェル。

 昔、この街がまだ村だった頃からの腐れ縁だ」

 

「イオだ。

 まさか山向こうからのお客さんが来るとは思わなかった」

 

 イオの視線が、ザリュの角と瞳を測るように走る。

 

 だが、その目には敵意はなく、混血の立場からくる慎重さが見て取れた。

 

「リェル。同郷の者とこの年になって会えるとは。ボールドンには感謝してもしきれない」

 

 穏やかな笑みを浮かべる。同じ魔族と思えないほどの流暢な共通語だった。

 

「ザリュガ=フェルン。ザリュでいい」

 

 ザリュが頭を下げると、テーブルの上の皿が目に入った。

 既に軽い摘まみがいくつか並べられている。

 

 チーズと燻製肉。

 薄く切った黒パン。

 

「話の前に、飲み物だな」

 

 アルンが手を挙げる。

 店の若い店員が来て、ビールと薄めの酒を頼む。

 やがて木のジョッキが運ばれてきて、四人の前に置かれた。

 

「ボールドンと、山の向こうの谷に」

 

 アルンが短く言い、ジョッキを掲げる。

 皆がそれに倣った。

 

「「乾杯」」

 

 木と木がぶつかる音が、白鹿亭の喧噪に紛れて消えた。

 

◇ ◇ ◇

 

 最初の酒が喉を通ると、空気が少し緩んだ。

 

「で、ザリュ。

 お前の先生、今はどうしてる」

 

 最初に口を開いたのは、アルンだった。

 

「ボールドンは、谷で暮らしている。

 魔族の子どもたちに人間の言葉を教えている。

 文字や、谷の外の話も」

 

 ザリュは、まだ慣れない共通語でゆっくりと話した。

 

 谷の冬。

 水車。

 子どもたちの教室。

 

 足を凍傷で痛めて山を戻れなくなったこと。

 記録者として、谷の歴史を書き始めたこと。

 

 そして、今もまだ生きていること。

 

「……なるほど、どうりで」

 

 イオが、ぽつりと漏らした。

 

「約束を違えるようには見えなかったから、もしやどこかで、とも思っていたが。

 無事についていたのは何よりだ」

 

 アルンがジョッキの縁を指でなぞりながら言う。

 

「谷は、どうです」

 

 リェルが、慎重に問うた。

 

「住みにくくないですか」

 

「山は厳しい。

 寒いし、獣も多い。

 でも、先生のお陰で住みやすくなった。ここほどではないかもしれないが」

 

 ザリュは、酒場の中を一度見回した。

 

 笑い声。

 窓の外の灯り。

 遠くから聞こえる煙を吐く音。

 

 谷の酒場とは、流れが違う。

 

「なるほどな」

 

 イオは少しばかり満足げに鼻を鳴らした。

 

「ここはここで、大変だがな。

 俺は今、混血ばかりを雇う清掃屋の長だ」

 

「清掃屋?」

 

「街の掃除だよ。

 汚れ仕事を一手に引き受ける商売さ。

 “こんな仕事しかつけんがね”とはよく言うが、仕事があるだけマシさ」

 

 イオは笑い、指でテーブルをとんとんと叩いた。

 

「角がある、肌の色が違う。

 そういう連中をまとめてると、街の連中の顔色が多少良くなる。

 “あいつらにはふさわしい仕事だ”ってな」

 

 言葉の端に苦味が混ざっている。

 

「だが、俺からすりゃそれでも飯が食えてるなら悪い話じゃない。

 従業員の腹も満たせる。

 波風立てず、ゆっくりやりゃいい」

 

 “波風立てなければ”。

 

 その言葉が、この街の空気をよく表している気がした。

 

「私は……表向きには、ただの事務屋だよ」

 

 リェルが、自分の胸元を指先で軽く叩いた。

 

「表向きは?」

 

 含むような良い口に、疑問が自然と口にでた。

 

「そう。とはいえ、知ってるヤツは知っている。公の秘密、みたいなものさ。

 研究機関から流れてきた仕事を手伝ってるのさ。外にあるだろう? 鉄道もそのうちの一つ」

 

 ザリュは、窓の外を見る。

 ここからでは見えないが、街を訪れた時に見た巨大な鉄の塊を思い出していた。

 

「あれを、作ったのか」

 

「ああ。正確には王都の魔族の研究者が、だがね」

 

 リェルの口元に、皮肉な笑みが浮かぶ。

 

「王国としては、王都の顧問技術者が立証した理論を魔族と共同でってことにしたいみたいだけどね。なんだっけ、ほら」

 

 リェルに続く形でイオが答える。

 

「ああ。魔族雇用の拡大だかなんだか、だろ。俺たちにも補助金だのなんだのの話が来てたな、そういえば」

 

「そう、それそれ。大々的に魔族の功績を認めるわけにはいかないけど、仕事はしてもらいたい。ってことらしいね。」

 

 そう言って、彼はジョッキを傾けた。

 

「私たちは、所詮“認められない存在”。

 仕事はある。

 対価ももらえる。

 ただ、自分の名前は決して表に出てこない」

 

「それで、いいのか」

 

 ザリュの問いに、リェルは少しだけ目を細めた。

 

「よくはないさ。

 でも、名前を出したら最後、私たちが消される可能性もある。

 言いがかりの一つでもつけられれば、一緒にやってきた仲間も行き場を失う」

 

 イオが肩をすくめた。

 

「だから、波風立てなきゃいい、って話になるんだ。

 俺たちは、“今のまま”でなんとか回ってる。

 あんまり揺らすと、上の連中が本気で叩きに来る」

 

 アルンは、それを聞きながら黙って酒を飲んでいた。

 憲兵としての立場と、昔からの友人としての立場が、彼の中で静かにぶつかり合っているように見えた。

 

「俺たちはな」

 

 やがて、アルンが口を開いた。

 

「戦後のゴタゴタを少しは聞いてた世代だ。

 あの頃に比べりゃ、ずいぶんマシにはなった。

 角があるってだけで石を投げられることは減った。

 混血だけの仕事場でも、ちゃんと銅貨が回っている。

 “この程度なら、あとは静かに生きりゃいい”って思う奴も多い」

 

 ザリュは、ふと谷の老人たちの顔を思い出した。

 追われた夜を知っている者ほど、“今の平穏”を大事にしようとする。

 

 だから、“勇者の子”は殺されたのだろうか。

 

◇ ◇ ◇

 

「で、お前はこの先どこへ行くつもりだ」

 

 イオが問うたのは、夜もだいぶ更けた頃だった。

 ザリュは、少しだけ考えてから答えた。

 

「谷から出るとき、“世界を見てこい”と言われた。

 ここは、その最初の場所だ。

 次は……どこに行けばいい」

 

 自分で決めるべき問いだと分かってはいる。

 

 それでも、あの頃を知る者たちの意見を聞いてみたかった。

 リェルが、顎に手を当てた。

 

「王都、ですかね」

 

 ぽつり、と彼は言った。

 

「王都を見ておくといい。

 谷の外の世界がどうやって“物語”を作っているか、あそこに行けば、いやでも分かる」

 

 その言葉に、アルンとイオが同時に顔をしかめた。

 

「リェル、お前な……」

 

「王都に魔族の角を突っ込むのは、あんまり褒められた考えじゃない」

 

 アルンの声には、憲兵としての現実感があった。

 

「ここらはまだいい。

 鉄道も通って、人の出入りも増えたが、“角持ちの客”くらいでいちいち大騒ぎはしない。

 でも王都は違う。

 勇者教会も、

 軍も、

 貴族も、

 それぞれの“正義”を振りかざして好き勝手に動いている」

 

「角があるってだけで、必要以上に目をつけられるのはそうかもしれん」

 

 リェルも頷いた。

 

「だが、それでも王都に行く価値はあると、私は思う」

 

 イオは、ジョッキを指で回しながら言った。

 

「……俺たちからすれば、“波風立てずに今のままでいよう”って思うのが、自然なんだよ。

 俺自身、そうやって王都から逃げて来た」

 

 ザリュは、黙って三人の顔を見た。

 ボールドンの世代に近い大人たち。

 

 戦後の混乱を経験した世代。

 

 彼らは、今の立場を「悪くない」と言いながら、どこかで常に何かを飲み込んでいる。

 

 名前が出ない仕事。

 誇りを表に出せないままの商売。

 

 波風を立てない代わりに、見なかったことにしているもの。

 

「行ってみたい」

 

 ザリュは、自分の声が思ったよりもはっきりしていることに気づいた。

 

「先生が外の話をするとき、“王都という場所がある”と聞いてきた。

 ヨルンの本も、王都の話をたくさん載せている。

 なのに俺がそこに行かなかったら、それは“見ないふり”になる」

 

 三人は、しばらく黙って彼を見た。

 グラスの中の酒がゆっくり揺れる。

 

 先にため息を漏らしたのは、アルンだった。

 

「……本当に、ボールドンの弟子だな」

 

 彼は、諦めたように笑った。

 

「止めたところで、どうせ行くんだろ」

 

「行く。

 ただ、どうやって行くのがいいかは分からない」

 

「そうだな。

 まずは在留資格書をちゃんとしたものにしてから行け」

 

 アルンは、指を立てた。

 

「さっき渡したのは仮発行だ。

 この街を出た時点で効力はなくなる。

 王都に行くなら、王都憲兵司令部が認める正規の在留資格が要る」

 

「そんなものがあるのか」

 

「あるとも。

 しかも、そう簡単には下りない。

 “角持ち”には特にな」

 

 イオが鼻を鳴らした。

 

「朝一で憲兵詰所に来い。

 俺が行けるところまでは話を通す。

 それでも、全部が全部うまくいくとは限らんが」

 

「いいのか」

 

「いいも悪いも、行くって決めたのはお前だ。

 俺たちはもう先は見れん。

 せめて若い奴が好きな方に足を伸ばすのを手伝ってやるくらいはしても罰は当たらんだろ」

 

 リェルが笑い、イオが肩をすくめた。

 

 夜更けの酒場。

 

 戦後を知る者たちと、戦後を本でしか知らなかった者が同じテーブルを囲んでいる。

 

 波風を立てないことで守ってきた生活と、それでもなお揺らしに行こうとする若さとが、狭い木のテーブルの上で静かに混ざり合っていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 部屋に戻る頃には街の音は落ち着いていた。

 ザリュはベッドに横になり、薄暗い天井を見上げた。

 

 王都。

 

 ヨルンの本に何度も出てきた地名。

 

 勇者の凱旋パレード。

 魔族収容区。

 戦犯裁判。

 

 それらが行われた場所。

 

 そして今は、勇者教会と王家と軍が新しい物語を作り続けている場所。

 そこに、角を持つ自分が入っていく。

 

 波風を立てずに今のままでいることを選んだ者たちの背中を、ザリュは裏切りたいわけではない。

 

 ただ、自分の目で確かめたいだけだ。

 王都がどんな顔をして自分を迎えてくれるのか。

 

 まぶたが重くなる。

 

 眠りに落ちる直前、彼はぼんやりと思った。

 

(先生。

 俺は、あんたが書けなかった“その先”を見てくる)

 

◇ ◇ ◇

 

 ――ザリュガ=フェルンの旅行記は、

 この夜のことを

 次のように記している。

 

 *

 

 【『ある角持ちの旅行記』第一章より】

 

 「わたしは、

  恩師ボールドンがかつて世話になったという者たちに会った。

 

  今は街の憲兵であり、

  混血の清掃屋であり、

  名の出ない研究者であった。

 

  彼らは言った。

 

  “今のままでも、生きていける。

   波風を立てなければ、

   角を持つ者も

   なんとか居場所を保てる”と。

 

  谷でも似た言葉を聞いた。

 

  追われた夜を知る者ほど、

  “これ以上悪くならなければいい”と願う。

 

  わたしは、彼らの願いを裏切りたいわけではない。

 

  しかし、

 

  波風を立てずにいることで

  見えなくなっているものが

  どれだけあるのかを、

 

  自分の目で確かめたいと思った。

 

  だから王都へ行く。

 

  高嶺谷の外の世界が

  どのような物語で

  自分自身を包んでいるのかを、

 

  角を持つ者の目で

  見てみるために。」

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