“魔王が倒されたあとの世界”を書いた男 ~名もなき兵と百年史~   作:こじまたり

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第4話 魔族収容区の朝

 王都の外れを出ると、景色の色が急に減った。

 

 石畳は土の道に変わり、家々はまばらになり、畑の向こうには焼け焦げた森が広がっている。

 枯れた木々の黒い枝が、冬空に突き刺さる槍みたいに並んでいた。

 

 記録局からの辞令には、「魔族収容区視察」「戦後処理の実態調査」と書かれていた。

 要するに、戦争が終わったあと、敵側の生き残りをどんなふうに扱っているのかを見て来い、ということだ。

 

「嫌な仕事を押し付けられたな」

 

 馬の手綱を握る兵士が、肩越しにぼそりと言った。

 この出張の護衛を任された、まだ若い歩兵だ。

 名前は確か、ガルドと言った。

 

「そうですか?」

 

 俺は馬車の揺れに身を預けながら答える。

 

「前線に比べれば、安全でしょう」

「安全って意味なら、まあそうかもしれないけどよ……」

 

 ガルドは鼻を鳴らした。

 

「“奴ら”の囲いの中なんか、好き好んで行く場所じゃねぇよ。

 昨日まで本気でこっち殺しに来てた連中だ。

 いつ暴れ出すか分からねぇ」

 

 俺は窓の外を見た。

 

 遠くの丘の上に、小さな村の跡が見える。

 石だけが積み上がった土台。

 黒く焼けた柱。

 吹きさらしの中に、ひしゃげた鍋や割れた皿が転がっていた。

 

 それが、戦争の「こちら側」の傷跡。

 

 「向こう側」は、どんな景色を見てきたのだろう。

 そう思って口を開きかけたとき、ガルドが先に言葉を継いだ。

 

「……収容区の門のところの見張りは大抵、荒っぽい奴に回される。

 ビビって腰が引けてる奴じゃ、舐められるからな」

 

「舐められると、何か都合が悪いんですか」

 

「当たり前だろ。

 奴らが『あ、コイツは弱そうだ』って思えば、柵なんか意味なくなる。

 あいつらの中にも、元兵隊の魔族がいるんだ。

 牙も爪も魔術も持ってる奴らを、ただの飢えた囚人だと思うと、痛い目を見るぞ」

 

 ガルドの声には、単なる偏見だけじゃない、どこか素直な恐怖が混ざっていた。

 

 俺は小さく息を吐き、紙束を抱え直した。

 記録局から渡された調査票には、細かく項目が並んでいる。

 

 収容人数。

 年齢構成。

 病人の数。

 暴動や脱走未遂の有無。

 

 そして欄外には、手書きでこう書き添えられていた。

 

 ――「魔族側の危険性、今後の管理強化の必要性について所見を添えること」

 

 最初から結論を欲しがっているような文言だった。

 

◇ ◇ ◇

 

 魔族収容区は、王都から半日ほど歩いた場所にあった。

 

 緩やかな丘陵地を削り、周囲を木の柵で囲っている。

 高さは人の背丈の倍ほど。

 その上に棘のついた鉄線が張り巡らされていた。

 

 柵の内側には、粗末な小屋がいくつも建っている。

 丸太を立てて布をかぶせただけのものもあれば、古い納屋を無理やり寄せ集めたようなものもある。

 

 入口には、臨時の門と見張り台。

 槍を持った兵士が二人、上からこちらを見下ろしていた。

 

「止まれ!」

 

 門の前で号令が飛ぶ。

 ガルドが慣れた様子で身分証を掲げた。

 

「王立記録局の視察だ。こっちが書記官のヨルン」

 

 名前を呼ばれ、俺も通行証を示す。

 

 兵士は警戒を解かぬまま、ちらりと俺を見た。

 面倒ごとが来た、という目だ。

 

「上には話は通っているはずだ。中を案内してもらおう」

 

 ガルドの言葉に、兵士は渋々といった様子で頷いた。

 柵の内側から、重たい鉄の鍵で門を開ける音がする。

 

 魔族収容区の中は、想像していたよりも静かだった。

 

 もっと怒号や呻きが飛び交っているのかと思っていたが、

 実際には、朝の市場の少し手前くらいのざわつきが広がっているだけだ。

 

 小屋の間を洗濯物を抱えた女が歩き、

 水汲み用の桶を抱えた子どもたちが行き来している。

 

 柵の側には、配給用の机が並べられていた。

 そこに列を作っているのは、痩せた男や女、そして老人。

 

 人間とそう変わらない顔立ちの者もいれば、角の生えた額を布で隠しきれていない者、

 耳の尖った者、肌が灰色がかった者もいる。

 

 皆、こちらをちらりと見る。

 その視線には、敵意と倦怠と諦めが混ざり合っていた。

 

「よう、見回りか?」

 

 柵のそばに立っていた兵士の一人が、ガルドに声をかけた。

 ガルドは軽く手を上げる。

 

「いや、記録局の視察だ。魔族と話をして、記録を残すらしい」

「ふうん」

 

 兵士は俺を値踏みするように眺めた。

 

「気をつけろよ。

 こいつら、一見大人しくしてても、隙あらば噛みついてくるからな」

 

 そう言って、柵の向こうに顎をしゃくる。

 

 その視線の先には、配給の列に並ぶ女と子どもたちがいた。

 女の腕には、骨ばった幼児がしがみついている。

 

 その光景を見て、「噛みついてくる」と即座に思える想像力の方が、俺には少し怖かった。

 

「最近、何か問題は?」

 

 俺は紙を取り出し、兵士に尋ねる。

 

「問題? 問題だらけだ」

 

 兵士は肩をすくめた。

 

「まず、食い物が足りねぇ。

 こっちだって余裕があるわけじゃないが、向こうの口も塞いじまうわけにはいかねぇからな。

 配給が遅れりゃ、すぐにざわつき始める。

 中には、こっちの倉庫を襲ってでも食い物を奪おうって奴も出てくるかもしれん」

 

「実際に、襲われたことは?」

 

「今のところはねぇよ。

 けど、“今のところは”だ。

 牙を抜かれた獣だって、腹が減れば噛みつく」

 

 と、その時だ。

 

 配給の列の奥で、小さなざわめきが起きた。

 列から飛び出した子どもが、別の子どもを突き飛ばし、手からパン切れを奪い取る。

 

 押された子どもが地面に転がり、泥の上でパンがつぶれた。

 

 その瞬間、周囲の大人たちが慌てて駆け寄り、子どもたちを引きはがし始める。

 怒鳴り声が飛び、泣き声と混ざる。

 

「ほら見ろ」

 

 兵士は柵越しに唾を吐いた。

 

「これだ。

 ちょっとしたことでこうなる。

 牙を抜かれた獣が、今度は自分たちの仲間同士で噛み合い始める。

 あいつらを閉じ込めておかないと、王都中がこうなるぞ」

 

 俺はその場面を紙に書き留めながら、何かがおかしいと感じていた。

 

 人間のスラムだって、配給の列で殴り合いくらい起きる。

 それを見て、「人間は獣だ」と言う者は少ないだろう。

 

 だけど「魔族」という括りで見た瞬間、目の前の小競り合いが、

 「種族の本性の発露」として語られ始める。

 

 言葉は、簡単に線を引く道具になる。

 ここと、そこと。

 人と、魔族と。

 

◇ ◇ ◇

 

 収容区の片隅には、仮設の小屋の中に「聞き取り用」の場所が用意されていた。

 俺はそこに机と椅子を運び込み、通訳を介して魔族たちの話を聞くよう命じられていた。

 

 通訳を務めるのは、元は交易商だったという男だ。

 人間の兵士に雇われているが、魔族の言葉も理解する。

 彼自身もまた、戦争に生活を翻弄された一人らしい。

 

「話を聞かせてもらうだけだ。誰かを処罰するとか、そういう話じゃない」

 

 そう説明しても、最初のうちは、なかなか口を開いてくれる者はいなかった。

 

 ようやく椅子に腰を下ろしてくれたのは、角の折れた中年の男だった。

 額の角は途中で欠け、その跡が固く盛り上がっている。

 

「名前と、元いた場所を教えてください」

 

 俺が尋ねると、男は通訳を通して答えた。

 

「ゴラ・ハルグ。

 北の山間の村の出だ。

 戦争が始まってからは、徴兵されて前線に出された」

 

「兵士だったんですね」

「お前たちだってそうだろう」

 

 通訳が訳す前に、男は低く唸るように言った。

 俺の服装を見れば、俺が「ただの記録係」でないことは分かるのだろう。

 

「俺は別に、人を殺したくて兵になったわけじゃない。

 村に軍の者が来て、『王のために戦え』と言った。

 断れば村が罰を受ける。それだけのことだ」

 

 俺はペンを走らせながら、頷いた。

 

「戦場では、何をしていましたか」

「槍を持って前に出た。お前たちの矢や火の玉が、頭の上を飛び交う中でな」

 

 男の目が細くなる。

 

「ここへ連れて来られた日のことを話そうか」

 

 通訳が息を飲むのが分かった。

 

「負けて、俺たちの王は死んだ。指揮が崩れて、俺たちは武器を捨てた。

 そしたら、お前たちの兵が村々に来て、『武器を隠しているやつがいる』って理由で家を焼き始めた」

 

 男の声は、淡々としていた。

 淡々としているからこそ、余計に重い。

 

「俺の妹は、その火の中で子どもを抱いて逃げようとして、矢を受けた。

 膝から崩れた妹の身体から、子どもが転げ落ちた。

 泣いている子どもを、兵は蹴って黙らせた」

 

 部屋の空気が、冷たく張りつめる。

 ガルドが、入口のところで落ち着きなく体重を移動させていた。

 

「俺は、それを見ていた。

 俺は兵だったから、妹や子どもより先に捕まった。

 だから、あの二人が後でどうなったかは知らない。

 生きてここにいるのは、俺だけだ」

 

 男は、柵の向こうを見ているような目で天井を見上げた。

 

「お前たちが『魔族の反乱』を恐れるのは、よく分かる。

 俺だって、同じ立場なら恐れるだろう。

 自分たちがしたことを、相手にやり返されるかもしれないと考えるのは、自然なことだ」

 

 俺は、言葉を失っていた。

 

 男は苦笑とも吐き捨てともつかない顔で、続けた。

 

「だがな、記録をつけるなら、そこも書いておけ。

 “お前たちが恐れているものの半分は、自分たちの影だ”ってな」

 

 通訳は、少し言葉を足したようにも聞こえた。

 だが、その意味を変えてはいないと思った。

 

 俺は紙の上に、その言葉をできるだけ忠実に写した。

 

◇ ◇ ◇

 

 別の小屋では、元商人だという魔族の女が話をしてくれた。

 

 人間と見分けがつかない顔立ち。

 指に残る、商売道具を扱っていた頃のものと思われる細い傷。

 

「戦争が始まる前、私は人間の街に物を売りに出ていました」

 

 女は通訳なしでも、こちらの言葉をそれなりに話した。

 

「最初の頃は、『お前たちの王と私たちの王の喧嘩だろう』って笑っていた人たちもいました。

 でも、そのうち、街に貼られる張り紙の言葉が変わった。

 “魔族は邪悪で、根絶すべき敵だ”って」

 

 女は指先を組んだ。

 

「そのあと、私の店の窓は割られました。

 『お前たちのせいで息子が兵に取られた』って叫びながら、石を投げる人がいました。

 石を投げたその人も、きっと誰かを失っていたのでしょう。

 でも、その怒りのぶつけ先が、たまたまそこにいた私だっただけです」

 

 怒ってもいいし、悲しんでもいい。

 ただ、その矛先が楽な方に向くだけだ、と女は静かに言った。

 

「ここにいる者の多くは、兵でもなければ、王の側近でもありません。

 畑を耕していた者。

 小麦を挽いていた者。

 川で魚を獲っていた者。

 ただの人たちですよ。

 でも、あなたたちにとっては、“魔族”という一文字で足りるんでしょう?」

 

 俺は、返す言葉を持たなかった。

 

 その言葉は、ほんの少し前まで、

 俺自身も使っていた種類の言葉だったからだ。

 

◇ ◇ ◇

 

 もちろん、人間側の言い分も聞いた。

 

 収容区を管理する詰所で、隊長格の兵士は、煙草に火をつけながら言った。

 

「お前さんが、何を書きたいのかは知らん。

 だがな、ここを守ってる俺たちにも家族がいる。

 こいつらの中に紛れているかもしれない“反乱の火種”を見逃したせいで、

 王都のど真ん中で人が死んだとしたら、その責任は誰が取る?」

 

 俺は黙って紙を構える。

 

「戦争中、俺の部隊の村がひとつ、魔族の襲撃を受けた。

 老人も女も子どもも、分け隔てなく殺されてた。

 奴らは牙で喉を噛み切り、爪で腹を裂いてた。

 俺はその光景を見た。

 そのあとで、『魔族だって被害者だ』と言われて、素直に頷けると思うか?」

 

 煙草の煙が薄く広がる。

 

「こっちにも憎しみがある。

 向こうにも憎しみがある。

 それは分かる。

 でも、こいつらが柵の中にいる限り、俺の家族は安心して眠れる。

 それだけは、間違いない」

 

 彼の言葉もまた、嘘ではなかった。

 

 彼は彼の立場から、自分の「正しさ」を信じている。

 魔族の男も、女も、同じように自分の「正しさ」を持っていた。

 

 どちらか一方を完全な悪として書きたがる文章は、この場の空気には似合わなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 王都に戻ったあと、俺は机の上で二種類の紙を前にして座っていた。

 

 一枚は、記録局に提出するための「魔族収容区視察報告書」。

 もう一枚は、自分のためだけに書く「個人日誌」。

 

 前者には、決められた形式と文言がある。

 

『当収容区は、王都近郊に所在し、魔族およびその家族が収容されている。

 食糧事情は逼迫しており、配給時における小規模な争いが散見される。

 しかし、管理側の適切な対応により、大規模な暴動には至っていない』

 

 現場で見聞きした事実を、できるだけ丸く、

 「管理の努力」と「魔族側の潜在的な危険性」を強調する形でまとめる。

 

『魔族側にはなお、人間への不信感や憎悪を抱く者が多く、

 今後も反乱の可能性を完全に排除することはできない。

 よって、当面のあいだ、現行以上の管理体制の緩和は時期尚早と考える』

 

 それを書きながら、自分の指が少し震えているのを感じていた。

 

 本当に、そう書きたくて書いているのか。

 本当に、それが「正しい」と信じているのか。

 

 分からない。

 

 もう一枚の紙には、別の言葉が並んでいた。

 

『魔族収容区の朝は、人間の貧民街の朝とよく似ている。

 違うのは、彼らの周囲を囲う柵と、その上に張られた棘付きの鉄線だけだ。

 

 兵たちは口々に「奴らは危険だ」「いつ牙を剥くか分からない」と言う。

 魔族たちは、「お前たちが恐れているのは、自分たちの影だ」と言う。

 

 どちらの言葉にも、自分の戦争体験と喪失が刻まれている。

 どちらか片方だけを切り取れば、いくらでも“分かりやすい物語”になる。

 だが、そのどちらもが同時に存在しているのが、今のこの世界だ』

 

 インクの染みが、紙の端に丸い跡を残す。

 そこには、上の報告書には入れられなかった言葉が、雑然と積み重なっていった。

 

 提出する報告書には、「魔族は危険であり、管理強化はやむなし」という結論が求められている。

 それを書かなければ、上の机に通らない。

 通らなければ、俺の仕事は「役目を果たしていない」と見なされる。

 

 だから、俺は書く。

 

 同時に、その日の夜、自分のノートにも書く。

 

 どちらが「歴史」として残るかは分からない。

 たぶん、前者だけが公の記録に残るのだろう。

 

 それでも、書かずに黙っていることだけは、どうしてもできなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 ──【魔族収容区視察報告書(提出版)より抜粋】

 

 当収容区における魔族収容者の生活は、物資不足等による困難を抱えつつも、管理側の適切な指導のもと、概ね秩序は維持されている。

 

 配給時に小規模な争いが発生することはあるものの、現時点では、収容者側による組織的な反乱の徴候は認められない。

 

 しかしながら、戦時中より続く人間側への不信感・憎悪は根強く、今後も潜在的な危険因子として留意すべきである。

 

 よって当局としては、現行の監視・管理体制を継続しつつ、段階的な改善を検討するのが適当と判断する。

 

 王立記録局記録官 ヨルン・エルネスト

 

 ──【同日付 ヨルン個人日誌より抜粋】

 

 柵のこちら側に立つ兵士も、

 柵の向こう側で列に並ぶ魔族も、

 どちらも、自分の失った家族の顔を思い浮かべながら話す。

 

 怒りの矛先の向きが違うだけで、その怒りの熱さは、どちらも同じだ。

 

 「魔族は危険だから閉じ込めておけ」という文章は、読みようによっては、「自分たちがしたことを、やり返されるのが怖い」という告白にも見える。

 

 俺は今日、報告書に「管理強化はやむなし」と書いた。

 それが、誰かを守る言葉でもあり、誰かを閉じ込める言葉でもあることを知りながら。

 

 いつか、この二つの文章を並べて読む誰かがいるだろうか。

 そのとき、その誰かは、どちらを「歴史」と呼ぶのだろうか。

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