ゼロの人魚姫   作:北町スイテイ

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第40話「こんな時、あんたが居たらよかったのに」

~ルイズ~

 

『すぐに返事をくれとは言わない。この任務の中で、ゆっくり考えてほしい』

 

差し出された手袋越しの手は、いつもと同じように穏やかだった。

私は頷くことも、首を振ることもできずに、ただ視線を落とす。

喉が、うまく動かなかった。

 

『ただ忘れないでほしい。君を守れるのは私だ。幼いころから、そうだっただろう?』

 

その声は優しい。

優しいはずなのに、胸の奥がひやりとする。

守る。

その言葉が、なぜか鎖のように聞こえた。

 

私は今、アルビオンへ向かう船の中にいる。

夜の甲板は潮の匂いが強く、風が髪を攫っていく。

月明かりに照らされた波は、黒い絹布のようにうねっていた。本来なら同じ部屋を用意していたらしい。

それを断ったとき、ワルド様はほんの一瞬だけ目を細めた。

すぐにいつもの微笑みに戻ったけれど。

 

「……一人で、考えたいのです」

 

そう告げた自分の声が、少しだけ震えていたことを思い出す。

今は狭い船室。

ランプの灯りが壁に揺れている。

 

「はぁ……」

 

小さく吐いた息が、やけに重い。

 

結婚。

 

貴族に生まれた以上、いずれは誰かと結ばれる。

それは理屈として理解している。

ワルド様は名門の出。

騎士としても優秀で、誰からも信頼されている。

 

家のことを思えば、これ以上の縁談はない。

 

……ない、はずなのに。

 

胸の奥が、静かに軋む。

ときおり見せるあの目。

微笑んでいるのに、どこか遠くを見ているような光。

私を見ているはずなのに、私ではない何かを測っているような視線。

 

「こんな時、あんたが居たらよかったのに」

 

掌の中のソウルジェムに、そっと囁く。

淡い光が、ランプの炎を受けて揺れた。

サヤカなら、どうしただろう。

 

本人は否定していたけれど、好きな人のために魔法少女になったあの子は―――

 

あの夜見た夢。

 

白い病室。

静まり返った空間。

ベッドに横たわる少年の、かすかな呼吸音。

 

胸がきゅっと締めつけられた、あの感覚。

ずっと、ワルド様が初恋だと思っていた。

 

けれど。

あの少年を見た瞬間の鼓動は、もっと鋭く、もっと苦しかった。

 

あれは――

 

言葉にしようとした瞬間、胸の奥がどくりと脈打つ。

思わず胸元を押さえる。

鼓動が、指先に伝わる。

 

「……なんとも、ないわよね」

 

そう呟くと同時に、ソウルジェムがかすかに熱を帯びた気がした。

 

窓辺に立ち、夜の空を見つめる。

二つの月が、静かに浮かんでいる。

その光に宝石を掲げると、内部の色がゆらりと揺れた。

 

きれいだと思う。

 

ワルド様は気味悪がっていたけれど、私はそうは感じない。

むしろ、触れていると落ち着く。

よく見ると、わずかに濁りが混じっている。

月光のせいだろうか。けれど、濁りはゆっくりと動いているようにも見えた。

 

まるで、生き物みたいに。

 

私の鼓動に合わせて、脈を打つみたいに。

 

「あなたの使い方、結局わからなかったわね」

 

何度も握りしめてみた。

呪文も唱えた。

願いを込めてみた。

けれど、何も起きなかった。

ただ、温もりだけが残る。不思議と、それだけで勇気が湧く。

まるで、サヤカがそばにいるみたいに。

胸の奥の重さが、ほんの少しだけ和らぐ。

 

でも。

 

窓に映った自分の顔は、どこか不安そうで。

ソウルジェムの奥で揺れる影は、

月の光では説明のつかない動きをしていたような気がした。

 

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