~ルイズ~
どれくらい飛んでいたのだろう。
風の音と、羽ばたきに揺られているうちに、いつの間にか意識が落ちていたらしい。
目を覚ますと、夜だった。
ぱち、と薪が爆ぜる音がする。
焚火の橙色の光が揺れ、木々の影が長く伸びている。
肩には毛布がかけられていた。柔らかくて、少しだけワルド様の香水の匂いがした。
「起きたかい、ルイズ」
低く、落ち着いた声。
「……ワルドさま」
体を起こすと、彼は焚火の向こう側で静かに座っていた。夜風に銀の髪が揺れている。
「港まではまだ距離がある。今日はここで野宿だ」
周囲を見渡す。
森の中。闇は深いのに、不思議と静まり返っている。虫の声すらない。
「安全面に関しては任せてくれ。風の魔法で、周囲の生き物が近づかないようにしてある。今夜一晩は問題ない」
ああ、だからこんなに静かなのだ。
「……ありがとうございます」
胸の奥が少し温かくなる。
頼れる人がいるという安心感。
そのはずなのに、なぜか心のどこかが落ち着かない。
そのとき、ふと気づいた。
手元にあったはずのものがない。
「……え?」
一瞬で眠気が吹き飛ぶ。
私は飛び起き、地面を見回す。鞄の中も、毛布の中も。
ない。
ない。
「探しているのは、これかい?」
焚火の向こうから、宝石がきらりと光った。
ワルド様の手の中。
サヤカの――ソウルジェム。
心臓が跳ねる。
慌てて駆け寄り、ほとんど奪うように受け取った。
「落としそうだったからね。預かっていた」
彼の声は穏やかだ。責める響きはない。
「悪いと思ったけれど、少し調べさせてもらったよ」
その言葉で、胸が締めつけられる。
「ルイズ、それはいったい何だい? かすかに魔力の気配がある。しかし既存のマジックアイテムとも違う……妙な感触だ」
私は言葉に詰まる。
これが何なのか、私自身だって完全には理解していない。
ただ、サヤカにとってこれが重要なものというのはわかる。これがなければ、サヤカは魔法を使えないと言っていた。
持ってきたのは、半分は衝動だった。
戦わせたくなかった。
これがなければサヤカは戦えない。私の帰りを待つことしかできないはずだ。
「君が言いたくないのなら、無理に聞かない」
柔らかな声。
「申し訳ありません」
視線を落とすと、彼は立ち上がり、私の隣へと移動した。
肩にそっと腕が回る。
近い。
温もり。
安心するはずの距離。
「その話は終わりにしよう。ここからは任務の話だ」
切り替えが早い。
「ウェールズ皇太子の居場所は、姫から聞いているのかい?」
「いえ……行けばわかるとだけ」
「密書は、僕にも?」
「ごめんなさい」
「謝らなくていい。王族の命令だ。従うのは当然さ」
優しい。
完璧に、理解ある婚約者の言葉。
なのに。
焚火の火が揺れるたび、彼の横顔に落ちる影が、ほんの一瞬だけ鋭く見える。
「ワルド様は、昔から優しいですね」
自分でも、なぜそんなことを言ったのかわからない。
「急にどうしたんだい?」
「いえ……昔、お父様に叱られるたびに、こうして慰めてくださいました」
あの頃の私は、今よりもっと何もできなかった。
魔法も失敗ばかりで、家名に泥を塗る存在。
「君は不出来なんかじゃない」
即答。
「君には素晴らしい才能がある。君はまだ、それに気づいていないだけだ」
その言葉は甘い。
でも、どこかで引っかかる。
才能。
私に?
ゼロのルイズと呼ばれる私に?
考え込む私の前に、ワルド様が膝をついた。
焚火の光が、彼の瞳に映る。
真剣な眼差し。
そして、ソウルジェムを持っていないほうの私の手を取る。
冷たい夜気の中、その手だけがやけに熱い。
「本当は任務が終わってからにしようと思っていた」
声のトーンが変わる。
甘さではなく、決意。
胸がどくりと鳴る。
「ルイズ――」
夜の森は、風の魔法で静まり返っている。
誰もいない。
誰も、聞いていない。
「私と結婚しよう」
焚火が、大きく爆ぜた。
その音に紛れて、私の鼓動がやけにうるさく響いた。
どうしてだろう。
彼の瞳の奥に、ほんの一瞬――
私ではない“何か”を見てしまった気がした。
森は静かすぎる。
静かすぎる夜は、ときに祝福よりも、予兆に似ている。