ゼロの人魚姫   作:北町スイテイ

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第38話「私と結婚しよう」

~ルイズ~

 

どれくらい飛んでいたのだろう。

風の音と、羽ばたきに揺られているうちに、いつの間にか意識が落ちていたらしい。

 

目を覚ますと、夜だった。

 

ぱち、と薪が爆ぜる音がする。

焚火の橙色の光が揺れ、木々の影が長く伸びている。

肩には毛布がかけられていた。柔らかくて、少しだけワルド様の香水の匂いがした。

 

「起きたかい、ルイズ」

 

低く、落ち着いた声。

 

「……ワルドさま」

 

体を起こすと、彼は焚火の向こう側で静かに座っていた。夜風に銀の髪が揺れている。

 

「港まではまだ距離がある。今日はここで野宿だ」

 

周囲を見渡す。

森の中。闇は深いのに、不思議と静まり返っている。虫の声すらない。

 

「安全面に関しては任せてくれ。風の魔法で、周囲の生き物が近づかないようにしてある。今夜一晩は問題ない」

 

ああ、だからこんなに静かなのだ。

 

「……ありがとうございます」

 

胸の奥が少し温かくなる。

頼れる人がいるという安心感。

そのはずなのに、なぜか心のどこかが落ち着かない。

 

そのとき、ふと気づいた。

 

手元にあったはずのものがない。

 

「……え?」

 

一瞬で眠気が吹き飛ぶ。

 

私は飛び起き、地面を見回す。鞄の中も、毛布の中も。

 

ない。

ない。

 

「探しているのは、これかい?」

 

焚火の向こうから、宝石がきらりと光った。

 

ワルド様の手の中。

サヤカの――ソウルジェム。

 

心臓が跳ねる。

慌てて駆け寄り、ほとんど奪うように受け取った。

 

「落としそうだったからね。預かっていた」

 

彼の声は穏やかだ。責める響きはない。

 

「悪いと思ったけれど、少し調べさせてもらったよ」

 

その言葉で、胸が締めつけられる。

 

「ルイズ、それはいったい何だい? かすかに魔力の気配がある。しかし既存のマジックアイテムとも違う……妙な感触だ」

 

私は言葉に詰まる。

 

これが何なのか、私自身だって完全には理解していない。

ただ、サヤカにとってこれが重要なものというのはわかる。これがなければ、サヤカは魔法を使えないと言っていた。

 

持ってきたのは、半分は衝動だった。

戦わせたくなかった。

これがなければサヤカは戦えない。私の帰りを待つことしかできないはずだ。

 

「君が言いたくないのなら、無理に聞かない」

 

柔らかな声。

 

「申し訳ありません」

 

視線を落とすと、彼は立ち上がり、私の隣へと移動した。

肩にそっと腕が回る。

 

近い。

温もり。

安心するはずの距離。

 

「その話は終わりにしよう。ここからは任務の話だ」

 

切り替えが早い。

 

「ウェールズ皇太子の居場所は、姫から聞いているのかい?」

「いえ……行けばわかるとだけ」

「密書は、僕にも?」

「ごめんなさい」

「謝らなくていい。王族の命令だ。従うのは当然さ」

 

優しい。

完璧に、理解ある婚約者の言葉。

 

なのに。

 

焚火の火が揺れるたび、彼の横顔に落ちる影が、ほんの一瞬だけ鋭く見える。

 

「ワルド様は、昔から優しいですね」

 

自分でも、なぜそんなことを言ったのかわからない。

 

「急にどうしたんだい?」

「いえ……昔、お父様に叱られるたびに、こうして慰めてくださいました」

 

あの頃の私は、今よりもっと何もできなかった。

魔法も失敗ばかりで、家名に泥を塗る存在。

 

「君は不出来なんかじゃない」

 

即答。

 

「君には素晴らしい才能がある。君はまだ、それに気づいていないだけだ」

 

その言葉は甘い。

でも、どこかで引っかかる。

 

才能。

私に?

 

ゼロのルイズと呼ばれる私に?

考え込む私の前に、ワルド様が膝をついた。

焚火の光が、彼の瞳に映る。

 

真剣な眼差し。

そして、ソウルジェムを持っていないほうの私の手を取る。

冷たい夜気の中、その手だけがやけに熱い。

 

「本当は任務が終わってからにしようと思っていた」

 

声のトーンが変わる。

甘さではなく、決意。

胸がどくりと鳴る。

 

「ルイズ――」

 

夜の森は、風の魔法で静まり返っている。

誰もいない。

誰も、聞いていない。

 

「私と結婚しよう」

 

焚火が、大きく爆ぜた。

その音に紛れて、私の鼓動がやけにうるさく響いた。

どうしてだろう。

 

彼の瞳の奥に、ほんの一瞬――

私ではない“何か”を見てしまった気がした。

 

森は静かすぎる。

静かすぎる夜は、ときに祝福よりも、予兆に似ている。

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