“魔王が倒されたあとの世界”を書いた男 ~名もなき兵と百年史~   作:こじまたり

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第7話 勇者の言葉

 冬の終わり、王都の広場に、いつもと違う足場が組まれ始めた。

 

 木材で作られた高い壇。

 その背後には、王国の紋章を染め抜いた大きな布。

 壇の前の石畳には、整然と兵士が並ぶための白い印が刻まれている。

 

 記録局に届いた通達には、こう書かれていた。

 

 ――「勇者殿による公開演説の実施」

 ――「新時代の指針を民に示す重要な催しにつき、記録局も準備段階から同行のこと」

 

 ヨルンは、その紙を見たとき、胸のどこかがざわついた。

 

 パレードのとき、白い馬の背にいた男。

 あのとき、ほんの一瞬だけ目が合ったような気がした英雄。

 

 今度は、彼の「言葉」を紙に写す役目が自分に回ってきた。

 

◇ ◇ ◇

 

「演説文の草案作り、だと?」

 

 記録局の一室で、上司が苦い顔をした。

 

「俺たちの仕事は、起こったことを書き留めることであって、

 起こる前のことを“作る”ことじゃないんだがな……」

 

 机の上には、王宮からの依頼書と、分厚い書類の束。

 

 「演説で触れてほしい要点」

 「王家として示したい方針」

 「教会からの要望」

 

 それぞれ別の筆跡で書かれた紙が、ひとまとめにされている。

 

 上司は、ため息をつきながらその束をヨルンの方に押しやった。

 

「とはいえ、王宮から直接の依頼だ。断るわけにもいかん。

 お前、前線の記録も、裁判も、そこそこ書いてきただろう。

 “分かりやすくまとめる”のは得意だろうから、草案のたたき台を作れ」

 

「……俺が、勇者殿の言葉を書くんですか」

 

「正確には“勇者殿が話すことになっている内容の要約”だな。

 本物の言葉かどうかは、あっちの都合次第だ」

 

 上司は皮肉げに笑った。

 

「心配するな。お前が書いたものは、そのまま読み上げられはしない。

 王宮と議会と教会の連中が、好きなだけ手を入れる」

 

 その言葉は、冗談とも、諦めともとれるようなものだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 数日後、ヨルンは王宮の一室にいた。

 

 演説準備のための「意見交換会」と称された集まりだ。

 

 長机の上には、王家の紋章入りの紙と、教会の印を押された紙と、

 それぞれの側近が用意したとおぼしきメモが広がっている。

 

 その一角に、記録局から出向したヨルンの席があった。

 彼の前には、真っ白な紙とインク壺。

 

「では、まずは勇者殿ご自身のご意向を」

 

 王宮の官吏が、穏やかな笑みを浮かべて言った。

 広い部屋の中央には、以前一度だけ見た男が一人、座っている。

 

 魔王を倒した勇者。

 

 近くで見ると、その顔にはやはり深い疲れの跡が刻まれていた。

 髪にはうっすらと白いものが混じり、顎には剃り残しの髭が見える。

 

 英雄というより、「長く戦場を歩いた兵士」と言える男がそこにいた。

 

「ええと……その、難しい言葉は苦手なので」

 

 勇者は頭をかきながら言った。

 

「俺が言いたいのは、そんなに立派なことじゃないんです。

 ただ……もう、誰も戦を始めないでほしいって、それだけで」

 

 その言葉に、部屋の空気が一瞬だけ揺れた。

 

 教会の神官が、柔らかい笑みを浮かべる。

 

「勇者殿のご心情は、よく分かります。

 ただ、『戦を始めないでほしい』という表現だと、

 王国の防衛の意思まで弱く見えてしまいますな。

 “平和を大事にする”といった形に言い換えてはいかがでしょう」

 

「そう……ですかね」

 

 勇者は、少し戸惑ったように目を伏せた。

 

「他に、民に伝えたいことは?」

 

 王宮の官吏が促す。

 

 勇者はしばし考え、やがて口を開いた。

 

「魔族のことも、話したいんです」

 

 その一言で、何人かの眉じりがピクリと動いた。

 

「……と、申しますと?」

 

「戦場で剣を交えた魔族の中にも、

 俺たちと同じように、家族のために戦っていた奴らがいました。

 全部が全部、怪物ってわけじゃない。

 だから……できれば、あいつらも救ってやれたらって。

 収容区にいる子どもたちの話も聞きましたし」

 

 ヨルンの脳裏に、あの柵の向こうで配給の列に並んでいた子どもたちの顔が浮かんだ。

 

 勇者は続ける。

 

「もちろん、全部を許せとは言いません。

 けど、これ以上、お互いを憎しみだけで見ないでほしい。

 皆が、“普通に暮らせる”世界になったらいいなと……」

 

 言葉は拙く、ところどころ探りながらだった。

 それでも、その声には嘘の響きがなかった。

 

 ヨルンは、そのまま紙に書き取る。

 

『魔族も、できれば救いたい。

 皆が普通に暮らせる世界にしたい。

 もう誰も、憎しみだけで剣を抜かないでほしい』

 

 書いているあいだ、ヨルンは自分の胸のあたりが、少し軽くなるのを感じていた。

 

 こんな単純な言葉を、

 この男は背負って戦っていたのかもしれない。

 

◇ ◇ ◇

 

 だが、純粋な言葉ほど、

 別の誰かにとっては扱いにくいものでもあった。

 

「勇者殿のお気持ちは、実に、実に尊い」

 

 王宮の官吏が、丁寧な口調で言う。

 

「ただ、『魔族も救いたい』という表現は、

 まだ心の整理がついていない遺族や兵たちに、誤解を与える恐れがあります」

 

「誤解、ですか」

 

「はい。

 “勇者は魔族にも甘い”と受け取られれば、

 王家の威信にも影響しかねません。

 

 魔族収容区で起きた暴動の話も、まだ完全には収まっていない。

 今ここで、“魔族も同じように扱うべきだ”と聞こえるような言葉は、

 民を不安にさせてしまうでしょう」

 

 教会の神官も、静かに口を開いた。

 

「加えて、“皆が普通に暮らせる世界”という理想は素晴らしいのですが、

 王と神々の導きを無視しているようにも聞こえます。

 “王と神々のもとで”という一節を加えるのがよろしいかと」

 

「……つまり、どう変えればいいと?」

 

 勇者は、困ったように眉を寄せた。

 

 官吏は、すかさず紙を取り出す。

 

「例えば――」

 

 そこからは、ヨルンにとって見慣れた「編集」の作業だった。

 

 ひとつの言葉が、何人もの手を経るごとに形を変える。

 

 「魔族も救いたい」は、

 「憎しみを乗り越え、過ちを悔い改めた者には、王と神々の慈悲が差し伸べられることを願う」と書き換えられた。

 

 「皆が普通に暮らせる世界に」は、

 「王と神々の導きのもと、民が安心して暮らせる新たな時代に」となった。

 

 「もう誰も、憎しみだけで剣を抜かないでほしい」は、

 「必要なときにのみ、勇気と覚悟をもって剣を抜くべきである」に変わった。

 

 言い回しは、滑らかになっていく。

 耳障りもよく、拍手を誘う形になるだろう。

 

 しかし、その滑らかさの中で、

 どこか大事なものが削り取られていくのを、ヨルンは感じていた。

 

 彼は、会議の片隅で黙々と筆を走らせながら、

 元の言葉と、変えられた言葉を、別々の紙に書き残していった。

 

◇ ◇ ◇

 

 演説当日。

 

 王都の中央広場は、人で溢れていた。

 

 露店は早々に店じまいし、窓という窓には人が群がる。

 広場の端では、兵士たちが柵代わりに立ち並び、人の波を押しとどめていた。

 

 壇の上には、王と王妃、王太子。

 その隣に、白いマントをかけた勇者が立っている。

 

 ヨルンは、記録局の一団とともに、壇の斜め下の位置からそれを見上げていた。

 手には、昨日まで何度も書き直された演説の「最終稿」が握られている。

 

 勇者は、その紙を両手で持ち、目を通していた。

 

 遠目にも、その表情にわずかな戸惑いが浮かんでいるのが分かる。

 

 彼が自分の言葉として考えた文は、もはやそこにはほとんど残っていない。

 

 それでも、「勇者の言葉」として読み上げられるのは、この紙に書かれた文だ。

 

「静粛に!」

 

 兵の号令が飛び、広場のざわめきが少しずつ収まっていく。

 やがて、王が壇上から挨拶を述べた。

 

 続いて、勇者の番が来る。

 

 彼は一歩前に出た。

 紙を広げ、声を張る。

 

「……我らは、長きにわたる魔王との戦いに終止符を打った」

 

 広場に、人々の息を呑む音が重なる。

 

 勇者の声は、意外なほどよく通った。

 戦場で何度も号令をかけてきた喉なのだろう。

 

「この勝利は、王の賢き導きと、神々の加護、

 そして何より、民一人ひとりの献身によるものである」

 

 拍手が起こる。

 

 ヨルンは、紙に視線を落としながら、その言葉を一字一句書き留めていく。

 

 勇者は、用意された文を、ほとんど間違えずに読み上げていく。

 時折、言い慣れない言い回しに舌をもつれさせそうになり、そのたびに僅かに間を置いてから言葉を繋ぐ。

 

 「魔族」について触れる一節の前で、彼は一瞬だけ視線を上げた。

 

 広場のどこかを探すように、遠くを見る目。

 

 ヨルンには、あの柵の向こうでこちらを見ていた子どもたちの姿が重なって見えた。

 

「我らは、魔王なき新たな時代を、王と神々の導きのもと歩むであろう」

 

 勇者の声が、広場に響く。

 

「しかし、油断はできない。

 魔王は倒れたが、その残した禍根は、なお我らの周りに潜んでいる。

 我らは、過ちを繰り返さぬよう、必要なときには勇気と覚悟をもって剣を抜き、王国と民を守り続けなければならない」

 

 拍手。

 歓声。

 

 その中で、ヨルンは紙にペンを走らせ続けた。

 

 耳の奥で、別の言葉がこだまする。

 

 ――「もう誰も、憎しみだけで剣を抜かないでほしい」

 

 勇者が、準備の時に確かに口にした言葉。

 

 今、広場に鳴り響いているのは、その言葉とは似て非なるものだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 演説が終わって人々が散り始めた頃、

 ヨルンは、壇の裏手の通路で、思いがけず勇者と鉢合わせた。

 

 護衛の兵たちが少し離れたところで待機し、勇者は壁にもたれるようにして息をついている。

 

 マントの内側の服は、汗で少し濡れていた。

 

「お疲れさまです、勇者殿」

 

 ヨルンが頭を下げると、勇者は驚いたように顔を上げた。

 

「……ああ。記録局の方でしたか」

 

「ヨルン・エルネストと申します。

 演説の草案作りにも、少し関わらせていただきました」

 

「そうでしたか」

 

 勇者は、どこか申し訳なさそうに笑った。

 

「難しい言葉ばかりで、喉がつりそうでした」

 

 冗談めかして言ったその声には、疲労と、少しの居心地の悪さが滲んでいた。

 

「俺は、本当はもっと簡単なことしか言えないんです。

 “もう誰も死ななくていいようにしたい”とか、“皆が普通に飯を食えるようにしたい”とか。

 でも、それをそのまま言うと、“言葉が足りない”って怒られる」

 

 ヨルンは何か言おうとして、言葉を選んだ。

 

「……今日の演説も、勇者殿の言葉でしたよ」

 

 それは嘘ではない。

 紙の上の文に、勇者の声が乗った瞬間、それは確かに「彼の言葉」になってしまう。

 

 勇者は、少しだけ肩をすくめた。

 

「そうですね。

 俺が読めば、俺の言葉になる……のかな」

 

 自分で言って、自分で納得できないような顔をする。

 

「でも、時々思うんです。

 俺が本当に言いたかったことを知ってるのは、この街の中で、何人くらいいるんだろうって」

 

 ヨルンは、胸の前で手に持った紙束を握りしめた。

 

「少なくとも、ひとりはここにいます」

 

 勇者が、意外そうに目を丸くする。

 

「準備のときに勇者殿がおっしゃった言葉は、すべて、俺のノートに書いてあります。

 “魔族もできれば救いたい”も、“皆が普通に暮らせる世界”も。

 公式記録に残るかどうかは別として、

 勇者殿が確かにそう言ったという事実は、紙のどこかに残ります」

 

 勇者はしばらく黙っていた。

 

 やがて、ふっと笑う。

 

「それは……なんというか、少しくすぐったいですね」

 

 汗で湿った髪をかき上げながら、彼は続けた。

 

「俺は剣を振るうことしかできませんでした。

 言葉を残すのは、あなたたちの仕事なんでしょう。

 

 もし、いつか誰かが、“本当はどうだったのか”って知りたくなったとき、

 あなたのノートが残っていたらいいですね」

 

 ヨルンは、思わず背筋を伸ばした。

 

「できる限り、残す努力はします」

 

 勇者は、軽く会釈をし、護衛の兵たちの方へと歩き出した。

 

 その背中は、大勢の喝采を浴びていたときよりも、

 少しだけ軽く見えた。

 

◇ ◇ ◇

 

 夜、ヨルンは机の上に二枚の紙を並べた。

 

 ひとつは、王宮に提出する「勇者演説・公式記録」。

 もうひとつは、自分のノートに書き付けた「勇者の言葉・覚書」。

 

 前者には、今日広場で読み上げられた文が整然と並ぶ。

 

『我らは、魔王なき新たな時代を、

 王と神々の導きのもと歩むであろう。

 

 我らは、過ちを繰り返さぬよう、

 必要なときには勇気と覚悟をもって剣を抜き、

 王国と民を守り続けなければならない。』

 

 後者には、準備のときに勇者がこぼした拙い言葉が、擦れた筆致で書き残されている。

 

『俺は、本当はもう誰も殺したくないのです。

 

 敵だからって理由だけで、

 子どもや女や、戦う気もないやつまで殺さなくていい世界になってほしい。

 

 魔族の中にも、俺たちと同じような奴がいる。

 できればあいつらも、普通に畑を耕して、普通に飯を食えるようになってほしい。

 

 皆が普通に暮らせる世界にしたい。』

 

 字の乱れたところに、勇者が言葉を探しながら話していた時間の長さが、

 微かに刻まれている気がした。

 

 ヨルンは、二枚の紙を交互に眺めた。

 

 どちらも間違いではない。

 どちらも、ある意味では「真実」だ。

 

 ただ、その間に横たわっている溝は、深い。

 

 公式記録は、王国が民に見せたい「勇者の姿」を刻む。

 個人の覚書は、誰かが見せたがらない「勇者の揺らぎ」を刻む。

 

 どちらが歴史になるか。

 どちらが忘れられるか。

 

 それを決めるのは、百年後の誰かだろう。

 

 ヨルンは、ノートの端に、短い一文を付け足した。

 

『彼は本当は、「もう誰も殺したくないのです」と言っていた。』

 

 それだけ書いて、ペンを置く。

 

 蝋燭の火が小さく揺れ、

 紙の上に落ちる影が、ゆっくりと形を変えた。

 

◇ ◇ ◇

 

 ──【勇者演説・公式記録より抜粋】

 

 我らは、魔王なき新たな時代を、

 王と神々の導きのもと歩むであろう。

 

 過ちを繰り返さぬよう、

 必要なときには勇気と覚悟をもって剣を抜き、

 王国と民を守り続けなければならない。

 

 この勝利と平和を、

 王と神々に感謝せよ。

 

 ──【ヨルン個人覚書より抜粋】

 

 彼は準備の場で、

 「もう誰も殺したくないのです」と言った。

 

 その言葉は、演説本文からは削られた。

 代わりに、「必要なときには剣を抜くべきだ」という文が挿入された。

 

 彼の口から出た声も、

 王宮で整えられた文章も、

 どちらも「勇者の言葉」として記録される。

 

 だが、俺はここに書き留めておきたい。

 

 広場に響いたのは、

 彼が本当に言いたかった言葉の、精巧に作られた“加工品”であったことを。

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