~ルイズ~
『すぐに返事をくれとは言わない。この任務の中で、ゆっくり考えてほしい』
差し出された手袋越しの手は、いつもと同じように穏やかだった。
私は頷くことも、首を振ることもできずに、ただ視線を落とす。
喉が、うまく動かなかった。
『ただ忘れないでほしい。君を守れるのは私だ。幼いころから、そうだっただろう?』
その声は優しい。
優しいはずなのに、胸の奥がひやりとする。
守る。
その言葉が、なぜか鎖のように聞こえた。
私は今、アルビオンへ向かう船の中にいる。
夜の甲板は潮の匂いが強く、風が髪を攫っていく。
月明かりに照らされた波は、黒い絹布のようにうねっていた。本来なら同じ部屋を用意していたらしい。
それを断ったとき、ワルド様はほんの一瞬だけ目を細めた。
すぐにいつもの微笑みに戻ったけれど。
「……一人で、考えたいのです」
そう告げた自分の声が、少しだけ震えていたことを思い出す。
今は狭い船室。
ランプの灯りが壁に揺れている。
「はぁ……」
小さく吐いた息が、やけに重い。
結婚。
貴族に生まれた以上、いずれは誰かと結ばれる。
それは理屈として理解している。
ワルド様は名門の出。
騎士としても優秀で、誰からも信頼されている。
家のことを思えば、これ以上の縁談はない。
……ない、はずなのに。
胸の奥が、静かに軋む。
ときおり見せるあの目。
微笑んでいるのに、どこか遠くを見ているような光。
私を見ているはずなのに、私ではない何かを測っているような視線。
「こんな時、あんたが居たらよかったのに」
掌の中のソウルジェムに、そっと囁く。
淡い光が、ランプの炎を受けて揺れた。
サヤカなら、どうしただろう。
本人は否定していたけれど、好きな人のために魔法少女になったあの子は―――
あの夜見た夢。
白い病室。
静まり返った空間。
ベッドに横たわる少年の、かすかな呼吸音。
胸がきゅっと締めつけられた、あの感覚。
ずっと、ワルド様が初恋だと思っていた。
けれど。
あの少年を見た瞬間の鼓動は、もっと鋭く、もっと苦しかった。
あれは――
言葉にしようとした瞬間、胸の奥がどくりと脈打つ。
思わず胸元を押さえる。
鼓動が、指先に伝わる。
「……なんとも、ないわよね」
そう呟くと同時に、ソウルジェムがかすかに熱を帯びた気がした。
窓辺に立ち、夜の空を見つめる。
二つの月が、静かに浮かんでいる。
その光に宝石を掲げると、内部の色がゆらりと揺れた。
きれいだと思う。
ワルド様は気味悪がっていたけれど、私はそうは感じない。
むしろ、触れていると落ち着く。
よく見ると、わずかに濁りが混じっている。
月光のせいだろうか。けれど、濁りはゆっくりと動いているようにも見えた。
まるで、生き物みたいに。
私の鼓動に合わせて、脈を打つみたいに。
「あなたの使い方、結局わからなかったわね」
何度も握りしめてみた。
呪文も唱えた。
願いを込めてみた。
けれど、何も起きなかった。
ただ、温もりだけが残る。不思議と、それだけで勇気が湧く。
まるで、サヤカがそばにいるみたいに。
胸の奥の重さが、ほんの少しだけ和らぐ。
でも。
窓に映った自分の顔は、どこか不安そうで。
ソウルジェムの奥で揺れる影は、
月の光では説明のつかない動きをしていたような気がした。