“魔王が倒されたあとの世界”を書いた男 ~名もなき兵と百年史~ 作:こじまたり
王都に戻って来たのは、戦争が終わったとされる日から、数週間が過ぎた頃だった。
「戻って来た」と言っても、俺にとって王都は、訓練の為に詰め込まれた場所でしかない。
故郷から出てきてこちら、訓練所とその近場、正門から城までの大通りくらいしか言った記憶はなかった。
城壁の門をくぐる馬車の上で、俺は、かつて見ていたはずの街並みを、妙によそよそしく眺めていた。
瓦屋根が連なる通り。
市場に並ぶ色とりどりの布と果物。
声を張り上げる商人たちと、カゴを提げた女たち。
遠目には、戦争などなかったかのように賑わって見える。
けれど、少し目を凝らすと、ところどころに「戦後」の影が貼り付いているのが分かる。
新しい木材で継ぎ接ぎにされた家。
壁一面を塗り直したせいで、色の違う部分が目立つ建物。
片足を失った男が、通りの角で小銭を乞う姿。
華やかさと痛みが、同じ絵の中に無理やり押し込まれていた。
「ようこそ王都へ。……っと、お前は昔ここにいたんだっけか」
向かいの席で、同じ馬車に乗っていた下士官が言った。
記録局に回された俺を前線本部から連れてきてくれた、顔なじみになりかけの男だ。
「ええ。訓練は王都でしたから」
俺が答えると、彼は窓の外を眺めながら鼻を鳴らした。
「戦争中は、ここもだいぶ暗かったらしいぞ。
今はもう、すっかりお祭り気分だ」
「……祭り?」
「知らないのか。来週、勇者様の凱旋パレードだ。
王も出て、市民も総出で、紙吹雪だの歌だので大騒ぎさ。
記録局は、その様子をちゃんと書き残せって指示が来てる」
下士官は、面倒くさそうに肩をすくめた。
「俺は人混みが嫌いでな。お前が代わりにたっぷり見てくれ」
俺は曖昧に笑ってごまかした。
――勇者の凱旋。
前線の野戦病院で聞いた「勝利の報せ」とは、ずいぶん温度の違う言葉だ。
あのときの天幕には、小さなうめき声と、強すぎる薬草の匂いしかなかった。
ここでは、同じ出来事が、紙吹雪と歌の種になるのか。
馬車は王都の中心部へと進んでいく。
石畳の幅が徐々に広くなり、建物の高さも増していく。
やがて、広い広場に出た。
中央に噴水。
その周りを取り囲むように、商店や役所や教会が建っている。
広場の一角には、まだ何もない、囲われた空き地があった。
「あれが、勇者様の記念碑が建つ場所だ」
下士官が顎でしゃくる。
俺は思わず、その空き地をじっと見た。
地面は掘り起こされ、基礎工事のための石が積まれ始めている。
柵の外には、「工事中につき立入禁止」の札。
まだ何もない。
だが、ここにそのうち、「物語」が立つのだと、誰もが当然のように思っているのだろう。
◇ ◇ ◇
王立記録局の建物は、広場から少し離れた場所にあった。
石造りの地味な建物だが、入口の上には誇らしげに王国の紋章が掲げられている。
中に入ると、紙とインクと、古い本の匂いがした。
戦場とは違う種類の息苦しさだ。
「お前がヨルン・エルネストか」
事務室で名前を告げると、中年の書記官が顔を上げた。
細い目と、インクで汚れた指。
「前線で名簿の仕事をしていたと聞いた。
字が読めて、書けて、逃げなかっただけでも上等だ」
「は」
褒められているのかどうか分からない言い方だ。
「お前はしばらく、見習いだ。
戦後の記録をまとめる部署に回す。名前と日付と場所を間違えるな。
それと――」
書記官は、机の上の書類を一枚つまみ上げ、俺に渡した。
「来週の凱旋行列の記録係に、お前の名前が回ってきている」
「……凱旋行列、ですか」
「ああ。勇者殿の御一行が王都入りする。
その日の様子を、後世のために事細かに書いておく必要があるんだとさ。
王も教会も、そういう“絵になる話”は大好きだからな」
書記官は、鼻で笑った。
「お前は前線にいたんだろう。
勇者殿を遠目にでも見たことがあるか?」
「……いいえ。名前と噂だけです」
「なら、目を皿にして見てこい。
“本物の英雄”ってやつがどんな顔をしているのか、
それを見たってだけで、酒場で話のネタには困らんぞ」
からかうような言い方だったが、その目の奥に、わずかに本気も混ざっているように見えた。
◇ ◇ ◇
凱旋行列の日、王都は朝から浮き足立っていた。
通りには色とりどりの布が張り巡らされ、窓には花飾りが吊るされている。
屋台では焼いた肉や甘い菓子が売られ、子どもたちが走り回っていた。
記録局からは、数人の書記官が派遣された。
俺はその中の末席だ。
「おい、ヨルン。ここだ」
一緒に来た年配の書記官が、行列の通る大通り脇に陣取る。
書き付け用の板と紙を抱え、周囲の様子を書き留める準備をする。
「日時、天候、見物人の数、おおよそのざっとしたところでいい。
あと、勇者殿の様子な。どんな服装で、どんな表情だったか。
話した言葉も、拾えるだけ拾え」
「……はい」
俺は頷きながらも、どうにも落ち着かなかった。
目の前の通りは、すでに人で埋まりつつある。
子どもを肩車した父親。
急ごしらえの旗を振る女たち。
商人たちは二階の窓から身を乗り出し、いい場所を確保している。
誰もが、何かを待ち望む顔をしていた。
それはたぶん、「終わり」を見たいという気持ちなのだろう。
戦争が終わった、その象徴を。
魔王を倒した、その本人を。
――野戦病院の天幕で感じた、あの虚しさとは、まるで違う熱だ。
頭のどこかで、あのときの匂いがよみがえる。
血と薬草と汗の混ざった、きつすぎる臭気。
肩を叩くと悲鳴が返ってきた布団の感触。
耳の奥で、うめき声が一瞬だけ重なり、目の前のざわめきと交錯した。
「大丈夫か?」
隣の書記官が、小声で訊いた。
「……少し、うるさいだけです」
俺がそう返すと、年配の男はわずかに目を細めた。
「うるさいくらいがいいさ。静かな街ってのは、大抵、誰かが声を上げることを諦めてる街だ」
その言葉の意味を考える前に、遠くからラッパの音が聞こえてきた。
行列が始まった。
まず、先頭を行くのは王国軍の騎兵たちだ。
磨き上げられた鎧と槍先が、冬の薄い日差しを反射して光る。
その後ろに、戦利品を載せた荷車。
黒くねじ曲がった角。
巨大な刃。
魔王城から持ち出されたという旗や武具が、誇らしげに掲げられている。
群衆から歓声が上がる。
紙吹雪が舞う。
誰かが勇者の名前を叫び、その声に合わせて他の誰かが歌い出す。
鼓動が早くなる。
俺は板の上の紙に、手早く状況を書き付けていった。
『王都中央大通り。天候、晴れ。
見物人、両側に数千。
先頭、騎兵。続いて戦利品を載せた荷車。
魔王の角とされるもの、黒色、長さおよそ……』
書きながらも、目は通りの先を追っていた。
来た。
白い馬に乗った男が、ゆっくりと進んでくる。
まだ、中年というには若い。
だが顔には深い疲労と、何度も戦場をくぐった者の陰が刻まれていた。
彼の周囲には、同じように武具を携えた仲間たちがいる。
剣士、魔術師、僧侶、弓手。
どれも王都の噂話で聞いた「勇者一行」の顔ぶれだろう。
市民たちは、その姿を見るや否や、いっせいに歓声を上げた。
「勇者様だ!」「万歳!」「王国万歳!」
頭上で旗が振られ、紙吹雪がさらに激しく舞う。
勇者――そう呼ばれる男は、馬上から人々に手を振っていた。
口元に微笑を浮かべ、時折、手を胸に当てて礼を返す。
その表情は、どこかぎこちないようにも見えた。
馬が俺たちのいるあたりに差しかかったとき、一瞬だけ、勇者の視線がこちらに向いた気がした。
ほんの一拍、目が合ったような気がして、俺は咄嗟に視線を伏せた。
何というか、その目には「英雄の光」なんてものは、少なくとも俺には見えなかった。
もっと普通の、疲れた人間の目だ。
戦場の夜に、同じ部隊の誰かと交わした視線と、大差がない。
それでも、この広場にいるほとんどの人間は、今、あの男を「物語の主人公」として見ている。
俺は震える指で、紙に言葉を落としていった。
『勇者殿、白馬に騎乗し、大通りを進む。
市民の歓声に、微笑みと礼で応じる。
表情は穏やかに見えるが、目の下には深い疲労の影あり』
この一文を、後で上に提出したら、どこまで残されるだろうか。
そんな予感が、ふと胸をよぎる。
◇ ◇ ◇
パレードが終わったその日の午後、記録局の一室では別の「戦後の仕事」が始まっていた。
王都中央広場に建てる「勇者記念碑」の計画会議だ。
記録局の人間は本来、こういう場には顔を出さない。
だが、「会議記録を残す必要がある」とのことで、書記役として若手が一人呼ばれた。
つまり、俺だ。
部屋に入ると、長机を囲んで、何種類もの服を着た人々が座っていた。
豪華な刺繍の入った服を着た貴族。
白い法衣に金の飾りをつけた神官。
石粉まみれの服の上に新しい上着を羽織っただけの、いかにも職人然とした彫刻家。
そして、その奥には、王宮から派遣された官吏たち。
皆、各々の「立場」を背負った顔をしている。
「では、始めましょうか」
議長役と思しき官吏が、咳払いをして口を開いた。
「本日の議題は、王都中央広場に建てる勇者記念碑の意匠についてです。
勇者殿ならびに王陛下のご意向を踏まえつつ、市民に勇気と敬意を抱かせる象徴を――」
あらかじめ用意された文言が、滑らかに読み上げられていく。
俺は手元の紙に、そのまま書き写した。
会議が本格的に始まると、あちこちから意見が飛び出した。
「やはり、勇者が剣を掲げる姿がよろしいかと。
民衆は“勝利”の瞬間を求めますからな」
「いや、剣よりも、魔王の首級を踏みつけている姿の方が――」
「踏みつけなどと、あまりにも露骨な表現は、かえって野蛮な印象を与えます。
ここは、魔王の象徴を足元に置くだけにして、顔までは彫らぬ方が……」
「いやいや、魔王の顔は醜く、邪悪に彫るべきだ。
子どもが一目見て、『これは悪だ』と分かるように」
「勇者殿の表情はどうします? 怒りか、凛々しさか、それとも慈悲か」
「慈悲など不要です。敵に慈悲をかけていては、今の平和はありませんでした」
「しかし、勇者殿ご本人は、“憎しみで剣を振るったことはない”とおっしゃっていましたぞ」
「ご本人のお気持ちは尊重すべきですが、記念碑はご本人のためだけのものではありません。
未来の王都の民が、それを見て何を思うかが重要なのです」
言葉と言葉がぶつかり合う。
俺は、それをできるだけ漏らさず紙に落としていく。
そのうち、話題は勇者像だけでなく、碑文の文言にも及んだ。
「碑文には、戦争の悲惨さと共に、勇者殿の偉業を称える言葉を」
「悲惨さを強調しすぎてもいけません。
敗北や犠牲の記憶ばかりを刻めば、民の心は暗くなり、士気が下がります」
「では、『幾多の苦難を乗り越え』といった、抽象的な表現に留めてはどうでしょう。
具体的な数や惨状は、史書に譲る形で」
「史書など、読むのは一部の者だけです。
広場に立つ記念碑こそが、民にとっての“歴史”になるのですぞ」
誰かが言ったその一言に、部屋の空気が一瞬だけ重くなった気がした。
それは、否定しようのない真実だった。
広場を毎日通る者にとって、石に刻まれた言葉と形は、やがて「当たり前の風景」になる。
そこにどんな物語を込めるかを決めているのは、この部屋の、この机に座っている人間たちだ。
前線で死んでいった兵士たちの顔も声も知らない人間たち。
野戦病院の匂いを知らない人間たち。
彼らは悪意を持っているわけではない。
ただ、自分たちの立場と目的に従って、「最も都合の良い物語」を選ぼうとしているだけだ。
それでも、そこには確かに、「史実」とは別のものが生まれかけていた。
「……記録係」
ふいに、議長役の官吏が俺を見た。
「は」
「君は前線にいたのだったな。
あの戦争を現場で見た者として、何か意見はあるかね」
部屋の視線が一斉にこちらに向く。
突然のことに、喉がひくりと動いた。
意見を求められるとは思っていなかった。
俺はペンを握ったまま、しばし口を開けずにいた。
どんな言葉を選んでも、どこかで誰かの顔色を伺うことになるだろう。
それでも、何か言わなければならない空気だった。
「……そうですね」
息を整え、ゆっくりと口を開く。
「前線の兵たちは、勇者殿がどう剣を振るったかよりも、
自分たちが戻る場所があるかどうかを、いつも気にしていました」
数人が、少し眉をひそめた。
「もし記念碑に何か刻むのであれば、勇者殿お一人の名だけでなく、
名も知られぬ兵たちのことも、少しは触れていただければと。
彼らの家族が、この広場を通るとき、自分たちの誰かも、ここに含まれているのだと、
そう思えるような言葉があればいいと思います」
言い終えて、部屋の空気を探る。
彫刻家は、興味深そうに顎に手を当てていた。
神官の一人は、曖昧な微笑を浮かべている。
貴族のひとりは、あからさまに退屈そうな顔をした。
議長役の官吏は、少しだけ考えるような顔をしてから、静かに頷いた。
「……ふむ。“名もなき兵たちへの感謝”か。
文言次第では、碑文に含めることもできるだろう」
その返事を、俺はどう受け取っていいか分からなかった。
会議はその後も続いた。
俺は機械のように、交わされる言葉を紙に刻み続けた。
「勇者の像は、剣を掲げたまま静かに立つ姿とする」
「魔王の姿は、具体的に彫らず、黒い岩の塊として象徴的に表現する」
「碑文には、“勇者の名前”を大きく刻む」――
そこには、事実と虚構と願望が、奇妙に混ざり合っていた。
◇ ◇ ◇
会議が終わったあと、俺はひとり、広場に出た。
夕方の光の中で、工事中の空き地が影を伸ばしている。
基礎石が積まれ、周囲には資材が乱雑に置かれていた。
やがてここに、大きな像と、立派な碑文が立つ。
それを見上げて、子どもたちは物語を覚えるだろう。
「魔王を倒した勇者様が、ここに立っているんだよ」と。
その物語のどこまでが真実で、どこからが作り話なのか。
それを区別できる者は、おそらく多くはない。
俺はポケットからメモ用の紙切れを取り出し、そこに、会議で考えた碑文の案を書き付けた。
会議では時間が足りず、細部まで読み上げることはなかった「もうひとつの案」だ。
――たとえば、こんな言葉。
『ここに刻む。
勇者ひとりの名だけでなく、
名を呼ばれることなき幾千の命を。
彼らが歩いた泥と血の上に、
われらの今日が立っていることを忘れるな』
書いてみて、自分で苦笑した。
綺麗事に過ぎる。
あの会議室の空気では、間違いなく「感傷的すぎる」として退けられるだろう。
実際の碑文は、おそらくもっと簡潔で、もっと持ち上げた言葉になる。
勇者の栄光と、王の偉業と、神々の加護。
そこに「泥」の匂いは似合わない。
血の色も、混ぜ込まれることはない。
俺は紙切れを折りたたみ、懐にしまった。
記録局に戻ると、上司から「碑文の草稿を書け」と命じられた。
会議で出た意見をまとめ、王家と教会にとって無難な文言を組み上げるのが、書記官の仕事だ。
机に向かってペンを走らせながら、俺は自分の中で二本の線を書いているような気分になっていた。
ひとつは、会議で採用されるための、「都合の良い文章」。
もうひとつは、自分の胸の中だけに残しておくための、「見たままの記憶」。
後者は紙の隅に小さくメモされ、やがて別の紙に転写される。
前者は清書され、誰かの手で整えられ、石に刻まれる。
どちらが「歴史」になるかと言えば、たぶん後者ではない。
それでも、書かずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇
──【王都中央広場・勇者記念碑銘文 初稿案 (提案者 ヨルン・エルネスト)】
ここに刻む。
勇者と、その仲間たちの名を。
彼らは、幾多の苦難と戦いを乗り越え、
魔王を討ち、王国に平和をもたらした。
名もなき兵たちと、市井の民の働きもまた、
この勝利を支えたことを、我らは忘れない。
大陸王国 国王 この碑を建つ。
※上記案は、王宮および教会の協議により却下。
「名もなき兵たち」に関する記述は冗長であり、
勇者の偉勲を際立たせる趣旨にそぐわないと判断された。
※決定稿では、「名もなき兵たち」の一節は削除され、
代わりに「勇者と王家の栄光」が強調される文言が追加されている。